なお、この星の上に(13)

 山頂の神社の近くに健太郎がはじめて目にする権現滝がある。切り立った褐色の岩壁を、水は垂直に勢いよく落ちている。水しぶきのかかるところに深緑色の苔が生えていた。春先に雨がつづいたせいか、かなりの水量があるようだった。高さ数十メートルの断崖を落下する滝も、やはり御神体とされていた。農耕のための水をもたらす水源であることから、古い時代より村の人々の信仰を集めたものと思われる。
 かつて行われていた雨乞いは、この滝を中心として執り行われたという。祖父が子どものころには、村の若者が命懸けで滝の上に登り、滝壺に大きな石を投げ入れるといった、荒っぽい雨乞いも行われていたらしい。滝壺には雨を降らす龍が棲んでいる。石を投げ入れるのは、龍を怒らせるためだった。怒った龍は雨を降らせると言われている。しかし滝を登る途中でしばしば事故が起こり、そのために命を落とす者も出たりして、しだいに古来のやり方は廃れていったという。とはいえ雨乞いそのものがただちに途絶えたわけではない。少なくとも健太郎の父が若かったころまでは、いくらか簡略化された様式で行われていた。困難な業であることに変わりはなかった。というのも男たちは日暮れまでに、滝の水を一滴もこぼさずに村へ持ち帰らなければならなかったからだ。途中でこぼすと効験がなくなると言われていた。一升瓶などに詰めて持ち帰るとしても、これまでたどってきた険しい道のりを思うと、健太郎にはそれがいかに大変だったかが実感される。
 滝の裏側の断崖に、「鬼の穴」と呼ばれる洞窟がある。昔は行者が棲みついて修行を行っていたとも言われる。山参りの男たちは、ここで禊を済ませてから神社へ参ることになっていた。その習わしに従って、男たちは着ていたものを脱ぎ、褌一つになって滝に入っていった。健太郎も促されて着物を脱いだ。滝の水は身を切るほど冷たかった。骨まで凍ってしまいそうだ。この冷たさが、心身の穢を清めてくれるのだろうか。男たちは口々に聞いたことのない呪文のようなものを唱えている。源さんだけが「南無阿弥陀仏」だった。
 ここには自分が知らない世界がある、と健太郎は思った。山参りのなかで見聞きすることの多くが目新しく、どこか怪しい魅力を湛えている。日ごろ慣れ親しんでいる世界の奥に、もう一つ別の世界があり、そこへは神や信仰を足がかりにしなければ赴くことができないらしい。子どものあいだは、学校などで習う表向きの世界がすべてだ。大人になることは、さらに奥にある世界の存在を知ることなのだろう。自分はいま、子どもから大人への境界を越えようとしている。そのことを、身を切るような水の冷たさとともに健太郎は感じた。
 同時に、一つの疑問にもとらわれた。村の人たちは、エランによる発電という最新の科学技術を受け入れてようとしている。供給される電力によって、暮らしが豊かになることを期待している。その同じ者たちが、山参りのような昔からのしきたりを絶やさずに守りつづけている。奇妙なことではないだろうか? そう感じるのは自分だけだろうか。少なくとも父親をはじめ大人たちは、奇妙とも不合理とも思っていないらしい。そんな大人たちに、健太郎は軽い不信感をおぼえるようだった。
 権現滝で村の各家に配るための水を汲むと、男たちは着物を身につけ、一路山頂の神社へと向かう。滝から山頂までは三十分足らずだった。社は山の神の祠をひとまわり大きくした程度で、台風でも来れば吹き飛ばされてしまいそうに見えた。社のまわりには、小さな鳥居によって結界が張られ、さらに正面を二体の狛犬が守っている。社殿の垂木には龍の絵柄の彫刻がほどこしてある。
 いよいよ山参りの仕上げだった。まず社のまわりをきれいに履き清めることから、男たちの作業ははじまった。掃除が終わると重箱に詰めて持参した赤飯を盛り付け、さらに山の神と同じようにオコゼの干物とお神酒、塩などを供える。それから健太郎の父が祝詞を上げはじめた。この一ヵ月ほどのあいだ毎日朝と夕の二回、ほとんど耳にタコができるほど聞かされつづけてきたものだ。いつもよりはゆっくりと上げているみたいだった。長い祝詞が終わると、一同は拝殿に向かって丁寧に掌を合わせた。
 一通りの神事が終わると昼飯になった。それぞれの弁当箱には白い飯が固く詰められている。滝から汲んできた水に味噌を溶き、これもまた近くから採ってきた山菜をちぎって入れ、焚き火で焼いた石を放り込めば、その場で熱い味噌汁が出来上がる。男たちは黙々と冷えた飯を掻き込んでいる。健太郎も彼らに倣って飯を掻き込んだ。飯を喰い終わると、男たちは神様に供えるために持ってきた酒の残りを飲みはじめた。帰りのこともあるので大した量ではない。酒は山を下りてから、村の集会場でもたれる直会の席で存分に飲むことになるだろう。この直会は、山へ登れなくなった年寄りや、山に入ることを禁じられている女たちのためのものでもあった。こうして数人の男たちが山頂で執り行った神事は、村全体で共有されるものになる。
 最後に「ウォー」という異様な鬨の声を上げると、男たちは足早に山を下りはじめた。権現滝で汲んだ水を携えているものの、下りはよほど早かった。小一時間もすると谷が狭まり、山々が重なり合うあたりに村が見えてきた。それは懐かしくもあり、また物悲しくもある情景だった。夕暮れが近いせいか、侘しさが余計に胸に迫ってくる。自分たちの先祖は、どうしてこんな山奥に村をつくったのだろう。行き道と同じことを、帰り道でも再び健太郎は思った。頭で考えてわかることではないのかもしれない。人間は奇妙な生き物だ。辺鄙な山奥で暮らすことといい、山参りのしきたりといい、理屈に合わないことが多い。しかし学校で習うことの多くは、理屈の通ることだ。すると上の学校へ進むことは、祖父や父たちが守ってきたものから離れていくことでもあるだろう。親たちはなぜ進学を勧めるのだろう。これもまた理屈に合わないことに一つだった。
 山の夕暮れは早い。山の神の祠が近づくころには、すでに夕日が沈みはじめていた。オレンジ色の丸い太陽は、山の端に近づくにつれて霧か靄に覆われていった。その光を背にして、一羽の鳥が旋回していた。大きさからするとワシのようだった。あいつは何を考えているのだろう、と健太郎は思った。この世界をどんなふうに感じているのだろう。何を欲望し、その欲望を満たすための、どんな知恵をもっているのだろう。あるいはそんな面倒なものがなくても、空と一体であることで十分なのだろうか。太陽は赤みを増し、柔らかな光のなかを、ワシはいつまでも旋回しつづけるようだった。
イラスト RIN