なお、この星の上に(12)

12
 長い時間、男たちは難しい顔をして黙り込んでいた。家のなかはひっそりと静まり返っている。庭の動物たちまで息を潜めているみたいだった。卓を囲んでいるのは、仁多さん、岩男さん、源さん、健太郎の父という山参りのメンバーである。健太郎も父の横に坐っている。大人たちの談義にあって気後れを感じないのは、やはり一緒に山に登ったせいかもしれない。それぞれの前に揃いの湯呑が置かれていた。ときどき母親が湯呑の茶を差し替えに部屋に入ってきた。
「何年ぶりになるかの」口を開いたのは岩男さんだった。
「戦争が終わってからは、はじめてやないかの」仁多さんがおぼつかなげにつないだ。
「わしらが結婚したころに一度出たことがある」健太郎の父が言った。「それ以来やないかの」
「するとかれこれ十五年になるか」
「こんなご時世に雨乞いを出すなど、町の連中が聞いたら嗤うやろうな」岩男さんが憂鬱そうな顔で言った。
「なんぼ嗤われても、雨には降ってもらわねば」仁多さんが控えめに返した。「こう日照りがつづいては、作物がみんないけんなってしまう」
 男たちは再び押し黙った。岩男さんが町の人々を嫌うのには理由があった。彼のところは代々が農家で、祖父も父も隣町に下肥を汲みに行っていた。汲ませてもらう家には、大根やネギなどの野菜を置いてくる。肥樽の載せたリヤカーを牛に牽かせて、父親が朝早く家を出る姿を岩男さんはおぼえているという。週に何度も出かけていた。町の中学に通うようになってから、肥引きの子ということでからかわれたことがあったらしい。そんな体験から、いまでも岩男さんは町の人たちを快く思っていない。父親たちの世代までは、村に暮らす人たちの多くが似たような体験をもっていた。
 静まり返った部屋のなか、源さんが大きな屁をした。
「こら」岩男さんが顔の前を手で払いながら、「外でせんか」と言った。
「そんなことしよったら、屁が引っ込んでしまうが」源さんは空とぼけたように言った。
「そんならする前に、するぞと言え」
 おかげで場の雰囲気が少し和んだ。
「とにかく若い衆を集めて、お水をいただいてくる者を決めねばならんな」と仁多さんが言った。
「雨乞い場の作り方やら、もう誰も知らんのやないかの」岩男さんが心もとなげにつなぐと、
「そう言えば、わしも子どものころに見たきりだわ」仁多さんが引き取った。「川原に竹を立てて、しめ縄を張りよったのはおぼえとるが」
「うちのおやじさんに聞いてみよう」健太郎の父が言った。「お水をいただいてきた若い衆らにも、雨乞いのやり方を伝授せねばならん」
「わしは知っとるで」源さんが得意げに言葉を挟んだ。「褌一張で川に入って六根清浄を唱えながら水を掛け合うのよ」
「もっと細かなきまりもあるでな」と父が言った。
 こうした寄り合いに源さんが加えられるのはなぜだろう、と健太郎は不思議に思うことがある。何か建設的な意見を述べるわけではない。議論を先に進める上では、ほとんど役に立たないと言っていい。しかし大人たちが源さんを寄り合いの席から外すことはなかった。役に立たないことは承知で仲間に加えられている。からかったり悪意のない冗談を言ったりしながらも、みんな彼が同席することを望んでいるように見える。その源さんがさりげない口調で、
「雨乞いを出しても、わしは雨が降らん思うな」と言った。
「おい、めったなことを言うもんやない」岩男さんが真顔で咎めた。「山の神さんが聞いとったら気を悪うされるが」
「源さんよ、雨乞いを出すことがきまった以上は、縁起の悪いことを言うてもろうては困るぞ」仁多さんが穏やかに釘を刺した。
「わしはなんも言わんよ」源さんは澄まして答えた。
 近いうちに雨乞いを出すことで、大人たちの話はまとまりつつあった。できるだけ早いほうがいい。一日も早く雨に降ってもらわなければならない。雨乞いの儀式を復活させるのは悪いことではない。町の者たちが言うことは気にかけずにおこう。村には村の事情がある。いまは時代錯誤と見られても、後々振り返れば、あのとき雨乞いを出して良かったということになるだろう。少なくとも、村の人々の気持ちを結束させる契機にはなるはずだ。そんなことを男たちは言い合った。
 雨乞いに出るのは二十歳そこそこの若者だった。自分たちもいずれ雨乞いのためにお山へ登るかもしれない、と健太郎は思った。いつもの四人が頭に浮かんだ。権現滝で汲んだ水を一滴もこぼさず、夕暮れまでに村へ持ち帰る。今回、雨乞いに出る若い衆は、古来のしきたりに則って滝の上から石を投げ入れるのだろうか。滝壺に棲んでいる龍を怒らせて雨を降らせるなどという言い伝えを、健太郎は信じる気になれない。そんなことに思いをめぐらせていると、この場に自分のいることがちぐはぐにも感じられた。

 大人たちが帰ってしまうと、居間には健太郎と父の二人になった。自室に引っ込むタイミングを逸したこともある。加えて健太郎には、父が自分と話をしたがっている気がした。その父はとくに何を話題にするわけでもなく、ただ学校のことなどをとりとめもなくたずねている。話が途切れると温くなった茶を口に運び、部屋の柱時計に目をやった。
「勉強はええのか」いまさらながら気遣った。
「今日はもうええ」健太郎は答えた。
 父は将来のことをたずねた。当面の進路については話してあるし、父もそれは承知のはずだった。
「内藤さんとこの息子さんは、同じクラスやったな」しばらくして何気ない口調で言った。
 昭のことだ。
「話はするんか」
「ときどきする」
「どんなことを話すんか」
「教科のこととか。勉強ができるけんね、内藤は」
「健太郎よりもできるか」
「科目による。数学はわしのほうができるが、英語はかなわん」
 健太郎は自分たちが、本来話すべきことのまわりをぐるぐるまわっている気がした。
「一緒に遊んだりはせんのか」
「せん」
 しだいに不機嫌な気分になってきた。このごろは親に勉強や成績のことを話題にされると鬱陶しい気がする。適当なところで切り上げて、さっさと部屋へ引っ込んでしまおうかと思った。すると父は唐突に、
「天狗の木を伐る話を知っとるか」と行き先の見えない話を持ち出してきた。
「知らん」ぶっきらぼうに答えた。
「そうか」と言って、それきりになりそうだった。
 健太郎のほうも、どうしても聞きたいわけではない。
「どんな話ね」
 気持ちとは裏腹な言葉が口をついて出た。
「だいぶん昔の話やが」そう前置きして、父は話しはじめた。
 明治の末か大正はじめのころ、山に道を通すために一本の木を伐ることになった。樹齢何百年にもなる大きな楠で、その形状から「天狗の腰掛け」と呼ばれていた。いかにも天狗さまが腰掛けるのに具合のいい枝ぶりに見えたのだろう。そういう木が昔はたくさんあった。伐ると悪いことが起こるとか、祟りがあるとか言い伝えられていた。もっとも実際に伐った者はいないから、本当のところはわからない。少なくとも村の者は誰も伐ろうとはしなかった。
「やっぱり気持ちのええもんやないけんね、そういう由緒ある木を伐るのは」父は顔を上げ、「健太郎は木を伐ったことはあるか」とたずねた。
「こまい木はある」
「どうやって伐った」
「普通に鋸で」
「小さなものならそれでもええかもしれんが、大きな木を伐るときには、どっちに倒すかを決めてから斧を入れねばならん」
 今夜は父にしては珍しく口数が多く、木を伐る話を訥々とつづけた。「受け口」というらしい。これをしっかり開けていないと、木は思うほうへ倒れてくれない。そのあとで反対側から鋸で挽いていく。「追い口」を入れるいう。このとき何かおかしなことが起こる。斧を入れると斧が抜けなくなったり、追い口を挽いているときに鋸が折れたり。ただ事ではないと思い、村に帰ってから年寄りなどにたずねてみると、伐ろうとしていたのが謂れのある木であったとわかる。逆に奇妙なことがあると、あれは山の神さまや物の怪が取り憑いた霊木いうことになり、誰もその木を伐ろうとはしなくなる。こうして謂れのある木が増えていくことになる。
 そのうち山の木は一本も伐れなくなるのではないか、と健太郎は皮肉の一つも言ってみたくなるが、口には出さなかった。
「どんな木を伐るのも、あんまり気持ちのええものやない」父は自分の胸の内を覗き込むようにして言った。「植林した木はそれほどでもないが、何百年も経った古い木を伐るときは、やっぱり妙な気がするものでな。まして天狗の腰掛けと言い伝えられてきたような木を、誰も伐ろうとせんのはもっともなことやろう。だが道は通さねばならん。そこで村の人らは相談して、町から人夫を集めることにした。ちょっと狡い手を使ったわけやね」
 父は示し合わせるように、ちらりと息子のほうを見た。健太郎は応えなかった。
「あんまり気にし過ぎるのは、どうかとも思うがの」自然な流れで話に戻った。「この木もあの木も伐っちゃならんでは、山の仕事は成り立たん。しかし天狗の腰掛けみたいに特別な名前がついた木には、やっぱり何か意味があったのかもしれん。そういうことは長年、山に入って仕事をしてきた者にしかわからん。教えてわかるようなものでもないのやろう。頭でわかったつもりでも、本当のところはわからん。なせその木が天狗の腰掛けと呼ばれておるのか、木に名前をつけることの重さみたいなものはわからんやろう」
 父は言葉をおいて、自分の言ったことがうまく伝わっているかどうか確かめるように息子を見た。それから変わらぬ口調でつづけた。
「昔から言い伝えられてきたことの意味は、わしらでもだいぶんわからんようになっとる。いろんな木に名前がついとるのは、昔の人らが一本一本の木を人みたいに、それぞれ違うものとして見とったからやろう。そういう違いは、わしらにはもうわからんようになっとる。まして山を掘り返しとる人らにはわかるはずもない。木は木で、どれも一緒にしか見えん。それで無闇に木を伐ることができるのかもしれん。山も木も、カネを産む道具ぐらいに思うとる人が増えよる。カネが厄介なのはそういうところやな。あの木は五千円、この木は一万円では、天狗の腰掛けのことなど、わからんようになってしまう。万事がわかりやすうなる反面で、大事なことはわからんようになる。カネのことなら誰にでもわかる。十円は十円、百円は百円とはっきりしとる。それで何が買えるかは、小学生でもわかる理屈でな。世の中がカネの話ばかりになるのは、あんまりええことやないかもしれん。一事が万事、大人でも子どもでもわかるようになると、経験を積むとか歳をとるとかいうことが、なんやら味気ない、面白みのないものになる気がする」
 しばらく考えてから言った。
「しかし世の中は、そっちのほうへ進んでいくやろう。科学や産業が進歩すれば、人は山や土地にひっついとらんでも生きていかれるようになる。家族や親戚や村を離れて生きていかれるようになる。綾子も言いよったように、機械が入れば一人で田植えでも稲刈りでもできる。自分の考えで、自由に農業ができる。それはええことでもあるが、反面、みんなが別々に生きるようになることでもある。村で農業をしよる者らも、だんだんそうなっていくやろう。まして町に出て働くとなると、もっと人と人は別々になる。自分は自分、他人は他人でバラバラになる。そうなったときに何を頼りにするかといえば、やっぱりカネということになる。これから世の中は、ますますカネの話になっていくのやないかな」
 この人の話はまわりくどい、と健太郎は思った。思慮深さは相手を退屈させる。しかもその退屈さが、人を緊張させる類のものであるのは困ったものだった。
「町で暮らそう思うたことはないのか」率直にたずねてみる。
「なせか」父は意外な顔もせずに言った。
「不便なことが多いやろ」
「そんなに不便かの」
 そう言われると返答に困る。
「町のほうが面白そうじゃ」苦し紛れに答えた。
「そう思うか」
「わからん」
 ここで暮らすのが嫌だというわけではない。不都合なところもあるが、いいところももある。都会でも同じだろう。それでも健太郎は、この村の暮らしを否定してみたかった。その気持ちは遥か遠くで、父の生き方を否定したい思いにつながっているのかもしれなかった。
「ここには自分の家がある」父はむしろ寂しそうな声で言った。「家族や友だちもおるし、だいいち農業をする土地がある。村を出たいとは思わんかった。町のほうが面白いとも、あんまり思わんかったみたいやね」最後は他人事みたいな口ぶりになっていた。
「都会に行って、いろんなものを見たいと思わんかったんか」
「兵隊のときに、ちょっとだけ都会におったことがある」父は淡々と言葉を繰り出した。「ほとんど兵舎のなかばかりやったがね。それでも都会のことは少々知っとる。外国にも行ったしな」
「中国やろう」
「そのころは満州いいよった。いまのソ連に近いところじゃ」
「あんまり外国いう気がせんな」
「そうかもしれん」父は素直に受けた。「アメリカやイギリスにくらべればな」
 健太郎の頭のなかには昭の父親のことがあった。ほとんど無意識に、自分の父とくらべていたのかもしれない。そのことを見透かされたような居心地の悪さを感じた。
「死んだ人も見たか」
 あえて乱暴な言い方をした。
「戦争やけんね」表情を変えずに父は答えた。「死んだ人はたくさん見た」
 新吾の次兄の話を思い出した。空襲直後の空気にまだ恐怖が残っている。ものすごい恐怖が渦巻いたあとの余塵のようなものが残っている。多くの人々の叫び、悲鳴、喚き声……そういうものが漂っている。空気のなかに充満している。その空気を、父もまた吸ったのだろうか。
「死んだ馬を見たことがある」しばらくして父は言った。
「軍馬か」健太郎は当てずっぽうに言葉を返した。
「あれは不思議な光景やった」父は肯定も否定もせずにつづけた。「冬には気温がマイナス何十度にもなるような寒いところでな。水道も川も凍りついてしまう。川を渡ろうとした馬が氷に閉じ込められたのやろう、頭だけが上に突き出ておった。明るい月が出とってね、その光が死んだ馬を照らしとる。それはもう見とれてしまうほどきれいやった。兵隊で戦争に来とるいうことも忘れて、長いあいだ氷の閉じ込められて死んだ馬を見とった。夢なのか現実なのか、自分が生きとるのか死んどるのかさえわからんような気分やった。いまでもときどき、あれが現実やったのかどうかわからんなる。戦争では、そんなことがたくさんあった」
 その「たくさん」の中身を、父は話す気がないらしかった。しばらく待ってみたけれど、何も起こらなかった。
「そろそろ寝るか」と言って、湯呑を片付けはじめた。
 結局、この人は何を話したかったのだろう、と健太郎は立ち上がりながら思った。(イラスト RIN)