なお、この星の上に(18)

18
 火付けの犯人が捕まった。近隣の村に住む若い男で、父親に付き添われて町の警察署に自首してきたという。野犬に牛を襲われた家の一つだった。苦労して育てた牛が、出荷の間際に殺された。それで一家の暮らしが立ち行かなくなったわけではないが、先々の計画に狂いが出た。面白くない。酒を飲んで、火付けを思い立った。腹立ち紛れの犯行ということになるだろうか。
 最初に昭の家を狙ったのは意図的だった。自分たちが被っている不幸の根源は、山中に埋まっているおかしな鉱物にある。それに目をつけた者たちが無闇に木を伐ったせいで、山が荒れ、動物たちが里へ下りてくるようになった。自分の家の牛が襲われたのも、もとをたどればそこに行き着く。ならば掘削を進める現場にでも火を放てばよさそうなものを、研究開発の任にある昭の父親が手近な対象ということか、錯乱めいた憎悪を向けられたものらしい。
 なるほど一理ある、と犯人の肩を持つように言う者がいた。たしかにやったことは悪い。そのことに違いはない。だがお山を掘り返している連中には、この村の多くの者が反感をもっている。山の土地を売った金で安楽に暮らしている者たちのことも、心よく思っていない。火付けはやり過ぎとしても、わからぬ心情ではない。心情といえば、燃え盛る家を見たときには不思議な高揚感があったそうだ、と本人から聞いたようなことを口にする者がいた。人々が混乱し、新聞などに取り上げられたことも、悪い気分ではなかったらしい。それで習慣づいた。火付けが癖になった。良くないこととわかっていながら、自分を抑えることができなくなっていた。見ず知らずの他人の家ということで気が楽だったのかもしれない。みんな焼けてしまえばいい。自暴自棄の行動でもあったのだろう。
 健太郎の家に男たちが集まっていた。仏壇のある客間と隣の居間は、襖を取り外すと二十畳近い広間になる。祭りに客を招いて宴会が催されるときや、ちょっとした祝い事で親戚の者が集まるときなど、この二間つづきの部屋が広間として活用された。その夜も二十人ほどの村の男たちが、野犬の害を防ぐための対策を話し合っていた。毒餌を撒いてみたけれど効果がない。野犬たちは賢いので毒の入った餌は食べない。どうやら群れに頭のいいリーダー各がいるらしい。山狩りのことを持ち出す者がいた。野犬たちを撃ち殺そうというのだ。男たちの多くが猟銃を所持しており、狩猟は日常的に行われている。また毎年、害獣駆除としてイノシシやシカを狩っている。だが野犬となると、狩りは大掛かりなものになる。村の男たちだけでは人手が足りない。広く近隣の者を集めなければならないだろう。直接の被害にあっていない者たちが、肉も喰えない野犬狩りに協力してくれるだろうか。
 話が膠着し、先へ進まなくなった静まりのなかで、話題は自ずと火付けのことに戻ってきた。妙案がないことの腹いせに、攻撃の矛先は山を切り開いている者たちに向けられるようだった。賢しらな者たちこそ愚かしく、無分別なのだ、と誰かが口火を切った。利口に立ちまわっているつもりで、底の浅い知恵と目先の欲得で動いている。あんなもので電気を作ろうなどとは、まともな人間なら考えぬことだ。しかも電気を使うのは都会の者たちではないか。そのためになぜ村の暮らしが犠牲にならねばならない。山を売ったのは誰か、と別の者が話を引き継いだ。町の者たちだろう。いずれ天罰が下ると思っていたら案の定だ。火付けのことか? ならば警察に押しかけて、犯人を釈放せよと談判するか。
 冗談のほうへ逸れていこうとする話の流れをせき止めて、山師のような者たちには出ていってもらおう、としかつめらしく主張する者がいた。山は清浄な場所だ。自然が与えてくれる土地も、森も川も清浄だ。ところが人間は汚れている。だから山を、土地を汚すのだ。わしらのお山は汚された。野犬の被害は何かの先触れではないのか。お山を清めなければ、さらに大きな災厄がもたらされるかもしれない、と預言者めいた口調になって言い募った。
 山に入って好き勝手なことをしている者たちは、山に畏れを抱いていない、と別の者が語りはじめた。育ってきた世界が違うのだ。ああした連中は、自分らの土地という観念をもっていない。わしらにとって土地は、自分の一部みたいなものだ。土地から離れたら、自分が死んでしまう気がする。大袈裟に言えばそういうことだ。身体は生きているかもしれないが、心は死んでいる。ただ息をしているだけのものになってしまう。百姓をしている者は、雨が降って作物が実れば嬉しい。日照りで田畑が弱れば悲しい。それはわしらが土地とともに生きているからだ。人と土地が一心同体になって生きている証拠だ。本来、人の暮らしとはそういうものだ。土地と一緒に喜んだり悲しんだりするのが本当だ。土地が患えば人も患う。無闇に山の木を伐ったり崩したりすることは、自分を傷つけるのと同じだ。そうした理屈が、あの連中にはわからなくなっている。
 どうも勉強し過ぎると、かえって道理がわかなくなるようだ、と誰かが間延びした声で収めにかかった。たしかに山のなかに埋まっている石ころで電気を作るなど、わしらには思いつかないことだ。そんなものがあることさえ知らなかった。頭がいいのだろう。大学を出て学がある。よほど勉強もしているはずだ。研究所の所長は外国まで行って勉強してきたそうだ、と事情を知っているものが言い添えた。アメリカとイギリスの大学で、難しい科学の勉強をしてきたらしい。なるほど。それだけ勉強した人でも、学のないわしらでさえわきまえている道理がわからない。勉強してわかるものではないのだろう。挙げ句の果てに、自分の家に火を付けられているのだから世話がない。
 男たちが話をしているあいだ、健太郎は飲み差しの茶を入れ替えたり、菓子を出したりする手伝いをした。話が昭の父親のことに逸れたときは、自分が話題にされているように緊張した。同時に、村の男たちに軽い反感をおぼえた。
「まあ、うちにも外国で勉強したい言いよる娘がおるでな」健太郎の父が息子の心情を気遣うように話をほぐした。
「綾子ちゃんのことな」と誰かが応じた。
「近ごろは弁が立つようになって、家のなかでも手を焼いとる」そう言って、父はちらりと健太郎のほうを見た。

 土曜日になった。午前中の授業が終わると急かれる思いで家に帰り、手早く昼飯を済ませてから避病院へ向かった。アツシは時間を違えず約束の場所に現れた。まるで待ち伏せしていたかのように、崩れかけた石塀にもたれて立っている。その姿を目にした瞬間、なぜか健太郎は弱みを握れている気がした。
「アツシ」先手を取るように声をかけた。
「来たな」相手はあっさりと答えた。
「おまえに訊きたいことがある」
「家に行こう」
「ここでええ」
「落ち着いて話ができん」
 すでに先に立って歩きはじめている。促されるようにしてあとにつづいた。二人は前と同じように「雲の平」の廃村へ向かった。途中の行程は意識にとどまらなかった。奇妙な反復感とともに、一週間前と同じ時間に、そのまま自分がいるような気がした。
「野犬が村の牛を襲いよる」部屋に腰を下ろすなり、健太郎は前置きもなしに言った。「おまえ、なんか知っとらんか」
「わしが何を知っとるいうんか」アツシは薄笑いを浮かべてたずね返した。
「野犬のことよ。なせ急に牛を襲うようになったのか」
「よっぽど腹を減らしとるんやろ」本心ではないことが口ぶりにあらわれている。
「野犬が牛を襲うなど、前にはなかったことじゃ」健太郎のほうは真剣だった。「野犬を見ることさえめったになかった。犬は里で人と一緒に暮らす動物で、山に棲むものやない。まれに人に懐かんのが山に入って野犬になりよった。どういうわけで野犬が増えたのか、そこがわからん」
 答えを期待したが、相手はいつまでも口を開かなかった。寝起きのような顔を薄日の差す窓のほうへ向けたまま、上の空な様子でぼんやりしている。
「わしはこのごろ自分の村が厭になった」と打ち明け話めいた口調で話をつないだ。「村の者らは山を売った町の人間や、飯場で働いている人夫らのことを悪う言うが、自分らにしても山狩りの相談をしよる。牛を襲う野犬を鉄砲で撃ち殺すつもりらしい。我が身のことだけ考えて、目先の欲得で動くのは村の者も一緒じゃよ。わしは大人というものがつくづく厭になってきた」
「ここに来て一緒に暮らすか」冗談とも本気ともつかずに言った。
「そしたら大人にならずに済むか」健太郎がたずねると、
「野犬を撃ち殺すような大人になることはなかろう」皮肉めいた言葉を返した。
 健太郎は真意を確かめるように相手を見た。
「大人にならずになんになる」アツシは心のうちをあらわさずに言った。
「なんになろうかの」健太郎は思案げに宙を仰いだ。
「幽霊にでもなるか」
 反論するのも馬鹿らしいという顔をして見せると、
「なせ大人になりとうないんか」今度は親身にたずねてきた。
「忌まわしい気がする」成り行きにまかせて答えた。
「どう忌まわしいんか」
「わからん」ひとまず放り出してから、「大人の男は二つの顔をもっとる」と再び思いつきを口にした。
「どういう二つの顔か」アツシは執拗に追ってくる。
「普通のときと戦争のときの顔じゃ」苦し紛れに答えると、
「なるほどの」かたちだけの相槌を打った。
 風は吹いていないのに、山の高いところの木々がざわめいている気がした。そのざわめきに心が掻きまわされて、
「わしらの村はいま戦争みたいになっとる」と健太郎は思いつきを引き伸ばした。「めったに見かけることのなかった野犬が現れたり、町では火付けで何件も家が焼けたり、そういうことがつづくと男たちは普段とは違う顔を見せるようになる。まあ、火付けのほうは犯人が捕まったので一安心だが」
「また起こるかもしれんぞ」ことさら惑わすような口ぶりではなかった。
「火付けか」言わずもがなのことをたずねると、
「大人が忌まわしい生き物なら、同じことは何度でも起こるのやないかの」アツシは健太郎の言葉をそのまま返した。
 やがて顔を軽く窓のほうへ向けると遠くへ耳をやる目つきになった。その目が暗い翳りを帯びている気がして、
「一人で寂しくはないか」とたずねてみる。
「寂しくなどない」
「友だちはおらんのか」
「おらん」取り付く島もない口調だった。
 家のなかは静かだった。しかし静かだと思って耳を澄ますと、広くもない家のなかを誰かが足音をしのばせて歩いている気がする。それも一人ではなく、何人もが歩いている気配がする。死んだアツシの両親かもしれない、と気味の悪いほうに想像をめぐらせそうになる。
「この前、森の話をしとったやろう」健太郎は話題を変えて言った。「なせ、わしにそんなことを話したんか」
「仲間やけんな」まだ半分夢のなかにいるような声でアツシは答えた。
「なせ仲間とわかる」
「わかるもんはわかる」
 堂々巡りで先へ進まない。
「おまえにもおかしなことが起こるのか」健太郎はきわどいところへ足を踏み入れるようにしてたずねた。
「どんなことか」抑揚のない声が答えた。
「わからん」ひと呼吸置いて、「わしにはようわからん」と繰り返した。「うまいこと説明はできんが、自分が自分ではなくなっとるみたいなのよ。なんか別のものに姿を変えて、あちこちうろつきまわっとるらしい」
 暗い森のなかを幽霊のようにさまよっているものの姿が浮かんだ。
「野犬みたいにか」相手はさりげなく言葉を添えた。
 いつものようにじっと健太郎を見ている。その眼差しに曝されると、こちらのどんな心の動きも悟られてはならないという頑なな気持ちになる。
「やっぱり何か知っとるのか」
「おまえが知りたいことは、おまえ自身がもう知っとるはずじゃ」すべて見透しているという口ぶりだった。「わしはおまえが知っとる以上のことは知らん」
「どんなことを知っとる」
「おまえが知っとることよ」
 またしても堂々巡りになりかける。
「おまえは自分が知っとることを、わしに確認したいだけなのやろう」
 そうかもしれない、と健太郎は心のなかで肯った。
「おまえはわしのなかに森があると言うたな」議論を避けて話を進めた。「おまえのなかにも森はあるんか」
「誰のなかにも森はある」アツシははぐらかすように言った。「森がなくては、おちおち死ぬこともできん。死んだらどこへ行ってええかわからんようになるけんの」
 どこかで聞いた話だと思いながら、
「そしたらわしとおまえだけが特別に仲間というわけでもはないな」健太郎はさらに押してみる。
「多くの者は自分のなかにある森のことを忘れよる」アツシは事実を告げる口調であっさりと言った。「忘れて世話もせずにおると、森は弱ってちいそうなって、しまいにはもう見つけ出せんようになってしまう。そうなればわしらはもうどこへも行くことができん。どこへも行くことのできん人間が近ごろは増えてしもうた」
 わかったような、わからないような話だった。
「おまえは森をおぼえとる」アツシは念を押すように言った。「毎日森を感じて生きとる。わしらは仲間じゃ」
「森は悪いものではないのだな」四捨五入するようにたずねると、
「何が悪いものか」たちどころに返した。
「だが危険なところじゃろ」
 アツシは低く声をたてて笑った。
「どんなものでも扱い方を謝れば危険になる」
 それ以上の言葉を封じられた気がして、健太郎は口を噤んだ。今日は蒸した芋も水もなしか、と物足りない気分で思ってみる。外では少し風が出てきているらしい。山の上のほうで吹きはじめた風が少しずつ近づいてくるが、ここまで吹き寄せることはなく、また引き返していくようだった。遠くの尾根を風が吹き渡っていく。その姿が目に見える気がした。
「森は死んだ者と動物たちが棲まうところじゃ」しばらくしてアツシはしんみりした声で言った。「その森が悪いものであろうはずがない。森が危険なものになるのは、人間が森を荒らすからよ。森が荒らされれば死んだ者は悲しむ。無残に切り開かれれば腹も立てよう。自分らの棲まう森が壊されれば、死んだ者も動物たちも容赦はすまい。生きとる者を恨んで、恨みが募って死んだ者と動物たちが一つになって、野犬のようなものが現れるのかもしれん」最後は何かに取り憑かれたような口調になっていた。
「気味の悪いことを言う」と健太郎は払った。
「そうかの」
「迷信みたいに聞こえる」
「信じられんか」
 そう問われれば、はっきり信じないと断言する気持ちにもなれない。不合理なはずの話には奇妙な説得力があった。
「この前の戦争では大勢の者が死んだやろう」アツシは低くも高くもならない声で言った。「空襲で焼き殺された者もおる。兵隊になって遠い大陸や南の島でも死んだ者もおる。怖い思いをして死んでいった者も、未練を残して死んでいった者もおる。怨念を抱いて死んでいった者もおるやろう。そういう者らの魂が故郷の山に帰ってくる。ようやく安らげる場所へたどり着いたところに、人間がやって来て森の木を伐り、重機で地中を掘り返し、発破をかけて山の静寂を乱せば、死んだ者らの思いは妙なものに姿を変え、生きている者たちを懲らしめるぐらいのことはするかもしれん」
 しんねりと教え諭すような口ぶりだった。健太郎のほうは年寄りから昔話でも聞かされている心持ちになっている。夢にうなされそうな話だと思いながら、目の前にいる者の正体がまたわからなくなる。そのうちにふと、この前本人から聞かされた話を思い出した。
「妙なもののなかには、おまえのとうちゃんやかあちゃんもおるかもしれんぞ」
口にした途端に後悔したが、アツシは平然とした顔で、
「そうだの」と軽く返した。
 両親を亡くすということ自体が、健太郎には想像の及ばないことだった。その親たちを異形のものに結びつける心情がまたわからない、と自分から踏み込んだことは棚に上げて思った。
「なんともないのか、野犬が人間に撃ち殺されることは」おそるおそるの言葉を向けると、
「おまえはどうする」逆に詰め寄ってきた。「牛を襲う野犬を撃ち殺すか」
「わからん」
 答えてから、それが現実になったときのことを考えて恐ろしくなった。
「おまえの飼っとる牛だぞ」相手の口ぶりに執拗なものを感じて、
「そんなことにならんようにする」とりあえずの逃げを打つと、
「どうやって」
 アツシは捕まえた獲物を見るようにじっと健太郎を見ている。無関心の仮面で顔を覆っているのは前と同じだった。その様子はふてぶてしくもあり、年齢と不相応の威厳をまとっているようでもあった。健太郎は身体のなかに眠っていた血が目を覚まし、ざわめきはじめるのを感じた。
「山狩りか」相手は嘲りを含んだ声でかぶせた。
 答えずにいると、
「それなら同じことだの」むしろ憐憫の混じる声で収めた。
 言葉が途切れるとあたりの静けさが際立った。静けさのなかに、いろいろな物音が含まれている。人の声やざわめきが含まれている。耳を澄ましていると、聞きたくないもの、聞いてはならぬものまで聞こえてきそうな気がする。窺うように相手を見ると、アツシの表情には動きがなかった。しかしそれは見かけだけのことで、仮面の下では何かが絶えず動きまわっているのかもしれない。
「おまえのおやじは戦争に行ったか」しばらくしてたずねた。
「ああ、行った」健太郎は無造作に答えた。
「無事に帰ってきたか」
「帰ってきた」
「それならええ」
 ここで父親のことを持ち出されるのが、健太郎には不愉快だった。
「どういうことか」声に苛立ちが混じった。
「わしはおやじに生きて帰ってきてもらわんで良かった気がする」アツシは感情の映らない声で言った。「死んで帰ってきてもろうたほうが心が休まる。そう思わんか」
 相手の言葉にたじろいで、
「そんなことは思わん」と返した。
 アツシは再び夢うつつの顔になっている。死んだ父親のことを考えているのだろうか、と忖度しかけたところで、
「どっちにしても難儀なことだの」とひとこと呟いた。
 何気なく漏らした「難儀なこと」に行く手を阻まれた格好で、二人は黙り込んだ。健太郎は先ほどから自分が息を詰めるようにして話していることに気づいた。大きく息を入れてから、
「一緒に来んか」と言葉を向けてみる。
「どこへか」
「うちに来て夕飯を喰わんか」
 アツシはそれについて考えているようだった。健太郎には少年が急に幼くなったように思えた。まるで帰り道がわからなくなって途方に暮れている子どもみたいだった。
「どうか」痛ましいような気持ちになって間合いを詰めると、
「どこへも行かん」それこそ駄々をこねる子どものように言った。「ここにおるしか仕方がない」
「なせか」
 それ以上、答えるつもりはないらしかった。このままでは自分たちが沈黙のなかに閉ざされてしまう気がして、
「つぎの土曜も会えるか」性急な口調で現実的なほうへ言葉をつないだ。
「ああ」どこか暗い声でアツシは答えた。「避病院で待っとる」
 ふと、このアツシこそ死者ではないかという疑念が頭をよぎった。暗い森を思った。そこから野犬たちが現れる、死者と動物たちが一つになって……そんなことを考える自分自身を疎ましいものに感じた。腰を上げると、卓袱台の前に居着いたままの少年の身体が小さく見下ろされた。(イラスト RIN)