The Road To Singularity ~未知の世界を生きる(Ep.4)

4 レジのないコンビニで買い物をする

 坂垣巴留さんのコミック『BEASTARS』は動物たちを主人公とした学園ドラマである。中高一貫全寮制の学園では肉食獣と草食獣が危うい共存関係を保っている。あるときオスのアルパカが何者かに殺害される。喰われる間際の彼の台詞。「おまえたち肉食動物にとって、おれたちはしょせん喰いものなんだ……」。う~ん、たしかにそうかも。
 肉食獣の餌になるためだけに生を受ける草食動物たち。人間の世界でも同じことが起こりつつあるのではないだろうか。ごく一部の富裕な人たちが、自分たちの「餌」として地球上の大多数の人間を養う。そんな時代がやって来るかもしれない。アマゾンやグーグルのような超巨大IT企業がベーシックインカムみたいなものを施行するとすれば、最大の動機は「餌」の確保だろう。「餌」という言葉が耳障りなら「資源」と言い直そう。21世紀には大半の人々が個人情報という「資源」としてのみ生存を保障されるようになるかもしれない。
 その話に入る前に、もう少し動物たちの話をしよう。ユヴァル・ノア・ハラリの近著『ホモ・デウス』(『Homo Deus:A Brief History of Tomorrow』2016)にはいろいろと面白いデータが出てくる。たとえば『BEASTARS』の主人公であるオオカミは、現在、地球上に20万頭くらい棲息しているらしい。一方、その兄弟筋にあたる飼い犬の数は4億頭を超える。ざっと2千倍である。ライオンの4万頭にたいして、同じ先祖から分かれた飼い猫は6億頭。こちらは1万5千倍だ。こんな比較に意味があるのかどうかわからないけれど、現在、体重が数キロを超える大型動物の90%以上か人間か、さもなければ家畜(domesticated animals)であるとユヴァルは結論している。
 家畜とは言うまでもなく人間の「餌」のために生存させられている動物だ。牛も豚も鶏も、人間に肉や卵を供給するためだけに誕生させられる。また多くの犬や猫が、人間のペットとして生を受ける。彼らもやはり家畜(飼いならされた動物たち)であり、広い意味で人間の「餌」であることに変わりない。そこでふと思い当たる。シアトルのアマゾン村、噂のドッグランにかすかな違和感をおぼえたことを。あの光景には、明るい冷酷さみたいなものがあった。世界で最先端のビジネスを展開する企業が社員に提供する小さな気晴らし。その気晴らしは、多分にひとりよがりなものかもしれない。健全そうに見える風景は、じつはとても不健康なのかもしれない。

シカ

 カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』には臓器提供のためだけにクローンとして誕生された者たちが描かれていたけれど、ぼくたちは動物にたいして同じことをしているのではないだろうか。宮沢賢治にとってあらゆる有情は「遠いともだち」である。そのものたちを、ぼくたちは「餌」としてのみ誕生させている。肉になるためとか卵を産むためとか、人間が定めた目的のためだけにこの世に送り出している。あるいは多くの犬や猫を、ペットとして誕生させている。「世界ネコ歩き」のようなテレビ番組が好まれるのは、飼い猫と野生のニッチを生きている猫たちに、多くの人が共感や憧憬をおぼえるせいかもしれない。
 すでにゲノム編集技術を使って肉付きのいいマダイや牛、病気に強い豚などが誕生させられている。これからは犬や猫などのペットも、毛の色や耳の形やしっぽの長さなど、一匹ずつカスタマイズで自分の好みのものを購入するようになるだろう。ハードルが高いヒトへの応用の前に、身近な動物たちにたちにたいして、さまざまな遺伝子技術が使われることは間違いない。カズオ・イシグロの作品をグロテスクと感じるのなら、ぼくたちが動物たちにやっていること、やろうとしていることもグロテスクではないだろうか?
 人間の子どもにたいしても、動物たちと同じようなことが行われようとしている(すでに行われている)。体外受精で得られた胚のなかから、着床前遺伝子診断によって親がもっとも望ましいと考える「優れた」胚が選択される。ゲノム編集技術の進歩によって、この過程はより細かく正確になっていくだろう。親は子どもの病気や性別だけでなく、身体的外見や知能など形質まで選択できるようになる。好みのペットを選ぶように子どもを選ぶ。選択するという能動的な行為によって子どもを得る。カズオ・イシグロの小説のように、兄姉に臓器や細胞を提供する役目を負わされる「救世主弟妹」の作製も現実になろうとしている。
 ぼくたちは自分の子どもを含めて、人間を家畜(domesticated animals)として見ることに慣れようとしているのかもしれない。そして「飼いならされた動物」としての生を、自らも受け入れようとしているのかもしれない。

アザミ

 AIが人間の仕事を奪っていく。その現場を「Amazon Go」で見てみたところだ。あらゆる仕事で同じことが起こるだろう。たとえば医療行為用にプログラムされたにAIが、数万から数十万という膨大な症例を参照して演算し、瞬時に生身の医師よりも的確な診断を下せるようになる。学習用のAIも実用化されるはずだ。医師や教師をはじめとして、人間にしかできないと考えられていた仕事の多くは、近い将来AIに取って代わられるだろう。
 人間の一部分がAIに置き換わっていく。その一部分とは認知機能である。もともと人間は早くから動物に身体的労働をさせてきた。産業革命以降はこれが機械に置き換わった。機械に仕事を奪われることへの反発からラッダイト運動が起こった。反乱は百人以上の労働者の絞首刑というかたちで鎮圧され、機械にたいして宣戦布告した人たちの戦いは無残に潰えた。しかし認知能力を必要とする仕事は、なお人間のものとして残りつづけた。あれから二百年、その認知的な仕事においてAIが人間を凌ごうとしている。
 認知とは要するにA=Aという同一性を認識することだ。それをAIは非常に短時間に、ほとんど瞬時に行うことができる。同一性の認識は、イエスかノーかという二進法の演算に分解できるから、チューリング・マシンから発達してきたAIがもっとも得意とするところだ。まずビッグデータを解析して、規則性や法則性や類似性などのパターンをモデルとして抽出してくる。このモデルと現実のデータとのズレを、コスト関数として計算して最小の値に近づけていく。これを高速で行えば、認知能力においてAIは人間を凌駕することになる。
 アルファ碁がプロの棋士を打ち負かすのも、医療用のAIが膨大な症例を参照して的確な診断を下すのも、スマホ決済の利用情報、車や家などの保有資産、学歴、友人などの情報から個人の「信用スコア」をはじき出し、銀行ローンや融資の査定をコンピュータが適正かつ迅速に行うのも、高速トレードの世界でマイクロ秒やナノ秒の単位で売買の判断を下すのも、あるいは車の自動運転のようなものも同様のメカニズムである。認知能力に限定すれば、人間は到底AI にかなわない。さらに3DプリンターやロボットとAIを組み合わせることで、製造業でも大量に失業者が生み出される。
 結果的に、人類は膨大な数の無用階級(useless class)を抱えることになる。経済的にも政治的にも無用になった人々、彼らは世界を統制する一部の富裕な人たちの「餌」として、あるいは個人データという「資源」としてのみ生存を保障される。膨大な数の無用階級をケアするための仕組みが、民主主義にかわって構築されるだろう。それは地球規模のベーシックインカムのようなものになるはずだ。
 民主主義が正常に機能しなくなっているのは、グローバリゼーションの進展によって国家が壊れているからだ。もともと民主主義は一つの国民国家の内部でしか機能しない。それは人種や宗教を同じくする国民に、ある程度の人権を保障する仕組みだった。しかし国家の枠組みが壊れ、人種も宗教も多様になり、さらに国内に多くの貧困層を抱えるようになると、民主主義は正常に機能しなくなる。現在、EU諸国で起こっているのはこのようなことだ。日本でもいわゆる「中流」が消え去ることによって、民主主義は名前だけのものになっている。
 時代遅れになりつつある民主主義にかわって、グローバル化した世界で人々に最低限の暮らを保障する仕組みがつくられるだろう。その担い手は国家ではない。おそらくグーグルやアマゾン、アップルのような超巨大IT企業が中心となって、基本的な枠組みが構築されていくはずだ。なぜなら彼らは、グローバルな経済戦争における勝者であるからだ。グーグルやアマゾンはかつてのアメリカやソ連なのだ。アップルやマイクロソフトやフェイスブックはイギリスやフランスや中国である。第二次世界大戦の戦勝国が国際連合をつくったように、グローバルな経済戦争で勝ち残った企業が、国連にかわる世界政府のようなものを立ち上げるだろう。この世界機関が人類規模のベーシックインカムを施行していくと考えられる。
 熾烈な生存競争の過程で多くの企業が淘汰され、最終的に5つか6つの超巨大企業が残ったところで、世界は安定に向かうのではないだろうか。充分な豊かさと安全が保障されれば、人間はそれほど強欲ではない。食べ物でもなんでも、一人で享受できる量には限度があるからだ。どんな快楽も度を超すと苦痛になる。いまはまだ経済戦争の途上にあるため、各企業とも生き残るために富を掻き集めているけれど、世界が安定期に入れば、死に物狂いで闘争モードを維持する必要はない。すでに得た富をうまくまわしていく仕組みを構築しようとするはずだ。
 ビル・ゲイツを見てみよう。彼はもう長く慈善事業に精を出している。がむしゃらに会社を大きくしようとか、お金を儲けようとか思っていないようだ。なぜだろう? 安定期に入っているからだろう。彼自身もマイクロソフトという会社も。簡単な思考実験をしてみよう。誰もが平等に自分の欲しいものを求め、そのための手段を行使することができるとする。このなかに貨幣を置いてみる。大半の人たちが貨幣という同じものを欲望し、それを手に入れるための手段を行使しはじめる。つまり競争であり、闘争であり、ときに殺し合いである。競い合うのはいやだ、闘争領域から抜け出したい、とあなたは考える。よろしい。唯一の方法は、もはや競い合う相手がいないというくらい、競争において圧倒的な優位に立つことだ。こうしてビル・ゲイツは安寧の日々を手に入れた。
 一人、また一人と闘争領域から抜け出して、最終的に世界の人口の0.1%、700万人余りが悠々自適の生活を確保したとしよう。彼らは自分の生活を維持していく仕組みを世界規模で作り上げようとするだろう。もう少し構成人員を増やして、仮に1%の人たちが全世界の富の10%を占有するとしよう。残りの90%を人口比で99%を占める人々に一律に供与する。これでも現在よりはずっと格差の少ない、住みやすい世界になるはずだ。オックスファムの最新のデータ(2018年)によると、世界の富の82%が上位1%の富裕層に集中している。一方で、下位50%の37億人が手にして富の割合は1%未満で、これは超富豪42人の資産に相当するらしい。まあ、こんなことはいくら言ってもしょうがないけれど、ソマリアの幼児死亡率(5歳までに亡くなる確率)が20%などという現実は、人間の叡智でもってなんとかしたいものだ。

フルーツ

 あれやこれや考え合わせると、ベーシックインカムはきわめて現実的なのだ。誰よりも富と権力を手にした人たちが、世界を安定させようとするからだ。彼らはこれ以上の格差は望まない。自分たちの取り分を確保した上で、残りをできるだけ公平に分配しようとするだろう。極端な貧富の差は世界に争乱をもたらす。富裕な人たちほどテロや戦争は望まないはずだ。できれば平和な世界で静かに暮らしたいと考える。また生態環境がオーバーヒートすることも避けようとするだろう。そのためには経済成長のスピードを緩める必要がある。ときどきアクセルから足を離し、逆に少しずつブレーキを踏みながら、経済活動を持続可能なレベルにソフトランディングさせようとするだろう。
 最終的に勝ち残った1%の富裕層にとって、この世の天国はすでに実現している。自分たちと同じ水準の天国を全人類に提供するわけにはいかない。そんなことをすれば地球はメルトダウンしてしまう。残りの99%には別のやり方で幸せになってもらおう。1%にとっての天国もあれば、99%にとっての天国もある。その天国を、ベーシックインカムによって供与する。食べ物は与える。医療も提供する。娯楽はスマホやインターネットで、ほぼ無料で手に入れることができる。この上、何を望むのか? なんといっても彼らは働かなくていいのだ。好きなことをしていていいわけで、一日中寝ていてもいいし、ゲームをしていてもいい。もちろんセックスに明け暮れてもいいんですよ~ン。
 いまはまだ夢物語に聞こえるかもしれないが、今世紀中に実現する可能性は高いとぼくは思っている。それがユートピアなのかディストピアなのかは、いまのところ決定不能である。ユートピアにもなるし、ディストピアにもなると言うべきだろう。どちらになるかは、ぼくたちの意志と熱意と構想力にかかっている。次回はその話をしよう。