The Road To Singularity ~未知の世界を生きる(Ep.1)

The Road To Singurality
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1 新しい世界宗教

 新しい宗教が生まれつつある。その名を「シンギュラリティ」という。ええっ! シンギュラリティって宗教なのか? その通り。シンギュラリティは21世紀の新しい宗教です。しかも70億を超える人類すべてを帰依させる力をもった、いまだかつてわれわれが体験したことのない、全体的かつ統制的な宗教である。現在、進行中の出来事を、大雑把だけれど本質的なところでとらえるためには、そう考えるのがいいように思う。
 インターネットを中心としたコンピュータ技術の飛躍的な進歩によって、膨大なデータを迅速に処理できるようになったことが根底にある。これが全人類を巻き込んで、ぼくたちをまったく未知の世界に連れて行こうとしている。シンギュラリティが本質的な意味で「特異点」であるのは、それがたんなる技術革命や機械革命ではなく、人間という生き物の意味を変えてしまい、延いては全生物の運命を変える可能性を秘めているからだ。コンピュータ技術にバイオテクノロジーや遺伝子工学などの生命科学が結びついたことが最大の要因である。
 一つの例をあげれば、CRISPR-Cas9という遺伝子編集ツールの発見と普及がある。ポイントは低コストと使いやすさだろう。「先進的な生物学研究所で数年かかったことが、いまでは高校生が数日間でできる」と言われるくらいだから、生命科学の世界におけるスマホの発明みたいなものだ。この簡易にして強力なツールの登場により、人間は全生物のゲノムを思い通りに書き換える能力を手にしようとしている。遺伝情報の流れを操作し、人類の進化のみならず地球上のあらゆる生命を遺伝子レベルで指揮し、統制する時代が到来しようとしている。
 人間(ホモ・サピエンス)は時代遅れになるかもしれないのだ。ホモ・サピエンスに代わる新しい人類を、ユヴァル・ノア・ハラリは「ホモ・デウス」と名付けている。この新しいタイプの人類は、コンピュータサイエンスや遺伝子工学などのテクノロジーの力を借りて、自分自身を含めた全世界を思い通りに創造しうる。まさに「神なる人間」である。

 すでに多くの人たちが「神なる人間」をめざして、自己をアップグレードしはじめている。こうした志向は今後さらに強まるだろう。だがパイはきわめて小さい。首尾よく「神なる人間」となりおおせるのは、選ばれたごくわずかの者たちであり、その他の大多数はただデータを提供するだけの存在になり下がる。自らをアップグレードできなかった人間(ホモ・サピエンス)は、やがてネアンデルタール人のように淘汰されてしまうかもしれない。だから誰もが是が非でも帰依しようとするのだ。競って信者になろうとするのだ。いま生まれつつある新しい宗教に。
 帰依したからといって、おそらく安らぎは得られない。いくら熱烈な信者になったところで、ぼくもあなたもネアンデルタール化する可能性が高い。なにしろ「ホモ・デウス」へと至る門は、とても狭いようだからね。いまのところビル・ゲイツやジェフ・ベゾスやセルゲイ・ブリンやラリー・ペイジやマーク・ザッカーバーグといった、シリコンバレー周辺の著名人たちを念頭においた話である。スティーブ・ジョブズは早く死んでよかったかもしれないなあ。
 ぼくたちはもう少し生きつづけるつもりだけれど、そうすると生きているあいだに、ネアンデルタール化はしないまでも時代遅れのアルゴリズムになる可能性は大いにある。いまでもぼくたちは、アマゾンやグーグルやフェイスブックにアクセスすることによって、大切な個人情報を提供しつづけている。アマゾンの場合はお買い物をするわけだからお金を払っているのだけれど、じゃあグーグルやフェイスブックといった無料のサービスはどうなんだ? ツイッターやユーチューブやインスタグラムは? それぞれの細かなビジネスモデルがどうなっているのか知らないけれど、便利なサービスの見返りとして差し出しているのが一人ひとりの個人情報であることは確かだ。
 つまりぼくたちは日々刻々と、未来の「ホモ・デウス」たちにデータを提供するだけの存在になりつつあるのだ。その見返りとして与えられているさまざまなサービスが、将来はベーシックインカムのようなものになっていくだろう。21世紀のうちに人類が生きることになりそうな世界のヴィジョンは、すでに大まかなところは出尽くしている。だってスマホもインターネットも、たんなる使い勝手のいいインフラというよりはライフラインに近いものになっているじゃないか。接続やアクセスを絶たれるだけで死に瀕する人が、現在でも地球上に何百万、何千万といるはずだ。
 他人事ではない。ぼくの場合、たとえ一日でもアマゾンやグーグルにアクセスできない状況に陥れば、死に至らないまでも軽い禁断症状くらいは出そうだ。パソコンがうまく起動しなければ頭を掻きむしりたくなるし、午前中に書いた文章がうまく保存されていなくて消えていたりすると、好きな人から「別れましょう」と言われたくらい落ち込む。何かの手違いでブログやホームページが削除されでもしようなら、おそらく発狂するか、癌のような重大な病気を発症するか、いずれかだろう。ぼくを殺すのに銃もナイフも毒薬もいらない。誰かがどこかでパソコンのキーをちょっと操作するだけで充分だ……といった日常を、すでに多くの日本人は生きはじめている。
 広く世界に目を向けてみよう。IS(イスラミックステート)の戦士たちは携帯電話を使って連絡を取り合い、ユーチューブに動画を投稿して世界の恐怖を煽っている。シリアを追われた人たちは、スマホのGPS機能を頼りに延命の地をめざす。アメリカ西海岸に拠点を置くIT企業がもたらす変化は、人種、民族、宗派を超えて地球規模で進行している。それは全人類を巻き込んだ「革命」と言ってもいいものだ。
 この革命はぼくたちに一つの契約を迫る。契約の内容は簡単なアルゴリズムの形式で書くことができる。

 1.「データを提供する」かどうか、考えよ。
 2.「データ」を引け。
 3.「データ」の記載事項を列挙せよ。
 4.「位置情報」が記載事項であれば、
 5.「位置情報を提供する」を受け入れよ。
 6.そうでなければ、
 7.「データを提供する」を退けよ。

 スマホの発信ボタンを押して、「あっ、おれ。5時36分ごろ着くから駅まで迎えに来てくれる?」といった電話を奥さんにかけるたびに、ぼくたちはデータという精霊を通して、テクノロジーの神と契約を交わしつづけているのである。契約の内容は日々更新され、反復され、個々のステップを踏んで進み、あっという間に「ゲノム情報」が記載事項であれば、「ゲノム情報を提供する」を受け入れよ、という場面にまで立ち至る。
 アマゾンのサイトを立ち上げると、ときどき遺伝子診断のバーナー広告が入ってくる。普段からゲノム編集や生命科学関係の書籍をよく買っているので、こちらの嗜好をご存じなのだろう。お値段は2万円くらいだ。申し込むと、まず検査キッドが送られてくる。唾液を採取して郵送し、解析後のデータをスマートフォンなどで見ることができる。これにより生活習慣病、各種の癌、心筋梗塞、2型糖尿病、高血圧など数百種類の疾患リスクがわかるらしい。「ゲノム情報を提供する」という契約を、現にぼくたちは受け入れつつあるのだ。
 たとえば癌などの病気にかかると、自身の命を含めて見ず知らず医者に判断と決定を委ねる。今後、AI(人口知能)のほうが、人間の医師よりも的確な診断を下せるようになれば、身体と健康についての重大な選択は医療用のアルゴリズムに任せることになるだろう。こうしてぼくたちは、自分自身にかんする多くのことを、コンピュータサイエンスを中核としたテクノロジーに委ねるようになっていく。ネットワーク化したアルゴリズムと遺伝子工学が結びついて、病気を治療したり、予防したり、身体と頭脳をアップグレードすることが可能になれば、多くの人がこれらのサービスを喜んで購入するだろう。後れを取らないためには否が応でも購入するしかない、という状況に追い込まれる可能性が高い。

 70数億の人類が、いままさに帰依しようとしている新しい宗教。この宗教を司る神をとりあえず「テクノロジー」と呼ぶことにすれば、この神は洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いているかわりに、アルゴリズムという史上最大の発明を自家薬籠中のものとしている。アルゴリズムを支配するのがコンピュータサイエンスを中核としたテクノロジーである。では、なぜホモ・サピエンスたる人間が、洞察力も才気も直観も知性も明敏さもないテクノロジーごときを神と仰ぐことになっているだろう? それはぼくたちが人間をアルゴリズムと規定してしまったからである。
 最新の脳科学や生命科学によると、人間は感情や情動や欲望も含めて精密なアルゴリズムである。アルゴリズムとは、個々のステップを踏んで何かを行うための有効な手続きのことだ。この「何か」のなかには、たとえば「人を好きになる」といったことも含まれる。ただしアルゴリズムでは「人を好きになる」は「つぎの世代に遺伝子を残す」という命題に変換され、そのステップとして「配偶者を選ぶ」、さらに再帰的分解によって「素敵だなあ」とか「健康そうだなあ」とか「すぐれた子孫を残せそうだなあ」といった単純なステップに分解される。ここまで来れば「人を好きになる」ことは、神経伝達物質や生化学的作用やヒトゲノムといった物質的手続きにフィードバックされ、アロンゾ・チャーチが言ったようにチューリング・マシンによって計算可能なものになるだろう。すなわちコンピュータによる処理が可能であり、その処理能力において人間は到底コンピュータにかなわないから、人間はコンピュータに服属するしかないというお粗末な一席。おあとがよろしいようで、チャンチャン!

 よろしくない。全然、よろしくないぞ。要するに、洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いていたのは、じつは人間(ホモ・サピエンス)でしたという落ちじゃないか。洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いた人間が、同じように洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いたテクノロジーの神を創り出し、その力を借りで自らを洞察力も才気も直観も知性も明敏さも欠いた神擬きに仕立て上げようとしている。そういう話ではないのか?
 ネアンデルタール化する可能性が圧倒的に高いあなた、そしてぼく。ホモ・デウスになんかならなくてもいい。狭き門に入れないことを、むしろ寿ごうではないか。やがて人間は時代遅れのアルゴリズムになるなどと言っているのは、自らをアルゴリズムとみなした洞察力も才気も直観も知性も明敏さもない者たちである。彼らと一線を画そうではないか。人間はいまだはじまってすらいない。いまこそ人間を創生させるときだ。
 本来の人間を創生させることによって、シンギュラリティという未知の世界を、誰もが豊かに味わい深く生きることができる。ぼくはそう確信している。なぜなら人間のなかには、神よりももっといい自然があるからだ。アルゴリズムという人工的な自然が神のごとき力をふるうなら、それよりもいい自然をつくればいい。すでにあるのだ。ぼくたち一人ひとりのなかに潜在している。
 The Road To Singularity。その道は、バイオテクノロジーやコンピュータサイエンスがもたらす技術的特異点に向かって延びている。同時に、ぼくたちのなかに眠っている未知なる自然を探索する道でもあるはずだ。支度はいいか? さあ、旅をはじめよう。