なお、この星の上に(5)


 澄みきった透明な水音が森の木々のあいだを流れていく。川底の石はまだ眠りから覚めていない。静まり返った森のなかで、蜘蛛はじっと獲物がやって来るのを待っている。この時期、巣に掛かってくれる虫は少ない。苦労して張りめぐらした巣には、真珠のような水滴がたくさんついて、梢から射し込む朝日に輝いている。昨夜の雨は、ヤブツバキの葉蔭でやり過ごした。おかげで全身が固くこわばっている。それでも蜘蛛は辛抱強く待ちつづけた。雨が降るたびに春が近づいてくる。やがて森は緑に色づきはじめるだろう。餌になる虫たちが出てくる季節まで、あと少しだ。
 蜘蛛が巣をかけている近くでは、ホオノキに日光を遮られたユキノシタが、どちらに枝を伸ばそうかと思案していた。まったく予想外のことだった。いつのまにこんなに大きくなっていたのだろう。冬のあいだは葉を落としていたので気づかなかった。光は植物にとって食糧そのものだ。早く明るい場所に出なければならない。日差しを完全に遮られてしまえば、枝を伸ばすことは難しくなる。そうなれば他の植物に侵入され、悪くすれば枯れてしまう。まさに死活問題だった。だが間違った方向へ枝を伸ばしても光は得られない。右へ向かうか左へ向かうか。ユキノシタは芽と葉と茎を総動員して正しい答えを導き出そうとしていた。
 ようやく岩にたどり着いたイワガラミは、このときとばかりに成長をはじめていた。こいつに巻きついてしまえば一安心だ。アケビやツルアジサイも急いでいた。運良く、からみつく木に行き当たったのだ。この幸運を最大限に生かさなければならない。逆に、サルに喰い荒されたヤマヨモギは、根から吸収した水分を残った葉に送りながら、しばらく様子を見ることにした。食べられた部分は致命傷にはならないだろう。いずれ身体は回復するはずだ。しかし苦労して茎を伸ばし、葉を茂らせても、また食べられてしまってはどうしようもない。周囲のヤマヨモギたちも、被害にあった仲間の惨状に顔をしかめながら、当分は生長を見合わせることにした。気まぐれなサルたちは、そのうちに別の餌を見つけて場所を移動するだろう。
 森のなかに光が満ちてくると、小鳥たちの活動が活発になった。ホオジロやウグイスやクロツグミが一斉に鳴きはじめた。シジュウカラの夫婦は巣作りに適した場所を探して森のなかを飛びまわっている。「ヒョー、ヒョー」と口笛を吹くような単調な声で鳴いているのはトラツグミだ。ウグイスは「ホー、ホケキョ」と長閑な声で鳴きつづけている。それぞれの鳥たちが、地鳴きをしながらお互いの位置を確かめ合っている。いまのところ小鳥たちの世界は平和だった。もちろん新しい一日が何をもたらすか、わかっているものはいない。餌は見つかるだろうか、外敵に襲われることはないだろうか。いつも満足というわけにはいかない。成功するか失敗するか。ときには死が待っている。
 だが、こんな素晴らしい日に死を考えるなんて馬鹿らしい、とホオジロは思った。昨夜は危うくキツネに襲われるところだった。藪のなかで眠っていたから助かったようなものだ。頭のいいキツネは雨音に紛れ、濡れた落ち葉の上を音も立てずに近づいてきた。幸い藪の小枝に、キツネの身体がわずかに触れた。その小さな音に気づいて、慌てて飛び立ったのだ。暗闇のなかをめくら滅法に飛びまわった。フクロウに襲われなかったのは幸いだった。そんなことがあった翌日なので、ホオジロは今日という一日を精一杯に楽しむことにした。また危険な目にあうかもしれない。安らぎの時間は短く、安息は死と隣り合わせだ。それでも生きているあいだは、風と光に祝福された、この生命のことだけを考えよう。
 突然、ウグイスの鳴き声が変わった。「ホー、ホケキョ」から、「ケキョ、ケキョ」という断続的な鳴き方に変わっている。森の鳥たちは素早く灌木の茂みに身を隠した。みんな声も立てずにじっとしている。森の上にワシが現れたのだ。クロツグミは藪のなかで安堵のため息をついた。ワシなら安心だ。こうして身を潜めているかぎり襲われる心配はない。だが恐ろしい動物は他にもたくさんいる。タカ、フクロウ、キツネ……彼らがいつ、どのようにして現れるかわからない。生きることは危険な冒険だ。片時も警戒を怠ることはできない。
 とくにフクロウのやつはたちが悪い、とクロツグミは去年の秋のことを思い返した。冬眠も渡りもしないフクロウは、秋のあいだにたくさん食べて脂肪を蓄え、冬を乗り切らなければならない。餌になるのは主にノネズミだ。秋はノネズミたちにとっても大切な季節だった。冬の食糧を確保するために、少々の危険も顧みず、夢中になって木の実や草の実を集めようとする。そんなネズミたちを、フクロウは一夜に十匹も二十匹も狩りつづけた。サシバたちが渡りをはじめるころから、紅葉した木々が葉を落として森に初雪が降るころまで、ひたすらネズミを食べつづけた。あんなに食べて気持ちが悪くならないのだろうか、と熟した柿が何よりも好きなツグミは思った。
 サシバといえば、あれも去年の夏のことだ。杉の枝にとまった若い一羽が、獲物を待ってじっと地面を見つめていた。サシバの好物は蛇だ。草のあいだからそいつは現れた。体長五十センチ以上もあるシマヘビだった。よほど腹を空かせていたのか、若鳥は猛然とヘビに襲いかかった。ちょっと獲物が大き過ぎやしないか、と心配症のツグミは思った。案の定、シマヘビはサシバの身体に巻きついた。思わぬ反撃にあったサシバは、なんとかシマヘビをもぎ離すと、ほうほうの体でもとの杉の枝に逃げ帰ったものだった。
 最後にヨタカが鳴くと、森は静かになった。昼間の鳥たちがひとしきり声高く鳴いて、今日も一日が終わろうとしている。やがて東の空に宵の明星が現れた。それを追いかけるように明るい月が昇った。月は静かに森の木々を照らしはじめた。森のなかにはたくさんの世界がある。それぞれ言葉も違えば、大きさや成り立ちも違う。蜘蛛の世界は小鳥たちの世界ではないし、ノネズミたちの世界はフクロウの世界ではない。しかも蜘蛛は自分たちが生きている世界と一つのものであり、小鳥やノネズミやフクロウも同じだった。彼らは自分たちの世界の外に出ることはできない。自分と一心同体の世界を離れて生きていくことはできない。こうした生き物たちの世界は、隔たりながらも少しずつ重なり合っている。そして二つの世界が出会うとき、死が生まれる。蜘蛛は小鳥に食べられ、ノネズミはフクロウの餌食になる。生命は生命の上で、生命のなかで繰り広げられる。
 だが永く森を見守ってきた月は、この悲劇的でもあれば暴力的でもあるわずかな重なり、偶然とも必然とも言える出会いこそ、森が自らの力で生まれ変わっていく源であることを知っていた。さらに月は、こんなふうにも考えた。死はけっして動物たちの内側に潜んでいるのではない。彼らに訪れる死は、悪い出会いとでも言うべきものだ。悪いものであれ、出会いは出会いである。異質のものが出会わなければ、新しいものは生まれない。自然の移り変わりや、再生はありえない。豊富な食べ物との出会い、繁殖のための雌雄の出会い……良い出会いは動物たちの活動能力を増大させる。逆に悪い出会いは生を委縮させ、ときには死をもたらす。しかし動物たちはどこまでも、彼ら自身によって裁かれている。死が訪れるにしても、それは外からやって来る偶発事であり、彼らの内に包まれた永遠を損なうものではけっしてない。いくら必然的なものであっても、死にそのような力はない。むしろ必然であることによって、死は絶えず変化しつづける永遠の一旦を担っているのだ。自然においては死もまた善きものと言える。
 明日になれば、空に太陽が昇るだろう。暑さは大地をひび割れさせ、雨は種子を腐らせる。その種子を、蟻たちがせっせと運びつづける。土のなかでは、いまも無数のバクテリアが活動しているはずだ。動物たちの死骸や糞を分解し、土に返すのは彼らの仕事だ。動物が死ねば、その腐敗臭をたよりにハエがやって来る。ハエは卵を生み、孵ったウジたちが死体を処理する。さらに死臭いを嗅ぎつけて、いろいろな虫たちが集まってくる。無数の生命が、長い時間をかけて森をつくり上げていく。その森を、月は今夜もやさしく照らそうと思った。(イラスト RIN)