第6回 松尾芭蕉

1 芭蕉の生涯

 寛永21年(1644年)、伊賀上野(三重県上野市)に生まれる。地侍程度の身分で、郷士(武士の待遇を受けていた農民)のようなものだったらしい。その後の年譜には不明なところが多い。父の死後、武家に仕官していたらしい。20代のころは京都で禅寺に入っていたとも、漢文学を学んだともいわれる。29歳のときに江戸に出る。
 30代のころは談林派(当時、江戸に栄えた俳諧の一派。連歌師でもあった西山宗因や浮世草子で有名な井原西鶴らがいた)に加わり、桃青(李白を意識した?)の俳号を用いる。34歳のころ、俳諧の宗匠として独立するが、経済的な事情もあって水道工事の現場監督のようなことをしていたといわれる。37歳、深川(隅田川の河口あたり)に庵を結んで隠棲。このころから芭蕉の俳号を使うようになる。
 41歳(1684年)、『甲子吟行(野ざらし紀行)』の旅に出る。このころから51歳で亡くなるまでの約10年間が、世に知られる「芭蕉」の活躍期間(夏目漱石と似ている)。44歳『笈の小文』、45歳『更科紀行』、46歳『おくのほそ道』の旅に出る。その後、亡くなるまで手を入れる。1694年、大阪で病没。

2 芭蕉小論

 飯田蛇笏は最初の句集『山廬集』の序で、本を出すことになった経緯について述べながら、芭蕉が自家集を一冊も残さなかったことに触れている。芭蕉は生前に一冊の書も著さなかった。そんな生涯を送った人の作品が、彼自身の発句と認められるものだけでも千句ほど残され、文庫本で手軽に読めるというのは、考えてみれば奇跡的なことである。
 芭蕉が生涯にわたり追求した「わび」「さび」とは、ひとことで言えば欠如の美と言えるだろうか。何かが足りなかったり、欠けていたりする。そこに美を見出すという詩的な境地。この欠如美を追求しつづけた詩人は、生涯に一冊の書物も残さなかった。芭蕉における書物の不在は、彼が追い求めた「わび」「さび」の奥ゆかしさと相応している気がする。

 花にうき世我酒白く食黒し(虚栗)
 雪の朝独り干鮭を噛得タリ(東日記)
 櫓の声波ヲうつて腸氷ル夜やなみだ(武蔵曲)

 最初の句はどぶろく(白い酒)と玄米(黒い米)に貧や乏を象徴させている。端的に馳走、美食、うまいものが欠けている。つづいての句も雪の朝、一人で干物の鮭を齧っているのだから相当にわびしい。豊かさの欠如である。穿った見方をすれば、女色の欠如とも言えそうだ。さらに「腸氷ル」に至っては貧にして寒。陰鬱な冬の夜の情景が目に浮かぶ。
 しかしこれらの句、どこかアイロニーを感じさせないだろうか。つまり『貧窮問答歌』ではないのだ。『蟹工船』でもない。貧も寒も憂も、突き放した目で余裕をもって見ている。そこが俳諧の「諧」たるところ、ニヒリズムすれすれのユーモアにつながるところだろう。
 現実の生活の場に引き付ければ、欠乏は自由でとらわれない心に通じている、と言えるだろうか。モノが欠如しているぶん、のびやかな精神性が際立つ。このあたりは、現在の難しい時代を生きている私たちも大いに参考にし、取り入れたいところである。
 もう少し芭蕉の欠如の美学を追ってみよう。

 枯枝に烏のとまりたるや秋の暮(東日記)
 草の戸も住替る代ぞひなの家(おくのほそ道)
 道のべの木槿は馬にくはれけり(甲子吟行)

 最初の句では葉っぱが欠けている。緑をはじめとする色彩が欠けている。かわりに「烏」がとまっている。水墨画に通じるイメージである。「草の戸」の句には女が不在というか非在。にもかかわらず、雛人形を飾った家ではしゃく幼い姉妹たちの声が聞こえてくる。娘がいないはずの家に、すでにして娘たちが匂い立つ。
 思うに俳諧の本質は常識を破ることではないだろうか。逆説や転調、ずらしやひねりを駆使し、ときには矛盾にまで踏み外す。そこで破られているのは日常の常識でもあれば、表現の上での常識でもあるだろう。有名な『おくのほそ道』の冒頭、「旅を栖とす」などは、その際たるもの。同じ句集を探せば、「鳥啼魚の目は泪」とか「岩にしみ入蝉の声」とか、おかしなものがたくさん見つかる。普通、馬が喰ってしまった道端の木槿の花を、句に詠もうとするだろうか。花はもう、ない。ないはずの花が、句を読む私たちには見えている。「くはれけり」という結句の潔さのあとに、幻の木槿の花が魔法のように立ち現れてくる。このあたりが芭蕉の芸術の粋という気がする。

 ところで芭蕉の句に頻出する「野」が、私は早くから気になっている。「野」は様々なかたちで彼の作品に出てくる。文字どおり『曠野』という句集も弟子たちによって編まれている。有名な句を幾つか拾ってみる。

 芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉(武蔵曲)
 野ざらしを心に風のしむ身哉(甲子吟行)
 旅に病で夢は枯野をかけ廻る(笈日記)

 野を分けるほどの強風に吹き破られている芭蕉、というのは植物でもあれば作者自身でもあるだろう。そのあとにドラマが生まれる。芭蕉の葉が風に鳴る音と、盥に振り込む雨の音が立ち上がってくる。聞こいないはずの音が聞こえてくる。すると「野」は、風が起こるところ。詩的な霊感の生まれるところでもあるだろう。そこから吹いてくる風が詩を運んでくる。
 芭蕉の野にはまた、「野ざらし」が転がっているらしい。髑髏、しゃれこうべ。そのようなものが思い描かれている。死を覚悟してというよりは、死後や他界を超えたところ、漱石も作品のなかで使った禅の公案「父母未生以前」にも通じていきそうな、根源にして聖なる場所とでも言うべきか。
 「枯野」の句では、ついに作者の「自己」や「自我」が欠落してしまっている。芭蕉自身が非在になっている。そして誰のものでもない詩心だけが、枯野をかけ廻っている。野は広々として明るい。明暗を超えた精神性を感じさせる野だ。詩人が追い求めた欠如の美は、最後はそういうところに到達しているように見える。

3 芭蕉の俳句

 つぎにあげる芭蕉の俳句から、気に入ったものを選んで鑑賞文を書いてみよう。

 死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮(甲子吟行)
 梅白し昨日の鶴を盗まれし(甲子吟行)
 山路来て何やらゆかし菫草(甲子吟行)
 名月や池をめぐりて夜もすがら(ひとつ松)
 閑かさや岩にしみ入る蝉の声(おくのほそ道)
 五月雨をあつめて早し最上川(おくのほそ道)
 荒海や佐渡に横たふ天の河(おくのほそ道)
 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る(笈日記)

                       (2018年12月19日)


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