往復書簡『歩く浄土』(4)

往復書簡
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第四信・片山恭一様(2017年9月6日)

 メキシコはどうでしたか。ドン・ウンィズロウの『犬の力』や『ザ・カルテル』の雰囲気はありましたか。第三信の結びで片山さんは「いかに人間の未来を思い描くかによって、来るべき世界はユートピアにもなればディストピアにもなる。そういう大きな曲がり角に、ぼくたちは立っているのだと思います」と書いておられます。おおきな曲がり角は人類史的な転形期です。およそ二千年前に東洋と西欧でそれぞれの超越が発明されました。東洋の仏と西欧の神です。この発明は人類史を画する大革命だったと思います。神や仏という自己に先立つ超越が法という観念を媒介に自由や平等や博愛として根づくのに二千年を要しました。法の下に自由で平等であるということはやはり観念の偉大な革命であったと思います。このふたつの革命を経て、いまビットマシンによる革命のただなかを生きています。ぼくはひそかに意識の外延革命と名づけています。この革命は人格を媒介にすることなく、じかに生に介入します。新しい外延自然ができつつあるのです。このあたりについては片山さんと長く話をしてきました。人間が社会的な存在であるとすれば、人類の初期に贈与としてあった生が贈与経済から交換の経済の過程に入り、いよいよ富の分配が格差を生みます。ビットマシンがこの格差をいっそう押し広げている。トマ・ピケティの『21世紀の資本』の世界ですね。
 第二次世界大戦の惨禍を経てフーコーは『言葉と物』で人間の終焉を宣言しました。予言の書だったと思います。わずか50年後に人間の終焉は現実味を帯びてきています。ディストピアが脳裏をよぎります。人間という理念の影が薄くなるのは必然であるとしても、ぼくたちはこの時代の趨勢に対して否ということを強く主張してきました。思考の慣性としてある内面と外界という世界認識がビットマシンによって浸食され、内面を外界に同期することが自然であるような思考の慣性がつくられつつある。そこでは世界システムの属躰であることが自然であるとされます。この自然を自然として認識することが内面であることになります。この過程は不可避です。安倍晋三的なものと反安倍晋三的なものは意識としてはまったく同型でおなじ思考の慣性の流れのなかにある。ここを例えでいってみます。それは傷は消毒するのが正しく、バランスのとれたカロリー制限食が健康をうながし、がんを早期に発見し、早期治療をすれば延命できるとされます。この囚われは深い。しかしいずれも科学知の思考の慣性が真理としているうそです。宗教や国家や法だけが共同幻想ではない。ある思考の慣性を前提として真理がつくられます。そしてこの思考の慣性を強固に支えている論理式が同一性です。
 「歩く浄土191」の親鸞論は難解ということなので、そのことについてもう少し考えてみます。ぼくは親鸞の他力思想を内包論で拡張できると考えています。このメモにたどりつくのに長い時間がかかりました。親鸞の他力思想でもっとも困難なのは他力の信をどういうふうにときほぐすかだと思います。国家からの折り返しや交換が贈与へと相転移できるかどうか、信の共同性の根をぬくことができるかどうかにかかっています。
 ぼくが親鸞の他力について考えてきた筋道を書いてみます。宗教の要をなす仏という観念は親鸞にとっては生の知覚でありなにより明証的なことでした。リアルな観念の自然であり公理です。それは疑い得ない事実としてありました。なぜ親鸞は自力ではなく他力を主張したのでしょうか。自力の信が信の共同性をつくるからだと思います。そして信の共同性はこの世の似姿にしかなりません。信の位階制はこの世のしくみをなぞるようにこの信の共同性のなかに写像されます。自力ではなく仏の慈悲を一方的な受動性として承けることにあると信を組み替えたのです。それが親鸞の他力だと思います。矛盾は解消されるか。されないとぼくは考えました。もともと宗教は共同幻想です。その核心に仏という観念があります。ではその共同幻想によって衆生の生を救済することができるか。ぼくは原理的にできないと考えました。共同幻想で生の意味づけをすることはできないからです。他力思想によっても信を解体できない。それは親鸞が観念の自然とみなした思想が共同幻想性を払拭できていないからです。そのまま800年余、解決されることなく持ち越された来たのです。浄土教の狭義の解釈をしているのではない。なまなましい現在のこととして考えています。信の共同性の根をぬくことはそのまま思考の慣性を超えることを意味しています。それはビットマシンによる外延表現の革命とはまったくべつのまなざしをつくることと直結しているとぼくは思います。
 〔ことば〕は〔性〕であると考えてみます。最期の親鸞は他力や自然法爾を〔性〕として生きたのではないか。親鸞より近い仏を親鸞として生きるとき、親鸞の自己は領域化され、親鸞でありながら仏であるということは、親鸞が〔性〕であるということです。他力も自然法爾もそれ自体が〔性〕だと思います。おのずからしからしめるという自然(じねん)という言葉は〔性〕となるほかないと思います。おそらく最期の親鸞の自然法爾はそれ自体にたいしてもうひとつの表現を遂げていたのではないか。言葉としては遺されていませんが、それ以外に信の共同性を解く鍵はありません。
 言葉をじぶんにとどけることをぼくは表現だと言ってきました。言葉が言葉を生きると、その言葉はじぶんにとどきます。言葉がじぶんにとどいたとき、そのじぶんとはなんでしょうか。じぶんが一閃され領域になっています。言葉がじぶんにとどいたとき、じぶんが領域化されるのです。内面と環界という思考の慣性は拡張される。この自然を内面化できるでしょうか。内面化とは余儀なさであり、外界の否定性や矛盾としてあります。内面化という意識のあり方では語りえぬ自然が否定性ではなく肯定性として表現されることに気づいたのです。たしかに親鸞の他力によって浄土は歩きます。でも歩く浄土を互いが持ち寄っても人間の関係のありかたは変わりません。他力をもう1回転しないと、この世のしくみは変わらないと思います。自力廻向を180度回転させると対蹠的な場所に還相廻向の他力があらわれる。さらに180度回転させると、俗にあらずが俗となってあらわれる。このとき存在はそれ自体に重なることになります。こうやって俗と俗にあらずのすきまが埋まると考えました。またこの心的な機微が棲まう大地のことを内包自然と呼んできました。だから〔ことば〕は〔性〕であるということになります。ここで自己の陶冶が他者への配慮となめらかにつながるように思います。親鸞の他力は根源の二人称にうながされてもう一捻りされるのではないでしょうか。
 人間の考えたことが文字として残されるようになった歴史時代以降、思考は大河の流れのようなものとしてあります。またおおきな思考のうねりからさまざまな思考が派生する。その思考の流れをわずか半世紀随走してきた。わたしたちの生をちいさな自然と比喩してみる。このちいさな自然は外界のおおきな自然に囲まれてますが、かりにそのちいさな自然を自己と呼び、またこの自己を囲繞するおおきな自然を世界と名づけてみます。自己を「私」と呼べば、ここに「私」と世界という認識の構図ができる。さらに私という自己には内面があり、内面の矛盾が外化されたものとして世界があると考えられます。この世界認識には観念の自然として普遍性があり、ひとつの強固な自然として存在しています。ぼくは普遍性としてそびえ立つ自然の全体を自己意識の外延表現と名づけてきました。通常、歴史は野蛮、未開、原始、古代、中世、近代、現代という時代区分で記述されます。意識の外延性を歴史だとするとこういった歴史の段階を設けることはできますが、意識の外延性は同一性が外化されたものなので、意識の外延性を内包化すると外延史とはまったくべつのまなざしの歴史を構想することができると考えました。そうすると歴史時代以降の世界の全体をモダンと定義することができます。その長い影の果てに、このモダンな歴史がビットマシンによって超モダンへと組み替えられつつある。いま世界の現在はここに位置しています。この人間の意志が参与できない外延的な革命は人格を媒介にせず生にじかに介入するのです。この世界の地殻変動を可能としているものはテクノロジーです。意識の外延性の下では自己を実有の根拠として歴史を刻むしかなかったのですが、内面と外界という世界認識がやせ衰えてビットマシンの自然に呑み込まれようとしているその臨界の場所に立ち会っているような気がしています。
観念にとっての認識の自然とはなにか。だれのどんな生もその時代の観念が真理とみなす知を認識の自然としています。是非を問うているのではないのです。人類は数万年も数十万年も前から、月の満ち欠けや潮の満ち引きや水が高いところから低いところに流れることについて認識していたと思います。充分に認識していたはずです。その時代の観念が自然とするものに囲まれて生きているわけです。崖を飛び降りると地面に落ちますが、なぜりんごが地面に落ちるのかと考えることはありません。落ちるのが自然だからです。たまたまひとつの現象を取りあげていますが、この自然現象に重力という観念を差し挟んでみます。重力という観念の発見は天動説を地動説にひっくり返しました。潮の満ち引きは月が地球の海水を引っ張っているわけです。地球の重力が水を引き寄せるから水は高いとこから低いところに流れるわけです。あたりまえとしていた自然の現象が重力という観念によって粗視化され説明されます。いま興隆しつつある遺伝子工学もやがて素粒子レベルの生物学の記述法ができると、分子生物学は時代遅れになります。そういうことを親鸞についてのメモを書きながら考えていました。
 親鸞にとっての観念の自然とはどういうものだったのでしょうか。世界の説明原理を仏典に負うほかなったし、それが親鸞にとっての観念の自然にほかならなかった。仏典のなかに諸派があり、浄土教の流れでいうと天親の『浄土論』と曇鸞の『浄土論註』があり、一文字ずつもらい親鸞という名がある。法然の浄土教は念仏を唱えると浄土に行けると信のありかたを決めました。その教義を親鸞は解体しようと試みたのです。鎌倉時代の乱世を生きる衆生の救済は仏典の浄土という概念以外にはないのです。制度そのものを対象とする思想はないわけです。親鸞の書き遺した言葉を追っていくと、自力のはからいを捨て、他力に身を委ねよということが延々と説かれます。ぼくの理解では自我が自己を所有しているという思考の慣性を組み換えないと浄土はあらわれないと親鸞は考えたのだと思います。救済という仏教の根本教義を親鸞は拡張したかったのです。
 ぼくは親鸞の他力という自然を組み替えようと内包論で試みています。「末燈鈔」で親鸞は他力のなかに自力はあるが、他力のなかにまた他力というものはないと言っています。親鸞の思想を作品として、詩として読むと、別のことが言えます。他力のなかにまた他力はないと親鸞が言うとき、それが親鸞にとっての思考の慣性です。もちろん親鸞の浄土論によって仏教の理念は大幅に拡張されています。自力廻向を還相廻向に押し広げたところに親鸞はあたらしい自然をつくったのです。それが親鸞にとっての観念の自然、つまり思考の慣性です。そこで親鸞の観念の自然を宮沢賢治の作品を読むときとおなじように詩として読んでみます。親鸞の思想を表現として読み込むということです。すると他力のなかにさらに他力があることに気づきます。親鸞の他力が思考の果てということでもないのです。親鸞が考えることもなかった自然があります。ぼくは他力のなかの他力を内包と名づけました。親鸞の他力のさらに手前にある他力のことを、ぼくは仏ではなく〔性〕と呼んでいます。親鸞の他力を粗視化すると世界に対するべつのまなざしができることに気づいたのです。内包的な贈与という考えがひとくぎりついたら内包浄土論でことばの始まる場所と歩く浄土を総合してみようと構想しています。意識の外延表現ではなく、貨幣論やAI論を含めて意識の内包論が可能なことを、どこまで行けるかわかりませんが、世界構想として言ってみたいのです。
 ここで親鸞の自然法爾(じねんほうに)について少し考えてみます。「末燈鈔」で親鸞は自然法爾についてわかりやすく説いています。石田瑞麿訳でその箇所を取りあげます。「自然の自はおのずからということであります。人の側のはからいではありません。然とはそのようにさせるという言葉であります。そのようにさせるというのは、人の側のはからいではありません。それは如来のお誓いでありますから、法爾といいます。法爾というのは如来のお誓いでありますから、だからそのようにさせるということをそのまま法爾というのであります。また法爾である如来のお誓いの徳につつまれるために、およそ人のはからいはなくなりますから、これをそのようにさせるといいます。これが判って、すべてあらためて人ははからわなくなるのであります。ですから義の捨てられていることが義である、と知らねばならないといわれます。言葉をかえていいますと、自然というのは、元来そのようにさせるという言葉であります。阿弥陀仏のお誓いはもともと、人がはからいを離れて南無阿弥陀仏と、仏をたのみ奉るとき、これを迎えいれようとおはからいになったのですから、人がみずからのはからいを捨てて、善いとも悪いともはからわないことを自然というのである、と聞いています。如来のお誓いのかなめは念仏の人をこの上ない仏にさせようとお誓いになったことであります。この上ない仏といいますのは形もおありになりません。形もおありにならないから自然というのであります。形がおありになるように示すときには、如来のさとりをこの上ないものとはいいません。形もおありにならないわけを知らせようとして、とくに阿弥陀仏と申しあげる、と聞き習っています。阿弥陀仏というのは自然ということを知らせようとする手だてであります」
 もうひとつ横超について親鸞が語っていることを引いてみます。「竪(じゅ)というのはたてという言葉である。これは自力聖道門の難行道の人にいうのである。横(おう)はよこということであり、超は超えてというのであって、これは仏のお誓いと修行と救いのお力といった他力の船に乗ってしまうと、生死を繰りかえす迷いの大海を横にのり超えて、真実報土の彼岸に着くのである」(「一念多念文意」石田瑞麿訳)
 親鸞が語った自然法爾と横超についてぼくが考えてきたことを書きます。宗教的な信は共同幻想です。仏の慈悲も共同幻想です。浄土に行く道は自力(竪超)と他力(横超)があると親鸞は言い、心を込めて南無阿弥陀仏を称名すれば、浄土に行くことは必定であるとくり返し親鸞はいうわけです。ほんとうに他力で共同幻想としての信が解体できるのだろうか。できないとぼくは考えました。他力という共同幻想に同期すれば救いがもたらされるということを親鸞は言っているだけで、信の根にある共同幻想は解体されないからです。他力という信を解体するには親鸞より近くにいる仏を親鸞が領域として生きなければならないのです。領域としての親鸞を親鸞は意識することもなく生きているわけですが、領域としての親鸞のありかたを他力でいうことはできません。他力は煩悩にまみれた極悪深重である親鸞と仏の関係です。仏の慈悲によって親鸞は照らされます。そしてそれだけなのです。親鸞の他力を覚知する者がどれだけいても他力の覚知者相互の関係はなにも変わらない。そのことを主張してきました。あるいは親鸞の他力の思想は内包論に出会うのに800年かかったとも言ってきました。
 如来の第十八願は姿も形もない自然(じねん)であると親鸞は言います。南無阿弥陀仏と一念すれば仏は迎え入れる。この自然(じねん)は依然として共同幻想です。自然(じねん)は領域化されないかぎり信を解体することはできないとぼくは考えたのです。だから自然法爾がわずかにふくらむことについて延々と考えてきました。親鸞は他力と横超をおなじものととらえていますが、親鸞の思想を詩として読むと、微妙なずれがあるような気がしていました。他力のなかに竪超の片鱗が残っているように感じてきたと言ってもいい。若気の至りで親鸞が思わず口にした非僧・非俗という境涯。他力でも俗と俗にあらずのすきまを埋めることができない。俗に非ずは俗を包括することができないからです。引き裂かれた生の煩悩を他力が癒やすことは実感できます。でも隣にいる人の煩悩に働きかけることはできません。苦で翻弄されている傍らの人に他力を説くことはできます。手から手へと受け継がれた他力の信を束ねると共同的な信になるのです。意識の外延性それ自体を拡張しないかぎりこの矛盾は解けないのです。一人ひとりが他力を覚知したとしても、他力の信は束ねられるだけです。他力という信の集団ができます。どうしても信の根がぬけないわけです。俗と非俗、無知と非知は違います。俗であるか非俗であるか、無知であるか非知であるかを問わなくなるときに信は解体されます。信が信それ自体に陥入する契機はなんでしょうか。信が信それ自体に融即し、信を突き破る契機はなんでしょうか。世界と対座して苦悩する「私」の極悪深重を他力がやわらかく解きほぐすことはまちがいない。ほんとうに問われなくてはならないことは「世界」と「私」という認識の自然そのものを組み替えることです。ぼくの理解では親鸞の他力もまた意識の外延表現の極北としてあります。意識の外延表現という思考の慣性を認識にとっての自然とするかぎりこの自然の外に出ることはできません。他力という自然の埒外にある自然が他力を領域化するとき、他力という自然がわずかにふくらみ、信が解体されます。
 意識の外延性の果てまで言葉のおおきな弓を引いて、ここに浄土があると言い切った親鸞の思想はすごいと思います。地獄のただなかにあっても浄土は歩くのです。なにがあろうと歩いて行くことができるというのが如来の慈悲である。もっと匂い立つ自然はないのか。野の花、空の鳥が歌い踊る自然はないのか。他力の手前に他力の基になる自然があると思います。内包自然から親鸞の自然法爾は派生するのです。もっとはるかにシンプルな情動がある。もっと音色のいい自然がある。この自然のことをぼくは根源の二人称と呼んでいます。考えている最中でなかなか伝えにくいのですが、親鸞の善人が往生するなら悪人はなお往生するという悪人正機の思想がありますね。この考えをもう一回転倒させたいと思ったのです。「信から迷いがなくなるときその信を自力廻向と言い、信が迷いに埋め尽くされるときその信を他力廻向と言う。他力の信を得れば煩悩はなくなるのか。極悪深重からまぬがれるのか。いよいよ煩悩は深まり極悪深重は重篤になるのではないか……自力より他力のほうが浄土は遠く、他力より自力のほうが浄土に近い」(「歩く浄土188」)自力を他力へと反転し、その他力をもう一度反転させることもできるのではないかと考えたのです。自力と他力を2回転させたとき、親鸞の他力という自然とはべつのまなざしの自然が出てくると思うのです。思弁的な知識ではなく実感的なことです。自力と他力や俗と俗にあらずという一対の言葉は言葉と言葉のあいだにわずかなすきまがあります。このすきまを親鸞の思想が埋めることはできないような気がします。ぼくと親鸞では、なにを観念にとっての自然とするかの前提がちがうからです。親鸞は意識の外延性を観念にとっての自然と前提としています。ぼくは意識の外延性を内包化した自然をつくっています。つまり親鸞の他力を領域化することで、正定聚を還相の性へ、自然法爾を内包自然へと拡張することができるのです。そうすると俗に非ずは俗を突きぬけ、他力の手前にある根源の二人称を生きることになる。おおまかにはそういうことになります。
 思考の慣性としてはたしかに自我が自己を所有しているという観念の強度があります。観念の自然はいつの時代もそのようなものとしてあらわれます。生を引き裂く自然は、端的には、飢餓や痛みは「私」に属し、この実在感は煩悩となってあらわます。生老病死もそうです。煩悩はほかのだれでもなく「私」という実在感に還元される。自我という私性を所有しているのはわが身であるとなるのです。親鸞は観念にとってのこの自然の根を抜こうとしたのです。自力廻向ではなく他力を説いた親鸞の宗教的思想の本願はここにあると理解しています。内包論では自力廻向を意識の外延的な表現と定義してきました。自力を内包化するとき、過ぎ越す過程として親鸞の他力があらわれると内包論で考えたのです。気づいたことをないことにはできない。気がついたから仕方ないのです。他力にも表現の余白がある。若い頃読んだ吉本隆明の美しい言葉があります。『最後の親鸞』でかれはつぎのように書いています。
 「〈知識〉にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、その頂きから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに〈非知〉に向かって着地することである。この『そのまま』というのは、わたしたちにとって不可能にちかいので、いわば自覚的に〈非知〉に向かって還流するするよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この『そのまま』というのをやってのけているようにおもわれる。横超(横ざまに超える)などという概念を釈義している親鸞が、『そのまま』〈非知〉に向かうじぶんの思想を、『教行信証』のような知識によって〈知〉に語りかける著書にこめたとは信じられない。」
 凍てつく大地に亀裂を走らせる凛とした音色のいい言葉だと思います。ぴんと張り詰めた緊張感のある言葉です。若い頃この言葉の感触に惹かれました。そのうえで言うのですが、最期の親鸞は吉本隆明の理解する親鸞の彼方を生きていたように思います。最期の親鸞の信は他力でも自然法爾でも非僧非俗でもなかった。そう思えてなりません。なにか他力よりも苛烈なものではなかったか。親鸞は意識することなく他力をもう一回ひっくり返していた。親鸞に固有の意識のうねりが消失する間際にそういうことを夢想していたのではないか。むろんそれは非知でもありません。俗でも非俗でもない。非知よりも、俗や非俗よりも激しい情動ではなかったか。意識を外延的に表現するかぎり、意識は他力までしか来ることができません。ではその他力はどこから来たのでしょうか。親鸞にとって他力の源は観念の自然である仏です。親鸞の生きた時代の観念の自然であり思考の慣性です。ここで根深い疑問が生じます。仏教も仏もぼくの理解では共同幻想です。浄土教の教義を解体するということは根元の信を解体することです。仏教という共同的な信を他力という自然(じねん)で解体することがきるか。できないとぼくは考えました。信をつくらない信によってしか共同的な信を解体することはできない。その可能性を内包論は探っています。最期の親鸞が生きた未知のなかにもっと豊穣な生の源泉があるような気がします。意識のうねりは他力や自然法爾のもっと先まで行くことができます。それは神仏の彼方ではなく、神仏という思考の慣性を可能とする観念の自然のはるか手前にあるのです。
 外延化された観念の自然を内包化したら世界はもっとやわらかく匂い立つのではないか。自力の果てるところに他力があらわれ、その他力を根源の性が抱き取る。自己意識を内包化すると〔性〕があらわれてくる。自然(じねん)という〔ことば〕は〔性〕なのです。この認識の自然のことを還相の性と名づけてきました。固有名から始まり、固有名が固有名のまま匿名となる〔還相の性〕というものがあります。還相の性はそのまま〔ことば〕なのです。内包論では〔ことば〕と〔性〕を分離していません。根源のふたりという〔性〕です。この根源の性を分有することでまずは往相の性が形になってあらわれ、煩悩に塗れ、のたうつ。それにもかかわらず、それぞれの往相の性のなかに、還相の性が、無限にちいさなかたちで、往相の性を統覚するように折りたたまれて挿入されている。言葉として親鸞が残したわけではありませんが、親鸞の未完の思想を承け取り、その未知をひらき拡張することができると考えるようになりました。親鸞が仏より近い親鸞を親鸞として生きるとき、親鸞が仏であるか、仏が親鸞であるか、判然としません。そこに未知の生の、未知の歴史の、猛烈な可能性があります。
 最期の親鸞は他力のはるか手前にある根源の二人称を領域として生きていた。神も仏も、心身を一如とする同一性が引き取り外化した根源の二人称の面影なのです。神仏は外延的な自然に属しています。ここまでくると、正定聚は往相の性の深奥にある還相の性へ、自然法爾は内包自然へと意識のうねりをと遂げるほかない。ここではじめて信の共同性のしばりが解けて、生が全円的な表現となる。そしてこの生を歴史の概念とすることもできると考えています。信の共同性のしばりをほどくことは未知の歴史の猛烈な可能性を示唆します。信の共同性の根をぬくことができるから、国家ではなく喩としての内包的な親族が、ある可能性として輪郭を描き、そのことは貨幣の交換が贈与へと相転移することをどうじに意味することになります。いまはまだわたしに固有の気づきかもれしれませんが、外延的な意識の内包化は、存在しないことが不可能な普遍性として、主観的な意識に襞のうちにある信とはことなったまなざしを生むことになると思います。内包は自己へも共同性にも還元できない唯一の信だとぼくは思います。