なお、この星の上に(21)

 昼は各自が持ってきたものを分け合って食べた。豊は遠足のときのような弁当を作ってもらっていた。健太郎は自分で握り飯を用意した。新吾はアンパンとジャムパンで、武雄だけが手ぶらだった。
「なんも持ってくるものがなかったんか」新吾が痛ましげに言った。
「猟師は昼飯は喰わんものだ」武雄は涼しい顔で答えた。
「吉右衛門爺さんが言うたか」
「常識よ」
「そんな常識は聞いたことがない」
「猟師は一日二食、朝と夕にきまっとる」武雄は説明した。「獲物を追いかけて、山のなかを動きまわらねばならん。腹がいっぱいでは疲れてしまうし、勘も鈍る」
「本格的だの」新吾は感心したのか呆れたのかわからない言い方をした。
「しかし腹が減るのは辛いの」豊が言葉を向けると、
「そのときゃあ自分で鳥でも魚でも捕まえる」武雄は持ってきたゴム管を空のまま近くの木立に向かって撃つ真似をした。
 結局、武雄は三人から少しずつ昼飯を分けてもらって食べた。食べ終わると各自が自分の持ち物を点検した。とくに申し合わせてはいなかったので、肥後守、マッチといった必携品の他に、新吾は懐中時計を持ってきていた。健太郎は父親の双眼鏡を借りることができた。豊はなぜか蝙蝠傘を杖がわりに持ち歩いている。いちばん重装備の武雄は大きな鉈を携帯していた。これがあれば野宿をするときに、竹や細い木を切り倒すことができると言った。他にも丈夫そうなビニール袋やロープなどがリュックには入っている。どれも山で必要と本人が判断したものだった。
「猟師も樵も、山の仕事はいろいろときまりがあって煩わしいの」武雄の荷物を眺めながら健太郎はふと思いついたように言った。「山の神さまにお供えをせなならんとか、口笛を吹いてはならんとか、森を抜けるまで口をきいてはならんとか。おぼえきれんほどある」
「川へ行ったときに、深い淵を覗いてはならんいうのもあるな」豊が付け加えた。
「そりゃあ、おまえが川に落ちんようにじゃ」と新吾が言った。
「底が見えんような深い淵には、山川の生き物や霊が集まって神さまになる」豊は聞き流してつづけた。「神さまは人間が見るもんではないいうことかの」
 豊の言葉に、四人は神妙な顔で黙り込んだ。山に神や精霊がいることは、小さいころから折節に言い聞かされている。死んだ者の霊が集まるとも言われていた。山に入ることは、死者の霊、祖先の霊に会いに行くことでもあった。人は死ぬと、霊魂は身体を抜け出す。最初は近くの里山に留まる。それから少しずつ神に近づきながら山を登っていき、頂きまで登ったときにはもう神さまになっている。健太郎の祖父はそのように説明した。一方で祖母のように、人は死んだら浄土へ行くという考えをもっている者もいる。一つの家のなかでも、いろいろな考えがあるので、ますますわからなくなる。
「そろそろ行くか」武雄が立ち上がって言った。
 他の三人も億劫そうに腰を上げた。
「見つかるかの、吉右衛門爺さん」その口ぶりからして、新吾は見つからないと思っているみたいだった。
「何か手がかりでも見つかればええがな」豊がどっちつかずの態度で言った。

 深い山の高台に、戦争中に開拓団の人たちによって拓かれた村がある。そのころ作られた田畑の大半は、いまでは打ち捨てられている。新吾の次兄は、荒れた土地のいくらかを耕作して、米や野菜を育てながら一人で暮らしているという。
 新吾には二人の兄がいて、長兄は勇、次兄は衛という。上の二人が一文字なのに、自分だけ二文字の名前であることが長いあいだ腑に落ちなかった、という話を健太郎は以前に本人から聞いたことがある。ひょっとして腹違いの子どもではないか、と疑ってみたこともあるらしい。あるとき思い切って母親にたずねてみた。
「戦争が終わって生まれた子どもやけん、新しいいう字を入れることにしたそうな」新吾は母親の言葉をそのまま伝えた。「父ちゃんの考えじゃ。わしの名前は新しい自分いう意味らしい」
「新吾の親父さんは、なかなかものを考える人だの」と健太郎は言った。
「親はみないろんなことを考えとるよ」新吾は大人びた答え方をした。
次兄は長兄とも両親とも、あまり仲が良くない。家族だけでなく村の人たちとほとんど交流をもたず、一人だけ離れたところで暮らしている。
「衛兄は人間嫌いなのじゃ」と新吾は言った。
 何事もくだらない、というのが次兄の人生観らしかった。人間のやることは救いがたいほど愚かで、一緒にいるとかならず喧嘩になる。だから自分は人と離れて暮らしているという理屈だった。
「衛兄は小さいときに、親父について都会へ行っておったのよ」新吾はいくらか次兄に肩入れするように言った。「そこで空襲におうた。街が焼かれて死んだ人間を大勢見た。身体が引き裂かれた者、頭から脳みそが流れ出している者もおったらしい。道端で大人の男が泣いとった。座り込んで、声を上げて泣いとる。それを見て、勇兄はつくづく嫌になってしもうたそうじゃ」
「何が嫌になったのかの」健太郎は言葉を挟んだ。
「何もかもじゃ」新吾はわかりきったことのように答えた。「人間はなんとも馬鹿らしい生き物だと、心の底から思うたらしい。中身は空っぽで、うろちょろ動きまわる空洞に過ぎん。まあ、衛兄の哲学いうところかの」
「なんやら暗い哲学だの」と健太郎は言った。
「明るいも暗いも、本人が頑固にそう思いきめとるのじゃから、どうしようもない」新吾は利いたふうなことを言った。
 伐採された草原で、武雄が野ウサギを見つけた。獲物を見つけたらいつでも撃てるように、彼は常に弾になる小石をズボンのポケットに入れて持ち歩いている。その小石をゴム管に挟んで狙いをつけた。気配を感じているのだろう。野ウサギは草のなかで立ち止まり、あたりを警戒するように耳を立てている。武雄のゴム管はぴたりと静止している。二股の木のあいで引き絞られた黒いゴムチューブは、力を呑み込んで凶暴な生き物のようだ。その生き物は、いまこの瞬間にも獲物に襲いかかろうとしている。三人は固唾を飲んで成り行きを見守った。じりじりと時間が流れた。何かが目の前をよぎった。ゴム管がシュッと音をたてて、目にも止まらぬ勢いで小石が飛び出した。石は草の上をかすめて見えなくなった。ほとんど同時に茶色い大きなものが急降下した。
「イヌワシじゃ」新吾が叫ぶように言った。
 ワシは素早くウサギを捕まえると、そのまま空へ舞い上がった。四人は言葉もなくワシのあとを目で追った。鋭い鍵爪に掴み取られたウサギは、すでに生命を抜き取られたかのように動かない。鳥は悠々と大空を飛行し、やがて山の陰に隠れて見えなくなった。誰かが大きなため息をついた。
「ワシのやつにはかなわん」武雄はさばさばした声で言った。
(イラスト RIN)