きのうのさけび

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 ご存知の方も多いかもしれないが、モーツァルトの最初の4つのピアノ協奏曲(K37、K39、K40、K41)は彼が作曲したものではない。他人のピアノ・ソロ用の曲などを、11歳の少年がコンチェルト用に編曲してしまったのである。だから本人の手が入っていないわけではないのだが、純然たるモーツァルトの作品ではないということで、ピアノ協奏曲全集には入れないピアニストも多いようだ。内田光子なども弾いてなかったと思う。

 とはいえペライアやアシュケナージといった人たちの演奏でこれらの曲を聴くと、やっぱりモーツァルトの作品に聴こえる。もちろん彼らがタッチとかテンペラメントとか、いわゆる「モーツァルトらしい」演奏をしているから、それらしく聴こえるということでもある。このようにモーツァルトの作品を演奏することは、楽譜の検証から演奏のスタイルに至るまで、多くの演奏家や音楽家によって長い歴史をかけて培われてきたものだ。このことはピアノ曲にかぎらず、すべての種類の作品について言えるだろう。  不思議なのは、モーツァルトが生きていた時代、たしかにピアノという楽器は存在していたけれど、今日のコンサート・グランドのように鋼鉄製の枠を持つ強靭なものではなかったということだ。音域は狭く、音は軽く、弱く、細く、ペダルの効果もあまり得られなかったらしい。むしろバッハの時代のクラヴィコートやハープシコードに近かったのではないだろうか。それにもかかわらず、彼のピアノ協奏曲はスタインウェイのような現代の最高級のピアノで弾かれたとき、もっともモーツァルトらしい音色を奏でるように作られている。

 一つの例として、ピアノ協奏曲第18番(K456、変ロ長調)を取り上げよう。第二楽章のアンダンテをペライアやアシュケナージの演奏で聴いてみる。なんという陰影に富んだ弱音の美しさ。これ以上ないというくらい繊細なニュアンスの付け方。葉の上に置かれた朝露がこぼれ落ちるようなピュアで透明な響き。まさにピアニズムの極致である。こんなピアノの音色や響きは、モーツァルト自身も想像できなかったのではないだろうか。いや、想像はしたかもしれないが、音として奏でられるまでには200年を要したのである。ちょうどアインシュタインが予測した重力波が、実際に検出されるまで100年かかったように。

 モーツァルトの音楽は、彼の死後も200年以上にわたって創造的に進化しつづけている。有機的に育ちつづけていると言ってもいい。芸術が生き延びるとはそういうことなのだろう。もちろんモーツァルトの書いた音楽が、無限の反復に耐えうるものだった。そして反復されるたびに新しかった。文学にも似たようなところがある。たとえばガリレオの時代の自然科学の文献などは資料としてしか読めない。つまり科学史という歴史のなかに収まっている。文学はそうではない。時代とともの新しい読み手が現れ、新しい読まれ方をする。そうやってシェークスピアやセルバンテスやゲーテは現代まで読み継がれてきているのだろう。『聖書』やギリシア悲劇などもそうかもしれない。

 読むこと、聴くこと、観ることは、充分に創造的な行為である。いかに読むか、いかに聴くか、いかに観るかが「表現」なのである。さらに言えば、日々をいかに味わうか、この人生をいかに賞味するかが、広く「表現」をなしている。そういう姿勢、心持ちで、これからの困難な時代を生き抜いていきたい。(2020.4.1)