あの日のジョブズは(11)

あの日のジョブズは
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11 マンザナー強制収容所

 砂のなかには恐竜の化石が埋まっている。本当に埋まっているのかどうか知らない。埋まっていそうな気がする。あたりを徹底的に掘りまくれば、きっと一体くらいは出てくるだろう。恐竜たちの化石の上をフリーウェイはつづいている。ぼくたちのクライスラーは快調に走りつづける。朝食はモーテルの近くでとった。夫婦がやっている小さな店で、全粒パンをトーストしてベーコンと卵を挟んだサンドイッチが美味しかった。やたらと目につくスターバックスで、スモール・サイズなのに日本のラージ・サイズくらいあるコーヒーも飲んだ。1ガロン2.95$のガソリンをいれて準備OK、出発だ!
 車のオーディオからはZZトップが流れている。右手はデス・ヴァレー。妙にZZトップのブルースがフィットする。ときおり岩塩の採掘場らしきものが現れる。遠目にも広大である。クレーンで豪快に採っている。写真家は時速70マイルで車を運転しながらカメラを取り出して写真を撮っている。ハンドルを握り、カメラのシャッターを押す。二本の手でそういうことをやっているのだ。無謀である。ときどきハンドル操作が怪しくなる。車はバウンドし、スウィングし、路肩へ転げ落ちそうになる。
「お手柔らかにたのむよ」
「スウィングしなけりゃ意味がない」
 どうやら高温と高速のために写真家の頭はおかしくなっているらしい。ぼくは恐怖を紛らわせるためにアメリカ人のジョークを思い浮かべる。霊柩車がカープールを走っていた。見たところ乗っているのは運転手が一人だけだ。パトカーはサイレンを鳴らして停止を命じた。運転していた男が答えて言った。「後ろにもう一人乗っているんですがねえ」。この場合、運転者は罰金を払わなくてはいけないのか?
 カープール(carpool)というのは「相乗り」のことだ。アメリカのフリーウェイにはしばしばカープール・レーンが設けられていて、「CARPOOLS ONLY」という看板の下に「2 OR MORE PERSONS PER VEHICLE」などと説明してある。要するに渋滞緩和のためのルールで、いかにもアメリカらしい合理主義的な発想だ。
 先ほどの問題に戻ると、霊柩車が積んでいる遺体は「二人目」とみなされるかをめぐって裁判になった例がある。判決がどうだったのか忘れた。合理的なのか馬鹿なのかわからない、アメリカ人。見つかるとかなり高額な罰金を払わされるらしい。ぼくたちが走っているハイウェイでは「341$」となっている。ちょっと隣の車線を走っただけで3万5千円! そんなリスクは冒したくないので、ほとんどの車がルールを守っている。右側の四車線は渋滞しているのに、左端のカープール・レーンだけは嘘みたいに車が流れている、という光景を何度か目にした。それだけ一人で運転している車が多いということでもある。
 写真家が言うには、助手席に乗せる人形まで売られているそうだ。カープール・レーンを走るときのカモフラージュのためというよりも、女性が一人で車を運転するときに乗せておくことが多いらしい。つまり防犯上の措置というわけだ。日本では普通はそこまでは考えない。ちなみにアメリカのレンタカーは、外見からはそれとわからないようになっている。旅行者ということで狙われやすいからだそうだ。日本の場合はナンバー表示が「わ」なので、一目でレンタカーとわかってしまう。平和そうに見えるけれど、この国なりのシリアスな事情があるのだろう。

 ロスを出て三時間。車は395号線を北へ向かって走っている。気温は今日も午前中から100度を超えている。周囲を見まわしても、町はおろか小屋一つない。こんなところに放置されたら、冗談ではなく命が危うい。一本松(Lone Pine)という小さな町を過ぎて、しばらく行くと目的地が見えてきた。
 資料には「Manzanar National Historic Site」と出ていて、国立公園局が管理保存しているらしい。この「史跡(Historic Site)」というネーミングに、ぼくはなんとなく釈然としないものを感じてしまう。かつては「収容所(internment camp)」だったところだ。当時は「Manzanar War Relocation Center」と呼ばれていたものが、70年のうちに「史跡」になった。そのネーミングにどこかフラットで冷ややかなものを感じる。「史跡」という言葉からは、人々のうめき声も悲痛な叫びも聞こえてこない。罪もない人たちに困難な境遇を強いた国家の姿も見えてこない。
 些細な点が気になるのは、バラク・オバマの広島でのスピーチのことが頭にあったせいかもしれない。日本を出発する少し前に、オバマ大統領が来日して現職のアメリカ大統領としてはじめて広島を訪れた(2016年5月27日)。この訪問を多くの日本人は歓迎し、好意的に受け止めた。なかには感激した人もいたようだ。共同通信社が同年の5月28~29日に行った世論調査では98.0%が「よかった」と回答している。日本経済新聞とテレビ東京が5月27~29日に行った調査でも92%が「評価する」と回答したらしい。
 後日、「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました」とはじまるスピーチ原稿を読んだ。まず抱いた感想は、「よくできているなあ」というものだ。なるほど、これなら九割以上の日本人が評価し、好感をもったというのも頷ける。まるで頭のいいAIがデータを集めて日本人の性格や嗜好を分析し、作文したかのようだ。

 なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?
 私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。
 私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。
 彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するように求めています。
                           (The Huffing Post 執筆者:吉川彗)

 普通にさらっと読めば、美しく、感動的で、とりあえず文句のつけようはない。しかし丁寧に読むと、なんかおかしい。これはとんでもなく間違ったスピーチではないだろうか。「明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました」と言うとき、オバマはどこにいるのだろう。スピーチ・ライターがつくった原稿だとしても、それを平然と読み上げるオバマは、いったい何者なのだろう。広島と長崎に二発の原子爆弾を投下し、一瞬にして20万とも30万とも言われる人の命を奪ったのは、彼がいま大統領をやっているアメリカという国なのに。
 オバマのスピーチに感じるフラットなひややかさ。彼の言葉のなかには「10万人を超える死者」とか、第二次世界大戦で亡くなった「6000万人の人たち」といった概念や数字があるだけで、ただの一人の死者もいない。概念や数字でしかない死者たちを、いくら悼んだところで、美辞麗句にまみれた虚偽にしかならない。彼が口にする「子どもたちの恐怖」も「声なき叫び声」も、真実味がなくてただ空々しいばかりだ。
 ぼくが「Historic Site」という言葉に感じるひややかさと、バラク・オバマのスピーチは、おそらく同質なものだ。「Historic Site」という言葉からは、それぞれに固有な生を生き、死んでいった人たちの顔が、感情が、生活が見えてこない。

 一九四二年三月二十九日、アメリカ合衆国戦時強制収容局は、サン・ピエドロ島のすべての日系アメリカ人を十五隻の輸送船に乗せてアミティー港のフェリーの発着場に連れていった。
 日系アメリカ人は、白人の隣人たちが見守る中、船に乗せられた。隣人たちは朝まだきに起き、寒い外に立ちながら、日本人が自分たちのあいだからそうやって追い払われていく姿を見た――隣人たちの何人かは日本人の友達だったが、大方は単に好奇心に駆られて来ているだけの者だった。漁師たちもアミティー港の沖の船の甲板に立って見ていた。漁師たちは、島民のほとんどの者同様、日本人をそうやって追い出すのは理に適っていると感じ、船首や船尾から網を巻き揚げる船のキャビンに寄りかかり、日本人は当然の理由で出ていかねばならないのだと確信した。いまは戦争中なのだ、戦争ですべてが変わってしまったのだ。 
                       (デヴィッド・グターソン『殺人容疑』高儀進訳)

 原作のタイトルは『SNOW FALLING ON CEDARS』、イーサン・ホークと工藤夕貴が主演した『ヒマラヤ杉に降る雪』という映画をご覧になった方もおられるだろう。上に描かれたような光景は、アメリカ全土で数多く見られたはずだ。このとき強制的に抑留された日系アメリカ人と日本人移民は約12万人と言われている。「一九四二年三月二十九日」という日付には意味がある。軍が必要とみなした場合、強制的に外国人を隔離することのできる法令(Executive Order 9066)に、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が署名したのが1942年2月19日、さらに同年3月29日をもって、カリフォルニア州、ワシントン州、オレゴン州などアメリカ西海岸沿岸を中心とする対象地域に住む日系人にたいして移動禁止命令が下り、戦時強制収容局(War Relocation Authority)によって全米十箇所に設けられた強制収容所に収容されることになる。
 一つの収容所に8000人から15000人が入れられ、彼らの多くは財産を没収された。マンザナーには約1万人が収容された。こうした数字をあげながら、ぼくはオバマのスピーチにおぼえるのと同じ虚しさにとらわれる。それぞれの家族に、一人ひとりの者たちに、数字にはあらわしようのない物語があったはずなのに。
 小説の主人公ハツエは、「マンザナー強制収容所のタール紙を張った寺」で刺し網漁師の日系アメリカ人カズオ・ミヤモトと結婚式を挙げる。ハツエの母は軍隊用毛布を垂らして部屋を仕切り、二人の「初夜」のためのスペースを作ってやる。

 二人は結婚衣裳のまま窓辺に立ち、キスをした。ハツエは、カズオの温かい首と喉のにおいを嗅いだ。外では、雪がバラックの壁に吹きつけていた。「みんなになんでも聞こえてしまうわ」と囁くように言った。
 両手をハツエの腰に当てていたカズオは、振り向き、カーテンに向かって話しかけた。「ラジオでなにか面白いものをやってるはずだよ」と大きな声で言った。「音楽なんかいいんじゃないか?」
                                        (前掲書)

 ささやかな性のポエジー。追放され、すべてを奪われた人たちのなかにも楽園はあった。地獄のなかにエデンをつくり出す力を、人間は持っている。だが、その力は、若い男女の身体の火照りや汗の臭いとともに、「Historic Site」からは消し去られている。ふと「cleansing(清潔にする)」という単語を思い浮かべる。オバマのスピーチでもマンザナーの「Historic Site」でも、不都合なもの、しかし大切なものが意図的に、あるいは無意識のうちに「cleansing」されている。「民族浄化(ethnic cleansing)」という言葉が使われるようになったのは、1990年代はじめのボスニア紛争のころからだ。アメリカのPR会社が創案したものらしい(高木徹『戦争広告代理店』による)。これらの出来事は、どこか深いところでつながっているのかもしれない。

 1992年に創設された「史跡」は、資料館、復元された住居棟、庭園、果樹園、慰霊塔などからなっている。ビジター・センターを兼ねる資料館には、当時の物品や模型、写真などが展示されているほか、シアターでは短いドキュメンタリーを観ることができる。
 レインジャーの制服を着た女性は親切で、売店で資料になりそうなものを探していたら、「なんでもたずねてね」とか「それはとてもいい本よ」などとアドバイスしてくれる。すでに夏休みに入っているのか、館内には親子連れの姿も目立つ。いかにもアメリカ人っぽい体型の父親が、小学生くらいの子どもと一緒にパネルの説明を熱心に読んでいる。なかなかいい感じじゃないか。
 いろいろ文句をつけたけれど、ここは素直に感心すべきなのかもしれない。これだけのものを残し、公開するというフェアーな姿勢は、やはりこの国のいいところだ。オバマだって、とりあえず広島に来たわけだし。その事実を「評価」すべきなのかもしれない。本当のところ、ぼくが苛立っているのはアメリカではなくて日本、日本政府と日本人なのだ。
 第二次大戦中に日系人を強制収容したことにたいして、1980年代にアメリカ政府は正式に謝罪している。レーガン政権は存命中の収容体験者に、一人あたり2万ドルの損害賠償を行っている。金額の多寡を言ってもはじまらない。その程度のことさえ、いまだに日本政府は中国や韓国にたいして行っていないではないかと言いたいのだ。とりあえず南京大虐殺と従軍慰安婦の問題にかんして、ぼくたちはアメリカ人の公正さを見習うべきだろう。
 もちろんアメリカ政府だって自発的に「私たちが悪かった。申し訳ない」と謝罪したわけではない。日系議員などが中心となって、長年にわたり謝罪と賠償を求めてきた結果としてなされたのである。こちらが懸命に訴えれば耳を傾ける。自分たちが間違っていたとわかれば公明に謝罪をする。そういう度量の大きさがかつてのアメリカという国にはあったのだろう。
 ところが日本政府も外務省も、普通の国なら当然要求すべきことを、ただの一度もやってこなかった。たとえば沖縄で繰り返されるアメリカ軍兵士や軍属による犯罪。しかし現行の政権は地位協定に手をつけることを拒否している。交渉のテーブルに就くことさえ拒んでいる。アメリカと対等に話をすることを避けているのだ。あくまで彼の国に隷属し、過剰にリップサービスをし、言い値で武器や医薬品や農産物を買ってご機嫌をとることしか考えていない。
 ぼくたち一人ひとりの日本人も、残念ながら戦後七十年間余り、アメリカという国と正面から向かい合おうとはしてこなかった。いまだに日本の平和は憲法九条によって守られてきたなどと言っているのは、政府や外務省と同じアメリカ依存、アメリカ隷属である。世界最強の軍隊を持ち、もっとも好戦的な国の軍事基地は、米軍専用のものだけで日本国内に81箇所ある。自衛隊と共用のものまで含めると130箇所だ。これらの基地を利用して、アメリカ軍がベトナムでどういうことをしてきたか、ということを多くの人は考えない。知ろうともしない。知らないことによって、自分たちを納得させてきた。

 センターを出て、施設内を歩いてみる。思ったとおりだ。どこもかしこもクレンジングされてクリーンで明るくなっている。鉄条網を張り巡らせた広大な収容所は36のブロックに分けられ、それぞれのブロックに14のバラックが建ち並んでいたという。一つのブロックに300人ほどが収容されていた計算になるから、一棟に二十人余りが生活していたことになる。復元されたバラックの建物は、映画『大脱走』に出てくるようなものだ。ここに二十人、しかも男も女も子どもも老人も一緒では、プライバシーなどありようがない。
 とにかく暑い。車の温度計は103度になっている。直射日光の下には立っていられない感じだ。まわりは荒涼とした砂漠。当然、冬の寒さは厳しいだろう。センターに展示されていた写真には、地面に降り積もった雪が写っていた。積雪量はかなりあったようだ。こんなところで四年間、約一万人の人たちが自由のない生活を強いられたのだ。
 収容所の敷地内に、一周三マイルのドライブ・コースが設けられている。ぼくたちも車でまわってみることにした。遠くに4000メートル級のシエラネバダの山並みが見える。山頂には真っ白な雪が残る。遮るもののない空に光は溢れ、遠くに小さな雲がぽつりぽつりと浮かんでいる。とても美しい風景だ。そんなところに設けられた強制収容所。
 やがて車は慰霊塔の前で止まる。ここで死んでいった人もいるのだなあ、と当たり前のことを考える。たくさんの千羽鶴が備えられている。写真家は写真を撮っている。牧師が説教をするように。それが彼の仕事だから。でもどうか、あまり美しい写真は撮らないでくれ。6月の光が降り注ぐマンザナー強制収容所。一点の翳りもない明るさは、どこか昏い。
 いまこの文章を書きながら、ぼくはマンザナーをアップル・キャンパスに重ね合わせている。どちらもクリーンで明るい。でも何か大切なものがクレンジングされている。何が洗い落されているのだろう。iPhoneなどのアップル製品を製造する中国企業の工場で自殺者が相次いでいることだろうか。アップル社が税率の低いアイルランドに現地法人を置いたことでEUから追徴課税を命じられたことだろうか。あるいはパラダイス文書のなかにタックス・ヘイブンに資産を蓄えている会社としてアップルの名前があったことだろうか。
 それらのことを知っても、多くのユーザーはアップルの製品を使うのをやめようとは思わない。企業というのはどこでも多かれ少なかれブラックなものだし、租税回避なんて金持ちならどこの誰でもやっていることだ。「パラダイス文書」によればエリザベス女王だってタックス・ヘイブンを利用しているそうじゃないか。こうして誰も罪を問われない仕組みがグローバルにできあがる。ノット・ギルティは富裕者たちだけのものではなく、そうでない人たちのものでもある。ぼくたちはアップルという会社がどうやって利益を上げているかに関係なく、その製品を快適に使うことができる。同様に、地球の裏側に暮らす人たちが、どんなに過酷で悲惨な状況にあっても、心の痛みを感じずに毎日を快適に過ごすことができる。
 情報はあふれている。でも受け取り手に不快を催させるような情報は周到に取り除かれている。そんな情報を流すのはテロリストくらいだ。多くの人は無知でいることを望み、政府も企業もよろこんでそれに応えてくれる。知ろうとしなければ、知らないままでいることができる。クレンジングされたクリーンで明るいものだけに囲まれて生きていくことができる世界。「コンピュータが一人一台の世界になれば何かが変わるはず」とジョブズは考えた。たしかに世界は変わった。ジョブズの好きだったボブ・ディランの歌が聞こえてくるようだ。「どんな気がする(How does it feel)」。

Photo©小平尚典