きのうのさけび

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 近代とは何か? 人類の文明が大きく動きだした時代。人間中心主義(ヒューマニズム)の時代。人間的な文明の時代。いろいろな言い方ができるけれど、こういうのはどうだろう。人間が神に導かれて、うっかり神を超えてしまった時代。神に近づこうとして、神を見失うことになった時代。神を見失うことは、同時に自然を発見することでもあった。それまで宇宙の摂理は『聖書』に書いてあった。その中身を人間の世界に敷衍する場所が教会だった。しかし神も教会も権威を失うと、人間は自力で世界や宇宙を探求していくしかなくなる。こうして近代の自然科学が生まれてくる。

 それとともに「人間」が立ち上がってくる。もはや世界の中心に神はいない。これからは人間が独力で自然を探求し、神様抜きで社会の秩序を構築していかなければならない。「人間は人間にとって狼である」というトマス・ホッブズの言葉は、この時代の人々の不安を端的に言い現わしている。神を後ろ盾とする教会の定めた決まりが機能しなくなった社会では、個々人の利益が衝突して「万人の万人にたいする闘争」といった事態が出来するのではないか。人間が狼にならずに、自分たちの手で秩序ある社会をつくっていくにはどうすればいいのか。ホッブズの「社会契約論」はその一つの答えであり、アメリカ独立宣言(1776年)やフランス革命(1789年)を経て確立されていく「自由・平等・友愛」といった理念も、神なき世界で人々が平和に協調して生きるという課題に答えようとするものだった。それらは民主主義と国民国家という近代の政治的な仕組みとして具体化されていくことになる。

 近代の芸術や文学も、同じ課題に答えようとして生まれた。神のいなくなった世界で人間の獣性を抑え込み、闘争する個人をいかに社会的な人格として薫陶していくか。美は人間の人格形成に好ましい影響を与える。なぜなら音楽にしても絵画にしても、「美」として鑑賞するためには、作品の内部や背後に理念や精神性を見出す必要があるからだ。芸術を鑑賞することは、所有や欲望とは異質なものとしてある美を享受することであり、それは一枚のパンを求めて衝突や争いを繰り返す人々の人格を陶冶することにつながる。ここから人間の獣性を克服するための芸術という考え方が出てくる。

 詩や演劇に代わって小説が近代文学の主要なジャンルになっていくのも、文学が担わされた役割が大きく関係している。小説の特徴は虚構性と物語性である。現実の社会の利害関係を括弧に入れて、弱者や虐げられた者たちに同情を寄せることができる。獣性のかたまりみたいな男の悲しみに共感することができるし、卑しい娼婦の高貴な振る舞いに感動することもできる。つまり教育的な働きを通して、小説もまた社会的に好ましい人間を育てるのに役立つと考えられた。そうした課題に応えるのが「良い」小説であり文学だった。(2020.1.24)