ぼく自身のための広告(11)

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11 オーディオの話……①

 これから何度かオーディオについて書いてみようと思う。そのためには家を建てる話からはじめる必要がある。というのは、ぼくは音楽は好きだけれど、けっしてオーディオ・マニアや音質の求道者ではない。スーパーオーディオCDとかマルチチャンネルとかホームシアターといった言葉とは無縁の生涯を送るだろうと思っていた。オーディオの道に多少なりとも踏み込むことになったのは、家を建てたせいだ。
 いや~、人生ままならないものです。どうしてこんなことになってしまったのかなあ? ぼくは自分の家を持ちたいと思ったことはないし、そんなものを建てる気もなかった。すでに建っている家に住まわせてもらえば充分と考えていた。それで30歳くらいのときに公団のマンションを買った。大学病院の看護師をしていた奥さんのおかげで35年のローンを組むことができたのだ。ぼくは親に100万円借りて頭金だけ払った。やれやれ。
 ところが予期せぬことに本が売れてお金がたくさん入ってきた。するといろいろ助言してくれる人が現れた。ただ銀行に預けておくのはつまらない。投資しなさい。不動産を買いなさい。アパート経営をなさい。そんな面倒くさいことをするのは嫌だ。ぼくは静かに小説を書いていたいのだ。とはいえ、もう少し広い家に引っ越したいとは思っていた。公団のマンションは3LDK、二人の息子たちが大きくなると、一つずつ部屋をあげたのでぼくの部屋がなくなった。しょうがないのでリビングの隅に机と本棚を置いて仕事をしていた。書斎というよりも、オフィスのワークステーションみたいな感じだ。
 そうやって書いた小説が売れてお金が入ってきたのだから、少し広いマンションに引っ越して自分の書斎をもってもいいだろう。何がいいのかわからないけれど、とにかく暇を見つけて近所の中古マンションを見てまわった。でも、なかなか気に入った物件がない。住宅展示場があったので、ついでに行ってみることにした。そこで、こんな家なら住みたいな、というものを見つけた。さっそく住宅メーカーの人に話をしたら、わかりました、すぐに建てましょう、土地も見つけてあげましょう、ということになったのである。
 さらに紆余曲折があって、いまの家が建ったわけだけれど、最初の打ち合わせのときにぼくが出した唯一の注文は、北向きの6畳くらいの部屋でいいからオーディオルームがほしいというものであった。そこで家族に気兼ねなく音楽を聴きたい。夜でもヘッドフォンではなくスピーカーで聴きたい。こちらの希望を伝えると、「なるほど」と恰幅のいい設計士は頷いた。
「でもあなた、北向き6畳などとけちなことを言わず、20畳のリビングをど~んとオーディオルームになさい」
「そんなことをしていいのでしょうか」
「何を言っているのです、あなたの家でしょう」
 そりゃそうだけど、ここに至るまでぼくはずっと家族に迷惑をかけている。塾のアルバイトぐらいしかお金を稼いだ経験がないのだ。好意的な出版社が小説を2冊本にしてくれていたけれど、初版が五千とか三千とかで重版がかからなければ、究極のワーキングプアである。そういうぼくの家庭内でのポジションを考えると、やはり北向きの6畳くらいが分相応であろうと思った。
 ところが20畳のリビング、しかも南向きと聞くと心はなびいた。クラシックの実演でもそうだけれど、音の良し悪しをきめるいちばん大きな要因はホールである。ホールの音響が良くなければ、いくらオケが優秀でも音楽は届かない。そのことを体験的に知っていたので、20畳のリビングをオーディオルームにするという誘惑には抗いがたい魅力があった。いい音で音楽を楽しむためにはホール、つまり部屋が大事だ。
 よし、この際、非情な男になろう。カルロス・ゴーンみたいに本来は家族のためのリビングを私物化しちゃおう……とはいえ長年、経済的貢献を果たさない夫と父親をやってきた負い目がある。リビングはやっぱりみんなのためのものでなければ。ひそかに計画を練った。彼らを円満に懐柔するための策が必要だ。表面的には民主主義的なオーディオルームを装って……そうだ、ホームシアターだ! なんたってホーム、家庭のためのシアターじゃないか。
「あのねえ、リビングをシアターにしてね、大きなスクリーンで『ハリー・ポッター』とか観ると、そりゃあ楽しいと思うんだ」
 こうして当初は考えてもみなかった成り行きで、ぼくのオーディオルーム計画はホームシアターにまで発展していきそうな気配だった。