なお、この星の上に(36)

16
 町では火事が相次いでいた。どれも不審火とみなされていた。おそらく同じ犯人だろう。古い記憶が掘り起こされた。祖母が子どもだったころの話だ。無籍無宿のまま漂泊生活をしている者たちを、村の人たちは「山乞食」と呼んで蔑んでいた。そんな境遇の若者の一人が、あるとき盗みの嫌疑をかけられ、村の者たちに袋叩きにされた。しばらくして彼らは集団で襲ってきて、多くの家が火を付けられた。
 だが山乞食を見なくなって長い年月が経つ。戦争がはじまる前から、すでに彼らは姿を見せなくなっていた。子どもの悪戯ではないかと言う者がいた。悪戯にしては度を越している。怪我人も出ている。火事による怪我ではない。家鳶口で窓を破ってなかに入ろうとした消防団の青年が、落ちてきたガラスで首を切った。いずれにせよ悪戯では済まない。れっきとした犯罪、いや重罪にも値する。子どもにそんなことができるのか。中学生くらいの子どもならやれるだろう。このあたりの中学生にそんなことをする者はいない。他所から来た者か。どこから来た。飯場で暮らしている人夫の子ではないのか。人夫はみな単身で来ているはずだ。子連れはいないと聞いている。
 健太郎たちのあいだでも、火事のことは話題になっていた。授業の引けたあとの教室で、十人ほどの男子生徒が、まわりの耳を憚るようにして話をしていた。おおっぴらに語ってはならないことだった。自分たちは「容疑者」なのだ。不審火がつづくかぎり容疑は晴れない。身の潔白を証明するためには、真犯人を探し出さなければならない。そんな暗黙の了解のようなものがあった。
 被害者めいた気分のなかから、「戦争の落し子」という言葉が出てきた。あの戦争では、たくさんの孤児が生まれた。とくに父親を知らない子どもは多くいる。彼らは父親を探して放浪する。自分の身内を探してさまよい歩く。兄弟や姉妹はいないのか、と誰かがたずねた。そんなものはいない、と話し手は答えた。落し子は一人ぼっちだ。なぜ一人なのか。戦争の落し子とはそういうものだ。そういうものとは、どういうものか。おまえの父は戦争に行ったか。行った。それならおまえには、まだ会ったことのない兄や弟がいるかもしれない。わしには妹しかおらん。妹が一人、それだけだ。おまえの知らない兄弟のことだ。
 男ばかりで生活するわけだからな、と訳知り顔の者はつづけた。街から街へ、田や畑を荒らしながら行軍する。ろくに食べ物も持たずに歩きつづける。飢えた動物みたいに。無敵の肉食獣みたいに。たしかに百姓や年寄りや女子どものなかでは無敵に違いない。それをいいことに狼藉をはたらく。無法の限りを尽くす。食べ物を手に入れ、ついでに女も手に入れる。子どもが生まれる。そいつはおまえの兄弟かもしれん。
 やめんか、と誰かが制した。そんな話は面白うない。聞きたくなければ無理に聞くことはない。数人が席を立った。再び静かになった教室で、一人の者が話しつづけた。この町にも落し子はやって来る。いつなんどき現れるかわからない。しばらく姿が見えなくなっても、またやって来る。繰り返し戻ってくる。この教室にも入ってくる、と声を低めたとき、居残った者たちは示し合わせたように半開きの戸口のほうに目をやった。言葉が途切れると、教室の内も外も静かだった。いつのまにか夜中に怖い話を語り合うような空気になっている。たしかに、これは大人たちに聞かれてはならない類の話だった。
 そういう者たちが何をするか知っているか。まわりの者たちは無言でつづきを待った。家に火を付けるのよ。なぜ、そんなことをする。戦争の落し子とはそういうものだ。人の家のものを盗む。あちこちに火を付けてつけてまわる。彼らは自分がどうやって生まれてきたかを知っている。父が行ったこと、母がされたことを、今度は自らが実行する。悪いこととも思っていない。
 再び言葉が途切れた。放心したような時間が流れた。やがて誰からともなく勉強の道具をまとめはじめた。一人、また一人と教室を出ていく。口をきく者はいなかった。先ほどまで話していた生徒も、いまは痛々しいような顔で他の者たちに従った。
 校門を出たところで、健太郎は武雄と一緒になった。彼がいたことは、ほとんど頭になかった。あの場では、誰もがのっぺらぼうみたいに顔と個性を失っていた。自分も武雄も、のっぺたぼうの一人だった。きわどい話にうつつを抜かしたという感じだけが残っていた。
「あいつのことやないかの」武雄は藪から棒に言った。
「なんのことか」うつろな気分のまま言葉を返すと、
「戦争の落し子よ」くぐもった声で答えた。「昭の家が火事になったとき、焼け跡で見かけたやつがおるやろう。あいつは戦争の落し子やないかの」
 なぜか健太郎は自分の正体を見破られた気がした。
「歳が合わん」思いつきの異論を口にした。
「歳が合わんとはどういうことか」武雄は不審そうにたずねた。
「あいつはわしらと同じぐらいの歳やった。体格からすると下かもしれん。戦争の落し子なら、もっと歳がいっとるはずやろう」庇うような言い方になっている。
「せいぜい三つか四つやないか」いかにも取るに足りないことだという口ぶりで武雄は言った。「ひょっとして二つぐらいかもしれん。正確なことはわからん。ろくに乳も与えられずに育てば、体格なんぞはあてにならん。わしはどうも、あいつが戦争の落し子のような気がする」
「そんなら火付けも、あいつの仕業か」健太郎は胸の鼓動が速まるのを感じた。
「そこまではわからん」武雄は何かを猶予するように答えた。
(イラスト RIN)