きのうのさけび

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 何かの機会に、録音された自分の声を聞くことがある。あれは気恥かしいものだ。えぇ~っ、オレってこんな声? もちろん、そんな声なのである。レコーダーが偽りの声を再生しているわけではない。エフェクターなどで加工してあるわけでもない。諦めるしかない。とはいえ暗澹たる気持ちになる。こんな声は嫌だ。これは自分の声ではない。少なくとも、自分が思っている自分の声ではない。本人のイメージのなかで、自分の声というものは、よほど美化されているらしい。

 ところが不思議なもので、そんな自分の声を職業柄しょっちゅう聞いている人、歌手とかアナウンサーといった人たちは、録音された声に違和感をもたないらしい。聞き慣れるということもあるのだろう。それ以上に、彼らは絶えず自分の声をモニターしながら、自分がイメージしている歌い方や喋り方に近づけるという作業を意識・無意識に行っているのではないだろうか。イメージの声と、実際に出ている声の誤差を小さいくしていく。そして最終的に、自分の声に違和感がなくなるところまでもっていく。AIがモデルと現実のズレをコスト関数として最小値に近づけていくように。

 普段、ぼくたちは自分の声をモニターする機会がほとんどない。だから自分がイメージしている声で喋っているつもりでいる。その声をあるとき、「これがおまえだ!」とばかりに突き付けられると、周章狼狽して「いいえ、これは私ではありません」と否認したくなってしまうのである。

 そもそも自分の声というものは本人に聞こえているものなのだろうか。聞こえているといえば聞こえている。でも、あくまでイメージ(理想)という仮想現実のなかで聞いているのであり、客観的に聞いているわけではない。もし自分の本当の声が聞こえたら、たちまち深い自己嫌悪に陥り、唖(差別用語です)になってしまうかもしれない。そのような声で、口調で、喋り方で、いろんな相手に向かって言葉を発しているとしたら……。

 自分で聞いて嫌にならない声、できれば自分で聞いて心地よいと思える声で喋ることができたら、どんなにいいだろう。もちろん理想である。実際にそんなことができれば、ほとんど聖人君主と言っていいだろう。でも心がけとしては、頭の隅に置いておきたいものだ。(2020.10.24)