なお、この星の上に(34)

 人里離れたところにひっそりと建つ避病院は、まわりの自然と一つになってほとんど野生化しつつあった。隔離されていた病人の多くは、戦争中にどこかへ移送されたというが、村の人たちはそれについて多くを語りたがらなかった。とりわけ子どもたちにたいしては、固く口を閉ざすようだった。戦後は空襲で家を焼かれた人たちの仮の住まいとなった。戦後の社会が落ち着いてくると、彼らも都会へ帰っていき、いまでは建物だけが廃墟として残っている。
 敷地の周囲には石壁がめぐらされていた。ぼろぼろに崩れた石のあいだから、葉先が鋭く尖った草が生えている。小学校の校舎にも似た建物は、窓ガラスが割れ、軒が傾き、多くの屋根瓦が剥がれ落ちていた。木の板を段々に打ち付けて白いペンキを塗られた壁は、雨風に曝されて点々と灰色のシミか苔のようなものが付いている。雨樋には蔦が絡みつき、ツユクサに似た雑草で覆われている。
 人影はなかった。ちょっと期待をはぐらかされた気分で、健太郎は裏手にまわってみた。そこは表よりも一層荒れた感じになっていた。地面にはドクダミが生い茂り、その上を背の高い茅や芒のような雑草が覆っている。さらに背後からは鬱蒼とした森が迫っている。その様子は庭というよりも藪に近かった。草のなかに崩れそうな小塔が見えた。何かの供養のためのものらしいが、まさか亡くなった人の骨を納めたものではないだろう。
 これだけ緑があれば虫が鳴いていてもよさそうなのに、あたりはひっそりと静まり返っていた。めったに来ない人間の出現に、虫も鳥も警戒して息を潜めているのかもしれない。いつか豊が言っていたことを思い出した。夜中に虫が鳴くのは交尾の相手を探しているからだ。どこからか仕入れてきたらしいことを、豊は知ったかぶりして告げた。以来、秋の夜を鳴き交わす虫たちの声が美しくは聞こえなくなった。忌々しいことだ、と健太郎は思った。
 しばらく待ってみたけれど少年は現れなかった。担がれたのだろうか。言われるまま、こんなところまでやって来た自分の愚かさに舌打ちしたい気分になった。
「馬鹿くさい」
 最近では口癖になっている言葉を呟いた。帰ろうと思ったが、何かが健太郎をその場に引き止めていた。どこからか見られている気がした。目に見えぬものの気配が強くなった。「誰かに」と人の感じを伴わないのが不思議だった。
「おい」と声がした。
 顔を上げると、石壁のところに少年が立っている。
「来たな」相手は言った。
「前から来とる」健太郎は不機嫌そうに答えた。
「知っとる」少年はにやにや笑いながら言った。
「なせ姿を見せなんだ」
「様子を窺っておった」
「なんの様子を窺うか」
「おまえのことを、まだよう知らんけんの」と少年は言った。その声はいくらか嘲笑的に聞こえた。
「名前は知っとったやないか」
「おまえもわしの名前を知っとる」
「教えてもろうたことは知っとるうちに入らん」腹立たしく言うと、
「行くか」素っ気なく切り上げて歩きはじめた。
(イラスト RIN)