なお、この星の上に(2)


 山に動物たちが集まっているらしい。飯場では怪我をした人夫もいるという。不可解なことだ、と村の人たちは思った。どんな動物も好んで人を襲うことはない。まして大勢の男たちが集まっている場所へ、のこのこ出てくる物好きはいない。
 そもそも多くの動物は自分たちの縄張りをもっている。サルのように群れで移動するものでも、ほぼきまった形と面積の行動範囲があり、そのなかを遊動して暮らしている。彼らが動きまわる範囲は、林や草地、山や崖などの複雑な地形と植生から成り立っている。季節に応じてねぐらや餌を採集する場所、水飲み場などを求めて移動する。こうした行動域は世代を超えて群れに受け継がれ、よほどのことがなければ変わらない。
 お山がおかしくなっているのだ、と一人の年寄りが言った。無闇に木を伐り、あちこちを掘り返したせいだ。山の神さまが怒っているに違いない。なぜ怒っているのか。誤った扱われ方をしているからだ。いかにも山は誤って扱われ方をしている。山を知らぬ者たちが、お山を痛めつけている。地中を深く掘り進み、山が大事に育んできたものを粗忽に取り出そうとしている。お山に埋まっているものは、そっとしておかなければならない。出てきたくないから土のなかに留まっているのだ。赤ん坊と同じで、月日が満ちれば自ずと出てくる。だが赤ん坊と違い、ゆっくりとしか育たないから長い時間がかかる。何万年も、何億年もかかることもある。その時間をないことにして、人の都合で無理無体に引きずり出そうとしている。
 都会の人間はなんでも急ぎ過ぎる、と別の年寄りが話に加わった。一年を十日ほどのつもりで暮らしているように見える。相撲取りじゃあるまいし。一年を十日で暮らしておれば魂も抜ける。魂が抜けた者には狐がとり憑く。狐に憑かれておることも知らずに飯を喰ったり、女を抱いたりしよる。あんたはまだ嬶を抱きよるか。わしのことではない。狐にとり憑かれた者が、どうなったか知っているか。知っているとも。喉を掻き切って死んだのよ。どうして喉を掻き切った。夜毎に金縛りにあったということだ。身動きもできぬ状態で、この世のものとも思われぬ苦しみを味わった。どんな苦しみか。骨を砕かれ、皮を剥がれ、肉を削がれるような苦しみだ。本当か? わからん。本人が死んでしまっては、真実のところはわからん。家族の者たちは祈祷師を呼んで狐を追い出そうとした。狐は出て行ったが、夜毎の苦しみは変わらなかった。とうとう気が狂ったようになって、自分で喉を掻き切ったのだ。
 都会の人間には用心せねばならん。ああした連中はみんな山師と思って、まず間違いはない。カネの話を持ち出してきたら用心することだ。都会の人間が持ってくる話は、昔から算盤にあったためしがない。得をするのは連中だけで、村の者は泣きを見る。下手をすればおのれの喉を掻き切ることになる。欲を掻けばろくでもないことになるということだ。四郡がどうなったかを思い出すことだ。黒いダイヤともてはやされ、特飲街もできて景気はよかったが、ヤクザが入ってきて街は荒れた。その挙句に、いらなくなれば見捨てられる。借金で首を吊る者も出たそうではないか。坑道のなかで毒を飲んだ者もおったらしい。いずれにしてもろくなことにはならん。最後は死人が出るものと相場はきまっている。
 お山に埋まっているものも同じだ。時代遅れになれば見捨てられる。そのときわしらに何が残っているのか。このあいだも偉い政治家が来て言ったものだ。あなたたちの山に埋蔵された鉱物が電気を生む。みんなの役に立つ。お国を発展させる。だが、みんなのなかにわしらは入っているのか。いくらお国が発展しても、村が衰えてはどうにもならん。政治家はいつも調子のええことを言う。言葉もたくさん知っておる。ほとんどは無用な言葉だ。いらん言葉が増えたのは、戦争が終わってからのことだ。言葉を巧みに操る者には用心せねばならん。田んぼも畑も知らぬ者に何がわかる。とくに「大臣」などという肩書きで喋る者は信用ならん。
 村の者たちにも問題はある、とそれまで口を閉ざしていた年寄りが言った。どういうことか。村が一つにまとまっていない。なるほど、そうかもしれん。お山がおかしくなっているのも、そこに原因があるのではないか。村の者たちの気持ちが一つになってこそ、わしらの願いは通じる。誰かが別のことを考えておれば、山の神さまも願いを聞き届けてはくれぬ。昔は災いが迫れば、たちまち村は一つにまとまったものだ。別の考えをもつ者などいなかった。ところがいまはどうか。お山が掘り返されていることでも、自分たちの懐が潤うと喜んでいる者もいる。
 そんな者がいるのか。わしらのことではない。若い連中のことだ。口には出さなくても、内心ではそう思っている。カネが村の者たちをよそよそしくさせるのだ。人と人のあいだを冷たい水のように流れて、一つにまとまろうとする力を削いでしまう。ここだけの話にしておけよ、と釘を刺して一人の年寄りが口を開いた。都会の連中と手を握っている者がいる。カネを受け取っているやつがいるのだ。誰か、それは? 名前は言えぬ。心当たりはあるのか。見当はついている。おい、めったなことを言うものではない。噂が独り歩きをして、気の急く者たちが軽はずみなことを仕出かさぬともかぎらない。それはそうだ。黙っておくにしくはない。だが村の者たちの心が一つになり、力を合わすことができなければ、わしらは都会の者たちに敗れてしまう。連中は村のものを一つ残らず奪い取っていくだろう。
 嫌な時代になったものだ、と誰かがため息をついた。これなら戦争中のほうがよかった。あのころは、わしらも若かった。もはやわしらには良い村をつくり出すことはできない。いまは息子たちの時代だ。あの者たちは戦争に行って、少しおかしくなっているのかもしれん。これから村はどうなっていくのか。行く末を見届けるのは辛いことだ。長生きをするのも考えものだ。早く墓に入ってしまったほうが楽だ。ときどきそんな心持ちになる。罰当たりなことを言うものではない。戦争で死んだ若い者も大勢おるのに。ああ、そうだったな。生きたくても生きられなかった者になりかわって、わしらは生きている。そういう気持ちで、お迎えが来るまでは生きることにしよう。(イラスト RIN)