家族として見た世界~人がつながること

講演原稿
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 今日は家族についてお話しします。まず家族というものを、どういうところでとらえればいいか。実体としての家族、現象としての家族、あるいは文学、思想としての家族。いろいろな切り口で家族を語ることができます。そこで家族というものを象徴する出来事と言いますか、ぼくが家族について考えようとするときに、すぐに思い浮かぶ場面を幾つかご紹介してみます。
 最初は自分の体験からお話しします。もう三十年近く前の話なのですが、ぼくのところは男の子が二人いて、兄弟とも小学校に上がるまで近くの保育園に預けていました。年度末の移行期に保育園は2、3日休みになります。奥さんは看護師をしていたので、彼女が勤務の日には、ぼくが一日子どもたちの相手をすることになります。小学校の校庭や公園で遊ばせたり、お昼ご飯を食べさせたり、午後はしばらく昼寝をさせたりするわけです。
 そのころは公団のマンションの一階に住んでいました。小さな庭が付いており、庭に面した6畳間を寝室にしていました。布団を敷いて子どもたちを寝かせ、ぼくも横に寝転がっていました。お天気のいい春の日の午後で、障子を透したやわらかな日差しが部屋のなかに伸びている。子どもたちは気持ちよさそうにお昼寝です。彼らの寝顔を見ているとき、突然、「なんて幸せなんだろう!」という思いが沸き起こってきました。これ以上の幸せはない、というくらいの圧倒的な多幸感なんですね。もう本当に幸せだなあと思ったことを、いまでも鮮明におぼえています。
 これが家族というものを考えるときに、ぼくの一つの原体験と言いますか、原型になっている気がします。つまり家族っていいものだ、ということです。世界でいちばんいいものじゃないか、これ以上のものはいらないんじゃないか、そのくらい家族というものにたいして肯定的なんです。それは自分の幸福な子ども時代とか、ぼく自身が結婚して親になって、子どもたちとの関係のなかで、「幸せだなあ」とか「生きいてよかったなあ」とか実感として思った。そういう体験がもとになっている気がします。
 家族がいいものだということ、この上なくいいものだということを、人は誰でも本能的にというか、生まれながらに知っているのだと思います。そこに本当にいいものがあることを、実際に体験する前に知っているから、誰かと一緒になり、子どもをもうけて家族をつくる、ということを誰に教えられることもなく、また誰に強制されるわけでもなく、完全に自発的な行動として、何万年ものあいだ延々とつづけているのではないでしょうか。だから人類は戦争ばかりしながらも、今日まで滅亡せずにつづいているのだと思います。
 「ボランティア」という言葉は、家族のあり方にこそあてはまる気がします。英語の「Volunteer」というのは自発的なという意味ですね。日本語には「自然(じねん)」という言葉があります。おのずからという意味で、もとは仏教用語じゃないかと思います。親鸞の言葉に「自然法爾」というのがありますが、これは無為、無想に念仏を唱えると、阿弥陀仏のほうでひとりでに往生させてくれるということだと思います。
 家族をつくる、家族をなすという営みも、これに近いものがあるような気がします。個々人の思惑を超えたところで、おのずから家族をなしてしまう。自然とそうなってしまう。そして現実的には、楽しい幸せな時間というのはわずかで、むしろ心配や苦労のほうが圧倒的に多いわけですが、稀に至福の時間が訪れる。おのずからなる浄土というか、ひとりでに往生するような瞬間が、かならず家族のなかにはあるような気がします。

 もう一つ、家族というものを象徴する場面というか、出来事と思えるものがあります。いまお話した「おのずから」ということとも関係するのですが、ぼくが読んだ本のなかから二つの例をあげてみます。
 一つは真木悠介さんという社会学者が、『自我の起原』という本のなかで紹介している事例です。1980年代後半にヴェトナムからの難民船の幾つかが日本にも漂着することがあって、そのうちの一つを真木さんは偶然に見る機会があったそうです。小さな木の船に、考えられないくらい大勢の人が乗っている。漂流の途中で多くの人が亡くなっているのですが、最初に死んでいったのは小さな子どもをもつ若い母親たちだった、という話を関係者から聞いて感銘を受けたことを真木さんは書き記しています。つまり母親たちは船に積まれた乏しい食料を幼い子どもたちに与え、自分たちは真っ先に飢えて死んでいったわけです。
 同じような事例が、鴨長明の『方丈記』にも出てきます。いまから800年ほど前に書かれた書物です。そのころの世の中は、源平の戦いで平家が滅びるころですから政情不安で、戦乱のために京の都をはじめ人々の暮らしの場は荒廃していました。さらに旱魃や台風に見舞われて大飢饉となり、それに疫病が追い打ちをかける。度重なる災厄によって地獄のような惨状だったらしいのです。それを長明は克明に記録しています。ちょっと原文を読んでみます。

 またいとあはれなることも侍りき。去りがたき妻、夫持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあいだに、まれまれ得たる食ひ物をも彼に譲るによりてなり。されば、親子あるものは定まれることにて、親ぞ先立ちける。また、母の命尽きたるを知らずして、いとけなき子の、なほ乳を吸ひつつ、臥せるなどもありけり。

 現代語訳は必要ないでしょう。古文の教科書にも出てくる有名な下りです。やっぱり食べ物の配給順序をめぐるものですね。ヴェトナムの難民船の出来事と同じことが、800年前の日本でも起こっているわけです。それはどういうことかというと、家族のなかでは優先順位として自分が一番ではないということです。家族を営むということは、本来的に自己の生存を危うくするようなところがあって、いろいろな場面で、子どもとか連れ合いとか、自分以外の者を優先させる。それが無理なく、自然にできてしまう。個人の計らいを超えたところで、おのずからそのように振舞ってしまう。だから自己犠牲とか、利他的行為とか、そういうことが家族のなかではしばしば起こってくるのだと思います。
 これはもうなんと言いますか、人間の普遍的な情動というか、本能に近いものと考えていい気がします。けっして倫理や習慣に則っているわけではないと思うんです。後天的に身に付いたものではない。だから人種、民族を超え、時代を超えて同じことが起こってくるのではないでしょうか。こういう根源的な情動があったからこそ、ヒトは人になったのだと言いたいくらいです。おそらく家族というのは、人種や民族の習慣やしきたりを超えて、遥かに根源的なものです。それは歴史の一過程で生まれたというものではなくて、人間の歴史がはじまる根源にあったものではないかと思います。通常は「家族」と呼ばれているものの核になるような情動があったからこそ、人間の歴史ははじまった。いまあるような人の世界が生まれた。ぼくはそのように思います。

 話が少し高級になってきたので、身の丈にあったレベルに戻します。皆さんは『タイタニック』という映画をご覧になったでしょうか。監督はジェームズ・キャメロンで、主演はレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット、1997年の映画です。
 豪華客船が氷山にぶつかって沈没する話ですね。1912年に起こった実際の出来事です。イギリスのサウサンプトンからニューヨークへ向かう処女航海で、当時史上最高の豪華客船が沈んでしまう。その船に乗り合わせていたのが、上流階級の令嬢であるローズと、貧しい青年ジャック・ドーソンだった、というのが映画のほうの設定です。ケイト・ウィンスレット扮するローズは、不本意な結婚をさせられようとしている。その婚約者の男と一緒に船に乗っています。一方のジャックは、画家志望で故郷であるアメリカに帰るところです。二人は運命的な出会いを果たし、身分や境遇をも越えて愛し合います。
 そこへ事故が起こる。海に投げ出された二人は、沈没した船の残骸につかまりながら救助を待ちます。しかしローズを助けようとして、自らは冷たい氷の海に浸かった状態のジャックは力尽き、「きみは生きろ」と言い残して海中へと沈んでいきます。ここでもやはりヴェトナムの難民船や『方丈記』と同じことが起こっているわけです。愛しい人の生命を優先させ、わが身は次にする。完全にボランティアな自己犠牲の行為です。
 しかもこの二人、出会ってから数日です。なにしろタイタニック号は、出航して三日目くらいには沈んじゃいますからね。その間に、ジャックは素早くローズの心をとらえ、自殺しようとしていた彼女を思いとどまらせ、婚約者から彼女を奪い、自動車のなかでちゃっかり愛を交わして、最後は自らが犠牲となって冷たい海に沈んでいく。数日前までは見ず知らずだった、赤の他人の女性のために。
 まさに人生の神秘です。これ以上に不思議なことがあるでしょうか。考えてみると、家族の核になる男女の出会いは、みんなこんなふうにして起こっているわけです。見ず知らずの赤の他人同士が偶然に出会う。そうやって何万年もつづいてきた。これからもつづいていくでしょう。家族というと、ぼくたちはすぐに血縁ということを考えますが、その核をなす関係は、赤の他人同士の偶然の出会いによってつくられるのです。いまこの瞬間にも世界各地で、見ず知らずの赤の他人同士が出会っているはずです。そして夫婦になったり家族になったりする。家族同士は親戚になります。家族の家族は遠い親戚になります。そうやって世界中の人たちが親戚になる。70億の人類が遠い家族になっていく。
 いまの首相は中国の脅威を煽るようなことばかり言っていますが、中国人と日本人の男女だって恋に落ちるのです。一瞬にしてローズとジャックになる。車のなかとか、いろんなところで愛を交わして、知らないうちに子どもができたり孫ができたりするのです。そうやって中国人と日本人が家族になり、親戚になる。そんなふうに日中関係を考えたほうがいいと思います。最初から相手方を敵視して、軍備を増強するようなことをやっても、早晩行き詰まることは目に見えています。
 それよりも70億の人類を家族にしてしまう。コンピュータに演算させれば一瞬です。70億の人々、一人ひとりにローズがいて、ジャックがいるのです。チベットの山奥か、アラスカあたりのイヌイットの村か、東チモールかシエラネバダかわからないけれど、どこかにかならず、その人にとってのローズやジャックがいるのです。

 もう一つ、ぼくが家族というものを考えるときに、とても大切だと思う場面があります。ご記憶の方も多いと思いますが、山手線の駅でホームから落ちた酔っ払いを助けようとして、日本人のカメラマンと韓国人留学生が進入してきた列車にはねられ、三人とも死亡した事故がありました。三人はまったく面識がありません。たまたまそのときホームに居合わせたというだけです。ホームに落ちた人は泥酔状態で、それを助けようとした一人は外国人です。
 いったい何が起こったのでしょうか。いろんな解釈が可能だと思いますが、ぼくはヴェトナムの難民船や『方丈記』に記されたことと、同じことが起こっていると思います。あるいはタイタニック号の上でローズとジャックに起こったことと、本質的に同じことが起こっていると思います。つまり三人の見ず知らずの人間が、一瞬にして家族同然のつながりをもった。そういうことではないでしょうか。
 線路に落ちた一人を助けようとして、二人が自分の命を犠牲にした。おそらく自己犠牲という意識はなかったと思います。咄嗟に身体が動いてしまったということかもしれません。ぼくたちから見ると、二人は難民船の母親たちと同じことをやっています。「わが身は次にして」と『方丈記』に記されているとおりの行動をとっています。
 あとから美談になるほど稀な事例です。しかし、あるのです。あるということを認識することが大切だと思います。犠牲になった二人が特別だったわけではないと思います。非常に稀なことだけれど、誰の身にも起こりうることだと思います。それこそ個々人の計らいを超えたところで、おのずからなる行為なのかもしれません。それは悲劇として現れることもあるけれど、一方で、人間のなかのいちばんいいものと言いますか、誰もが人としてもっている、とても大切なものが明滅するようにして、この世に姿をあらわした瞬間でもあると思います。
 もう少し敷衍して考えると、この山手線の事例が示唆しているのは、人が家族をなすときに核になるつながりは、かならずしも男女の性に限定されるものではないということです。性別、民族、国籍、宗派を超えて家族同然のつながりをなす力が、人間のなかには眠っている。だから本質的なところで言えば、実際に誰かと出会って、結婚して子どもをもつというような実体的なことは、それほど重要ではないと思います。誰もが家族同然のつながりをなしうる。見えないところで、すでに家族のつながりを生きている。
 だから孤独な境涯などというものは、いくら望んでも叶えられることではないのです。人は自分の意志で孤独に生きることはできない。いくら一人が好きと言っても、もともと人と人はつながっているんです。そういう不思議な生き物として、ぼくたち一人ひとりがこの世に生を受けている。そのように考えたほうがいいと思います。それが人間の可能性であり、この可能性が一人ひとりのなかに眠っているから、目の前の暗澹たる現実、人が殺し合い、奪い合ってばかりいる世界は、いつでも瞬時に変わりうるのだと思います。
 非常に小さな可能性であり、現実には稀にしかあらわれてこないことですが、実体的な家族の根源にあるものをうんと誇張して、膨らませるだけ膨らまして、人類と世界を包んでしまえばいい。そのようにぼくは思います。
(2016.10・15 香住ケ丘公民館)