The Road To Singularity Ep.11

The Road To Singurality
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11 リスクはあなたが負う

 7時に起きて一時間ほど読書。8時半に出発、途中でベーカリーを見つけたので、パンとコーヒーを買って朝食にする。11時ごろPalouse Fallという場所に着く。その名のとおり大きな巨大な滝がある。いちばん高いところで198フィートというから、60メートルくらいだろうか。掲示板の説明によると、このあたりの地形は氷河期の終わりごろに氷河が大地を削ってつくられた。同じ峡谷でもグランド・キャニオンはアリゾナ州なので緯度的にはかなり南になる。さすがに氷河は少なかったのか、隆起した地層がコロラド川の浸食を受けて生まれたらしい。一方、コロンビア川の流域に多く見られる峡谷は崖が切り立って造形がシャープである。いかにも大地が氷河によって削り取られたという感じだ。

 滝のそばまで行ってみる。目がくらむというほどではないけれど、落ちたら助からないかもしれない。〈警告〉の看板にはつぎのようなことが書いてある。

 ここから先は危険です。行くのは勝手ですが当方は責任をもちません。潜在的なリスクはすべてあなたがたに帰属します。救助にかかる費用は自分たちで負担しなければなりません。

 アメリカらしいなと思う。「禁止(prohibition)」という言葉は意地でも使いたくないという感じだ。実際、アメリカを旅していて何かが「禁じられている」という場面に遭遇することは少ない気がする。逆に日本の社会は、いたるところで「禁止、禁止、禁止」だ。思いついたものはとりあえず「禁止」にするという方針なのだろうか。立ち入り禁止、横断禁止、犬の散歩禁止、アイドリング禁止、ボール遊び禁止、釣り禁止、水泳禁止、手を触れてはいけません、ゴミを捨ててはいけません、携帯電話はマナーモードにして通話はお控えください……うんざりしてくる。

 アメリカの社会で「禁止」という言葉が使われるのは、他人の権利を侵害する場合くらいではないだろうか。原則として禁止はしない。なんでもやってみたまえ。ただしリスクは自分で負う。怪我をしても損をしても文句は言わない。それが彼らの考える自由なのだろう。「アメリカン・ドリーム」とはリスクと引き換えの自由の上に追求されるものである。あれだけ深刻な銃犯罪が相次いでいるにもかかわらず、銃所持の権利を重視する人が多いのも、自由にはリスクが付き物という考え方とつながっているのかもしれない。

 でも、やっぱり行き詰っている気がする。アメリカン・ドリームも、アメリカ式の自由も。だからトランプが支持されているのではないだろうか。アメリカは衰退しつつある、誰が見ても。だからこそ、「アメリカを再び偉大に」というスローガンは受けるのだろう。ひと昔前まで、労働者は民主党、金持ちは共和党と言われてきたが、いまはそうでもないらしい。高卒のブルーカラーがまっとうな給料を稼げなくなり、ミドルクラスが貧困層に転落しようとしている。アメリカン・ドリームの達成など、夢のまた夢となった人たちがトランプを支持している。

 なぜ2016年の大統領選で、トランプは大方の予想を覆してヒラリーに勝ったのか。勝つことができたのか。ヒラリーだけには入れたくないと考える人が予想以上に多かったからだ。ぼくだって彼女には投票しない。一回の講演で数千万円ももらっておいて「フェアネス」もないものだ。つまり消去法でトランプが残ったのか? Exactly! それでは話が先に進まない。苦し紛れに原因を探れば、景気を良くしてくれそうだと多くの有権者が判断したからだろう。そう思わせることにトランプは成功した。もちろん実効性についてはわからないし、いまだにこれといった成果は上がっていない。目に見えるところは、株価が上がりガソリン価格が下がったことくらいだろうか。一家に車が二台も三台もあり、資産の多くを株や投資信託で保有するアメリカ人にとっては、それだけでもトランプを選んで正解ということになるのかもしれない。ガソリン価格はともかく、株価が上がっているのは、ビジネス優先の姿勢を見せるトランプに投資家たちが好感をもっていることのあらわれと見ることもできる。

 要するに多くの人が儲かったのだ。彼らがトランプに期待するのは政治家としての手腕ではないだろう。ひょっとするとトランプは政治家とは見られていないのかもしれない。有能なビジネスマンであってくれればOK、景気が良くなれば、仕事が見つかれば、給料が上がれば、つぎもまた投票してあげるよ……。一つの消費行動だったのではないか、大統領選挙は。「アメリカ大統領」という商品として幾つかの種類があり、最終的には「ヒラリー」と「トランプ」が残った。結果は僅差で「トランプ」をコールした人たちのほうが多かった。もちろん粗悪品である可能性は充分にある。そのときはリコールすればいい。彼らはリスクを取って「トランプ」に賭けたのだ。危険な賭けであることは承知の上で。

 いつのまにか風景が変わっている。あたり一面の麦畑が果てしなくつづく。ときどき忘れたように大草原の小さな家みたいな農家が現れる。いったい一戸当たり、どれくらいの耕地を所有しているのだろう。日本の農家一戸当たりの耕地面積の平均は1.2ヘクタールほどだ。フランスは30ヘクタール、アメリカは200ヘクタールと聞いたことがある。1ヘクタールは100メートル×100メートルで約3000坪だから、おそろしく広大な屋敷が建つ。東京ドームでも5ヘクタールくらいである。ところがアメリカの農家は200ヘクタール、すなわち東京ドーム40個分、つまり60万坪、畳120万枚分……って、よくわからんがとにかく広い。

 こういうところで農業をやっている人たちが、トランプを支持するのはなんとなくわかる気がする。彼らは自分たちの力で広大な土地を耕し、作物の面倒を見ている。移り気な天気や病害虫を相手にしている。イナゴの襲来だってあるかもしれない。中国などからの安い農産物とも闘わなければならない。とりあえずトランプはTPP(環太平洋経済連携協定)からの離脱を表明したし、FTA(自由貿易協定)にも反対の姿勢を見せている。だが本当は、そんなことはどうでもいいのかもしれない。嘘も含めて言いたいことを言い、相手かまわずに罵倒するトランプは、見渡す限り人の気配もないようなところで農業をやっている人たちには心強いのだ。元気づけてくれるのだ。孤立無援で闘っている(ように見える)彼の姿が共感を呼ぶのだ。

 この埃だらけの大地を何時間も車で走っていると実感としてわかることがある。オバマやクリントン夫婦では屁のツッパリにもならない。乾いた大地を耕し、作物の種をまき、水や肥料をやり、こまめに農薬を散布し、その年々の収穫に一喜一憂する人たちにとって、ポリティカル・コレクトネスだの公正中立だの、どうでもいいことだし、何も訴えてこない。彼らがそういうことを理解しないわけではないだろう。ただあまりにも遠すぎるのだ。シリアも北朝鮮もエルサレムも。このあたりではアフリカンやヒスパニックやラティーノといった白人以外の人たちの姿を、ほとんど見かけない。いま半径100キロ以内にいる日本人はぼくたちだけかもしれない。ニューヨークやワシントンDCだって充分に遠い。そんなところから発せられるメッセージは、ここには届かない。届いてもあっという間に揮発してしまう。なぜクリスマスが「ハッピー・ホリデー」なのか。クリスマスは「メリークリスマス」にきまっているじゃないか。神の加護なしに農業はやれない。日本でもほとんどの神事は稲作にまつわるものだ。漁業や林業でも同じだろう。近代的な超高層ビルを建てるときにも地鎮祭をやるし……。

「トランプってジョン・ウェインなのかも」
「まあ、そうだね。ジョン・ウェインが喜ぶかどうかわからないけど」
「誰もジョン・ウェインにお行儀の良さなんて求めないじゃないですか。トランプだって同じですよ。品位や見識なんて求めていない。熱狂的な支持者だって、そんなものが彼にあるとは最初から思っていない。ただインディアンをやっつけてくれればいい」
「でも戦争は望んでいないだろう。もうさんざんやってきたから。ベトナム、アフガニスタン、イラク……彼らは本当に懲りているんだよ」
「その点は平和ボケしている安倍のほうが危険ですね」
「国民も含めてね」
「なんだかトランプを支持しているアメリカ人が健全に思えてくるなあ。ジョン・フォードの映画が好きっていうのは悪いことじゃないですよ。トランプが人を人とも思わないような口をきいたり、国際社会に向かって悪態をついたりするのをテレビのニュースなどで見て、彼らはジョン・ウェインが酒場で生意気な若造をぶん殴るときのように、快哉を叫んでいるんじゃないかな」
「きみがあまりトランプに共感しないうちにチェックインした方がよさそうだな」

 午後2時ごろにPullmanという町に入る。人口は2万4千人ほどで、このあたりの中心地らしい。シアトルから西南西に進路をとってアイダホとの州境まで来た。11月の中間選挙に向けてのものだろうか、道端に候補者のポスターが立っている。ほとんどが共和党の候補者だ。ここでもトランプは受けているらしい。あらためてアメリカが分断されているのを感じる。海岸部と内陸部。都市と田舎。Walla Wallaへ向かう途中で通った「Wallula Gap」のように、大きな裂け目があり高い壁がある。分断されつつある国を、さらにトランプはバラバラにしようとしている。そんな彼を多くの人が支持している。日本と同じだ。

 今夜の宿はHoliday Inn、チェックインして風呂に入り、ついでに洗濯をする。しばらく本を読んで、午後6時半ごろ車でホテルを出発。夕陽の写真を撮るためだ。ゆっくり目的地をめざして、午後8時に「Steptoe Butte State Park」に到着。なるほど名高いヴュー・スポットだけあって、小高い丘の上からは360度の広大な眺望が得られる。すでに大勢の人が夕陽を見るために集まっている。カメラを持った人も多いようだ。午後8時半、ようやく太陽が沈みはじめる。一時間ほど夕日を眺め、写真を撮ってホテルに戻る。結局、今日は朝出かけるときに買ったパンしか食べなかった。アメリカに来てから食べ過ぎているので、たまにはプチ断食したほうがいいかもしれない。

 ホテルの部屋に手ごろなデスクとチェアが置いてあるので、眠くなるまで本を読んだり、思いついたことをメモしたりして過ごす。どうもトランプのことが気になってしょうがない。彼はぼくたちにいろいろなことを考えさせる。当人は金儲けのことしか考えてなさそうだけれど。いちばん痛切に感じるのは、瀕死の民主主義がいよいよ最期のときを迎えつつあるということだ。もう蘇生は無理ではないだろうか。トランプや共和党を支持する人たちは、民主党の掲げる公正中立やポリティカル・コレクトネスを全然信じていない。ぼくも日本にいるときから、オバマやヒラリーの言葉には嘘しか感じられなかった。この国に暮らしトランプを支持している人たちは、オバマやヒラリーの「嘘」を身近なものとして、ぼくたちよりも強く実感しているはずだ。

 マイノリティや貧困層や移民に手厚い民主党の政治が「公正」だと思えない人たちが、ロサンゼルスやサンフランシスコやシアトル、あるいはニューヨークの外にはたくさんいるのだ。ポリティカル・コレクトネスを唱えるオバマやクリントン夫婦が、製薬業界や軍需産業から多大の献金を受けていることは誰でも知っている。要するに商売じゃないか、公正中立もポリティカル・コレクトネスも、ということだろう。それで儲かる人たちが支持しているだけのことだ。ハイブリッド車を市場から締め出すために、EV以外はエコカーじゃないと言うのと同じである。その前は石炭が温暖化や大気汚染の元凶のように言われた。これもいまから考えると、原油で儲けたい人たちの画策だったのかもしれない。環境問題も地球温暖化対策も、公正中立もポリティカル・コレクトネスも、大義名分がみんな金儲けの手段になっている。それなら温暖化対策やポリティカル・コレクトネスを支持しない側にも、支持する側と同じだけ言い分があることになる。

 難しいのは、民主党の政治が「公正」と思えない人たちがいる一方で、「公正」と思える人たちも間違いなくいることだ。マイノリティや貧困層にとっては、民主党の言っていることが圧倒的に正しいだろう。メキシコから「不法」に入ってくる移民の安い労働力によって潤っている人たちもたくさんいるはずだ。つまり「自分たちにとって」という保留を付けないと、「公正」という言葉は機能しなくなっている。フェアネスはエクスキューズ付きのものになっている。そういうかたちでアメリカは分断されている。分断というより分解と言ったほうがいいかもしれない。国民はモナド的な個人に分解し、国民国家という共通のフィクションが成り立たなくなっている。いまや「アメリカ」は一人ひとりのものだ。国民や国家という視点に立てば、トランプ(や安倍)という選択はありえない。彼らは国民を対立させ、分断し、国家を壊そうとしている。それでもトランプ(や安倍)が支持されているのは、もはや「国のため」や「国の利益」という言論の場所が成り立たなくなっているからだろう。メルケルのような有能な政治家でも、公的な場所で国の行く末を語る言葉を失いつつある。まして軽薄なヒラリーが、景気のいいことを大きな声で言う夜郎自大に足をすくわれる可能性は充分にあったわけだ。

 トランプの登場が象徴しているのは、「国民の消滅」ということではないだろうか。アメリカという国から国民が消滅している。ヨーロッパの先進国でも日本でも同じだ。国家はあっても国民はいない。いるのは一人ひとりの個人だ。国家は国民を守れなくなっている。国民も「自分たちを守れ」とは言わなくなっている。ただ「自分を守れ」「自分一人でもいいから、とにかく守れ」と言っている。そんな人たちがトランプを支持している。だが誰が見ても、トランプが守ろうとしているのは自分と身内だけだ。彼が選挙運動中に言っていたことは、大幅減税にしても社会保障制度の保護にしても、最初からできないとわかっていることばかりではないか。

 できもしないことを大声で言う男がアメリカの大統領をやっている。自由貿易批判も、どこまで本気なのかわからない。海外から雇用を取り戻すと威勢のいいことを言って、中国やメキシコや日本がやり玉に挙げていたが、具体的にどうやって取り戻すつもりなのか。だいいちトランプを支持している人たちの多くが、Walmartなどで安い中国産の食品を買い求め、量販店で買った韓国製や中国製の家電を使っているはずだ。走っている車も燃費のいい日本車が多い。トランプが何を言おうとAIによる大規模な雇用破壊は目前に迫っているし、TPPやFTAなどに見られるグローバル化の流れは止まらない。それでもトランプを支持するという人々のモチーフはなんなのか?

 日本ではアベ・シンゾウという政治家が国民の資産を方々にたたき売り、狂ったように国を壊しつづけている。そういう男が長く国の頭を務めている。根底には現実にたいする無力感があるように思う。ひょっとすると日本人は、アベとともに二度目の総玉砕をしようとしているのではないか。強大な敵を相手に「勝ち目がない」と悟ったときに、日本人の脳のなかでは「玉砕」というスイッチが入ってしまう。そういう仕様になっているとすれば、グローバリゼーションという圧倒的な現実の前に、敗北を認めつつあるのが現在ではないだろうか。白人中流層を中心に広がるトランプ支持にも似たものを感じる。彼らのトランプ支持は破壊願望に近いのかもしれない。