なお、この星の上に(33)

15
 翌日、午前中で学校が終わると、健太郎は急いで家に帰った。いつもは一緒に帰宅する新吾や武雄には声をかけなかった。靴箱のところで会った豊が、来週からは昭も学校へ来るそうだと言った。豊はそうした情報に聡かった。おそらく母親の仕入れてくる情報が耳に入るのだろう。短く言葉を交わしただけで、豊とも別れた。
 帰宅路を急ぎながら、昭の母親はもう退院したのだろうか、一緒に父親の事務所で仮住まいをしているだろうか、それとも新しい家を借りたのだろうか、と断片的に思いをめぐらせた。土曜の昼飯は何を食べるのだろう、日曜の昼はあいかわらずフレンチ・トーストだろうか、などと瑣末なことを深刻そうに思っていた。
 健太郎の家では、土曜の昼は干物が多かった。それに野菜の煮物と味噌汁が付く。だから「おかずは何か」とたずねる必要はない。そそくさと食べ終え、湯呑に残った茶で口を漱いだ。
「なんをそんなに急いどるんか」父親が食卓の向こうから咎めるように言った。
「友だちと約束があるけん」
「落ち着きがない子やな」母親は個人懇談で担任が言いそうなことを口にした。
「慌てて事故に遭うんやないぞ」と祖父が言葉を添えた。
 急ぐ必要はないのに、なぜか気持ちが慌ただしかった。早く行かないと、どこかへ行ってしまう気がする。あの「アツシ」という名の、自分と同じ年格好の少年が。おかしな感じ方だった。まるで自分がどこかへ行ってしまいそうな気がする。朝、洗面所の鏡を見ていると、鏡に映った自分が自分であって、自分でないように感じられる。鏡の内と外、見る者と見られる者が、同じであって同じではない。鏡のなかの自分と、鏡の外の自分とが分裂している。二つの自分がいる。こことそこに、片方は暗い森のなかに……。
 季節は秋になろうとしていた。山の木々は標高の高いところから色付きはじめている。季節が移り変わる。健太郎のなかには「移る」という感覚が乏しくて、「変わる」という感覚のほうが強かった。夏から秋へ、いつのまにか季節が変わっている。気がついたときには、すでに変化している。時間の経過が感じ取れないので、自分がどこにいるのかわからなくなる。
 村も自然も、移ろうものから変わるものへ、慌ただしく変化し変貌するものになろうとしている。その慌ただしさが、いまの自分を急き立てているのかもしれない、と健太郎は思った。この国全体が変わろうとしているのだ。移ろうものから変わるものへ、村の暮らしと自然を司る時間の流れが速くなっている。いいことなのか悪いことなのかわからない。善し悪しを超えて、それは不可避なことに思えた。
 流れのなかで取り残される者がいる。うまく流れに乗って進む者がいる。無理に抗おうとする者がいる。自分はどこにいるのだろう。身近なモデルとして源さんと自分の父、それに昭の父親を並べてみる。たとえて言えば、風車や水車をまわして暮らすのが源さんの流儀だ。これが石炭や石油を使う暮らしに変わろうとしている。新しい流儀を受け入れ、順応しようとしているのが父だ。さらに将来は、昭の父親が担っているような技術が人々の暮らしを支えていくことになるかもしれない。先頭を歩いているのは昭の父親で、少し遅れて父がつづく。ずっと後ろに取り残されるようにして源さんがいる。
 自然の力をそのまま使わせてもらうのが源さんの流儀だとすれば、自然から目当てのものを引っ張り出してくるのが昭の父親の流儀だ。大地を掘り起こし、地中に眠っている鉱石から必要なものを取り立てる。強引で暴力的なやり方ではあるが、時代は昭の父親の流儀へ向かって進んでいくだろう。源さんのまわしにある自然は、昭の父親が作り出そうとしている新しい自然に取って代わられ、呑み込まれ、姿を消していくだろう。
 心情的には、源さんの暮らしぶりに共感をおぼえた。他人に迷惑をかけず、無闇に自然を傷つけず、山や森や川の生き物たちを友とする生き方は健全で真っ当なものに思える。この源さんと昭の父親の中間あたりに父を位置づけてみる。いまの自分は父とほぼ同じ位置にいる。そして少しずつ、昭の父親のほうへ近づいていこうとしている。抗いがたい力によって、好むと好まざるにかかわらず引き寄せられていく。
 そこまで考えたところで、健太郎はなんとなく不愉快な気分になった。不可避な未来に規定されていることが不愉快だった。抗いがたい力に呑み込まれ、流されるようにして源さんの世界に背を向け、昭の父親の世界を受け入れていく自分が、どこか不正で信用できない者に感じられた。
(イラスト RIN)