なお、この星の上に(6)


 山参りの日がやって来た。真っ暗な庭先で、男たちは焚き火を囲んで煙草を吸っている。代表を務める父親の他に、岩男さんと仁多さん、それに源さんという顔ぶれだった。三人とも健太郎が小さいころから知っている人たちだった。とくに魚掴みの名人である源さんとは、何度か一緒に魚を捕りに行ったことがある。だから大人たちと一緒に山へ登ることに、それほど気後れを感じずに済んだ。四月とはいえ、空気は冷たく張り詰めていた。空全体が凍ってしまったかのようだった。大声を上げれば凍った空に亀裂が走り、粉々に砕けて落ちて来そうだ。
 母親が父に風呂敷に包まれた重箱を渡した。なかには炊き上がったばかりの赤飯が詰められている。この赤飯を山頂の奥宮に奉納するのが、山参りのいちばんの重要な役目とされていた。他にも山の神様に供える炊きたての白飯が、小さな包にして幾つか用意してあった。これらはお神酒や塩とともに付き添いの男たちが持っていく。
「気をつけて行っておいでな」祖母が健太郎に言った。
「天狗にたぶらかされるんやないぞ」祖父がからかうように言った。
「あんまり張り切って登ったら、途中からえろうなるけんね」母親は弁当を手渡しながら言った。
「わかっとるよ」健太郎はうるさそうに答えた。
 丸い月が冷たい闇を深々と照らしている。月の光は道端の木を照らし、その影が大根の植わった畑に落ちている。
「それじゃあ行ってきます」父親が見送りの者たちに向かって律儀に頭を下げた。
「ごくろうさんです」見送りの三人も神妙に頭を下げるのが、健太郎にはおかしかった。
 総勢五人の一行は、夜明け前の村を出発した。この山参りが、どのくらい前からはじまったのか定かではない。祖父でさえ知らないくらいだから、きっと何百年もつづいているのだろう。戦争のあいだも途切れることはなかったという。「お天道さまは語ってくれぬでな」と祖父は口癖のように言った。大自然の営みは日々に移り変わり、ときに予測不能な事態をもたらす。目に見えず、意思疎通の図れない天候や風土にたいして、村の人々は四季折々に真剣な祈りを捧げてきたのだろう。
 村はずれから柿畑を抜けて、棚田の脇から細い山道に入る。このあたりはまだ勾配が緩やかなので楽に登っていくことができる。お山には男たちだけで登ることになっている。森の奥に祀られた祠の先は、一種の結界になっており、子どもたちだけでなく、大人の女たちも立ち入ることを固く禁じられていた。女人禁制の理由については、周期的に出血をするため不浄であるからとか、山の神様は女の人でやきもちを焼くからとか、幾つか説があるが、本当のところはよくわからない。とにかく女たちの役目は、早朝から起きて男たちを見送る準備をすること、そして男たちが山に登っているあいだ、村のあちこちの祠にお供えを上げてまわることだった。村の男の子たちにとって、お山に登ることは、一人前の大人として認められることでもあった。昔は山参りの道中に、経験の豊かな大人たちから、天候の占い方や種を蒔く時期など、農事にかんする知恵を授けられたものらしい。
 山の神の祠に着くころには、空はだいぶ明るくなっていた。男たちはさっそくお参りの準備をはじめた。山に入るときは、かならず山の神にお参りすることになっている。いつもは掌を合わせて拝むくらいだが、山参りのときには少し念入りに、家々から持参してきたものをお供えして祈りを捧げる。男たちはまず近くに生える檜の枝を何本か切ってきた。それを地面に敷いて、上に白飯を箸で丁寧に盛りつけていく。盛り塩をして、コップ酒とオコゼの干物を供える。オコゼを供えるのは、この魚の器量の悪さを見て、山の神が喜ぶからだと言われている。すると山の神さまは、やはり女なのだろうか。最後に男たちは神妙に掌を合わせて頭を垂れた。彼らに倣って掌を合わせながら、何を祈っているのだろう、と健太郎は思った。
 山の神の祠から先は鬱蒼とした原生林になる。別世界に足を踏み入れていくような心地がして、気持ちはおのずと引き締まった。大人たちも口を閉ざしたまま歩きつづけている。山に入ったら無闇に口をきいてはならない。ことさら注意されたわけではないが、そんなしきたりのことが健太郎の頭にはあった。父親の惣一郎によれば、山のなかで無駄口を慎むのは、注意が散漫になることを防ぐ目的があるという。とくに暗い森のなかでは方向感覚が失われる。予期せぬ危険も潜んでいる。だから感覚を研ぎ澄まし、まわりの状況に気を配りながら進んでいかなければならない。
 自然の森は数百年の周期で崩壊と再生を繰り返すと言われている。このあたりの森は、ほぼ完全に原始の姿をとどめている。ほとんど光が差し込まない森のなかは昼間でも暗く、足元には地面の土も見えないほどにシダが群生している。ツタが絡みついた木々のあいだを吹いていく風のなかに、目に見えない妖気のようなものが感じられた。健太郎は以前に祖父から聞いた神隠しの話を思い出した。
 祖父がまだ若いころのことだという。村の娘が忽然と姿を消した。以来、一人として娘を見た者はいなかった。村の者たち総出で川を浚い、 山狩りをして捜索したけれど手がかりはつかめない。神隠しにあったのだろう、と人々は噂しあった。天狗に連れて行かれたのだと言う者もあった。子どもがいなくなると、昔はたいて神隠しのせいにされた。当時はそれほど珍しい事例でもなかったらしい。消えた子どもたちは、なんらかのかたちで発見されることが多かった。数日後に遠方の町や村を歩いていたり、目も眩むような高い木の枝に坐っていたり。何年も消息を絶っていた子が、成長してひょっこり戻ってくることもあった。
「健太郎も神隠しにあわんよう、気をつけなならんぞ」と祖父は言った。
 ちょっと変わった子どもが神隠しにあうことが多かったという。いつも一人で山のなかで遊んでいたり、大人たちが奇異に思うほど動物と仲が良かったり。先に起こることを言い当てるような、霊感の強い子どもよく神隠しにあった。
「天狗さまは、そういう子どもが好きだけんの」
「わしはそんな変わった子やないで」健太郎は身におぼえのない思いで言い返したものだった。
 ときどき嘘とも本当もつかないような話をして、幼い孫たちを怖がらせるのは祖父の悪い癖だった。そんな祖父にくらべると、父親の惣一郎にはいくらか辛気臭いところがあった。まず寡黙と言ってもいいくらい口数が少ない。何かたずねられても、軽々しくは答えない。かならず間をおいて考えている。こういう父が口を開くと、多くの者は納得することが多かった。一家の長である祖父も、息子には一目置いているところがあった。
 その点、祖父にはなんでも気安くたずねることができた。子どもの無邪気に問いにも、同じ目線で実直に答えてくれるので、幼いころから健太郎がふと抱いた疑問などを向けるのは主に祖父だった。たとえば何気なく目にしてきたことが、急に気にかかりだすことがある。自然の風物のように受け入れてきたものが不思議に思えたり、奇異に感じられたり、ときには馬鹿げたものになったりする。
「なせ木にお金を供えるんかの」あるとき健太郎はたずねた。「木がお金をもろうても、使い道がないやろうに」
「そうやのう」祖父はしばらく間を置いて、「たしかに杉の木が金を使うこたあねえが、人間が大事なものを差し出しとるこたあわかるんじゃねえかの」と言った。
「木にわかるんか」
「じいちゃんはわかる思うがの。木でも動物でも、人間の気持ちを汲み取ることができる。お山もそうじゃ。大事なものを与えるこたあ、わしらの感謝の気持ちを伝えることになる」
 健太郎が釈然としない顔で黙っていると、
「昔は村の若いおなごを差し出すこともあったそうな」祖父は言いにくそうにつづけた。「じいちゃんが生まれるずっと前の話だがな。そんなこたあよくねえいうんで、酒や握り飯をあげることにしたんじゃねえかの。なんぼお山の神さまいうても、人間を差し出すわけにはいかん。酒や握り飯なら、毎日でも供えることができる。まあ分割払いみたいなもんかの」
 得心のいったような、いかないような中途半端な気分だった。また別の疑問を向けてみる。
「妙心寺の神さまと、山の神さまは違うんけ」
「こりゃまたえらい話になってきたの」
「じいちゃんは、お山の向こうに神さまがおんさる言うやろ。ばあちゃんは遠方から訪ねてくる知らん人が神さまや言うし、どれが本当の神さまなんかの」
 それには直接答えずに、「健太郎はお山を見ると、掌を合わせとうなるこたあねえか」と別の方向から言葉を向けた。「じいちゃんは自然と、そういう気持ちになる。村の多くの者が、そう感じておったんじゃねえかの。それで山参りがはじまったのやと、じいちゃんは思う。あそこに神さまがおられるような気がする。そうやってお山を拝むことがはじまったんじゃねえかの」
「妙心寺の仏さんも拝むやろ」健太郎は仏像にこだわった。「お山と仏さんでは、だいぶ違うが」
「まあ、目印みたいなものやろ」祖父は折り合いをつけるように言った。「神さまいうのは人間の目に見えんけんな、いろんなものを目印にしとる。お山も杉も如来さんも、みんな目印みたいなものじゃと思うておけば間違いない。ばあちゃんにとっては、よそからやって来た知らん人が目印いうことだの。目印はなんでもええ。いろんなもんに神さまを感じることが大事やと、じいちゃんは思うの」

 いつのまにか平坦な尾根に出ていた。かなり標高が高くなっている。日当たりのいい場所でひと休みしていくことになった。各自が思い思いの場所に腰を下ろし、持ってきた水筒の水を飲んだ。日はすでに高く昇り、足元には暖かな木漏れ日が落ちている。植林が進んだ山々が連なり、眼下に小さく村が見えた。こんな山の奥に自分たちの村はあるのだ、と健太郎は思った。普段はとくに感じないが、こうして高いところから眺望すると、いかにも辺鄙なところで人々の暮らしは営まれている。辺鄙なだけではなく、村は哀れなほど小さく、みすぼらしかった。両手で小さな輪をつくれば、そのなかにすっぽり収まってしまう。
 この小さな輪のなかで、人々は生まれ、死んでいくのだ、と健太郎は思った。なんだか恐ろしい気がする。小さな輪から一度も外に出ることなく、一生を終わった人もいるだろう。昔はそういう人のほうが多かったのかもしれない。人々は地上のごくわずかな場所しか知らず、そのわずかな土地を耕し、暮らしを営み、子を産み、育て、やがて自らは年老いて死んでいく。そんな暮らしを先祖たちは、何百年ものあいだ同じように繰り返してきた。出ていきたいとは思わなかったのだろうか。どこか別の場所で暮らしたいとか、違う世界を見てみたいとは思わなかったのだろうか。自分には到底耐えられそうにない。小さな輪のなかで一生を終えることは、せっかく与えられたものを少ししか活かしきれないことのようにも思えた。
 父はそんなことを考えなかっただろうか。ここから出ていきたいという、強い思いに駆られることはなかったのだろうか。たずねてみたかったけれど、それを口にすることは父を傷つけ、悲しませる気がした。こんな疑問を抱くだけでも、すでに不実をはたらいているような後ろめたさをおぼえている。一方で、この父を裏切り、否定したいという気持ちが、心の奥底でうごめいていることにも、健太郎は気がついていた。いつか自分は、この父から目を逸らしたいと思うかもしれない。父そのものではなく、父の背後にあるに目を向ける日が来るかもしれない。それもまた恐ろしいことに思えた。
「あんなに木を伐っては地滑りが心配だの」近くの石に腰を下ろして煙草を吸っている仁多さんが心配そうに言った。
 健太郎たちのいる南側の尾根と、北側からつづく尾根が出会ってせり上がったところが、お山の頂にあたる。方角的には東のお山を水源として、南北の尾根のあいだを一本の川が深い谷を刻んで村のほうへ流れている。その川を隔てた山の斜面で、エラン鉱の採掘は進められていた。ここからだと、ちょうど正面に俯瞰する位置になる。幾つも掘られているはずの坑道は、さすがに遠くて見えないが、急斜面に生えていた木々は広範に伐採され、広い範囲が禿山になっている。土を削って平にされた場所には、坑夫たちが寝泊りするための木造の建物が何棟も建ち並んでいた。
「あのあたりの森には手を入れちゃならんのだが」仁多さんは気がかりな口調でつづけた。「大雨でも降りゃあ、根の浅い杉や檜の植林地はいっぺんに流れてしまおう」
「町の山持ちは馬鹿やが」岩男さんが忌々しげに言った。「自分らが山仕事をせんもんやけん、ああして簡単に売ってしまいよる。おまけにエランを掘っとる連中は、山のこたあなんも知らんけん、恐ろしいとも思わんのだろ」
「なんともないんかの」源さんが不思議そうに言った。「一日中暗い穴んなかで土を掘り返して、わしなら気が変になってしまう」
「そりゃあ、源さんやのうても変になろう」仁多さんが笑いながら言った。
「あの人らは大丈夫みたいやな」源さんは真顔で返した。
「いまは大丈夫でも、そのうち大丈夫やのうなる」仁多さんは答えた。
「モグラになるか」
「モグラにはならんが」仁多さんはひと呼吸置いてつづけた。「わしらは身体を自然に合わせて生きとるが、あそこで働いとる人らは、自分の身体を何に合わせてええかわからんようなっとる。そしたら人間は病気になる。人間の身体も自然の一部やけんな」
「カネに合わせて生きとるんやろ」岩男さんが蔑むように言った。「ああした連中は、カネのためならなんでもするものよ」
「そうかもしれんな」仁多さんは答えた。「そんなもんに合わせて生きとるけん、自分がモグラになっとることにも気がつかんのやろ」
「いくらカネんためでも、モグラの真似をするのは嫌じゃ」
「川のなか入ってガタロウの真似しよる源さんでも、モグラは嫌か」
「嫌じゃの」
 この人のいい源さんが、いくらか知恵遅れであることには、健太郎も子どものころから気がついている。それは彼が知的障害者であるということとは少し違っている。うまく言えないが、知恵遅れは源さんの匂いであり、体温みたいなものだった。大人たちもそうした作法で、彼と付き合っているように見えた。
「ところでおやじさんの具合はどうな」それまで三人のやり取りを聞いていた健太郎の父が口を開いた。
「ようないな」源さんは他人事みたいに言った。
「あいかわらず寝たままか」仁多さんがたずねた。
「医者はもう助からん言いよる」
「そんなに悪いんか」仁多さんはちょっと驚いた顔をした。
「若いころからよう酒を飲みよったけんな」源さんはあっさりした口調で言った。「死んだおふくろは、家には絶対に酒を置かんようにしとった。あるとあるだけ飲むけんな。ところが親父は木の洞やら岩の下やら、いろんなとこに焼酎を隠しとって、山仕事に行くたんびに飲みよったらしい。おふくろは親父が酒に酔うて帰ってくると、おまえみたいなやつは中風になって死んでしまえ言うて怒りよったが、そういうおふくろのほうが先に死んでしまうんやけん、わからんもんだの。まあ今度ばかりは、親父もいけんやろう。若いころから飲んできた酒が、いまごろんなって効いてきたんだわ。医者も好きなようにさせとけ言いよる。わしは酒を飲ましてやろう思うて買うてくるのやが、もうようけはよう飲まん」
「そりゃあ、ちっとも知らんことやったの」健太郎の父は難しい顔で言った。
 源さんの父親が倒れたのは、棚田に水を引きに行っているときだった。畦道にレンゲやタンポポが咲くころになると、村の人たちは田起こしの作業で忙しくなる。まず土をほぐして畝をつくる。そこに水が入ると、水田はまわりの木々や空を映して鏡のように美しく輝く。男たちは水に入り、代掻きをはじめる。田植えがしやすいように、T字型の木のヘラを使って土の表面を平らにならしていく。同じ時期に畦づくりもはじまる。田んぼの泥を掻き上げ、鍬で盛り上げていく。これをしっかりやっておかないと、せっかく入れた水が漏れてしまう。
 どうやら源さんの父親は、この作業をおろそかにしていたらしい。結果的に、それが幸いした。父親が倒れたのは田んぼのなかだった。仰向けになって大の字に寝ているところを源さんが見つけた。すでに水門は開かれ、水は田んぼのなかに入ってきている。ところが当人の不手際から、水位は一定以上に上がらなかった。源さんの父親は、頭を耳のあたりまで水没させた状態で鼾をかきつづけていたという。もし正常に水が入っていたら、おそらく溺れ死んでいただろう。
「人間、何が幸いするかわからんもんだの」父親がもってきた話を聞いて、健太郎の祖父は感心したように言った。「命を落としかけたのも、その命を救ってくれたのも、両方とも酒やったいうのは、よほど酒に縁が深いんだの」
 命こそ助かったものの、予後は良くないらしい。男たちは腕組みなどをして、神妙な顔つきで黙り込み、源さんの家を襲った不幸について思いをめぐらせているようだった。独り身の源さんは、母親が亡くなったあとは父親と二人暮らしだった。その父親が田んぼで倒れて寝たきりになった。兄弟姉妹がいるという話は聞かない。これから源さんはどうするのだろう。健太郎は詳しくは知らない人の家の行く末について思いをめぐらせてみる。しかし男たちの話は、それきり源さんのところへは戻ってこなかった。
「飯場にはいろんな者が流れてきとるいう話やな」仁多さんが気がかりな口ぶりで言った。「なかには前科者もおるらしい」
 エラン鉱の採掘現場のことだった。
「四郡みたいになったら困るの」岩男さんが言った。
 四郡というのは、隣の県にある産炭地域のことである。かつて「焚石」や「燃え石」と呼ばれていた石炭は、江戸時代には藩の統制経済下に置かれていた。ところが維新政府になり、鉱山解放令によって誰でも石炭が掘れるようになると、全国から山師のような連中が流れ込んできて採掘をはじめた。無統制に乱掘されることを防ぐために、県は炭坑が分布する四つの郡に行政指導をおこない同業組合をつくらせた。そのため産炭地域のことを、このあたりの者は四郡と呼びならわしている。
「鉱山で働いとる連中は、勘定日に給料を受け取ると、そのまま町へ繰り出して、酒や女に夜を徹するいうことじゃ」事情に通じているらしい仁多さんは言った。「独り身の者も多いのやろう。町には怪しげな商売女もたくさん来ておる。栄町のへんは、まるで特飲街やが。源さんもひょこひょこ出かけたらひどいめにあうで」
「あんた、行ってきたんか」その源さんがもっともな問いを向けた。
「特飲街ができると、かならずヤクザが入ってくる」仁多さんは聞こえなかったふりをしてつづけた。「そして町を仕切るようになる」
「わしが言うのも、そのことよ」岩男さんが我が意を得たりという顔で頷いた。「博打もはやる」
「毎晩、サイコロをやりよる」健太郎は思わず口を挟んだ。
「なせ知っとる」父が不審そうにたずねた。
「学校で聞いた」
「そうやろう」岩男さんが話を引き取ってくれた。「昔から男はサイコロ、女は花札と相場がきまっとる」
「いずれんしても、なんとかせなならんの」と仁多さんが言った。
「山の神さまに頼んでみちゃあどうかの」源さんが言った。
「なんと頼むね」
「はようエランが掘り尽くされて、あの人らが出ていってくれますようにいうのはどうかの」
「だがエランは国の大事なエネルギー資源やけんな」仁多さんが言った。
「いくら大事なエネルギー資源でも、わしらの村を壊されてはかなわん」岩男さんは険しい口調で言った。
「せめて村には、ああいう連中は入れんようにすることよな」そう言って、仁多さんは健太郎の父のほうを見た。
「茂さんとこの牛を襲った野犬のこともあるし、今年はいろいろと頭の痛いことが重なるの」父親は切り上げるように言った。

 山頂の神社の近くに健太郎がはじめて目にする権現滝がある。切り立った褐色の岩壁を、水は垂直に勢いよく落ちている。水しぶきのかかるところに深緑色の苔が生えていた。春先に雨がつづいたせいか、かなりの水量があるようだった。高さ数十メートルの断崖を落下する滝も、やはり御神体とされていた。農耕のための水をもたらす水源であることから、古い時代より村の人々の信仰を集めたものと思われる。
 かつて行われていた雨乞いは、この滝を中心として執り行われたという。祖父が子どものころには、村の若者が命懸けで滝の上に登り、滝壺に大きな石を投げ入れるといった、荒っぽい雨乞いも行われていたらしい。滝壺には雨を降らす龍が棲んでいる。石を投げ入れるのは、龍を怒らせるためだった。怒った龍は雨を降らせると言われている。しかし滝を登る途中でしばしば事故が起こり、そのために命を落とす者も出たりして、しだいに古来のやり方は廃れていった。とはいえ雨乞いそのものがただちに途絶えたわけではない。少なくとも健太郎の父が若かったころまでは、いくらか簡略化された様式で行われていた。困難な業であることに変わりはなかった。というのも男たちは日暮れまでに、滝の水を一滴もこぼさずに村へ持ち帰らなければならなかったからだ。途中でこぼすと効験がなくなると言われていた。一升瓶などに詰めて持ち帰るとしても、これまでたどってきた険しい道のりを思うと、健太郎にはそれがいかに大変だったかが実感される。
 滝の裏側の断崖に、「鬼の穴」と呼ばれる洞窟がある。昔は行者が棲みついて修行を行っていたとも言われる。山参りの男たちは、ここで禊を済ませてから神社へ参ることになっていた。その習わしに従って、男たちは着ていたものを脱ぎ、褌一つになって滝に入っていった。健太郎も促されて着物を脱いだ。滝の水は身を切るほど冷たかった。骨まで凍ってしまいそうだ。この冷たさが、心身の穢を清めてくれるのだろうか。男たちは口々に聞いたことのない呪文のようなものを唱えている。源さんだけが「南無阿弥陀仏」だった。
 ここには自分が知らない世界がある、と健太郎は思った。山参りのなかで見聞きすることの多くが目新しく、どこか怪しい魅力を湛えている。日ごろ慣れ親しんでいる世界の奥に、もう一つ別の世界があり、そこへは神や信仰を足がかりにしなければ赴くことができないらしい。子どものあいだは、学校などで習う表向きの世界がすべてだ。大人になることは、さらに奥にある世界の存在を知ることなのだろう。自分はいま、子どもから大人への境界を越えようとしている。そのことを、身を切るような水の冷たさとともに健太郎は感じた。
 同時に、一つの疑問にもとらわれた。村の人たちは、エランによる発電という最新の科学技術を受け入れてようとしている。供給される電力によって、暮らしが豊かになることを期待している。その同じ者たちが、山参りのような昔からのしきたりを絶やさずに守りつづけている。奇妙なことではないだろうか。そう感じるのは自分だけだろうか。少なくとも父親をはじめ大人たちは、奇妙とも不合理とも思っていないらしい。そんな大人たちに、健太郎は軽い不信感をおぼえるようだった。
 権現滝で村の各家に配るための水を汲むと、男たちは着物を身につけ、一路山頂の神社へと向かう。滝から山頂までは三十分足らずだった。社は山の神の祠をひとまわり大きくした程度で、台風でも来れば吹き飛ばされてしまいそうに見えた。社のまわりには、小さな鳥居によって結界が張られ、さらに正面を二体の狛犬が守っている。社殿の垂木には龍の絵柄の彫刻がほどこしてある。
 いよいよ山参りの仕上げだった。まず社のまわりをきれいに履き清めることから、男たちの作業ははじまった。掃除が終わると重箱に詰めて持参した赤飯を盛り付け、さらに山の神と同じようにオコゼの干物とお神酒、塩などを供える。それから健太郎の父が祝詞を上げはじめた。この一ヵ月ほどのあいだ毎日朝と夕の二回、ほとんど耳にタコができるほど聞かされつづけてきたものだ。いつもよりはゆっくりと上げているみたいだった。長い祝詞が終わると、一同は拝殿に向かって丁寧に掌を合わせた。
 一通りの神事が終わると昼飯になった。それぞれの弁当箱には白い飯が固く詰められている。滝から汲んできた水に味噌を溶き、これもまた近くから採ってきた山菜をちぎって入れ、焚き火で焼いた石を放り込めば、その場で熱い味噌汁が出来上がる。男たちは黙々と冷えた飯を掻き込んでいる。健太郎も彼らに倣って飯を掻き込んだ。飯を喰い終わると、男たちは神様に供えるために持ってきた酒の残りを飲みはじめた。帰りのこともあるので大した量ではない。酒は山を下りてから、村の集会場でもたれる直会の席で存分に飲むことになるだろう。この直会は、山へ登れなくなった年寄りや、山に入ることを禁じられている女たちのためのものでもあった。こうして数人の男たちが山頂で執り行った神事は、村全体で共有されるものになる。
 最後に「ウォー」という異様な鬨の声を上げると、男たちは足早に山を下りはじめた。権現滝で汲んだ水を携えているものの、下りはよほど早かった。小一時間もすると谷が狭まり、山々が重なり合うあたりに村が見えてきた。それは懐かしくもあり、また物悲しくもある情景だった。夕暮れが近いせいか、侘しさが余計に胸に迫ってくる。自分たちの先祖は、どうしてこんな山奥に村をつくったのだろう。行き道と同じことを、帰り道でも再び健太郎は思った。頭で考えてわかることではないのかもしれない。人間は奇妙な生き物だ。辺鄙な山奥で暮らすことといい、山参りのしきたりといい、理屈に合わないことが多い。学校で習うことの多くは、理屈の通ることだ。すると上の学校へ進むことは、祖父や父たちが守ってきたものから離れていくことでもあるだろう。親たちはなぜ進学を勧めるのだろう。これもまた理屈に合わないことの一つだった。
 山の夕暮れは早い。山の神の祠が近づくころには、すでに夕日が沈みはじめていた。オレンジ色の丸い太陽は、山の端に近づくにつれて霧か靄に覆われていった。黄昏かけた光を背にして、一羽の鳥が旋回していた。大きさからするとワシのようだ。あいつは何を考えているのだろう、と健太郎は思った。この世界をどんなふうに感じているのだろう。何を欲望し、その欲望を満たすための、どんな知恵をもっているのだろう。あるいはそんな面倒なものがなくても、空と一体であることで十分なのだろうか。太陽は赤みを増し、柔らかな光のなかを、ワシはいつまでも旋回しつづけるようだった。(イラスト RIN)