ぼく自身のための広告(31)

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31 父の杖

 86歳になる母が、もう足が弱ってお四国の巡礼にも行かれないから、長年使ってきた杖を結願のお寺に奉納してきたいと言う。7年前に亡くなった父の杖もそのままになっている。じゃあ二本まとめてお納めしてくるか、ということになった。幸い今年は閏年、4年に一度の逆打ちの年である。つまり88番札所の大窪寺から87番、86番というふうにまわる。第一回のツアーが2月にあるので申し込んだ。

 長く四国に住んでいたこともあり、父と母は3回くらい88ヵ所の巡礼をしている。父が亡くなってからも、母は一人でツアーに参加して、一年くらいかけてまわっていた。それを今後はもうやめるというのだから、少し寂しくはある。でもまあ、自分の年齢や体力と相談してのことなのだろう。たしかに足が衰えて、付き添いがいないと旅行は厳しい。おまけに88ヵ所のなかには、長い石段があったり険しい坂があったりするお寺も多い。

 父は60歳で地元の市役所を定年退職したあとも、請われて10年くらいは別の仕事をしていた。8歳下の母も65歳くらいまで経理事務の仕事などをしていた。だから二人が巡礼をはじめたのはともにリタイアしたあとだったと思う。母の運転する車で一泊か二泊しながらのんびりまわっていたようだ。晩年の父は車の運転をほとんど母に任せていた。本人も面倒になったようだし、母が「おとうさんの運転は危なっかしいからわたしがする」と言ったのかもしれない。

 父が亡くなってからの巡礼に、母はかならず故人の写真を携えた。お大師様との同行二人は、父との二人でもあった。今回の杖の奉納は、その締めくくりということなのかもしれない。いずれにせよ母なりに何かしら思うところがあったのだろう。死は一人で引き受けるしかないものだけれど、「ふたり」という場所でひらくことができる。森崎茂さんが創案した「自己の手前」や「内包」という言葉を頼りに、ぼくは最近そんなことを考えたり書いたりしているけれど、母の自然な振舞いを見ていると、「自己の手前」や「内包」といった言葉は知らなくても、おのずと「ふたり」を生きている気がする。

 ぼくが小学生のころ、母は夜中によくうなされることがあった。あのころ母はまだ30代だった。まるで絞め殺されるような悲鳴を上げるので、同じ部屋に寝ている子どもはおびえた。理由をたずねると、夢のなかで死にかけていて、死にたくない、死にたくない、と思って声を上げるのだ、と要領を得ない説明をしていた。目覚めてもなお夢の荒廃をとどめているような母の目は、子ども心にも怖かった。

 のちに少しずつ話してくれたところによると、母が小学生のときに郷里の街がひどい空襲に遭った。家の庭に簡易な防空壕が掘ってあったので、逃げ込もうとしたとき近くに焼夷弾が落ちた。爆風に吹き飛ばされて、母はしばらく気を失っていたらしい。意識を取り戻すとあたりが燃えており、両親が布団で一生懸命に火を消そうとしていた。その後遺症か、母の耳は長く片方が聞こえにくかった。いまは歳をとって両耳とも聞こえにくくなったので、感度が悪いなりに左右のバラスはとれているようだ。別の日の空襲では、雨のなかを祖母と逃げ惑う下の妹が用水路に落ちて亡くなっている。戦争で死を至近距離に体験したことが、何十年も後まで眠りのなかに忍び込んできて、母に断末魔の悲鳴を上げさせていたのかもしれない。

 いつのまにか悪夢は母のもとを去っていた。両親を看取って死にたいする抵抗力ができたのだろうか。父の死に際しても、ほとんど取り乱すことはなかったし、現在も自分の死にたいしてはおっとり構えているように見える。腹が据わっているというか、淡々と落ち着いている。

 人はどんな境涯にあっても、知識のあるなしにかかわらず、おのずとそんなふうに落ち着けるようになっているかもしれない。それは誰のなかにも自己の手前に「ふたり」という場所があるからではないだろうか。亡くなった幼い妹や両親や連れ合いによって、現在の母が「表現」されているようにも思う。

 その母を伴っての、おそらく最初で最後の四国巡礼。幸い天気にも恵まれて、気持ちのいい旅だった。博多から広島まで新幹線を使い、そこからバスに乗り換えて瀬戸大橋を渡る。ぼくは思想家としての空海には興味があるけれど、巡礼などというのは柄にもないと思っているので、自発的にこうしたツアーに参加することはないだろう。だいたい「不」と「無」に覆い尽くされた般若心経を唱えているだけでうんざりする。否定につぐ否定、ニヒリズムの極地ではないか。ぼくはもっと音色のいい「内包家族」や「遠いともだち」について考えたい。

 でもまあ、母のおかげ、亡くなった父の杖の導きで、88番の大窪寺から反対まわりに長尾寺、志度寺と三つのお寺に参拝することができた。ところで肝心の杖だが、大窪寺の納経所で「奉納したいのですが」と申し出たところ、窓口の聡明そうな女性から、結願を終えた杖はお守りとして家に置いておくものですよ、きっとご加護があるから大切になさいと諭されて、「そんなものか」と持ち帰ることになった。「なんのために行ったかわからなったねえ」と自宅に向かうタクシーのなかで呟く母であったが、いまさらそんなことを言われても……。(2020.2.25)