第1回 『古事記』とはどのような書物か

(1) 成立
 ・太安万侶の「序文」によると、712年。
 ・天武天皇(40代)が舎人の稗田阿礼に「帝紀」「本辞」を誦み習わせた。
 ・元明天皇(43代)が太安万侶に阿礼が誦習した本を撰録して献上するように命じた。

(2) 構成
 1. 上巻……神話、神々の話。天皇による天下統治の正当性を説く建国神話。
 2. 中巻……神武天皇(初代)から応神天皇(15代)。悲劇の英雄・ヤマトタケルの話。
 3. 下巻……仁徳天皇(16代)から推古天皇(33代)までの記録。雄略天皇(21代)の話。
  皇室の祖先を神格化した部分(上巻)と、歴代の天皇の系統と姿勢の内容を叙述した部分(中・下巻)からなる。文学的作品としてまとまりがあり、思想史的にも興味深いのは、主として神代と伝説的な王の時代の叙述である。

(3) 神代史の内容
 1. 天地開闢(天地創成)。アマノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三神が天上にあらわれる。つづいて天上に多くの神が生じる。
 2. 男女神(イザナキ、イザナミ)による国生み。日本列島(大八島国)を生む。さらにアマテラス(太陽)、ツクヨミ(月)、スサノオ(嵐?)などの神々を生む。天地自然の祖としての神。
 3. 天の岩戸(アマテラス、アメノイワアトに籠る。スサソオの乱暴が原因。太陽神の死。祭儀による復活。稲作に伴う収穫儀礼?)
 4. スサノオによる八岐の大蛇退治。オオクニヌシと因幡の白兎。オオクニヌシによる国作り。この場合の「国」はいわゆる現世。現し国。天上の他界・高天が原と地下の他界・黄泉の国の中間にあるとされる。「葦原の中つ国」と呼ばれる。(葦は邪気を払う呪力のある植物と考えられていた。)
 5. オオクニヌシによって固められた現し国が乱れる。勢力争い? 少数民族の排除? 地上の国が乱れているとの報告を受けて、天上から神(オシホミミノミコト)が派遣される。さらに地上の荒ぶる神々を平定するために、天上から何度か神々が派遣される。こうして中つ国が平定される。
 6. 国ゆずり(オオクニヌシ、アマテラスに帰順し、自らは出雲にかくれる。)中つ国をオオクニヌシがアマテラスに献上するというかたちをとる。
 7. 天孫降臨。中つ国が平定されたという報告を受けてホノニニギノミコト(オシホミミノミコトの息子)が地上(高千穂の峰)に降臨する。こうして地上世界での天皇が誕生する。この逸話は「天皇とは何か」を神話的に表象したもので、『古事記』の神話体系の中枢部にあたる。オシホミミ、ホノニニギとも稲穂をその名の核にもつことから稲霊とも考えられる。
 8. 海幸・山幸。弟山幸彦は兄海幸彦の釣り針を失くす。その返却を強要された山幸彦は塩椎の神の導きで綿津見の神の宮へ行き、豊玉姫と結婚、釣り針のことも忘れて三年が過ぎる。(浦島伝説と同型の説話で、広く太平洋地域に分布している。)海という他界の力を得て地上(現し国)の王となる。山幸彦が豊玉姫と契って生まれた子どもの末裔が神武天皇である。

 ※太陽神(アマテラス)への信仰は世界各地に見られる。ニニギノミコトが天上から山頂へ降臨するという型の話も、朝鮮をはじめとして広く北方アジアに見られる。多くの地方的な素材を総合して、一種の神話体系をつくり出したことに、日本の古代の特徴があった。
 ※出雲系(カミムスヒ、スサノオ、オオクニヌシ)と大和系(タカムスヒ、アマテラスとその子孫)は、それぞれ出雲と大和の支配者家族の先祖神であったらしい。『記』『紀』の神代史は、その二系統を大和側の立場からまとめたもの。

(4) 性格
 ・縄文時代から古墳時代までの日本列島民族の歴史が刻まれている。
 ・無文字文化の面影。古代の人々が世界のはじまりをどのように考えたか。
 ・宇宙、自然、文化などの起源、カミ(精霊)とヒトとの重要な出来事。
 ・天皇による支配の正当化する。天皇の神格化。『古事記』(『日本書紀』)の神代の部分と、そこから切れ目なくつづいたとされる人代の初期の話を意図的に構成した。
 ・大和朝廷の王権の正当化。『記』『紀』の編纂を命じたとされる天武は、激しい王位継承戦争(壬申の乱、672年)に勝利したばかりであった。

(5) 『古事記』と『日本書紀』
 成立年代は『古事記』が和銅5年(712)で『日本書紀』が養老4年(720)、ほぼ同時期である。最初に天地開闢と神々の登場が語られるのも『記紀』に共通している。『古事記』では上巻、『書紀』では一、二巻(神代記)がこれにあたる。量的には『古事記』の三巻にたいし『書紀』は三十巻と量的に圧倒している。
 『書紀』は欽定の正史であり、長い時代に渡って広く受容された。とくに中世にはもっぱら『書紀』が尊重された。一方の『古事記』はずっと『書紀』の陰に隠れていた。現在のように『記紀』と並び称されることになったのは、本居宣長が著した『古事記伝』四十四巻に拠るところが大きい。宣長が『古事記』を重視したのは、『書紀』では漢字や漢文によって覆われ、見えなくなっている「上代(かみつよ)の実(まこと)」が記されているからである。『古事記』に記された「古言(いにしえのことば)」を研究すれば、上代(奈良時代)以前の「古意(いにしえの清らかなこころ)」もわかると彼は考えた。
 『記紀』の神話的物語は、いずれも人間を含まない神と天皇の世界である。人間(民)はノーカウント、主題はあくまでも天皇だ。最初に登場するイザナキとイザナミは男女神、「イザナ」という語は「誘う」につながる。「キ」は男、「ミ」は女をさす。つまり誘う男と誘う女。この二人が誘い合い、男女として交わって国を産む。豊穣を生殖と結びつける古人と共通した感覚なのかもしれない。
 「天地初めて発りし時に、高天の原に成りませる神の名は……」とはじまる『古事記』だが、『書紀』には「高天の原」は出てこない。混沌から天と地が分かれ、天地のあいだに神が出現した、という書き出しになっている。冒頭からスペクタクルな『書紀』にたいし、『古事記』はなんとなく長閑にはじまる。さらにオオクニヌシ、アマテラス、ニニギといったメインキャラクターの扱いも、両書で微妙に異なる。

(6)『日本書紀』についてもう少し
 『書紀』の構成は、神代記が二巻、そのあとは神武から持統に至る帝紀がつづく。基本は一巻に一代だが、一巻に二代、三代と載せたものもある。第四巻は綏靖から開花までの八代を一巻に収め、ページ数も少ない。反対に天武には第二十八、二十九の二巻を費やし分量も多い。このあたりは文学全集の編集を想わせる。
 とくに神代が重視され、写本も多いのは、神の末裔としての天皇の存在を内外に宣明するためだろう。神代記の大きな特徴は、最初にあるまとまりをもつ記事(本書)を掲げ、それにたいする異伝を「一書曰(あるふみにいはく)」として載せる体裁になっていることだ。天皇の世界がどのようにして成り立ったかを語る記事部分(本書)を、幾種もの「註」によって補強する意図があったと考えられる。
 世襲の王権の正当性を歴史的に説明する必要性は、6世紀以来の朝鮮の王国の交渉、中国との朝貢冊封関係において、外交上そうすることが有利だったからかもしれない。『古事記』の完成(712年)から10年も経たないうちに『書紀』が編纂(720年)されたのは、『記』は成立の事情・資料・文章などの点で対外的な目的には充分に適せず、公式の国史として漢文で書き直すことが重要と考えられたのだろう。(2018年10月10日)