なお、この星の上に(40)

17
 火付けの犯人が捕まった。近隣の村に住む若い男で、父親に付き添われて町の警察署に自首してきたという。野犬に牛を襲われた家の一つだった。苦労して育てた牛が、出荷の間際に殺された。それで一家の暮らしが立ち行かなくなったわけではないが、先々の計画に狂いが出た。面白くない。酒を飲んで、火付けを思い立った。腹立ち紛れの犯行ということになるだろうか。
 最初に昭の家を狙ったのは意図的だった。自分たちが被っている不幸の根源は、山中に埋まっているおかしな鉱物にある。それに目をつけた者たちが無闇に木を伐ったせいで、山が荒れ、動物たちが里へ下りてくるようになった。自分の家の牛が襲われたのも、もとをたどればそこに行き着く。ならば掘削を進める現場にでも火を放てばよさそうなものを、研究開発の任にある昭の父親が手近な対象ということか、錯乱めいた憎悪を向けられたものらしい。
 なるほど一理ある、と犯人の肩を持つように言う者がいた。たしかにやったことは悪い。そのことに違いはない。だが山を掘り返している連中には、この村の多くの者が反感をもっている。山を売った金で安楽に暮らしている者たちのことも、心よく思っていない。火付けはやり過ぎとしても、わからぬ心情ではない。心情といえば、燃え盛る家を見たときには不思議な高揚感があったそうだ、と本人から聞いたようなことを口にする者がいた。人々が混乱し、新聞などに取り上げられたことも、悪い気分ではなかったらしい。それで習慣づいた。火付けが癖になった。良くないこととわかっていながら、自分を抑えることができなくなっていた。見ず知らずの他人の家ということで気が楽だったのかもしれない。みんな焼けてしまえばいい。自暴自棄の行動でもあったのだろう。
 健太郎の家に男たちが集まっていた。仏壇のある客間と隣の居間は、襖を取り外すと二十畳近い広間になる。祭りに客を招いて宴会が催されるときや、ちょっとした祝い事で親戚の者が集まるときなど、この二間つづきの部屋が広間として活用された。その夜も二十人ほどの村の男たちが、野犬の害を防ぐための対策を話し合っていた。毒餌を撒いてみたけれど効果がない。野犬たちは賢いので毒の入った餌は食べない。どうやら群れに頭のいいリーダー各がいるらしい。山狩りのことを持ち出す者がいた。野犬たちを撃ち殺そうというのだ。男たちの多くが猟銃を所持しており、狩猟は日常的に行われている。また毎年、害獣駆除としてイノシシやシカを狩っている。だが野犬となると、狩りは大掛かりなものになる。村の男たちだけでは人手が足りない。広く近隣の者を集めなければならないだろう。直接の被害にあっていない者たちが、肉も喰えない野犬狩りに協力してくれるだろうか。
 話が膠着し、先へ進まなくなった静まりのなかで、話題は自ずと火付けのことに戻ってきた。妙案がないことの腹いせに、攻撃の矛先は山を切り開いている者たちに向けられるようだった。賢しらな者たちこそ愚かしく、無分別なのだ、と誰かが口火を切った。利口に立ちまわっているつもりで、底の浅い知恵と目先の欲得で動いている。あんなもので電気を作ろうなどとは、まともな人間なら考えぬことだ。しかも電気を使うのは都会の者たちではないか。そのためになぜ村の暮らしが犠牲にならねばならない。山を売ったのは誰か、と別の者が話を引き継いだ。町の者たちではないか。いずれ天罰が下るに違いない。もう下っている。火付けのことか? ならば警察に押しかけて、犯人を釈放せよと談判するか。
 冗談のほうへ逸れていこうとする話の流れをせき止めて、山師のような者たちには出ていってもらおう、としかつめらしく主張する者がいた。山は清浄な場所だ。自然が与えてくれる土地も、森も川も清浄だ。ところが人間は汚れている。だから山を、土地を汚すのだ。わしらのお山は汚された。野犬の被害は何かの先触れではないのか。お山を清めなければ、さらに大きな災厄がもたらされるかもしれない、とどこか預言者めいた口調になって言い募った。
 山に入って好き勝手なことをしている者たちは、山に畏れを抱いていない、と別の者が語りはじめた。育ってきた世界が違うのだ。ああした連中は、自分らの土地という観念をもっていない。わしらにとって土地は、自分の一部みたいなものだ。土地から離れたら、自分が死んでしまう気がする。大袈裟に言えばそういうことだ。身体は生きているかもしれないが、心は死んでいる。ただ息をしているだけのものになってしまう。百姓をしている者は、雨が降って作物が実れば嬉しい。日照りで田畑が弱れば悲しい。それはわしらが土地とともに生きているからだ。人と土地が一心同体になって生きている証拠だ。本来、人の暮らしとはそういうものだ。土地と一緒に喜んだり悲しんだりするのが本当だ。土地が患えば人も患う。無闇に山の木を伐ったり崩したりすることは、自分を傷つけるのと同じだ。そうした理屈が、あの連中にはわからなくなっている。
 どうも勉強しすぎると、かえって道理がわかなくなるようだ、と誰かが間延びした声で収めにかかった。たしかに山のなかに埋まっている石ころで電気を作るなど、わしらには思いつかないことだ。そんなものがあることさえ知らなかった。頭がいいのだろう。大学を出て学がある。よほど勉強もしているはずだ。研究所の所長は外国まで行って勉強してきたそうだ、と事情を知っているものが言い添えた。アメリカとイギリスの大学で、難しい科学の勉強をしてきたらしい。それだけ勉強した人でも、学のないわしらがわきまえている道理がわからない。勉強してわかるものではないのだろう。挙げ句の果てに、自分の家に火を付けられていれば世話がない。
 男たちが話をしているあいだ、健太郎は飲み差しの茶を入れ替えたり、菓子を出したりする手伝いをした。話が昭の父親のことに逸れたときは、自分が話題にされているように緊張した。同時に、軽口のように言い合う男たちに反感をおぼえた。
「まあ、うちにも外国で勉強したい言いよる娘がおるでな」健太郎の父が息子の心情を気遣うように話をほぐした。
「綾子ちゃんのことな」と誰かが応じた。
「近ごろは弁が立つようになって、家のなかでも手を焼いとる」そう言って、父はちらりと健太郎のほうを見た。
(イラスト RIN)