なお、この星の上に(52)

「わたしにもひとこと言わせてください」 
 先ほどの発言を引き継いで別の声が語りはじめたとき、健太郎はやれやれと思った。とにかく早く終わってほしかった。しかし当分は終わりそうにない。眠りたいのに眠りに就けないような気分だった。
「たしかにあなたがたの理想は地に墜ちています」と新たな発言者は穏やかな声で教え諭すように言った。「そもそも動物を家畜化しはじめたときから、人間の堕落ははじまったとわたくしは言いたいのです。牛さんの寿命がどのくらいのものか、ご存知ですか」
 これは質問だろうか? 知っているけれど答えなかった。
「まあ二十年を下ることはないでしょうね」声は構わずにつづけた。「野生で自然な寿命を全うすることは難しいにしても、まずまずの年月を生きる見込みはあるわけです。ところであなたが飼っておられる牛さんの場合はどうでしょう。オスの子牛は数ヵ月で肉にされます。メスにしてもせいぜい四年か五年でしょう。しかもそのあいだお乳を出すため、ずっと人工的に妊娠させられっぱなしです。生まれた子牛はただちにお母さんから引き離され、あっさり殺される。それもこれもただ柔らかくて美味いお肉を食べるためなのです。教えてください、いったいどこにあなたがたの真や善はあるのですか? いくら目を凝らしても、わたくしには美しいものは見えません。
 思うに人間は動物を家畜化し、家畜として扱っているうちに、彼らが痛みや苦しみを感じる生き物であることを忘れてしまったのではないでしょうか。生まれてすぐに母親から引き離された子牛が苦痛を感じないとでも思っているのでしょうか。考えてもみてください。母親と結びつきたいという強い欲望がなければ、子牛は母親に守ってもらえず、お乳ももらえず死んでしまいます。つまり母親と一緒にいたいという衝動は、感情よりももっと深い本能に根ざしたものなのです。当然のことながら、この衝動が満たされなければ子牛はひどく苦しみます。あなたがたがやっていることを見ていると、むしろ子牛は牡として生まれ、数ヵ月であっさり殺されたほうが幸せかもしれないと思えることがあります。多くの乳牛は定められた生涯のほとんどすべてを、狭い囲いのなかで自分の排泄物のなかで立ったり坐ったり寝たりして過ごします。水と餌だけはたっぷり与えられ、病気の予防接種をされ、数時間ごとに搾乳され、定期的に種牛の精子で妊娠させられながら。そして子牛たちは先ほども申し上げたように、母親に甘えることも他の子牛たちちと遊ぶこともできずに一生を終えます。短くても長くても、あなたがたが牛さんたちに強いている運命は悲惨のひとことに尽きると言うべきでしょう。
 ところが、このような悲惨な境遇にある牛さんたちでさえも、人間によって家畜化された多くの動物たちのなかでは、まだマシかもしれないと思えるのです。たとえば卵を産む目的で育てられている雌鶏さんたちの場合は、懲罰房のようなとても狭い檻に閉じ込められます。一つの檻に何羽も押し込まれることさえ珍しくありません。そのため鶏さんは羽ばたくことはおろか、まっすぐに立つこともできません。まして餌を探したり周囲を偵察したり、あたりを啄いてまわったり巣を作ったりすることは、夢のまた夢です。あんなに身繕いの好きな鶏さんなのに……。
 鶏さんに勝るとも劣らず気の毒なのは豚さんです。仲間内でも非常に知能が高く、好奇心も強いと評判の豚さんたちもまた、狭い仕切りのなかで一生を終えます。あまりに狭い仕切りに入れられるので向きを変えることもできません。もちろん歩くことも餌をあさりまわることも、何もできません。ちょっと想像してみてください。これが朝から晩まで一生つづくのです。かわいそうとか気の毒とか言うには、あまりにも悲惨です。酷いという言葉でも足りません。どう言っていいのかわかりません。もちろん牛さんの場合と同じように、生まれた子どもたちはすぐに連れ去られ、ひたすら太らされたあげくに殺されて、肉やハムやソーセージにされてしまいます。残された母豚さんは、すぐにまたつぎの子どもを妊娠させられる。なんだか話しているうちに辛くなってきました。もっといろんな例をあげてお話したかったのですが、あとは省略します。とにかくあなたがたが毎日口にしている卵や牛乳や肉は、こうした何億とも何十億とも知れない動物たちの、言語を絶する苦しみや痛みによって贖われたものだということを、少しでも気にとめていただきたいのです」
 声が消えたあとには、なお言葉にならない真の真っ黒な絶望に似た憤怒と悲哀が感じられた。健太郎は自分が動物たちを虐げる人間の代表として、ここに呼び出されているような気がしてきた。人間でいることはなんて辛いのだろう、と彼は思った。いっそ虐げられる動物になったほうが楽かもしれない。(イラスト RIN)