なお、この星の上に(5)

 季節が進んで彼岸花の赤も色褪せた。リンドウの紫の花が土手を飾るころになるとキノコ採りがはじまる。主役は村の年寄りだが、休みの日には大人も子どもも山に入る。そんな折に、山のなかを走りまわるジープの姿が、しばしば目撃されるようになっていた。車には揃いの作業服を着た男たちが四、五人乗っており、崖下の岩をハンマーで叩き割って鉱石を採集したり、ドリルで地中に深く穴をあけたりしている。地質調査をしているのだ、と大人たちは言った。夏に見かけた老人のことを、四人は久しぶりに思い出した。老人とジープの男たちとのつながりはよくわからない。しかし男たちが、老人と同じものを探していることは容易に想像がついた。
 ほどなく大人たちの会話のなかに、「エラン」という聞き慣れない言葉があらわれるようになった。それは金やダイヤモンドにも相当する貴重なものであるらしかった。地質調査の男たちも、また健太郎たちが出会った老人も、この高価で貴重な鉱物を探していたらしい。やがて「エラン露頭発見」という記事が、地元の新聞に掲載された。さらに「有望なエラン鉱床発見」というニュースが、全国的にも大きく報道されるに至って、健太郎たちの村を含む一帯は、エラン鉱石生産の中心地として一躍有名になった。村中がエランの話題で持ちきりになった。新聞の見出しなどに使われた「石炭にかわる夢のエネルギー源」という謳い文句を、大人も子どもも門前の小僧のように口にした。エランとは何か? 石炭にかわる夢のエネルギー源である。それで充分だった。
 小学校の冬の暖房は主に石炭ストーブだった。当番は倉庫から石炭をバケツに入れて運んできたり、ストーブの底に溜まった燃えカスを捨てに行ったりしなくてはならない。雪の降る寒い日などは、なかなか辛い作業だった。あるとき朝礼で校長先生が話したことを、健太郎はいまでもよくおぼえている。将来は石炭などを使わなくても、エランによって簡単に暖房ができるようになる。エランを使って発電した電気によって、日本中の街が夜でも明るくなる……そんな話を校長先生は得意げにしたものだった。日本にとっても、健太郎たちの村にとっても、エランは明るい未来の象徴だった。
 しかし村の人たちが、この物質について、どのくらい正確な理解や認識をもっていたかとなると、甚だ心もとないところがあった。「明るい未来のエネルギー」というキャッチフレーズから飛躍し、逸脱して、かなり怪しげなことを口にする大人は、小学校の校長先生にとどまらなかった。たとえばエラン鉱石と一緒に一晩置いておけば、安物のお茶でも玉露のような味になるとか、二級酒が特級酒並みになるとか、真面目な顔をして言う大人も現れた。
 時ならぬ「エラン・ブーム」に町中が沸き立っていた。農業や林業以外に、これといった産業もない土地に住む者たちにとって鉱床の発見は、まさに降って湧いた幸運だった。大人たちは毒にでも当たったみたいに、「未来」や「科学」や「エネルギー」という言葉に熱狂した。町の名前を全国にPRしようと、役場は「エラン音頭」なるレコードを製作して販売した。観光土産として「エラン饅頭」、エラン鉱石の粉末を釉薬にした「エラン焼き」などが登場し、都会からやって来た会社が、万病に効力を発揮する健康器具としてエラン枕やエラン腹巻など、ほとんどインチキまがいの商品を売り出した。隣の町では、エラン鉱石を湯船に入れたエラン風呂やエラン温泉が、珍しい物好きの観光客を呼び込んでいるということだった。
 そのころになって健太郎たちは、あらためて夏に出会った老人のことが気になりはじめた。あの老人はどうなったのだろう。老人の探していたものが、エランであったことは間違いない。彼は一人ひそかに、貴重な鉱物を探しまわっていたのだ。なぜ、このあたりの山に目をつけたのかはわからない。たんなる偶然なのか、何か信頼のおける情報でも手にしていたのか。いずれにしても老人は、きっと目当てのものを見つけたのだ。そして忽然と姿を消した。
「殺されたんじゃないかの」と豊は言った。
「誰にけ」
「あのジープの男たちかもしれん」
 豊の推理はつぎのようなものだった。当局は、老人がエラン鉱床を探しまわっていることを知っていた。また発見した鉱床を、彼が一人占めするであろうことも見越していた。その上で、老人にエランを探させておき、鉱床の発見が確認された時点で抹殺したというのである。
「なんのために、そんなことをしたんけ」
「エランは国全体のもんじゃけえ、爺さんに一人占めさせてはならん」
「なら、爺さんを殺したのは警察か」
「そこまではわからん」
 冬がやって来るころになると、山のあちこちで発破の音が響くようになった。坑道の開削がはじまったのだ。音は健太郎たちの村まで聞こえてきた。その音を耳にするたびに、健太郎は不思議な気分になった。石炭に換算すると何億トンにも相当するといわれた。国の将来を左右するとも言える有望なエネルギー源が、毎日のように遊んでいた山のなかに埋まっているというのだ。坑道は何箇所かで同時に掘り進められていた。工事用のトラックが頻繁に町を通るようになり、そのための道路が整備された。
 村の幹線道路が舗装されたのは、健太郎たちが六年生に進級するころだった。近所の中学生の一人がローラー・スケートを持っていた。ほどよく勾配のついた舗装道路は恰好の遊び場となった。それはちょっとしたブームと言ってよかった。何人かの子どもたちが相次いで、親にローラー・スケートを買ってもらうことに成功した。手に入れ損なった子どもたちは、仲間のスケートを貸してもらった。なんでも自分で製作するという性分の武雄は、古くなった下駄の歯を切り落とし、板底に戸車を釘で打ちつけた。いかにも不細工なローラー・スケートは、たしかに滑るには滑ったが、すぐに戸車が外れてしまうので、武雄もあきらめて、途中からは友だちのスケートを借りて滑ることにした。しかしトラックの往来が増えてくると、道路でのローラー・スケート遊びは危険だということで禁止された。
 そんなふうにして山は切り開かれていった。健太郎の祖父は「山が動きよる」と言った。日ごとに山の姿が変わっていくことを、そんなふうに表現した。
「山の仕事も、人間がやりよるあいだは間違えるこたあね」と祖父は言った。「人のやることには限度があるでな。斧や鋸で一日に何本も木を伐るこたあできん。無理すりゃあ、身体のほうがえろうてまいってしまおう。どうしても身体と相談しながらのことになる。ところが機械は限度ちゅうもんを知らん。そこが困ったとこよ」
 多くの木が伐られ、開削のためのスペースが整地された。坑口の近くには、大量の木材が積み上げられていた。坑道の天盤を支える支持材として使われるものらしい。掘られた鉱石はトロッコを使って運び出される。そのためのレールが敷かれ、トロッコのための操車場も設けられた。運び出された岩石は、坑道の近くの小山をなして積み上げられていった。
 その年の秋には、小学校の生徒が全員で鉱山へ慰問に行った。鼓笛隊で練習した曲を演奏し、生徒を代表して多賀清美が、作業の安全を願う内容の作文を朗読した。鉱員たちのほとんどは、単身で働きにきている人たちだった。平地が乏しいために、彼らが寝起きするための住居は谷間の傾斜地に密集して建てられていた。ヘルメットにキャップ・ランプを装着した男たちは、下を向いていくらか照れ臭そうに、清美の朗読に耳を傾けていた。全員が爪先に金属板が埋め込まれた安全靴を履いていた。
 現場責任者のような人が、慰問にたいする感謝の言葉を述べ、鉱山での仕事について簡単に説明した。仕事の内容や役割の分担。採石するにつれて、どんどん拡大していくトンネル。週ごとに変わる勤務シフトによって、鉱員たちは一日二十四時間、エランを掘りつづけている。「トンネルのなかでは、昼も夜も関係ありません」と男は言った。校長先生をはじめ、引率してきた先生たちは軽い笑い声を上げたけれど、子どもたちは誰も笑わなかった。なぜおかしいのかわからなかったからだ。男たちは暗いトンネルのなかで、昼も夜もエランを掘りつづけている。健太郎たちが学校で勉強しているあいだも、家の布団で寝ているときも、地中で休む間もなくエランを掘りつづけている。子どもたちの未来のために、街という街を明るく照らすために。豊が言うように、これから日本は工業の国になっていくのかもしれん、と健太郎は思った。(イラスト RIN)