なお、この星の上に(51)

「おれにも言わせてくれ」闇のなかから別の声がした。その声は、先ほどまでの声よりもずっと近くから聞こえてくるみたいだった。
「誰だ」
「おまえから誰何されるいわれはない」声の主は腹立たしげに答えた。
「人間ではないのだな」
「見損なってもらっては困る」吐き捨てるように言った。「おれは高尚な話をするつもりはない。人間に高尚な話をしてなんになる。おれはおまえたちに殺され、死んでいった仲間の話をしたいのだ」
 勝手にしろ、と健太郎は思った。
「善だの悪だのいう話にも興味はない」前置きして声は語りはじめた。「そんなことを言い出せばきりがなくなるからな。おれは事実だけを述べる。あるとき仲間と一緒に人間の飼っている牛を襲った。物音を聞きつけて銃を持った人間が出てきた。銃声がした。鋭い悲鳴が上がった。仲間が撃たれたんだ……どうだ、おれの話は簡潔だろう? その瞬間をおれは見ていた。胸のあたりの毛が飛び散り、血が吹き出した。弾は肉をえぐった。たまらず横向きに身体を捻るようにして倒れた。牙を剥き、低い唸り声をたてている。必死に脚を動かして逃れようとしていた。だが死は時間の問題だ。少しずつ動きが鈍くなり、しだいに消えていくだろう。いつもそうしてきたように、おれたちは遠くから仲間の死を見送るつもりだった。粛然として……ところがそうはならなかった。男が銃を構えたまま近づいていった。同輩は恨みのこもったような悲しい目で自分を撃った人間を見た。まだ生きていた。腹で荒い呼吸をしている。男は憎しみのこもった言葉を吐いた。そして突然、仲間を激しく打ち据えはじめた。手にしていた銃を逆さに持って。最初の一撃で首の骨が折れた。その音は、おれたちのいるところまで音が聞こえてきた。だが男は殴打をやめなかった。狂ったように銃を振りかぶって、何度も激しく仲間を打ちつづけた。血に染まった眼球が飛び出し、口や鼻から血塊を吐いた。尻からも血と糞が流れている。もうやめてくれ、とおれは心のなかで叫んだ。みんなが声にならない叫びを上げていた。だが男はやめなかった。仲間の脚はピクピクと痙攣し、やがて動かなくなった。生々しい血の匂いと異臭が漂ってきた。嵐のような殴打がようやくおさまったとき、やつは血みどろの肉塊となって無残に横たわっていた。流れ出た血が地面に染みて広がりはじめていた。おれたちは声もなく森へ引き返した」
 声が語り終えたとき、健太郎の心のなかは冷え冷えと静まり返っていた。
「こういうことを平気でやりながら正義だの信だの、善だの悪だのと言っているのが人間だ」声は蔑んだ口ぶりでつづけた。「最近は無闇に動物を狩ってはならないことになっているらしいな。おまえたちのなかにも良心的なやつがいるってことなのか? まあ、そうだとしても、この良心というやつが甚だ問題なのだ。狩猟期間だの狩猟許可証だの、恐れ入った規則をつくって動物たちを保護しているつもりかもしれないが、当の動物たちには一切関係がない。万事は人間の都合だ。撃たれて皮を剥がれ、肉を喰われる動物たちの都合はどうなっている? もっと呆れた話もある。害獣駆除とは、いったいどういうつもりだ。人間から害獣などと呼ばれる筋合いの動物など、この地上にはただの一種類たりとも存在しない。あえて言えば人間こそが害獣ではないか。それも地上に類を見ない凶悪にして残虐な害獣と言うべきだ」
 突然、森のなかから異様な喚声が沸き起こった。森に集っているものたちが賛同とも憎悪とも苛立ちともつかぬ声を上げたらしかった。この場に綾子を連れてきたかった。おい、綾子。おまえの好きな民主主義によって兄ちゃんはいじめられているぞ。(イラスト RIN)