きのうのさけび

この記事は約3分で読めます。

 古典落語を聴いていてよくわからないのが、当時の通貨、お金の価値である。ぼくの好きな古今亭志ん生のレパートリーでいうと、『火焔太鼓』では道具屋の主人が一分で買った太鼓が三百両で売れる。噺のなかのやり取りから、これが庶民にとって腰を抜かすほどの大金だったことはわかる。では一分金とはいかほどのものか?

 『宿屋の富』では富くじの値段が、やはり一分。これで千両当たることになっている。『黄金餅』では臨終間近の西念が隣に住む金兵衛に、虫の息で二朱の餡ころ餅を買ってきてくれと頼む。かなりの量らしいが、一朱とはいくらぐらいなのか? 噺の最後のほうに「百カ日仕切り」という言葉が出てくる。葬式での読経、初七日から百カ日の法要まで含め、しめて三両ほどかかったという。

 ご承知のように、江戸時代の貨幣は金・銀・銭の三貨立てで、現在でも使われる金銭という言葉はここから来ている。これだけでもややこしいのに、それぞれ計算の仕方が全然違うので、なにがなんやらわからなくなってしまう。

 まず金は数量で、両、分、朱の四進法。ところが銀は重量で、匁、分、厘の十進法になる。銭もやはり数量で文の十進法である。それぞれの交換レートはおおよそきまっているけれど、もちろん時代によって変動する。明治になって通貨が円に統一され、円と銭による十進法になったことで、お金の計算がどれだけ簡便になったか知れない。

 こうした通貨は当時、どのくらいの価値があったのだろう? 落語の舞台となる江戸後期、一両でお米が一石(150キログラム)買えたという。現在のお米の相場からすると、一両は十万円くらいだろうか。すると落語で出てくる千両富は一億円。二分は一両の半分だから五万円、一分はそのまた半分で二万五千円ほどになる。現在の宝くじにあたるものが一枚二万五千円だから、かなり高価だったことがわかる。『火焔太鼓』では二万五千円で仕入れた太鼓が三千万円で売れたわけで、なるほど道具屋の夫婦が腰を抜かしそうになるのも無理はない。二朱は一両の八分の一、一万円ちょっとである。これで餡ころ餅を贖うとなれば、たしかに相当な量になるだろう。

 ところで人類最古の貨幣は、中国の殷王朝で使われていた宝貝(子安貝)と考えられている。それで貨幣の「貨」には「貝」が入っている。「購買」のように、お金が関係した漢字には「貝」を含むものが多い。春秋・戦国時代になると鋤形の布銭や刀形の刀銭など、国ごとに様々な貨幣が流通する。さらに秦の中国統一とともに、貨幣も丸に四角の穴をもつ半両銭に統一され、この形は19世紀まで連綿とつづくことになる。

 その中国が現在、キャッシュレス化(スマートフォンを使ったモバイル決済)において世界に先んじているのは面白い。いずれお金は形を失い、ヴァーチャルな世界でブロックチェーンなどによって管理されるものになるかもしれない。(2022.8.10)