なお、この星の上に(53)

「わたしは人間はかわいそうな生き物だと思っています」風に漂うような声が聞こえてきた。
「あなたは誰ですか」健太郎はたずねた。
「野いちごです」と声は答えた。
 それを聞いて少し安心した。人間も野いちごにまではひどいことをしていないだろう。
「なぜかわいそうなのですか」
「食べられることの喜びを知らないからです。つながりを失い、ひとりぼっちで生きているからです。人間にとって死はさぞかし恐ろしいものでしょうね」
「わかりません」と健太郎は言った。
「わたしたちにとって食べられることは喜びです」野いちごと名乗った声は言った。「なぜって食べられることによって子孫を増やすことができるのですから。わたしたちは動物のように歩くことができません。自分の足で移動することができません。それでもやっぱり自分たちの子孫を残さなければなりません。この命をつぎの世代に伝えて、子どもたちが繁栄できるように生息地を広げなければならなりません。そこでわたしたちは動物に食べられることによって、いろいろなところへ連れて行ってもらうのです」
「なるほど」
「まだ春が浅いころに、わたしたちが緑色をしていて固いことをあなたもご存知でしょう。味も酸っぱいので、ほとんどの動物は食べようとはしません。そうやって動物たちにおあずけをさせているのです。お腹のなかの種子がしっかり熟して、いよいよ外に出る準備ができると、わたしたちは柔らかみを増して甘くなります。赤く色づいて、もう食べてもいいよという合図を送ります。するとツグミなどが真っ先に飛んできて食べてくれるのです。ツグミはどこかへ飛んでいって、種子を吐き出したり排泄したりします。こうして動くことのできないわたしたちは長い距離を移動し、世界中に広がることができるのです」
 健太郎は目を閉じて、雲の調べのような声に耳を傾けつづけた。
「わたしたちの多くは食べられることによって広がっていきます。なかには風や水に種子を運んでもらう変わった仲間もいますが、ほとんどの植物は種子を美味しい果肉でくるみ、それが熟したことを色や匂いで知らせます。そうして自分を食べた動物に種子を遠くに運んでもらうのです。お腹を空かせた動物は、果物を食べるときに慌てて種子も一緒に飲み込んでしまいます。そして遠く離れた場所まで移動したころに、吐き出したり排泄したりします。わたしたちから見ると人間も種子を運んでくれる動物の一つです。わたしたちの種子は丈夫なので、人間の身体のなかでは消化されずに排泄物に混じって出てきて、そこで発芽します。動物や人間のお腹のなかを通らなければ発芽できないようになっている種子もたくさんあります。
 わたしたちは人間や動物と固く結びついています。けっして引き離すことはできません。わたしたちのお腹は動物や人間のお腹とつながっています。人間も他の動物たちも、ともに植物の種子を育む母親なのです。食べたり食べられたり、そのために争ったりしているのは見かけだけのことです。自然の尊い営みのなかでは、食べる喜びと食べられる喜びは同じものです。なぜなら食べることと同様に、食べられることもまた生きることだからです。食べることも食べられることも、本当は一つのことなのです。食べるものと食べられるものは二つで一つです。
 この森のなかにも、野原や川や空にも目に見えない道が通っています。道は無数にあって、どこへでも、またどこまででも行くことができます。ただし、その道を通ることができるのは二つで一つのものだけです。これがお月さんのおっしゃる自然の理です。二つのものが一つになったときにだけ通れる道があるのです。それは食べられることの喜びを知っているものたちだけが通ることのできる道です」
 誰か泣いている。自分のために誰かが泣いている。遠い世界の果てで流される涙を想った。自分の手の届かないところで、自分が抱きしめられているのを感じた。寄り添ってくれているものがいる。そのものによって温められている。泣き声は歌声のようにも聞こえた。誰かが自分をうたってくれている。泣いている誰かの、うたっている誰かの胸に広がる草原を想った。かすかに見える一筋の道がついている。(イラスト RIN)