なお、この星の上に(8)

 夕方の搾乳を終えて家に入ろうとすると、庭の井戸に祖母が蝋燭と水を供えていた。健太郎が牛の乳搾りを日課にしているのと同様に、彼女は毎夕、井戸に供え物をして手を合わすことを欠かすことがない。井戸には水の神さまが棲んでおられる、というのが祖母の口癖だった。だから井戸の水をいただくときには、「お水をいただかせてください」と口にし、汲んだあとは「ありごとうございました」とお礼を言う。そうすれば水が涸れることはないという。
「乳搾りは終わったのけ」健太郎に気づいた祖母がたずねた。
「終わった」
「ご苦労やったの。ご飯食べよ」
「その前に、風呂に火をつけてくる」
「ああ、そうか」
 井戸は広い表の庭のほぼ中央にあり、隣は祖父が鯉を飼っている池だった。秋祭りのときなど、祖父は自ら料理した鯉を客にふるまうのを楽しみにしていた。池の近くには、ドラム缶を使った高架の貯水タンクがある。タンクに水を汲み上げるのも健太郎の仕事だった。手こぎ式のポンプに全体重をかけて、一気に水を汲み上げる。この水はパイプを伝って母屋に配給される。水圧が弱まると出が悪くなるので、タンクはいつも満たしておかなければならない。
 水道が来ていない健太郎たちの村では、ほとんどの家がこうした自家水道を備えていた。雑用水は家の横を流れる小川から引いていたが、風呂で使うぶんは祖父が工夫して、雨樋の水を集めて浴槽に注ぐようにしている。せっかく降った雨を、ただ地中に戻すのはもったいない、というわけだった。余った水は桶に集めておいて畑に撒く。顔を洗う洗面器の水も、残ったものは草花にかけてやる。この老人は、とにかく無駄にすることが嫌いな性分で、利用できるものはなんでも利用したいと考えていた。人に頭を下げて生きるような生き方はつまらない、というのが口癖だった。そのためには自給自足がいちばんだ。頭を使って、自分の暮しは自分の力で立ち行かせていく算段をすることだ。一日も早く村にも水道が来てほしいという女たちの願いを、彼は馬鹿げたことだと考えていた。水は天から自然と降ってくるのに、なぜ金を出して水道局から買わなければならないのか。一家の長の言うことを、女たちはほとんど聞き流しているようだった。
 風呂は母屋の東角にあった。浴槽はタイル張りだが、仕組みはいわゆる五右衛門風呂で、鋳鉄製の風呂桶を直火で温めるようになっている。焚き口は庭に面し、薪を収納している物置が、そのまま台所のある土間につながっている。小学生のころから任されている風呂焚きの仕事を、健太郎は気に入っていた。入会などから集めてきた枯れ木や間伐材を、鋸で挽いて適当な長さに揃え、斧で割っていく。台風や雪で倒れた木や害虫による枯れ木も薪にする。風呂を焚くときは、さらに鉈で細かく割って焚きつけを作る。冬場などは焚き口にしゃがみ込み、落ち葉や小枝、乾燥した薪が燃えるのを眺めて飽きなかった。ときどき風呂の番をしながら、暖かな焚き口で漫画を読むのも楽しみだった。
 庭の片隅に灰を捨てる場所があり、集めた灰は祖父が畑の肥料にする。鶏はひよこから育てて卵を採り、鶏糞はやはり肥料にする。卵を産まなくなった鶏はつぶして食べる。最初から最後まで無駄がない。いかにも祖父好みの動物だった。ヤギを飼っているのも、残飯や野菜屑を食べてくれるからだろう。その乳を、祖父は健康にいいと言って毎朝飲んでいるが、健太郎はやはり牛の乳のほうが美味いと思う。とくに風呂上がりに飲む冷たい牛乳は格別だった。
 祖母はアンゴラウサギを飼っている。小屋は三段になっていて、一つの部屋に四羽くらいずつ入っている。それが横に八個ほど並んでいる。以前、小屋に忍び込んだテンによって、大切に育てたウサギが全滅させられたことがあった。祖母は悲しんだが、祖父は怒り狂った。そして小屋のまわりを頑丈な金網で覆ってしまった。おかげでアンゴラウサギの小屋は捕虜収容所のようになってしまった。飼育小屋の隣に粗末な仕事部屋があり、そこでいつも祖母は膝の上にウサギを抱いて毛を刈っていた。集めておいた毛は、ときどき業者が買い取りに来た。
 太い薪を何本かくべてから、健太郎は土間へ抜けて台所の水道で手を洗った。竈の前では母親が鍋に味噌を溶かしている。妹の綾子も手伝いをしている。台所が土間になっているのは、農家にとっては都合のいいことだった。農繁期には土足のまま食事の支度をし、上がり端などに腰かけて食べることができる。また泥のついた野菜を気にせずに扱うこともできる。しかし同じ理屈で、便所が外にあるのはどうかと思う。広い庭では一年を通して様々な農作業が行われる。農具の手入れ、収穫された野菜や果実の選別、秋には稲の脱穀や天日干し。そうした農作業の途中で、地下足袋のまま入れるようにと便所は庭の東側、脱穀機や鍬や鋤などの農具、袋詰めにされた穀類などを置いておく納屋の隣に設けてある。夜中に便所へ行くには相当の覚悟が必要だ。四月には六年生になる綾子などは、いまでも母親か祖母についていってもらうことがある。
 土間は石灰を混ぜた土を搗き固めた三和土だった。この土間に、軽く水を打って箒で掃くのは綾子の仕事になっている。去年あたりからは、それに米を研ぐことも加わった。綾子に米の研ぎ方を教えたのは祖父である。できるだけ少ない水で、一粒も米をこぼさずに研ぐことが肝心だった。この研ぎ方を、祖父自身は軍隊で習ったのだという。
 食堂になっている板の間の飯台には、すでに幾品かの料理が並べてあった。老眼鏡をかけて新聞を読んでいる祖父は、健太郎が入っていっても顔を上げない。最近は耳も少し遠くなっているらしい。綾子が母親の手伝いをして調理場から飯櫃を運んできた。蓋を取ると、白い湯気が濛々と上がる。健太郎はにわかに空腹をおぼえた。母親が汁の入った鍋を持ってきた。
「お父ちゃんは」彼女は健太郎にたずねた。
「知らん」
「牛小屋にはおんさらんかったか」
「見んかった」
「なにしよんさるんやろうな」
 祖母が部屋に入ってきたときも、父の姿はなかった。すでに配膳も終わり、健太郎は早く食べたいと思っている。
「惣一郎はまだ戻らんのか」ようやく新聞から顔を上げた祖父がたずねた。
「どこ行っとるんでしょうな」母親が答えた。
 結局、父の帰宅を待たずに、五人は先に食事をはじめることにした。飯台は畳一帖ほどもある大きなもので、三枚の板を張り合わせた天板の下に少し長めの脚が付いている。卓の両側には、引き出しが四つずつ付いている。それぞれに坐る場所がきまっているので、なかに自分専用の食器をしまっておくことができる。しかし引き出しを本来の用途で使っているのは祖父くらいだった。父親の惣一郎は、不衛生だという理由で早々に使うのをやめてしまった。子どもたちは父親に倣い、やがて祖母と母親も大勢に準ずることになった。
「なにが不衛生なもんかの」祖父一人が超然として、いまだに引き出しを使いつづけていた。「昔からこうやってきたのじゃけん」
 食べ終わると、茶碗のなかに白湯を入れ、まず箸を洗う。それから茶碗をゆっくりまわして、なかをきれいにする。つぎに茶碗の湯を汁椀に移し、同じようにする。最後にその湯を飲んでしまえば、口のなかもきれいになるというわけだった。きれいになった食器は引き出しにしまい、つぎの食事のときにまた出してくる。さすがに副食物の皿は流しに持っていくが、取り皿に残った菜などは、そのまま引き出しに入れておき、次回のおかずになった。年に何度か、すべての引き出しを取り出して水で洗い、天日干しにする。その際、健太郎は祖父の引き出しの隅に黴が生えているのを目撃したことがある。だから内心は、父が言うように、引き出しに食器をしまうのは不衛生だと思っていた。
 衛生面の問題はともかく、飯台に引き出しが付いていること自体は便利であり、各自が自分流の使い方をしていた。たとえば祖母は毎日服用する薬を入れていた。食事が終わって、茶碗に注いだ白湯で薬を飲めば、飲み忘れることもない。健太郎は自分用のふりかけを入れているし、綾子などは筆箱やノートといった学用品を入れている。彼女は学校から帰ってくると、この飯台の上で宿題をするのだった。
 玄関の引き戸が開く音がして、父親の惣一郎が板の間に入ってきたのは、家族の者たちが大方食事を終えようとするころだった。
「こりゃ遅なったのう」と言いながら、父親は自分の場所に腰を下ろした。
「どこ行っとりやしたか」母親が茶碗に飯を装いながらたずねた。
「茂さんの家におった」茶碗を受け取りながら答えた。
「こんな時間まで」
「茂さんとこの牛がやられての。これからも同じことがあっちゃ困るんで、みんなでどうにかせにゃならんと相談しよったのよ」
「病気か」祖父がたずねた。
「どうも野犬に襲われたようなんでさあ」父親は答えた。
「野犬が牛を襲うかの」
「そこがわしらにもようわからんので」父親は困惑した表情で箸を止めた。「いままでなかったことですけん」
「犬が牛を襲うとはのう」祖父も思案顔で考え込んだ。
「電気柵を作ってもろたらええよ」綾子が口を挟んだ。「エランで発電した電気を通すんじゃよ。犬が柵に触ったらビリビリって感電しよるわ」
「綾ちゃんは発明家だのう」祖母が笑いながら言った。
「これからは科学と民主主義の時代じゃて、先生も言いよんさったよ」
「綾子は難しい言葉を知っとるのう」祖父が感心したように言った。「その民主主義いうのを、じいちゃんにも教えてくれんかの」
「話し合いできめることじゃよ」綾子は簡潔に答えた。「うちら学級のことでもなんでも、民主主義できめよる」
「ほう、そりゃえらいことじゃ」
「話し合いできまらんときは、多数決できめるんよ。そしたらだいたい女子の勝ちじゃ。数が多いけん」
「うちらにとってはええもんのようだの、民主主義は」母親が言った。
「この家は三対三じゃが」健太郎が口を挟んだ。
「牛のほうはどうなった」祖父が話を戻した。
「とりあえず毒饅頭を撒くことになりそうでさあ」
「うちにも撒いとかないけんのう」
「じゃけんど、野犬は頭が賢いですけえのう」
「なんぼ賢うても、人間の知恵にはかなうまい」
「電気柵のほうがええ思うな」綾子は最後までこだわった。
 やがて話は近く行われる山参りのことに移った。かれこれ一ヵ月ほど前のことだった。村の寄り合いに出ていた父親は、夜遅くになって大きな風呂敷包みを持ち帰った。なかには一幅の掛け軸と、お神酒器、蝋燭立てなどが入っている。さっそく神棚が設えられ、その日から朝夕、父親は欠かさず神棚に祝詞を上げはじめた。
 健太郎たちの村では、毎年田起こしがはじまるころに、一年の無事と豊作を祈願するため、村の代表が大山にお参りすることが習わしになっている。大山は標高千メートルを超える高峰で、山の神の祠から山頂までは大人の足でも半日はかかる。この山参りが終わると、本格的な春の訪れとともに、村では代掻きから種蒔き、田植えと、農繁期を迎えるのだった。
 山参りは村の各家が毎年順番で担い、今年は健太郎の家が当番になっていた。村の伝統行事の多くは農事と密接なかかわりがあり、月の満ち欠けをもとにした旧暦によって日取りが決められている。当番の家では一ヵ月ほど前から神棚をつくり、お供えをして祝詞を上げつづける。当日は、付添として村の男たちが何人か一緒に登るが、その際に、健太郎も父親に付いてお山に登ることになっていた。頂上には小さな神社と権現滝がある。男たちは村の各家から集めた浄財を神社に奉納し、滝の「お水」をいただいて帰る。この水は村の各家に配られ、村の者たちは「お水」を口に含んで、一年の無病息災を祈願するのだった。
「じいちゃんが若いころには、雨乞いの儀式のために再々お山に登ったもんじゃ」祖父は昔語りにそんな話をした。「村の若い者が四、五人で朝早ように出発して、権現さんのお水をいただくと、日暮れまでに村に帰り着けるよう、一目散に山を下りるんじゃ」
「わしらが結婚したころに、最後の雨乞いをしたんじゃなかったかの」父親が引き取って言った。「おとうちゃんらが子どものころはな、お山の社を雨降り神社いいよった。村の若い人らが、毎年のように雨乞いに行きよったけんの」それから祖父のほうへ、「あんころはまた日照りが多かったでしょうが」と話をつないだ。
「多かったのう」
「田んぼもいまより多かったですけ、ちょっと雨が降らんと水が足らんなりよる。そしたらすぐに雨乞いが出されよりましたな」
「惣一郎も行ったことがあるんかの」
「雨乞いは行ったことないです」
「あれはなかなか大変じゃでな。途中で止まってはならんとか、お水をこぼしてはならんとか、他にもなんやかやとうるさいきまりがある」
「戦争がはじまって食糧が足らんなって、米は作るのが大変じゃいうんで、田んぼをつぶして芋や麦を作るようになったでしょうが。戦争が終わってからは、果樹をやったり、牛や鶏を飼うたりする家が増えてきたんで、以前ほど水がない言わんようなったですね」
「どうじゃ健太郎。おとうちゃんと一緒にお山に登れるかの」祖父がたずねた。
「大丈夫じゃよ」
「お山は険しいぞ」
「山ならいつも登っとる」
「そりゃあ頼もしいの」祖父は嬉しそうに言った。「健太郎がお参りしたら、山の神さまもさぞかし喜ばれるじゃろう」
(イラストRIN)