ぼく自身のための広告(15)

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15 メモ

 たんにメモが好きというよりは、ほとんど生態の一部になっている。完全に習慣化していて、朝起きてから寝るまで、なにかというとメモをとっている。メモをとることが、本を読むことやものを考えることと一体化しているのだ。だから机の上は、たちまちこんな状態になる。

 特別にメモ用紙というものはなくて、たいていプリントアウトしたA4サイズのコピー用紙の裏側を使っている。これをカッターナイフで半分に切ったものが定型。何十枚かをクリップで挟んで、仕事をする机の上はもちろん、音楽を聴くリビングや食事をするダイニングなどにも置いている。そして思いついたらすぐにメモ。

 以前は、筆記用具はシャープペンシルだったが、最近はもっぱら万年筆を使っている。3本ほどを使い分けて、書き心地やインクの色の違いを楽しんでいる。仕事をする机の上には2本、ブルーブラックは小説のためのメモ、ブラックは思想や哲学っぽいもの、と一応使い分けている。

 どんなことが書いてあるかって? まずはブルーブラックのもの。〈サヤ、再びダンスをはじめる。ダンス教室の帰り、プラットホームで亡くなった母親を見る。クチナシ、ゴミ回収。深夜の公園で踊っているサヤを目にする。〉これから書こうとしている小説のプロット案。

 つぎは黒のインク。〈人を好きになることは、その人が内包している可能的世界を生きようとすること。彼女の「顔」に予兆のようにあらわれているものを自己として表現していくこと。彼女のなかに包まれているものを現実として進行させていくこと。〉こちらはジル・ドゥルーズがプルーストについて述べていることを、ぼくなりに展開させたもの。

 ついでにダイニングのテーブルにあったメモからも。〈見つめるだけで女性を妊娠させる男。セクシーな男の比喩らしいが、楽しいか? お楽しみはゼロ。〉テレビで映画か何かを見ていて思いついたのだろう。ただメモしただけ。おそらく使い道はない。

 溜まったメモを読み返して、いらないものは捨てる。使えそうなものはとっておく。 書き直したり書き加えたりしながら、少しずつ自分の文章になっていく。 メモのいいところは、そうやって随時更新していけるところだ。行き詰ったときなど、机の端に積んであるメモ束のなかにヒントが見つかったりする。反復めいた地味な作業が、ぼくには向いている気がする。