きのうのさけび

この記事は約2分で読めます。

 週に一度、友だちの塾を手伝いにいって中学生に国語を教えている。中学2年生の教科書には太宰治の『走れメロス』が入っている。この作品、ぼくが子どものころからずっとどこかで読んできた気がする。うちの子どもたちが中学生のころ、ということはもう四半世紀近く前にも、やっぱり教科書に入っていた。誰がどんなふうに選んでいるのか知らないけれど、戦後日本の民主主義教育を象徴する作品と言ってもいいかもしれない。

 そんなわけでぼくは年に一度、『走れメロス』を中学生と一緒に読む。そして読むたびに「いい作品だなあ」と思う。ちょっと非の打ち所がないくらいいい作品である、ってことは中学生諸君にはなかなかわからないだろうなあ。とくに妹の結婚式を無事に執り行ったメロスが、殺されるために城へ戻る途中で濁流に行く手を阻まれ、山賊に襲われ、疲労困憊して自暴自棄になる場面。延々とつづく言い訳とも卑下ともつかないうじうじしたト短調(なのか?)のアリアは、さすがに中学生諸君も読んでいて食傷するみたいだ。

 わかる。よ~く、わかる。おじさんだってちょっと食傷気味だ。しかしねえ、ベートーヴェンを聴いてごらん、苦難を乗り越えての勝利である。歓喜である。メロスだって清水を一口含むとともに疲労回復、希望が湧いてきて、沈みかけた夕日に向かって駆けはじめる。見事な転調だ。『運命』の第四楽章だ。いいぞ、メロス。走れ! メロス。

 太宰の生涯のテーマは「愛」である。しかもキリスト教的な愛である。汝を愛せるがごとく隣人を愛せるか? 『走れメロス』のテーマも、やはりこれである。自分と同じように妹や、竹馬の友や、邪知暴虐の王に苦しめられている町の人々を愛せるか? そのためにメロスは自らの命を差し出そうとする。メロスの行為を善として、美として太宰は本気で書いている。この本気度が『走れメロス』を繰り返し読むに足る作品にしているのである。

 初出は昭和十五年の『新潮』である。戦時色が濃くなるこの時期の太宰の作品には、『女の決闘』や『駆け込み訴え』など傑作が目白押しである。「畜犬談」のような愛すべき小品もあるし、前年には「富嶽百景」や「黄金風景」といった珠玉の作品も世に出ている。いまコロナ戦時下において、太宰ほどのクオリティの作品を書いている作家がいるだろうか? 世界中に一人でもいれば、人間はまだ捨てたもんじゃないと思う。(2021.1.21)