あの日のジョブズは(12)

あの日のジョブズは
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12 誰もが普通に使えるコンピュータ


 1906年に設立されたハロイド・コーポレーションはのちにゼロックスと社名を変え、その規模の拡大とともに幾つもの企業を買収していった。1969年にはコンピュータ会社を買収し、スタンフォードと隣り合うパロ・アルトに大がかりな研究所を設立した。ゼロックス・パロ・アルト研究所、通称PARCである。
 ジョブズたちがPARCを訪れたのは1979年の末、Apple Ⅱの後継機となるApple Ⅲやリサ(Lisa)の開発に行き詰っていたころだ。研究所で一行はアルト(Alto)と呼ばれていたプロトタイプ・コンピュータを見学する。その際にジョブズはかなり強引な手を使ってアルトに搭載されたゼロックスの技術を開示させる。後に彼は「未来のコンピュータのあるべき姿が見えた」と述懐している。「この技術があれば、普通の人にもコンピュータが届けられる。」(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』)
 このときPARCにはアラン・ケイがいて、グラフィカル・ユーザー・インターフェイス(GUI)の開発に取り組んでいた。これはスクリーンの上に文書やファイルを置き、使いたいと思うファイルをマウスで選んでクリックするという、デスクトップ・パソコンでは当たり前になる操作だが、当時のコンピュータはまだ黒いスクリーンに白で表示される文字をコマンド・プロンプトとして打ち込んで動かさなければならなかった。そういえばぼくが大学院生だった1980年代のはじめごろ、大学の研究室にNECのPC98が導入されていた。少し触ってみたけれど、「A:\WINDOWS/A:\DOS」といった記号を打ち込んでいくのが面倒臭くてすぐに諦めた。
 1970年にPARCに移ってきたアラン・ケイは子ども向けのコンピュータを作りたいと考えた。子どものコンピュータとはどのようなものか? 黒の味気ないDOSプロンプトに意味不明のコマンドを打ち込んでコンピュータを動かすなどという、大学院生でもうんざりするような作業を学齢前の子どもにさせることはできない。それならグラフィックスでコンピュータを操作するようにしてはどうか。グラフィックスを支える技術の一つが、光点(ピクセル)の一つひとつをコンピュータでコントロールする「ビットマップ」と呼ばれるシステムだ。これを使えばモニター・スクリーンのグラフィックを自在に操ることができる。さらに文書やファイルなどのデジタル・データを「アイコン」で表示し、「マウス」と呼ばれるポインティング・デバイスを使って操作する。ぼくたちには馴染みのものばかりだが、ジョブズたちがPARCを訪れた70年代末には、こうした技術はきわめて革新的なものだった。

 PARCのエンジニアたちが成し遂げたことは、「パーソナル」という概念の具体化だったと言える。最初に「パーソナル・コンピューティング」という言葉を使いはじめた一人であるアラン・ケイは、1960年代末に人間の思考の補助メディアとしてのコンピュータというコンセプトを提唱している。やがて「ダイナミック・ブック(Dynabook)」と呼ばれることになるマシンの条件として、彼はつぎのような点をあげている。

 ・新聞並みの出力画面をもつこと。
 ・小型で持ち運び可能であること。
 ・人間の直観に近い操作環境であること。
 ・ユーザーのアクションにたいしてフィードバックが即座であること。
                (斎藤由多加『マッキントッシュ伝説』による)

 ケイが考えていたのは、子どもが簡単に使うことのできる小型で親しみやすいコンピュータだった。「ダイナブック」というマシンの名前も、オペレーティング・システムに「スモールトーク(Smalltalk)」と呼ばれるオブジェクト指向のプログラム言語を使ったことも、いずれも子どもが使うことを意識してのことだ。学校で無料配布できるように価格は500ドル以下にしなければならないとか、子どもたちが持ち歩けるように大きさはノート以下、重さは2キログラム以下でなければならないとか、当時としては、かなり常識はずれなことを言っている(ウォルター・アイザックソン『イノベーターズ』)。このあたりはジョブズと似た資質を感じさせる。
 ダイナブックの条件を満たすために試作されたミニコンがアルトである。ケイ自身はあくまでダイナブックの「暫定」モデルと考えていたようだが、いまから振り返るとアルトは、小型化やパーソナル化など多くの点で、それまでのコンピュータの概念を180度転換させる画期的なコンピュータだった。
 まず「新聞並みの出力画面」は先述のビットマップによって実現される。本や新聞と同じように白いスクリーンに黒い文字なので、机の上の本や書類を見て、スクリーンを見上げるときに目を切り替える必要がない。写真で見るアルトは、小ぶりのスーツケースに入るほどのサイズで、ケイがめざすダイナブックの規格には及ばないものの、「小型で持ち運び可能」という点も一応はクリアしていると言えるだろう。タイプライターほどのサイズの本体とキーボードの上に縦長のモニターが載り、横からかわいいマウスが出ている。もちろんオフィスの机の上で使うことを想定したもので、収納に専用の部屋が必要だったIBMのメインフレームなどとは鉄道と自家用車ほど違う。
 さらに不可解なコマンドをわかりやすいアイコンとし、それを使いやすいマウスで操作することによって、「人間の直観に近い操作環境」を実現している。ヴィジュアルなアイコンをスクリーンに並べるというアイデアはまさに直観的であり、面倒臭いマニュアルを読まなくても使うことができる。最後にアルトは完全にシングル・ユーザーを想定したミニコンだった。CPUのパワーを一人のユーザーに集中させることで、処理を実行した者にコンピュータが出力する結果を即座にフィードバックすることができる。この点でも複数のユーザーによるシェアが普通だったコンピュータのイメージを覆すものだった。
 ケイは自らが提唱したダイナブックの条件を完全には満たしていないので、アルトのことを頑なに「暫定ダイナブック」と呼びつづけたらしいが、1979年にPARCを訪れたジョブズたちが現物を見て「これだ!」と思ったのも頷ける。「やったるぜ!」とテンションは上がったものの、初期衝動だけで事はうまく運ばない。加えてジョブズの完璧主義や暴君的な性格も災いしたのか、その後もアップルのスタッフたちは長く曲がりくねった道を歩んだのちに、Lisaを経てようやく1984年にMacintoshの発売へとこぎつける。
 それにしても東海岸にいるゼロックスの幹部たちは、どうしてこんな宝の山を易々とジョブズたちに持っていかれてしまったのだろう。ゼロックスのベンチャー・キャピタルからの投資を受け入れることを条件にアップル側が交渉したとも言われるが、それ以前にケイたちが開発した革新的な技術の真価を、会社の上層部は理解していなかったのではないだろうか。性能のいいコピー機や印刷機でも作っていればいいと考えていたのだろうか。
 結局、アルトは製品化されることなく、ゼロックスがPARCの技術を使って「STAR」という事業用のコンピュータを出すのは1981年のことである。当時としては高い能力を持つマイクロ・コンピュータだったらしいが、値段が高過ぎてあまり売れなかったようだ。一方、アルトの技術を自社に持ち帰ったアップルのスタッフたちは1984年にMacintoshを発売、その後もジョブズの会社追放と復帰などを含めて幾つもの伝説をつくっていく。

 ところで最近、アラン・ケイがマルチメディア30周年に際して行った講義(「A Few Ways To Think About Media」)をYouTubeで見ることができた(https://www.youtube.com/watch?v=SELkcwI_acg)。 このなかで彼は、インターネットと結びついたコンピューティングがビジネスを優先するあまり、PARCでの研究や、ビル・アトキンソンらが開発したハイパーカードなどのすぐれたアイデアが生かしきれないまま限界に突き当たっていると、暗にジョブズたちのやってきたことを批判している。
 パーソナル・コンピュータという概念の提唱者ともされるケイが、パーソナル・コンピューティングの中心に据えたコンセプトは「教育」だった。彼が1972年に書いた「全年齢の子どもたちのためのパーソナル・コンピュータ」という文書では、ダイナブックについて「いまの紙やノートと同じように、持ち主が自分自身と内省的に対話する個人的メディア」と規定している。さらにパーソナル・コンピュータがデジタル・ネットワークと結びつく未来を視野に入れ、「どこにでも持ち歩けるデバイスと、ARPAネットワークもしくは双方向ケーブルテレビのようなグローバル情報インフラを組み合わせれば、図書館も学校も、もちろん商店や掲示板も家に持ち帰ることができる」と述べている(ウォルター・アイザックソン『イノベーター』)。これらは20年後にジョブズたちが実現していくアイデアだ。
 1940年生まれのアラン・ケイは、60年代のカウンター・カルチャーの空気を吸って育った世代である。ドラッグ・カルチャーからの流れで、コンピュータを通じで世界を変革したいという情熱は彼のなかにもあっただろう。なんとなくジョブズと似た資質の人という気がするし、誰もが普通に使える小型のパーソナル・コンピュータを作りたいという方向性も共通している。だからこそPARCでアルトを目にしたジョブズは、「未来のコンピュータのあるべき姿が見えた」と感じたのだろう。
 そのケイがいま、コンピュータというメディアがたどってきた30年の道のりを回顧して、現在のコンピューティングが突き当たっている限界を指摘し、「パンクしたタイヤのような不十分なものを作っている」と、ジョブズたちがつくり上げてきたものを痛烈に批判している。どこが「パンクしたタイヤ」なのだろう?
 スマートフォンを例に考えてみよう。ケイがダイナブックの条件としたあげたものを、スマートフォンはすべてクリアしている。「小型で持ち運び可能」という条件が、ポケットに入れて持ち歩けるサイズで実装されることは、さすがにケイも予測しなかっただろう。いまやスマートフォンは子どもから老人まで、誰もが四六時中使う手のひらサイズのガジェットになっている。ケイがダイナブックに盛り込もうとしたことは、十二分に達成されているように見える。しかし肝心のコンセプト、「人間の思考の補助メディアとしてのコンピュータ」という点はどこかへ行ってしまった。
 すでに触れたように、ケイがパーソナル・コンピューティングの中心に据えた価値は「教育」だった。ジョブズたちが送り出してきた製品には、使う人たちが学び考えるという教育的な要素が決定的に欠けている。そのことをケイは「パンクしたタイヤ」と言っているように思う。現在、人類は幾多の難題に遭遇している。核兵器やAIといった強力なエージェントの能力に、人間の知恵が超えられないようにするために、いまこそ深い意味での教育が必要とされている。ケイが子ども向けのコンピュータの開発にこだわったのも、複雑化していく世界や人類が抱える問題に対処していくための知恵を、一人ひとりが身に付ける必要があると考えたからだろう。そうした個人的創造の道具として彼はダイナブックを提唱した。
 スマートフォンなどの商業利用されたコンピュータは、映画を観たり音楽を聴いたりお喋りをしたりするための強力な道具だが、それが提供するのはきわめて限定的な利便性や娯楽性に過ぎない。文字を読んだり書いたりするには小さ過ぎるので、どうしても話し言葉による思考(oral thinking)が支配的になり、結果的に人々が重要なことを学んだり考えたりすることを妨げている。
 このような不完全な道具をいくら改良したところで、さらに上のレベルに行くことはできない。講義のなかでケイは補助輪を付けた自転車に喩えている。現在のコンピューティングは補助輪付き自転車の性能や乗り方を競っているようなものだ。それではいつまで経って自転車で自在に走りまわる段階には到達しない。いま必要なのは地球というオフロードを乗りこなす技術を、一人ひとりが身に付けることだ、とケイは言いたいのだろう。

 至極まっとうなことが述べられている。しかし講義を聴いているうちに空しい気持ちになるのは、最初からできないとわかっていることが言われているからである。たとえば地球温暖化の問題について、現在はコンピュータを使ったシミュレーションで地球の未来をかなり正確に予測することができる。そこから人々が学ぶことができれば、自分たちの惑星を元通りに戻すか、せめてもう少しましな状態にすることができるかもしれない、とケイは述べている。
 おそらく本人も気づいていると思うが、彼の言っていることは人間の本性に反している。ぼくたちは通常は困難さよりも安楽さを求める。また頭の痛い真実よりも甘い虚構を求めがちである。地球温暖化などという面倒臭い真実はタダでもいらないけれど、心地のいい偽りの物語ならお金を出して買ってもいいと思う。そんなぼくやあなたに、ケイの言っていることは説得力をもたない。
 講義のなかでアラン・ケイも言っているように、現在のぼくたちが属している知のシステムは複雑になり過ぎている。宇宙はどうなっているのか、数々の病気は人体の仕組みのなかでどのようにして生まれるのか、脳はいかにして認識や思考をおこなっているのか。あるいは地球上の人々はどのような文化や宗教は習俗のなかを生きているのか。どんな倫理観や考え方をもっているのか。
 スマホをちょっと操作するだけで、コンピュータのマウスをクリックするだけで、国内外の政治、経済やビジネス、科学&テクノロジーなどの情報が津波のように押し寄せてくる。ぼくたちが車や列車や飛行機で移動中に手に入れることのできる情報は、あまりにも膨大で複雑で錯綜していて、個人の処理能力を超えている。また有用な情報の多くは得てして頭が痛かったり面倒臭かったりするものだ。
 気候変動などというグローバルな問題を持ち出すまでもない。返す当てのない借金を抱えながら100兆円を軽く超える不健全な予算を組み続ける自国の政府をどうすればいいのか。震災による津波で家を流されたり家族を失ったりした人たちをいかに支援すればいいのか。遠く世界に目を向ければ、パレスチナやシリアやアフガニスタンやアフリカや南アメリカで非業の死を遂げつづけている人たちを放っておいていいものか。
 この世界では無知であるほど楽に生きていけるようになっている。逆に多くを知るほど生きることは苦行のようなものになる。だから人は補助輪付きの自転車に乗りつづけるのである。ケイはスマートフォンを「パンクしたタイヤ」と言っているけれど、見方を変えれば、オフロードめいた世界のなかで不都合な真実に触れずに生きていくための、とてもよくできたツールである。自分の欲しい情報だけに容易にアクセスすることができ、欲しくない情報は痛みなくスルーすることができる。
 精肉となって食卓に供給される豚や鶏や牛たちが、目を覆いたくなるような過酷な環境のなかで、長くても一年という一生を一瞬ごとにつづく恐怖のなかで過ごしている、といったことを誰が知りたいと思うだろう。できればスポーツやエンタメ、有名人のゴシップなど、お手軽な情報に的を絞りたい。心を癒してくれる猫の動画や気楽なツイートでこの世の憂さを忘れたい。漫画を見たり映画を鑑賞したりすることに時間を費やしたい。そうして考えたり悩んだりする時間を、自分の24時間から極力排除したいと思っている。

 アップルという会社の生み出した製品が圧倒的に成功したのは、ジョブズというカリスマ的なリーダーのこだわりが良くも悪くも人間の本性に沿ったものだったからだ。パーソナル・コンピュータで世界を変えたいと思ったジョブズのなかに、実際にどれだけのヴィジョンがあったのかわからない。しかし彼が偏執的なまでにこだわった製品のデザインは、すべて人間の本性に合致したものだった。
 たとえばインターフェイスのすべてについてユーザーが気持ちよく感じるようにする。そのためにルックとフィールを重視して親しみや人間味のあるマシンを提供する。それがiMacやiPhoneやiPadのデザインや商品仕様になっていくわけだが、原点には「誰もが普通に使えるコンピュータ」というコンセプトがあった。それはダイナブックなどでアラン・ケイが提唱したアイデアでもある。少なくとも1979年にジョブズたちがPARCを訪れ、アルトを目にしたときには同じ場所にいたはずの二人が、どこからか別の道を歩みはじめ、30年後には別の世界の住人になっていた。
 アラン・ケイは機能や目的の観点からコンピュータを考えている。ダイナブックは小さな子どもがオーサリング(書き記す)を学習するための、紙やノートに代わるマシンという明確な機能と目的をもっている。そこから「全年齢の子どもたちのためのパーソナル・コンピュータ」というコンセプトが出てくる。この時代に彼がデザインしたものは、ハードウェア(Alto)にしてもソフトウェア(Smalltalk)にしても、絵やアニメーションや文字を組み合わせた次世代の記述体系へのアプローチという路線に沿ったものだ。
 これにたいしてジョブズは、「誰もが普通に使えるコンピュータ」というコンセプトをビジネスに結び付けた。ほとんどの人はそんなことは考えてもみなかった。IBMの時代に普通の人は顧客に入っていなかった。ジョブズと二人でアップルを創業したウォズニアックにしても、技術と縁のない者でも使えるコンピュータという発想はなかっただろう。ジョブズは会社をつくった当初から、自分で組み立てなければならないコンピュータはマニアのものだが、箱から取り出してすぐに使えるマシンなら普通の人も欲しがるはずだと考えていた。
 ジョブズの最大の創造(クリエーション)はMacintoshでもiPhoneでもなく、「コンピュータを欲しがる普通の人」という、それまで存在しなかった人たちをつくり出したことかもしれない。彼はたんにパーソナル・コンピュータを必要としている人たちのところへ製品を届けたのではない。これなら自分にも使えそうだし使ってみたい、と多くの人が思うような製品を生み出したのである。人々の潜在的な欲望や習性や本能を可視化し、魅力的な商品としてユーザーに提供した。結果的に、アップル・ジェネレーションと呼ばれるような多くの愛好者、アップル教の信者をつくり出した。
 こうした人たちは無知であることを肯定されている。アップル社の製品を使うために、特別な知識や技術は必要ない。ただタッチパネルの操作法を習得するだけでいい。つまりジョブズはあくまでもビジネスの観点から「誰でも普通に使えるコンピュータ」を商品として提供しようとした。そのためにユーザーの無知にたいして寛容だった。
 若いころのジョブズはパーソナル・コンピュータで世界を変えたいと思った。たしかに世界は変わった。生活に必要なものはすべてオンラインで賄うことができる。欲しいサービスや娯楽も手に入れることができる。 この世界では、スマートフォンの操作法さえ習得すれば生きていける。 世の中のことを何も知らなくても困らない。むしろ知らないほうが楽に生きていける。このままいくとぼくたちの「自己」のなかに残るのは欲望だけ、ということになってしまうかもしれない。
 原始時代の狩猟採集民は、無知であれば生き延びることは難しかっただろう。彼らにとって知ることは直接的に自らの生存と結び付いていた。一方、ぼくたちが生きている世界では、知ることは痛みに結び付いている。あるいは不快感や居心地の悪さや後ろめたさに結び付いている。だから知りえることでも知ろうとしない。知ってしまったときは知らないふりをする。見てしまったもののことは忘れる。まるで一人ひとりが、ホロコーストが進行中のナチズムのなかを生きるドイツ人みたいだ。
 知ること、学ぶこと、考えることを、この世界でどのように再構築していけばいいのか。いかなるスタイルで、それらを生の根幹に結び付ければいいのか。たしかにケイが言うように、ジョブズたちが敷いたコンピューティングの方向性は行き詰っているように見える。それはiPhoneを操作する人たちの顔を見ただけでも明らかだ。昆虫を捕まえる少年のように目を輝かせてiPhoneに見入っている子どもがいるだろうか。大人だって精気を抜かれたような顔をしてタッチパネルを操作している。彼らの表情や仕草に現れているのは何よりも空虚と倦怠である。「誰でも普通に使えるコンピュータ」は、いまではこんな具合になっている。

Photo©小平尚典