この国の首相が記者会見で新型コロナ・ウイルスのことを「この恐ろしい敵と戦っていく」なんて言っていた。やれやれ、まるで魔物扱いだ。そのうち生贄を捧げて祭祀でもはじめるんじゃないか。こうした言い方がウイルスを拡散していく大きな要因になっていることに、本人は気づかないのだろうか? 気づかないんだろうな。
日本の首相が特別にバカなのだろうか。そうだけれど、世界各国の首脳をはじめIT企業のCEOや、平時にはまとまなことを言っている文化人も似たり寄ったりの発言をしている。殷王朝の時代に亀の甲羅や動物の骨に焼き鏝を押しつけて、できたひびの形から吉凶を占うみたいなことを、近代国家の王や貞人たちがこぞってやっている。まるで数ヵ月のあいだに、ぼくたちの世界が中世を飛び越して古代にまで巻き戻されてしまった感じだ。このタイムスリップ感はいったいどういうことだろう。
グローバリゼーションとIT技術の猛威によって国家の融解がはじまり、そうした流れは安倍やトランプに見られる国家の露骨な私物化として数年前から加速していた。今回の新型ウイルスによって、すでに死に体だった国民国家や民主主義といった近代のシステムが一気に瓦解しようとしている。その現場に、ぼくたちは立ち会っているのだと思う。前にも書いたように、1990年代以降、社会主義国家がつぎつぎと自壊していったようなことが世界規模で起こるのではないだろうか。
事態の本質はなんだろう? 『神々の沈黙』のなかでジュリアン・ジェインズは、一般的に「心」と呼ばれている主観的意識のある心は、いまから3000年ほど前に生まれたと推定している。それまでは彼がいうところの〈二分心〉の時代だった。つまり人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた。こうした〈二分心〉は社会統制の一形態としての役割を果たし、おかげで人類は小さな狩猟採集集団から大きな農耕生活共同体へと移行できた、とジェインズは考える。なぜなら〈二分心〉の人間にとって、声こそが意思であり、意思は命令という性質をもつ声として現われ、そこでは命令と行動は不可分で、聞くことが従うことだったからだ。
現代はいわば3000年以上も前の〈二分心〉の時代に戻っているのではないだろうか。そこで命令を下す「神」は、いまでは専門家と称される人たちが発信する情報やデータになっている。ぼくたちは24時間オンラインの状態で生活しているので、常時、これらの「神」の声を聞いていることになる。「神」の声のなかに目に見えないウイルスが紛れ込めば、たちまち世界中の人たちが感染する。いま起こっていることは、そういうことではないだろうか。
今回のウイルスにたいして、ぼくたちは自分で考え、自分の意志で決定を下すことが難しくなっている。情報やデータといった「神」の声に従う傾向が強くなっている。危機的な状況において「心」は不要であるどころか、むしろ邪魔なのだ。身に大きな危険が迫れば〈二分心〉の時代に戻って「神」の声を聞き、声に従う。そういう本性を人間はもっているのかもしれない。(2020.3.29)
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