なお、この星の上に(17)


 遠足が終わると、三年生は個人面談がはじまる。毎日に数人ずつ、担任と今後の進路のことを話し合うのだった。大まかには進学か就職かという選択になる。コースによって二学期からは一部の授業が分かれ、就職コースの者には実務的な授業も用意されていた。健太郎と豊は進学コースを希望している。武雄は猟師になるという本心を伏せて、担任には就職コースと伝えているらしかった。新吾はまだ迷っていた。本人は就職を希望していたが、家族が進学させたいと思っているらしい。
「わしは勉強は好いとらんけんな」と新吾は言った。
「なせ親はそんなに進学させたいんかの」武雄が不思議そうに言った。
「これからは何をするにも、高校ぐらいは出とらなだめじゃと」
「高校を出とらんでも、鳥や獣を捕るこたあできる」
「他の仕事をするには役に立つやろ」と豊が言った。
「どんな仕事か」
「学校の先生とか、会社の勤め人とか……」
「そんなもんにはならん」武雄は切り捨てるように言った。
「百姓するにも、あんまり役に立ちそうにないの」と新吾が言った。「それなら就職して車の運転でも習うたほうがましじゃ。自分で農業するときにも役に立つけんな」
「どんな仕事に就くつもりなんか」健太郎が新吾にたずねた。
「食品関係の会社かの」明快な答えが返ってきた。「わしらがつくった米や野菜や肉が、どんなふうに使われとるのかを知っておれば、自分が農業するときにも役に立つ」
 三人は感心したように新吾を見た。彼は彼なりに将来のことを考えているらしい。もともと新吾は村に残り、兄たちと農業をすることを希望していたが、農家の三男が村に残ることは現実的には難しい。分家といっても限度があるから、いずれは村の外に働きに出なくてはならないだろう。だが本人はあくまで、就職を一時的なものと考えているらしかった。いつか機会を見つけて、兄たちとともに農業をしたいと思っているのだ。
「偉いの、新吾は」健太郎は素直な感想を口にした。
「何が偉いもんか」相手は謙遜するでもなく言った。「勉強が嫌いなだけよ」
「わしも勉強は卒業じゃ」武雄がさばさばした口調で言った。「国語も算数も、これだけ習うたらもう充分やろ」

 内藤昭の家に招待されたのは、担任との面談が一通り終わったころだった。いつもの四人が一緒に招かれたが、豊だけは都合が悪いと言って来なかった。内藤の母親は休みの日などに、こうして息子のクラスメートを何人かずつ家に招いていた。ゆくゆくはクラスの全員を招待するつもりらしい。都会からやって来た息子が、早く新しい環境に溶け込めるための配慮だろうが、健太郎の見るところ、昭にかんしては無用な気遣いのようにも思えた。
 正午少し前に来るように言われている。昼ごはんを食べさせるということだろう。どんな料理が出るのか、三者三様に興味が湧いた。都会の人たちは自分たちとは違ったものを食べているはずだ、と武雄は言った。同じ日本人だから、そんなことはあるまい、と新吾は反論した。いくらか畏まった面持ちで三人は門を入った。玄関先に箱型の郵便受けがあった。普通の家では見られない、洒落た形のものだった。
「なんか勝手が違うの」武雄が物珍しそうにあたりを見まわしながら言った。
 こちらから呼ぶ前に昭が家から出てきた。
「いらっしゃい」自然な口ぶりだった。
 三人はぎくしゃくと頭を下げた。通されたところは応接間らしいところで、広さは六畳ほどだろうか。部屋の中ほどにカバーの掛かった円卓が置いてある。それを囲むようにして、三人は昭と一緒に腰を下ろした。光沢を放つ黒っぽい床板にはワックスがかけられている。武雄は落ち着かない素振りで部屋のなかを見まわしている。壁には立派な額に入った油絵が掛かっている。
「とうちゃんはおらんのけ」その武雄がたずねた。
「仕事に行ってる」昭は当たり前のように答えた。
「日曜やのに」
「曜日は関係ないんだ」
「猟師と同じだの」武雄は納得したように頷いた。
「あれはなんという鳥かの」新吾が窓のところに吊るされている鳥かごをさしてたずねた。
「カナリア」
「このへんでは見かけん鳥だの」
 鮮やかなレモン色をした鳥は、ときどき美しい声でさえずった。まるで別の国に来たみたいだ、と健太郎は思った。やがて母親が盆に載せた食事を持ってきた。
「お待たせ」気さくに言った。「こんなものでごめんなさいね。みんなフレンチ・トーストは好きかしら」
 三人は小さく顔を見交わした。好きも嫌いも、こんなものを目にするのははじめてだった。学校の給食で出される固く乾いたコッペパンとは、外見からして大違いだ。部屋に通されたときから、いい匂いがしていたが、正体はこれだったのだ。
「田部くんも来られるとよかったのにね」皿を並べながら母親はそんなことを言った。
 三人は曖昧に頷いた。
「食べようか」昭が促した。
 招かれた者たちは、どこか緊張した面持ちでナイフとフォークを取った。それからぎこちない手つきでトートを食べはじめた。もちろん味も、給食のコッペパンとは別物だった。
「美味いなあ」武雄がしみじみと言った。
「お代わりもあるから」昭は母親みたいなことを言った。
 三人は甘いバターの匂いに陶然として、言葉も交わさずにフレンチ・トーストを食べた。昭に勧められて、紅茶には牛乳と砂糖を入れた。これも健太郎は美味いと思った。トーストを食べてしまうと、デザートに果物が出た。
「昭んとこでは、いつもこんなもんを食べとるんか」武雄がちょっと羨ましそうに言った。
「日曜の昼はフレンチ・トーストときまっている」昭はつまらなそうに答えた。「献立を考えなくていいから楽なんだって」
 三人は頷いた。さらに昭は驚くべきことを告げた。
「父さんが留学先で作り方を習ってきたんだ」
「留学しとったのけ」新吾がたずねた。
「アメリカとイギリス」昭は自慢するでもなく言った。「だから小学校のころは、あまり家にはいなかった」
「外国まで勉強しに行ったんか」武雄が呆れたように言った。
「エランの研究をしにね」
 三人は再び頷いた。
「とうちゃんがエランの研究をしとったおかげで、昭はここへ来ることになったんだの」新吾はちょっと神妙な口ぶりで言った。
「大丈夫かの」武雄がいくらか打ち解けた調子で言った。「こんなところにおったら、勉強でけんようになるぞ」
昭は笑って答えなかった。
「都会にくらべたら、田舎はなんでも遅れとるけんな」
「武雄と一緒に遊ばねば、勉強ができんなるこたあねえよ」新吾が皮肉を言うと、
「今度、昭にゴム管の撃ち方を教えちゃろうかの」武雄はわざとらしくそんなことを言った。
 それから話は昭の父親の留学のことに移っていった。イギリスに留学していたとき、昭の父はエランを使って発電された電気というものをはじめて見たらしい。工場を案内されたあと、食堂で夕御飯をご馳走になった。案内してくれた所長みたいな人が、昭の父親たちの前でこう言った。いまこの食堂に点っている電灯は、みんな隣の工場で発電された電気によるものです。
「そのときの感動は忘れられないって」
「それでエランの研究をはじめたんか」新吾が一人で納得するように頷いた。
「電灯の光には、どこも変わったところはなかったそうだ。でもその電灯は、水も石炭も石油も使わずに発電されたものだった。なんでもない明かりが、日本の国の未来を照らしているように見えたと、父さんは言っていた。エランというのは躍動という意味なんだって。未来の日本を躍動させる。そのための研究をしているんだ」
 昭の話しぶりからは、彼が父親を尊敬していることがよく伝わってきた。翻って自分はどうだろう、と健太郎は考えた。嫌っているわけではない。いい父親だとは思うが、「尊敬」という言葉には結びつかない。
「これから工業がどんどん発達して、みんなの暮らしが豊かになっていけば、すぐに電気は足りなくなる」昭は父親の話を受け売りするようにつづけた。「いくらダムを造っても間に合わない。火力発電に必要な石炭はやがて掘り尽くされてしまう。つぎは石油だし、外国ではもうそうなりつつある。ところが石油は、この国にはほとんどないんだ」
「ないのけ」新吾が言った。
「どこか外国から買ってこなくちゃならない。そのためにはお金がいる。外貨っていう外国のお金がね。そんなことをやっていては、日本という国はいつまでも豊かになることができない。だからどうしても、エランを使って電気をつくる必要があるんだ」
「なるほどの」新吾は再び頷いた。
「そればかりじゃない。資源がないから戦争が起こるというのが、父さんの考えだ」昭は熱の入った口調でつづけた。「たとえば日本のように石油のない国では、たくさんある国から奪ってしまえと考える人が出てくる。この前の戦争は、そうやって起こったんだ。石油や石炭が欲しくて、隣の満州や中国を侵略してしまった。日本を二度と戦争をしない国にするためには、食料もエネルギーも、なんでも自前で調達することが大切だ。狭い国土を有効に利用して、国民が自前で豊かになっていける国をつくらなければいけない。日本には新しい立派な憲法がある。あとは自前で国を富ますことを考えれば、この国は豊かになり、国民は幸せになっていくことができるはずなんだ」
「たいしたもんだの、昭は」新吾が感心したように言った。
「学校の先生みたいじゃ」と武雄が言った。
「みんな父さんが言っていることだよ」昭はちょっと照れくさそうに頭を掻いた。
「それでもたいしたもんよ」新吾がつづけた。「使う言葉からして、わしらとは違う」
「都会の言葉と田舎の言葉が違うのは当たり前だが」武雄が水を差すように言うと、
「誰でも都会の言葉を使やあ、昭のように話せるわけではなかろう」新吾は意外に真っ当な理屈を返した。
「とにかくエランが見つかってよかった」昭が大人びた口ぶりで言った。「おかげでみんなとも友だちになれたわけだし」
 三人は押し切られるようにして頷いたが、その一方で、健太郎は父親たちと山参りに行ったときに目にした光景を思い浮かべて、ちょっと複雑な気持ちになった。無残に削られた山の姿を見たとき、なぜかいかがわしい思いがした。山で行われていることがいかがわしいのか、それを受け入れている自分たちがいかがわしいのかわからない。ただ「いかがわしい」という感覚の余韻は、いまも彼のなかに残っていた。
 夕暮れが近づき、昭の家を辞してそれぞれの家に帰る道すがら、
「昭はええのお、いつも美味いもんが喰えて」武雄が羨ましげに言った。どうやらフレンチ・トーストのことが頭を離れないらしい。「あんな美味いもん喰うたら、学校の給食など不味うて喰えんが」
「昭の母ちゃんに作り方を習うとけばよかったの」と新吾が言った。
「ああ、そうやった」武雄は一生の不覚といった口ぶりで、「よう思いつかんかった」と天を仰いだ。
「またいつか呼んでくれるが」健太郎は宥めた。「昭もそう言いよった」
「フレンチ・トーストを喰わしてくれるかの」武雄は無邪気に言った。
「日曜の昼に行きゃあな」
「それよりか武雄よ、猟師になったらますますフレンチ・トーストは喰えんぞ」新吾がからかうように言葉を挟んだ。「喰えるものといやあ、自分で捕った魚か獣か、せいぜい山に生えとる草くらいやろ」
「米は持っていく」武雄は現実的に答えた。
「どっちにしてもフレンチ・トーストは喰えんの」新吾が言うと、
「そんときゃあ、昭の家に遊びに行く」武雄は涼しい顔で返した。
「だが内藤は、いつまでもこの村にはおらんやろ」健太郎が現実的なほうへ話を戻した。「とうちゃんの研究がうまいこといったら、また引っ越すんやないかの」
 そう言ってから、彼は自分が内心でそのことを望んでいるような気がした。なぜだろう? 昭は悪いやつではない。ただ、どことなく苦手だった。昭も、あの家も。そんなことを思っている自分が、健太郎は疚しく感じられた。三人はしばらく黙って歩いた。
「外国へ行くかもしれんの」やがて武雄がぽつりと呟いた。
(イラスト RIN)