なお、この星の上に(3)

 いつのまにか竹林のところまで来ていた。そろそろウグイスが鳴きはじめるころだが、林のなかは静まり返っている。竹林の横は柿畑だった。これらの柿は出荷用で、実を採りやすいように、大人が手を伸ばせば届くくらいの高さに揃えて剪定されている。鮮やかな緑の新芽が出てくるのは、あとひと月以上も先のことだった。いまは節くれだった丸裸の枝を、何かにつかみかかろうとするかのように、雲ひとつない空に向かって伸ばしている。
 やがて道は棚田のあいだを縫うようにして上りにかかった。土手にも何本か柿の木が植えられているが、ほとんどは渋柿だった。出荷用と違って、こまめに剪定もされないため、枝は伸び放題になっている。健太郎の祖母は干し柿を作るのが上手かった。母親の話によると、嫁に来たころから評判だったらしい。いまも器用に皮を剥いて干し柿を作る。ただ乾かすだけではだめで、黴を生やすために、途中で取り込んで藁に入れたりしなければならない。意外と手間のかかる作業だった。その甲斐もあってか、表面に白い粉を吹いた祖母の干し柿は見た目にも美しかった。軒下の竹竿に柿が吊るされているのを見ると、また冬がやって来るのだなと思い、健太郎はちょっと物悲しい気分になった。
 干し柿にするためには、熟す少し前に実をとって皮を剥かなければならない。これが面倒なので、かなりの実は取り残されたままになる。とくに枝も折れそうなほどたわわに実った年は、粒が小さいので干し柿には向かない。そんな年には、多くの実が枝に付いたまま熟していく。その時機を見極めるようにして、ムクドリたちがやって来る。ツグミやヒヨドリやオナガもやって来る。彼らはよく熟れた柿が好物だった。ときどき一つの実をめぐって喧嘩をしている。たくさんあるのだから別の実を食べればいいようなものを、人間と同じで鳥たちも意地を張り合うらしい。群れで啄んでいるところをゴム管で狙えば、一発くらい当たりそうな気もするが、なんとなく心ないことに感じられて、健太郎はいつも二の足を踏んでしまうのだった。
「武雄、あの柿を撃ってみいや」枝の先に残っている干からびた柿をさして、健太郎はけしかけるように言った。
「ちょっと遠いの」武雄は思案げに答えた。
「無理か」
「そんなこたあな」
 武雄は足もとの手ごろな小石を拾った。あいだに挟んでゴムを引き絞った。歯を喰いしばり、必死の形相で引っ張っている。固唾を飲んで見守っている三人も、加勢するように拳を握りしめている。石が放たれた。シュッという音とともに、小石は空気を切って飛んでいく。スピードが速くて、目で追うことができないほどだった。残念ながら実には命中せず、枝に残っていた葉が数枚落ちただけだったが、ゴム管の威力は明らかだった。
「だいぶ飛んだの」健太郎は感心したように言った。
「当たったら一発だの」新吾が石の飛んでいった方をみたまま言った。
「もちいと的が大きけりゃあ当たるで」そう言う武雄の顔には、小さな汗の粒が浮かんでいる。
 四人は再び歩きはじめた。棚田の二番穂は、この時期は茶色になっている。冬のはじめには燃えるような蜜柑色だったチガヤも、いまは褐色に近い暗い色をしていた。土手やあぜ道にレンゲ、タンポポ、オオイヌノフグリなどの草花が咲きはじめるころには、春休みも終わりに近づいている。
「四月からは三年生だの」それまでほとんど口をきかなかった田部豊が言った。
「二年生が終わったら三年生になるのは当たり前じゃが」武雄が小馬鹿にしたように答えた。
 豊は出端をくじかれた感じで下を向いた。四人のなかで、豊はいつも割を喰う役回りだった。気が小さいので、なんとなく見くびられている。
 村では毎年、夏休みの終わりに青年団の主催で肝だめしが行われることになっていた。通過儀礼的な意味合いをもつイベントで、小学六年生の男子は全員、これに参加しなければならない。いま一緒に歩いている四人が、その年の六年生だった。墓地と火葬場と避病院という三つのコースがあり、どのコースになるかは直前まで明かされない。健太郎たちの年は避病院だった。それを聞いたとき、豊はほとんど泣きそうになった。もちろん墓地や火葬場も嫌だが、避病院の気味の悪さは格別だった。もともと伝染病に感染した者たちを隔離するために建てられたもので、いまは閉鎖され廃墟になっている。松林のなかにあり、昼間でも暗い避病院のまわりでは、夜になると魔物が出ると言われていた。
 ここを夜更けに一人で一周しなければならない。順番は籤引きによってきめられる。最初が武雄で、二番目が新吾、三番目が豊、最後が健太郎だった。武雄と新吾は無事に帰ってきたが、三番目の豊は青年団の若者に背負われて戻ってきた。肝試しではコースの途中に何人か若い衆が潜んでいて、やって来る小学生を脅かすのが恒例となっている。彼らの迫真の演技に、豊は恐怖にかられて腰を抜かしてしまったらしい。このハプニングのせいで、脅かすほうもやる気をなくしたらしく、最後の健太郎はそれほど怖い思いもせずに済んだ。
 小学校を卒業すると、村の子どもたちは少し離れた町の中学校に通うことになっている。他の幾つかの村の子どもたちも通ってくるのだが、家が近所ということもあり、中学生になってからも、四人は何かと行動を共にすることが多かった。
「健太郎は将来は医者になるんじゃろ」しばらくして豊は言った。
「医者ではのおて、獣医じゃよ。まだはっきりきめてねえがの」
「そなら普通高校だな」
「獣医になるには、大学へいかなならんで。栗山の話では、よっぽど勉強せな入れんらしい」
「健太郎は勉強好きやけんええじゃないね」武雄が言った。
「別に好きやない」健太郎はやや心外そうに答えた。
「武雄は本当に猟師になるんけ」新吾が真顔でたずねた。
「わしは勉強嫌いだけん」
「かあちゃんはなんも言わんのけ」
「なんも言わん。未亡人会の仕事が忙しゅうて、息子んこと考えとる暇などないんじゃろ」
「何がそんなに忙しいんかの」新吾は素朴な疑問を口にした。
「わしにもわからん」
「豊も進学じゃろ」健太郎は話を持ち出した本人に言葉を向けた。
「まあの」豊は煮え切らない返事をした。
「普通高校か」
 豊は再び下を向いて考え込んだ。
「担任になんか言われたんけ」健太郎は探りを入れるようにたずねた。
「先生はなんも言わんが、家のもんがの……」
 健太郎と武雄は同じクラスだったが、他の二人はそれぞれ別のクラスだった。しかし四人とも、お互いの成績くらいは知っている。豊の成績なら、当面の進学には問題ないはずだった。
「反対なんかの」健太郎がさらにたずねると、
「親は高専を勧めるんじゃが」と豊は言った。
「高専か」
 健太郎が行こうと思っている普通高校は、隣町とはいえ自宅からバスで通うことができる。しかし県内に一校しかない工業高等専門学校となると、自宅から通学することは無理だった。それに高専は全寮制とも聞いている。
「これから農業はだめらしいで」豊は受け売りの口調で言った。「この先、日本は工業の国になっていくけん、高専に行って技術を身につけたほうがええ言うんじゃ」
「農業がだめんなる言うが、おまえんとこも農業じゃし、うちも農業だろが」新吾が不信感をあらわにして言った。「おれはこれから家継いで農業しよう思いよるに、そんなこと言うてもろたら困るが」
「高専へ行きとうねえなら、親にそう言やあええが」健太郎は控えめに口を挟んだ。
「そうじゃ」新吾も同意した。
「どうしょうもできん」豊は悲観的に答えた。
「吉衛門爺さんとこに弟子入りして、わしと一緒に猟師になるか」
 武雄が言うと、豊は相手のほうをちらりと見て、人生の苦難を一身に背負ったような大きな溜息をついた。ひょっとして豊は清美と離れるのが辛いのではないだろうか、と健太郎はひそかに思った。多賀清美は健太郎たちと同じ年に村の小学校を卒業した、五人の女子のうちの一人だった。どうやら豊は清美に、ほのかな想いを抱いているらしいことに、健太郎は前から気がついていた。明らかに他の女子とは区別している。言葉や態度の端々に、そのことが感じられた。健太郎は小さいころから身近にいる清美にたいして、異性という意識さえもったことがなかった。武雄や新吾にしても同じだろう。豊は見かけによらずませているのかもしれない、と健太郎は思った。(イラスト RIN)