そもそも動物たちにとっておいしいという感覚は不要なはずだ。ライオンがシマウマを見つけて、あいつうまいかなあなどと考えていたら餌に逃げられてしまう。うまいとかおいしいとかいう感覚は、おそらく人間が独自に発明したものだろう。おとうさんが苦労して持ち帰った木の実か果物かを奥さんや子どもたちが食べてにっこり笑った。それを見ておとうさんも思わずにっこり笑った。きっとミラー・ニューロンか何かが反応したんだろう。このときおとうさんのなかに不思議な感覚が生まれた。「おいしい」という感覚は、きっとこういうところから生まれたのだろう。
最近の研究によれば、八万年ほど前にアフリカを出た小さなグループが、いま地球上に棲息している全人類のルーツになったらしい。多くの遺跡や壁画などから、このときアフリカを出てアジアやヨーロッパへ進出した連中は、歌い踊る人たちだったことがわかっている。ということは、すでに彼らはうれしいという感情をもっていたのだろう。また埋葬の痕跡から、初期人類の心には悲しみやそれに類する感情が芽生えていたことがうかがえる。なぜだろう? 不思議なことじゃないか。
人間が通常の動物なら悲しいという感情は必要なかったはずだ。死んだ仲間の死体は、そのままほったらかしておけばよかった。ところがどうしたわけか、われわれの祖先は仲間の死骸を朽ち果てるにまかせようとしなかった。それは彼らが自分だけでは完結せずに、自分をはみ出す生き物だったからだ。ともに生きてきた者が、ある朝動かなくなっている。手を触れると冷たい。その冷たさを悲しいと感じた。昨日まで一緒に駆けたり笑ったりしていた相手の唐突な静まりを寂しいと感じた。こうして人間ははじまったのだ。
われわれがものを食べるのは、たんに空腹を満たすためだけではない。もっと別のものも満たしている。その証拠に、食べることにはおいしいとかおいしくないとか、余分なものがくっついてくる。どうしてそんな面倒なことになっているのか? わかっているのはスマホを相手に一人で食べるよりも、気の合う仲間や恋人と一緒に食べるほうがおいしいということだ。
喜怒哀楽をはじめとする人間の感情は、みんな他者に由来している。そして幸不幸は、その人の感情生活と緊密に結びついている。ということは、幸せもまた他者に由来しているってことになる。人間は自分で自分を幸せにすることはできない。超大金持ちがみんな空疎で退屈そうな顔をしているのはそのためだ。(2024.8.26)