なお、この星の上に(15)


 緑が深くなっている。早春を賑わわせた野草、フキやゼンマイ、ツクシ、ワラビなどの季節は終わり、草花は夏へ向かう準備をはじめている。小さな花の蜜を求めて、蝶たちが飛び交っている。そろそろ冬眠から目覚めたクサガメやヒキガエルが出てくるころだ。雑木林のなかから鳥たちの囀りが聞こえてくる。ウグイスの他にもたくさんの種類がいるらしい。
 中学校の遠足は、生徒数が少ないために全学年が一緒に出かける。特別に変わったところへ行くわけではない。いくらか遠方の山や川へ足を伸ばし、景色のいいところで弁当を食べるだけの面白みのないものだった。出発前に校庭で何点かの注意事項が伝達された。とくにマムシに注意すること、と教頭が言ったときには、生徒のあいだにざわめきが起こった。この時期、マムシは木の洞などに潜んでいることがある。小学校の遠足では、不注意に手を入れた児童が噛まれるという事故が起こっているらしい。
「木の洞に手を入れるなぞ、肝試しで賞品をやると言われても嫌じゃわ」そう言って、武雄は酢でも飲んだような顔をした。
「小学生は何をするやらわからんな」近くを歩いている新吾が大人びた口ぶりで言った。
「足元に隠れておったやつに飛びかかられたらどうにもならん」心配性の田部豊が言葉を返した。
「歩く順番を決めておくか」武雄が言った。「わしが先頭で、豊が二番目」
「なしてわしが二番目か」
「先頭を歩いとるもんがマムシを驚かしたら、マムシは二番目を歩いとるもんに噛みつく」
「噛みつかれるのはわしじゃねえか」豊が悲壮な顔で言った。
「できるだけ草の生えとらんとこを行こう」新吾が現実的な提案をした。
「マムシに噛まれるような遠足は、最初からやめればええのにな」豊が不服そうな口調でもっともなことを言った。
 目的地は高原平という古戦場だった。このあたりでは昔から、領地をめぐって何度となく戦が繰り広げられてきたという。近くには古い首塚や地蔵があり、いまは枯れ沢になっているものの大刀洗川という地名も残る。最後の大規模な合戦は、いまから四百年ほど前、江戸幕府が開かれる少し前に起こった。領主が亡くなった機に乗じて、近隣の武将たちが兵を集めて城を攻めた。迎え撃つほうも援軍を求めて備えた。夜明け前にはじまった戦は午後までつづき、双方で千名近い戦死者を出したという。
 弁当の時間になった。男は男、女は女で固まって食べるのが、小学校のころからのしきたりだった。いつもの四人が自然に集まった。
「うちの学校もヘンだの」田部豊が箸を遣いながら釈然としない顔で言った。
「何がヘンなんか」新吾がにぎりをほおばりながらたずね返した。
「わざわざ遠足でマムシが出るようなとこへ来てみりゃ、そこは古い合戦の跡だという」
「他にええ場所がないんじゃろ」と新吾は言った。
「こういうところでは、昔からたくさんの人間が死んどる」豊はどこか分別臭い口調で、誰かから聞き知ったらしい話をはじめた。「非業の死というやつよ。死にとうない者や死にきれん者、絶対に死なんと思いながら死んでしもうた者、本当は死んでおるけれど死んだと思うておらん者、そういう者らの魂がここに集まっとるんだわ。死んだ人間の力が集まると、生きとる人間に悪さをするようになるそうじゃ」
 豊の話を聞いた三人はいくらか神妙な顔になった。
「飯が不味うなるような話だの」武雄が雑ぜ返すように言った。
 しばらく話題が途切れたのは、それぞれに死んだ人間のことを考えていたせいかもしれない。高原平の古戦場に残る首塚の話は、健太郎も幼いころから何度か聞かされてきた。合戦で討ち取った首は検分して、名のある武将の首は敵の城へ送り返して墓所に葬らせた。その他の首が、ここに葬られて供養されたと伝えられている。
「多賀清美は内藤に気があるじゃねえかの」辛気臭い空気を打ち破るように、新吾が唐突に全然関係のないことを言った。
 他の三人は夢から覚めた顔で新吾のほうを見た。
「クラスのおなごはみな内藤に気があるが」武雄がつまらなそうに返した。
「証拠があるんけ」豊が詰問の口調で言うと、
「清美は内藤に、勉強のことやらよう訊いとる」新吾は軽くいなすように答えた。
「そりゃあ、内藤は都会から来て、勉強のことはよう知っとるからじゃろう」豊は自分を納得させるように言った。
「まあ、武雄に聞いてもしょうがねえこたあ確かだの」新吾は逸らした。
「二学期から、級長は内藤かもしれんの」武雄が興味なさそうに言葉を挟んだ。
「そしたら健太郎は失脚だが」と新吾が言った。
「なんじゃ、そのシッキャクいうのは」武雄がたずねた。
「やめさせられることだわ」
「ふん」
「うちの担任がそんな話をしよった」新吾は説明した。「どこか外国の話らしい。政治のこたあ、ようわからん」
「わしはべつに失脚してもええで」健太郎はいくらか不服そうに言った。
「清美は副級長のまんまやろうな」新吾は話を進めた。
「女のなかでは清美がいちばん頭ええけん」武雄が同意するように言った。
「そしたら内藤と清美はますます仲がようなるの」
「将来は夫婦になるかもしれん」
「やめんか、そんな話は」豊かが苛立たしげに遮った。
「なにを怒っとる」新吾が面白そうに言った。「ひょっとして豊は、清美に気があるんじぇねえのけ」
「馬鹿なこと言うなら、わしは怒るぞ」
「もう怒っとるが」と武雄が冷静に言った。
 健太郎たちの中学校がある町の外れに小さな研究施設が作られていた。山奥で採掘されたエラン鉱は、この施設に運ばれ、実用化に向けた研究開発の工程に入る。職員十人ほどの小さな研究組織の所長が、内藤昭の父親だった。
 研究施設の建設が発表されたときには、町のなかに「歓迎エラン研究所」という横断幕が幾つも垂れ下がった。半年ほど前に行われた研究所の開設を祝う式典では、東京からやって来た大臣が、「国民生活の安定を図るには、エランの力による方法しかないのであります。あのエランの偉大なる力を利用してこそ、はじめて産業の革命ができ、農業の革命もでき、さらに技術の革命ができると、私どもは信じております」と演説して、住人たちの拍手喝采を浴びた、という新聞記事を健太郎も見たおぼえがある。つづいて挨拶に立った町長は、「エランを利用すれば、一毛作が二毛作に、二毛作が三毛作にできるのです」と説いたらしい。その記事にかんして父親は、「さすがに、そんなことはあるまい」と呆れたように言い捨てた。
 東京から転校してきた内藤昭は、同級生たちにとっては軽い反感を交えながらも気になる存在だった。クラスでも群を抜いて勉強ができ、とくに英語の力は教師たちも舌を巻くほどだった。性格も悪くなかった。都会から来たことを鼻にかけるところもなく、田舎での暮らしに溶け込もうとしている。最初は反感をもっていた級友たちも、しだいに好意を抱くようになっている。昭のほうでも、折々にリーダー的な存在感を発揮するようになっていた。豊には気の毒だが、清美が昭に心を惹かれるのも無理はない、と健太郎は思った。誰が見ても、彼女にふさわしいのは昭のほうだろう。
 やがて弁当を食べ終えると、話は釣りのことに移っていった。昔から村の人たちは様々な方法で魚を獲ってきた。ミミズや川虫を使っての餌釣り。毛鉤などの疑似餌を使っての釣り。もちろん源さんのように、素手で魚を捕る手掴み漁も行われてきた。山の子どもたちは川で泳ぐうちに、自然と素手で魚を捕えることをおぼえていく。さすがに大人たちのように、イワナやヤマメのような魚は難しいが、淵の岩下に潜んでいるコイぐらいなら比較的簡単に捕まえることができた。手掴みで捕った魚は傷んでいないので、川原に池を作って生かしておくこともできた。
 手掴み漁にかんしては、娯楽という面が大きかったのかもしれない。効率よく魚を捕ろうと思えば、毒漁に勝る方法はないだろう。戦後の食糧難の時代には、青酸化合物などの毒物を川に投げ込んで大量に魚を捕ることも行われていたらしい。しかしさすがに危険だし、また使用する薬物が簡単に手に入らなくなったことなどもあって、最近ではほとんど行われていない。
 それに似たことは、健太郎も小学生のころに一度やったことがある。山椒やクルミの根、ヨモギの葉などをすり潰して川に流す、やはり一種の毒漁だった。魚が痺れて動きが鈍くなったところを網や手掴みで捕る。漁を指揮したのは年長の中学生だった。実際にやってみると、小さな魚が数匹、よろよろと水面に浮かび上がってきたくらいで、伝え聞いていたほどには毒の効果はなかった。鬱憤を晴らすかのように、誰かが川岸から淵のなかへ大きな石を投じた。他の者たちもそれに倣った。みんなで面白がって石を投じつづけるうちに、その衝撃と振動でショック状態に陥ったのか、かなり大きなものまで含めて、何匹もの魚たちが白い腹を見せて浮いてきた。思いがけない釣果に、小さな子どもたちは歓声を上げたものだった。
 健太郎がとくに好んでいるのは、ミミズを使ったイワナ釣りだった。仕掛けは道糸とハリスのあいだに板鉛を巻きつけて錘にしただけの簡単なものだ。ミミズは堆肥置き場に湧いているものを掘り出して使う。毛鉤のほうが手は汚れないし、餌を付ける面倒もいらないが、喰いがいいのは、やはり生餌を使った釣りである。魚を警戒させないように、下流から上流へ遡りながら釣るのがコツだった。
「今年はいつものように魚が釣れんいう話だの」新吾が気がかりな様子で言った。
「なせかの」健太郎は首をかしげた。「春先に雨がつづいたけん、水の量は多いはずじゃが」
「父ちゃんが言うには、よそ者が川を荒らしとるらしい」
「飯場の連中か」健太郎が言うと、
「たぶんそうじゃろ」新吾は難しい顔で頷いた。
「魚止めの呪文がかかっとるんじゃねえかの」と武雄が言った。
「呪文を使える人間は、もうおらんいう話だが」新吾が言葉を返した。
「吉右衛門爺さんがおる」武雄はきっぱりと答えた。
「なんのためにそんなことをするんかの」健太郎がたずねるともなく言葉を重ねると、
「よそ者が川を荒さんようにするためよ」武雄はわかりきったことのように言った。「魚が釣れんければ、あの人たちも諦めて川から出ていくが」
 たしかに吉右衛門爺さんなら、廃れたと言われている魚止めの呪文が使えるのかもしれない、と健太郎も思った。問題は、爺さんが実在しているかどうかだった。吉右衛門爺さんのことが話題になるたびに、話はうやむやのまま振り出しに戻ってしまう。時間を超越して生きているらしい、素性のわからない老人。この山のどこかにいるのだろうか。それとも霧のようにつかみどころのない伝説の存在なのだろうか。いつか真偽を確かめる必要があるだろう、と健太郎は思った。
(イラスト RIN)