第7回 荒川修作のドキュメンタリーを観ながら、「死」について考えてみよう

 この身体を自分とみなし、自分のなかになんでもかんでも、生命も意識も感情も心も、挙げ句の果てには「神」も観念だということで封じ込めることによって、死は救いのないものになります。「私以外私じゃない」を自明として生きることのサイドエフェクト、ポップ化したデカルトのコギトが不可避的に招き寄せるもの、それが現代の世界を真っ黒く塗りつぶしている死の虚無と言えます。
 死を定義することは自己を定義することと同じです。だから日本の禅仏教は自己を「空」にしてしまえば、死もまた「空」になるってことで、座禅を組んだり瞑想したり、いろんな修行をするわけですね。それはまた自己を自然や世界や宇宙と融合させるということでもあります。すると身体によって限られた自分は、いわば無限化して、それとともに死は消える(はずだ)。
 今回取り上げる荒川修作という人が面白いのは、死を定義するのではなくて、「死なないとはどういうことなのか」ということを考えつづけたところです。どうしたら人間は永遠に死なない存在になれるのか。最初に述べたように、ぼくたちが恐怖するのは「自分の死」です。この「自分」は身体によって象られている。だったら身体を構成しなおせばいいのではないか、ということで荒川さんはヘンな建築をいっぱい造ります。
 彼の発想は奇抜なようでいて、旧来のモダニストの枠組みに収まってしまうようなところがあり、ぼくたちからするとあまり目新しさはありません。士郎正宗の『甲殻機動隊』に出てくる「義体」をはじめとして、自分の分身を無数に作っていくみたいなのは、現代のSFやアニメではフツーですしね。でも彼は亡くなるまで、約70年間、延々とそれをやりつづけたわけです。その一貫性というか、しつこさには、やはり敬服すべきところがあるように思います。

【1】年譜
1936年 名古屋市に生まれる。
1956年 武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)に入学(その後中退)。
1957年 読売アンデパンダン展に初出品。
1960年 ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズに参加(その後脱退)。
1961年 渡米。以来、ニューヨークに在住。マルセル・デュシャンの知遇を得る。
1962年 マドリン・ギンズと出会い、共同作業を開始。
1963年 ギンズとの共同プロジェクト《意味のメカニズム》に着手。
1971年 『意味のメカニズム』第一版刊行(ドイツ)。その後、1979年に第二版(アメリカ、日本、フランス)、1988年に第三版(アメリカ、日本)が刊行される。
1972年 西ベルリンをはじめとして、ヨーロッパに滞在。ハイゼンベルグや生化学者らと交友。
1987年 『死なないために』刊行(フランス、日本)。
1994年 岡山県の奈義町現代美術館に恒久設置作品《偏在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》が完成。
1995年 岐阜県養老町に《養老天命反転地》が完成。
2002年 『建築する身体』刊行(アメリカ、日本)。
2005年 東京都三鷹市に《三鷹天命反転住宅》が完成。
2006年 『死ぬのは法律違反です』刊行(アメリカ、日本)。
2010年 ニューヨークにて逝去。

彫刻

【2】発言

「死とは時代遅れ(old-fashioned)である。ずいぶん奇妙なことだが、私たちはこんなふうに考えるようになっていた。本質的に言って、与えられたものからこのような変化、これほど根源的な区別がいまだに確実に設定されていない以上、人間の条件は先史時代のままである。」(同上)

「三十年ほど前に、反転(reversible)という語を、もろもろの出来事の変更不可能な連鎖として推定されている宿命(destiny)という語と結びつけ、私たちは死すべき運命(mortality)に対する戦いを宣告しました。……死から免れえないことが私たちの種の本質的な条件でないことが明らかになったら、いったいどうなるでしょう?」(『建築する身体』)

「死に至る進路は旋回(反転)可能だろうか。これまでのところ、このヒトという種は、誰が(何が)死ななくてはならないのかを解明できるようになる以前から、死を宣告されてきた。それなら別の種類の人間、自らの柔軟性と多様性を手放さない種類、不吉な必然から方向転換するような種類の人間に自分たち自身を作り変えてもかまわないのではないか。」(「We Have Decided Not To Die」展図録)

「生き続けようと願い、そうできなかった者たちへ、だからこそ、なおさら生き続けようと願う者たちへ、すなわち、人間を超えていく者たち(transhumans)へ」(『建築する身体』巻頭の献辞)

「死ぬことは命じられたことだという見解以上に反倫理的なものはない」(『死ぬことは法律違反です』)

【ドキュメンタリー】

『死なない子供、荒川修作』(2010年) 監督 山岡信貴

住宅

【コメントを少々】

 ドキュメンタリーのなかで、彼が少年時代に町医者の助手みたいなことをやっていて、自分と同じ五歳くらいの女の子が運び込まれてくるという話が出てきますね。戦争中のことです。負傷した少女は血だらけで、荒川少年の腕のなかで息を引き取る。彼は自身も血だらけになりながら、ずっと女の子を腕に抱きしめていたと言っています。そして「こんなことがあってはならない」と思います。自分は絶対にこんなふうにはならない、つまり彼女のように死なない、徹底的に死に抗ってやると決意します。その決意のままに70年間を生きたわけです。
 これはどういうことなのでしょう? なぜ、そんなことが可能だったのでしょうか。ぼくは五歳の荒川少年は、亡くなった少女をそっくり自分のなかに取り込んだのだと思います。そして70年間、少女とともに生きたのだと思います。少女に起こったことは間違ったことです。間違いは正されなければならない。それが荒川修作にとっての、「人間は死んではならない」ということだったように思います。彼の純心を感じます。

 ということで、前期の授業は今日で終わりです。なんだかまとまりのない話ばかりしてしまいましたが、後期は少し創作ということにテーマを絞って授業をするつもりです。最初に小説の基本をお話して、みなさんに実際に書いてもらおうと思っています。どうぞ夏休み中、水難事故や交通事故やテロに遭わないように。9月にまたお会いしましょう。(2016.7.13 九州産業大学)