なお、この星の上に(2)


 農家の生垣から、馬酔花の白い花が顔を覗かせていた。庭先では梅は鮮やかなピンクの花をつけている。牛がときどき間延びした鳴き声を上げた。春休みに入ったばかりの日曜だった。四人はほとんど喋らずに、大根や白菜が植えられた畑添いの道を歩いていった。畑の黒い土は、暖かそうな太陽の光を浴びている。
 山鳥を撃ちに行こうと言い出したのは武雄だった。カモばかり撃つのには飽きたという。撃つといっても、使うのは「ゴム管」と呼ばれる玩具のような用具であり、「飽きた」というほど獲物が捕れるわけでもない。しかし他の三人も、あまりスリルのないカモ撃ちよりは、山に入って獲物を狙うほうが面白そうだということで話がまとまった。
 彼らが持っているゴム管は、各自が手作りしたものだった。まずフレームにするために、丈夫な二股の木を探してくる。できるだけきれいなY字型になったものが理想だった。二股のあいだにゴム製のバンドを渡し、その張力によって小石を飛ばすという仕組みである。とくにゴムを引っ掛けるところは壊れやすいため、針金などの金属で補強する必要があった。ゴムはチューブ状のものを二重にして使うのが一般的で、熟練すれば四、五メートル先の空き缶くらいは撃てるようになる。
 その日、武雄が新たに製作してきたゴム管は、ちょっと特殊な仕様になっていた。バンドの部分に、自転車のタイヤに入っているゴム製のチューブが使ってある。フレームも通常の二倍ほどある大ぶりなもので、ゴムを掛けるところは、引き戸に使う金属製のレールで補強してある。
「おまえ、凝り過ぎじゃ」通常のゴム管を持ってきた新吾が呆れたように言った。
「かっこええだろ」武雄は得意そうだ。
「たしかに威力はありそうじゃが」健太郎は半信半疑に言葉を挟んだ。「ちゃんと命中するんかの」
「もちろんじゃ」
「試してみたんか」新吾がたずねた。
「うん、試してみた」
 武雄のところは父親が戦争で亡くなり、残された母親は未亡人会という組織の役員をしている。下に妹が二人いて、上の妹は健太郎の妹と同級生だった。武雄は中学を卒業したら猟師になると言っている。本人は真面目に考えているらしいが、担任の栗山は「ちゃんとした就職先を考えろ」とことあるごとに諭している。たしかに健太郎たちの村で、専業の猟師といえば吉衛門爺さん一人だけだ。しかも歳をとって、ほとんど引退しているという話だった。この歌舞伎役者みたいな名前の爺さんのところに、武雄は中学を卒業したら弟子入りしたいと考えている。
「吉衛門爺さんは、いろんなまじないが使えるんぞ」と彼は我が事のように自慢した。
 それは呪文のようなものらしかった。獲物をおびき寄せるための呪文や、仕掛けた罠にイノシシやシカをかからせるための呪文。
「人間にも使えるんぞ」不気味なことも口にした。「まじないをかけられた人間は、山から出られんようになる。なんぼ歩いても道がわからんようなってしまうんじゃ」
 健太郎たちのあいだで、吉衛門爺さんは一つの伝説だった。まず年齢からして、はっきりしたことがわからない。九十歳以上と言う者もいたし、百歳を超えていると主張する者もいた。すでに死んでいるという説さえあった。遺体は死んだあとも腐らずに、いまでも囲炉裏端にじっと坐っているという。吉衛門爺さんの家は山奥の峡谷にある。山の切り立った斜面の石塁を積んで建てた小さな家に、一人で住んでいるということだが、生死さえはっきりしない爺さんのことだから、確かなことはわからない。
「行ったことあるんかの」健太郎がたずねると、武雄はあるともないとも答えずに、
「家の壁には、百発百中の銃が掛けてあるんぞ」と見てきたようなことを言うのだった。どうやら彼のなかで、吉衛門爺さんは生死を超えて神格化された存在になっているらしかった。
「自分にまじないをかけたのかもしれんな」
「どうしてじゃ」
「死んだあとも腐らずに坐っとるのは、まじないが利いとるんじゃろう」
 武雄は露骨に厭な顔をして、それ以上は吉衛門爺さんのことを話題にしようとしなかった。武雄を傷つけたかもしれないと思い、健太郎は少し気が咎めた。(イラスト RIN)