ぼく自身のための広告(6)

ぼく自身のための広告
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6 友だちのCD……①
 高校時代からの友人がCDを送ってくれた。彼が選曲・構成したもので、タイトルは『東京・青山骨董通りの思い出』、ぼくの好きな主に70年代のロックやポップスがたくさん収録されている。ハイブリッドのSACD仕様なで音も良さそうだ。さっそく聴いてみよう、と言いたいところだけれど、その前に友だちのことを少し書いておこう。
 彼の名前は山本浩司くん。ぼくたちが出会ったのは高校一年生のときだ。中学は別だったから誰かの紹介だったのだろう。はじめて山本くんの家に遊びに行ったときのことは、いまでも鮮明におぼえている。なんと彼の部屋に、はっぴいえんどの『ライブ』とニール・ヤングの『ハーヴェスト』があったのだ。ぼくもその2枚を持っていて、毎日学校から帰ると聴いていた。おそらく当時(1974年)、四国の田舎町に二軒あったレコード店に入荷した2枚を、ぼくと山本くんが1枚ずつ買ったものと思われる。
 たった2枚のレコードによって、たちまち強い絆で結びつけられてしまった。その結びつきが45年もつづいているんだから、すごいよね。これはバンドをやらねばなるまい、と決意したぼくたちは、ただちにバンド名を考えた。「あめだまカンパニー」、略して「あめカン」。そのころ旬であった「バッドカンパニー」と「キャラメルママ」という二つのバンド名をミックスしたセンシティヴィティに感動していただきたい。だが、感動はここまでだ。幸い当時の音源は残っていないらしいので、音楽性と演奏能力にかんしては想像してもらうしかない。
 山本くんがヴォーカル、ぼくはギターを担当した。あとベースのシンくん、ドラムスのショージくんというラインナップだ。レパートリーは全曲オリジナル。なんといっても、ぼくたちがめざしたのははっぴいえんどやはちみつぱいだからね、理想としては。曲は主にぼくが書いた。当時は怖いもの知らずで、曲でも歌詞でもちゃっちゃっと書けていたようだ。たとえばデヴィッド・クロスビーの「カット・マイ・ヘア」を聴いてかっこいいと思うと、それふうの曲を作る。ザ・バンドの「ウェイト」を聴いてしびれれば、第二の「ウェイト」を作る。あの、思いっきり美化して書いていますから、そこのところよろしく。歌詞はもちろん松本隆調だ。
 町ではいささか名を知られるバンドになった。なにしろ「あめカン」だから、おぼえやすい。あいつらコピーをするだけの技量がないんだぜ、といった心無い風評も聞こえてきたが、当たっていたかもしれない。でも、きみたちだって「スモーク・オン・ザ・ウォーター」とか「ルイジアナ・ママ」だったじゃないか。「FUCK」というとんでもない名前のお兄さんバンドがいて、ツェッペリンみたいでかっこよかった。みんなどうしてるんだろう。懐かしいなあ。
 山本くんのことに話を戻すと、高校・大学とぼくは彼の影響をすごく受けた。音楽の情報も早かったし、カルチャー全般にたいして感度が良かった。つげ義春や永島真二のことも、彼に教えてもらった。福永武彦の小説なんかも読んでいた。高校一年生の夏休みにカミュの『異邦人』について読書感想文を書いてコンクールに入選したこともあった。ぼくのほうはサルトルとカエサルの違いもよくわからないような文学音痴だった。そんな二人が45年経ってみると、片や「オーディオ評論家」、ぼくはなんとなく小説を書く人になってしまったのだから、人生わからんもんです。
 山本くんのことを書いているうちに、かなりの文字数になってしまった。肝心のCDについては、次回あらためて書くことにしよう。