新作『なにもないことが多すぎる』を語る(Part2)

最新作を語る
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k:執筆の動機を教えてください。
K:急に他人行儀になるね。
k:もともと一人でやってるわけだから、他人行儀にならないと差別化できないだろう。
K:じゃあこうしよう。きみは一人称に「わたし」を使う。ぼくは「ぼく」を使う。これでちゃんと差別化できる。
k:じつに安易だ。
K:まあ、小説の作法としてはそうだけど、一人称の多様さって、日本語の非常に大きな可能性という気がするな。実作者としては悩むところでもある。一人称に何を使うか。「ぼく」と「わたし」では文章のリズムが違ってくる。大袈裟に言うと文体が変わってくる。
k:「おれ」もあるしね。
K:漢字で「僕」と表記するか平仮名で「ぼく」とするかでも、作品の雰囲気が変わる。翻訳の場合も考えどころだと思うね。「ぼく」一人称で親しんできた作品が、新訳では「私」になっていて、どうも馴染めないことってあるものね。慣れの問題なんだろうけど。
k:日本語って繊細にできているよね。
K:そう思うね。それにくらべると、英語ってやっぱりユニバーサル・ランゲージだよ。数学的言語に近い。自分は「I」でいいじゃないかっていう簡明さ。いかにもコンピュータ言語向きだ。あくまでも一対一対応の同一化をめざす。日本語も公用で使われる一人称は、だいたい「私」だよね。でも小説では、一人称は「私」だけでいいって話にはならない。なぜかというと、ぼくたちはそういう生き方をしていないから。小説とはなにより生を擁護するものだ。法的言語ともコンピュータ言語とも違う。百人に百通りの「私」がある。それを日本語は、わたし、わたくし、あたし、あたい、ぼく、おれ、わし、わい、わて、うち、おいら、おれっち、ぼくちゃん、あっし、あちき、みども……ほとんど無限のバリエーションで表現する。なんて愛おしい言語だろう。一人称の多様さってことからは、いろんなことを考えさせられるよ。どうしてこんなにたくさんの一人称があるのか。それは一人称が二人称との関係においてつくられるからだと思う。このあたりはいま『小説のために』というエッセーで考えようとしていることだけど。
k:そろそろ執筆の動機を聞かせてもらえますか。
K:そうだった。十年ほど時間を巻き戻したところから話すと、オリジナルの『ブルーにこんがらがって』は、かなり自伝的な要素が強い作品だった。さらに時間を遡って高校二年生の冬休み、ユリウス暦でいうと1976年かな、ぼくは補習の時間に気絶したことがあるんだ。ちょうど40年前だね。友だちと話をしていたら、突然気を失って倒れてしまった。目撃者によると、コンクリートの床に後頭部を打ち付けたあと、しばらく白目を剥いて痙攣していたらしい。すぐに意識が戻って、あれ? おれ、どなっちゃったわけ? で、補習が終わってから病院へ行った。いや、その前に保健室に行ったんだ。保健室の若い女の先生に事情を話すと、とりあえず眼科を受診したほうがいいわよって言われて、眼科に行って目の検査とかして、とくに異常はみとめられないけど、ちゃんと検査をしてもらったほうがいいだろうってことで、総合病院の脳外科に紹介状を書いてくれた。そこで癲癇と脳腫瘍を疑われちゃってね。癲癇ならドストエフスキーみたいでカッコイイけど、脳腫瘍は困る。それまでに友だちの二人が脳腫瘍になって、一人は死んでいたんだ。もう一人は手術をして生還したんだけど、どっちにしてもおおごとだと思ったわけだ。あと骨肉腫で亡くなった友だちもいて、なぜか当時、ぼくのまわりはそういうヘヴィな状況になっていた。死の匂いが立ち込めていたっていうか、その印象は強力だったね。で、自分も彼らの仲間入りをするんだろうかと思ってね。かなり切迫した気分で、死というものを真剣に考えたような気がする。高校二年生だから思考の言葉はもっていないわけだけど、多感な時期でもあるから、自分ではわりと大きな体験だったと思っている。
k:結局なんともなかったわけだよね、こうやってわたしと話をしているってことは。
K:何ヵ月か病院に通って定期的に脳波をとるってことになった。いまほど画像診断の技術が発達していなかったから、しばらく脳波をとってみないと確定的な診断が下せないってことだったんだと思う。その何ヵ月間かは、やっぱり不安だったよ。生殺しの状態っていうかね。当時はバンドをやっていて、おまえが死んだら追悼コンサートを開いてやるとか、バンド仲間から慰めにもならない言葉をかけてもらったり。そういうエピソードは今回の小説でも使っている。とにかく第一稿はそんな感じだった。病院へ通っているときに一人の少女と出会って、病院の屋上で夕日を見るシーンとか。何ヵ月か経って、看護師さんから彼女が亡くなったことを聞いたというエピソードとか。それで病院の屋上へ行くと雪が降ってきて、降りしきる雪を一人で見ている。亡くなった彼女も、どこかでこの雪を見ている気がするっていうのが、たしかラストのシーンだった。
k:なかなか良さそうじゃない。
K:自分でも話していて、そういう気がしてきた。第一稿のエッセンスは、たぶん今度の作品にも残っていると思うよ。
k:どうなったの、その第一稿は。
K:単行本にするには分量的に短かったんだ。原稿用紙で百枚ちょっとだったと思う。別の中編を幾つか組み合わせて本にできないかと思って動いてみたんだけど、うまくいかなかった。そのまま何年間も放置していたんだ。そしたら2011年に福島の原発事故が起こった。