往復書簡『歩く浄土』(10)

第十信・片山恭一様(2017年10月15日)

 片山さんから第9信をいただき読み始めて、すぐにハッと胸を衝かれたことがあったので、そこから往復書簡の第10信を書きます。皆が一心にスマホに没入することと北朝鮮危機に便乗することは同じことではないか。いまの時代の空気感にたいして言いようのない嫌悪感がある。もうそのことについて考えるのが嫌になるほどに、と書いたぼくの発言を、片山さんは次のように切り返されています。「この嫌悪感はスマホに没入する人たちにも共有されていると思います。もうそのことについて考えるのが嫌になるほどに、彼らは現在の状況を嫌悪している。そのあらわれがスマホに没入ではないかと思います」と指摘しています。ハッとしました。ああ、かれらはかつてのおれだと思ったのです。高校三年のとき佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争があって、学校をさぼってテレビの現場中継をみたことはありましたが、実録活劇の面白さをそこにみていたように記憶しています。はらはらどきどきして関心をひいたのです。若いですから学生側の息づかいで見るわけです。でもそこにイデオロギー的なものはありませんでした。ぼくは19の歳を博多で迎えました。どこといって取り柄のない平凡な熊本の田舎少年でした。世の中や世界のことについてなにひとつ考えたことはなかったのです。
 その若者が当時の時代の流れのなかであっというまに三白眼のチンピラになったのです。社会の波に洗われるということはとても怖いです。気がつくとぼくはノンセクト・ラディカルの過激な行動者になっていました。おれたちに明日はないというような気分を地で生きるようになっていたのです。ほんの一瞬で、出来上がるのです。こういうのって怖いです。若者とはなにかは、体験を含めてかんたんに定義できます。その時代が無償で供与する感性を若者は身に浴びるということです。ただで時代の先端的な感性がもらえるのです。時代性をもろ身に浴びて一瞬で極左の行動者になりました。乱暴狼藉のかぎりを尽くしました。少年頃から育った環境もあって、多少血の気が多く喧嘩慣れしていたので目立つようになったのは自然な流れだったと思います。党派の極左は革命を標榜していました。日本帝国主義を打倒することがスローガンでした。そういうのは苦手で、革命ゴッコに染まったことは一度もありません。坊ちゃん嬢ちゃんの運動ごっこには始めから心底しらけていました。それでもひとりでに身体が動いたのです。時代性のなかに無意識に身をおいていたのかもしれません。過激な行動をとりながら、過激な言語と内心の表出の意識のあいだには目の眩むほどの乖離があることは強烈に自覚していました。そのことはいまでも鮮明に覚えています。しかし行動のラディカルさに打算もなかったし、後先のことを考えることもありませんでした。ロックを聴くことと大型バイクですっ飛ばすことと機動隊と衝突することがまったくおなじ生の体験でした。まさに没入です。これはとても怖いことだと思います 。明治維新も同じだったと思います。幕府側か倒幕か、そんなことは関係ないのです。理念も関係ないです。暴れまわって、斬り合いをやっていたら、あら、幕府が倒れ、権力が獲れてしまった、それだけだったと思います。民権思想など後知恵です。草莽の非命の維新者が数多くいたはずです。政治の例に漏れず、生き残ったの者たちは身すぎ世すぎで時代をうまく泳ぎ渡ったのではないかと思います。維新の英雄伝説など信じていません。ただ怒濤のように急峻な時代が一気に通り過ぎたのです。
 福岡西署で調書を取られるときボコボコにされていても、レーニンの『国家と革命』も、マルクスの『資本論』も、吉本隆明の『模写と鏡』も、『擬制の終焉』読んだことはなく、その小僧が横着なふるまいができたのです。怖いことです。そういうことを片山さんの発言に触発されて思い出したのです。親鸞が還暦の頃に言ったとされる、おれのやることなすこと虚仮のかたまり、ああ嘆かわし、ということがよくわかります。だから、いまの若者に覇気がないというのはうそです。いまの時代性を一身に身に浴びていないはずがないのです。じぶんの若い頃を振り返るとそのことがよくわかります。ただ若くして乱暴狼藉をやり、法治国家の自業自得のツケが回ってきた頃よりいまの若者ははるかに追い詰められていると思います。ぼくらの時代のような牧歌性はもうどこにもないからです。内へ内へと内閉するしかないように思います。で、あるとき内閉が一気に社会化されます。予科練の若者が特攻を志願するように。愚劣と倒錯をやりうるということが若者の特権ではないでしょうか。そして愚劣と倒錯が深ければ深いほど、その若者は出来事を内面化することも、内面を外界に汲み出して社会化することもできなくなると思います。晴れて時代をうまく泳ぎ渡った者がもの書き文化人になります。高見から遅れた大衆を啓蒙・啓発します。マルクス主義の時代から「社会」主義者のやることは変わりません。それは世の常です。

 片山さんは、高橋源一郎さんの毎日新聞コラムの人生相談について書いておられます。就活で履歴書を600通以上出しても仕事が見つからない相談者への高橋源一郎さんの回答のことです。

 あなたがほんとうに必要としているのは、職業ではなく、どんなときにも、あなたに向かって「生きることは素晴らしい」と語りかけてくれるもうひとりの「あなた」だと思います。
 そんな「あなた」を見つけ出せるのは、残念ながら、あなた自身以外にはないのです。

 この回答にたいして片山さんは「外界に対置される内面など、もはやどこを探してもありません」とし、「内面という光景を立ち現せさせる、もう一人の自分ということではまったくありません」「ここで高橋源一郎は典型的な知識人として振舞っている」と書かれています。高橋源一郎の物言いはみぞおちに良心をもっている人特有の気色悪さがあります。
 ここでこの数年の内に様変わりした思想の風景について取りあげます。ある意味でオカルトなアベシンゾウの対米従属急進主義よりタチが悪いかもしれません。

 天皇制について左右からの検閲を気にしないで自由に語れる言論環境って、戦後はもしかすると今が初めてじゃないかな、という話をしました。(2017年10月12日内田樹ツイートから)

 これを読んでもやもやしました。天皇制について自由に語れる言説環境は、民主主義が機能不全に陥り、金のために生きていないのはこの国では皇室だけであるから、慰霊と鎮魂を象徴行為とする今上天皇のメリットを活かさない手はないという、内田樹のきわめて機能主義的な考えが前提とされています。そのうえで自由な言説の空間を感じているということです。自分のことを16歳のときから反米自立の民族右翼で天皇主義者であると自称しています。売文を仕事としているもの書き文化人の大半は内田樹の意見に与すると思います。そんな時代です。
 昭和天皇は人間宣言をして息子も人間天皇として生きている。それはわたしたちも皇族もわかっている。しかし聖なる者は聖なるものであっ て、ではその聖なるものはどういうことかと問われることはない。天皇の霊的なありかたを称揚する内田樹と戦争は人を霊的に深化させるという根暗な稲田というおばさんとどこが違うのだろうか。だれとでも仲良くなるのが内田樹の本領だから、石破とも和がもてるかもしれない。天皇主義者になることによってすべての人びととなかよくできる。陛下の御心と共に生きることのできる喜びを噛みしめて生きようではないか。日本的自然生成の粋である。分に応じて、らしく生きることより健全な社会があろうか。内田樹はそういうことを言っています。
 なにかをつくるのではなく、すでにあるものを使い回すかれの民主主義は追い詰められて詭弁を思いついたのです。状況の推移を内田樹は敏感に察知する。国家が内面化し私性へとメルトダウンを起こすとき有効なのは天皇制しかない。機を見るに敏な行動です。安倍晋三らには天皇の退位問題の処遇について真情がないと悲憤し、天皇制のメリットを活かすべきだと機能主義的な判断をする。小さな善を人知れず積み増すことに意義があると考える内田樹はこうして天皇制を賛美することになるのです。公共化された思想の薄さ、浅さ。じつに軽い。若い頃、親友が内ゲバで太ももに五寸釘を打ち込まれ死んだと平川克美との対談で書いている。止めましょ、そんなくらい話。というのが内田樹の言い分でした。一昨年の秋に戦争法案が国会で強行採決されましたが、内田樹はシールズの学生と共にこの法案に反対し精力的に駆け回りましたね。若者だけがいまは希望だ、この夏になにか起こるかもしれない、とかれは期待したのですが、あっというまにシールズは消滅し、日本会議が前景に躍り出て来ました。内田樹の心中で「それにしても日々『史上最低の内閣』ぶりを露呈していますが、それでも支持率50%近いというのですから、日本の有権者が何を基準に政治家の良否を判断しているのか、僕にはもうわからなくなってきました」(内田樹ツイート2017年4月17日)という気持ちが醸成されてくる。こうなれば天皇親政民主主義でいくしかないな、かれはそう考えたのだと思います。
 ところが話はこれで終わらないのです。読んでいませんが、かれは『街場の天皇論』を出しました。発刊記念イベントの様子が内田樹さんによってリツイートされています。イベントに参加した人たちの『街場の天皇論』をプラカードのように掲げた写真が載っているのです。見た瞬間、ゾッとしました。なんだ、これは。ここまで来たのか。北朝鮮のマスゲームとおなじです。立憲民主党の演説会で小林よしのりや、一水会をやっていた鈴木邦男が応援演説をする。その気持ちはわかります。アベシンゾウは保守ではありません。対米隷属オカルト急進主義極右です。10月22日の衆議院総選挙のあと、改憲論議が加速すると思います。緊急事態条項が加憲されると、国民主権と基本的人権は大幅に制限されます。共謀罪と併せると治安対策をしては鉄壁です。
 天皇親政民主主義を唱える人たちのなにが問題か。いま進行中の文明史の転換にたいして世界認識の方法をもっていないことです。ビットマシンによって意識の外延革命が進行しています。コンピュータサイエンスとライフサイエンスが複雑に絡まり合い、相互に組み込まれていきます。ビットマシンによる革命は人倫を媒介としません。人格を介さずに生をビットに分解し、生はビットという情報の集まったちいさな塊になります。やがてポストヒューマンという概念が文明史の前景に登場し、ある輪郭を描くようになるかもしれません。ケヴィンは『〈インターネット〉の次に来るもの』として、人間の知性とコンピュータのAIが融合したホロスを提唱しているし、ユヴァルは『サピエンス全史』で生命の法則を変える三つのテクノロジーをあげています。一つはサイボーグです。かなり実用化されつつあります。二つ目は脳とコンピュータを接合する双方向型のインターフェイスをつくろうという試みです。ポストヒューマンな考えです。人間の知性を同一性的なものに限定すれば機能主義的には原理として可能となります。超知性やホロスと呼ばれるものです。最先端の大脳生理学でも人間の意識の解明はまったくできていません。だから制約された機能的な意識を対象にしてコンピュータとつなぐのです。もしその観念を人々が認識にとっての自然とみなすことになれば、思考の慣性はその流れに沿って機能します。三つ目は非有機的な人工生命をつくりだすことです。ハードディスクに脳のバックアップをつくり、コンピュータで再プログラミングし、デジタルな心性を実行したとする。それは自分か、だれかべつの人か。それは人間なのか、超ホモ・サピエンスなのか。ビットマシンを媒介とする科学知、あるいはコンピュータサイエンスとライフサイエンスの輻湊する相互の組み込み合いは人格を介さずに、意識の外延性としてはそこまで行くと考えている。生は経済的な資源としてビット情報に還元され、効率的に再生される。文明は移行しつつある。その煽りをうけて国民国家が内面化し、権力が私物化され、それに伴って精神の古代形象がオカルト的に復活している。文明史の転換期にいままさにそのことが起こっている。生の激しい地殻変動にアニミズムの粋である土俗的な宗教が対抗できるとは思わない。そこには典型的な自然生成の、オカルト的復活と根なしの精神の退行だけがある。天皇制的な心性もビットマシンの外延意識の革命も共に「社会」主義です。

 ここで戦後72年の総敗北にもう少し立ち入ってみます。日本国憲法第九条、戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認について次のように書かれています。いわゆる第一項です。「①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。この戦争放棄は、戦後72年の総敗北を考えるなかで、裏返しにされた天皇制だと思うようになりました。無条件降伏後に占領軍のマッカーサーによってつくられたアメリカの国家意志の発現ですね。日本を農業国に止め置き軍隊をもつことは許さぬという明確なアメリカの国家意志のあらわれです。降伏後の日本の政府担当者は、一億総玉砕の反省もあってこの憲法を受け入れました。ぼくは戦争の永久放棄の奥深いところで流れている心情は天皇制的なものだと思います。比喩でいうのですが、無条件降伏前日までは赤子として死ぬことが自然な感性でした。そういう思考の慣性のなかを生きていたわけです。撃ち方止め、となり一晩明けると、戦争放棄です。押しつけられた憲法には違いありませんが、ここでは米国の国家意志をいったん括弧に入れます。われら臣民は根絶やしになっても陛下お一人をお護りするために忠信をつくすのが国体でした。欲しがりません勝つまではと言いました。これは日本国民の総意としてありました。まるごと共同幻想です。天皇の赤子として生きるという観念の受容の仕方と、戦争放棄の観念の受容の仕方はまったくおなじではないか。総力戦であったから国民はみな戦争の当事者であり、部外者はいなかった。その戦争を無条件降伏として迎えました。
 豊下楢彦の『昭和天皇・マッカーサー会見』を読むと、わたしたちの通念が覆ります。わたし昭和天皇の命がどうなろうと国家の存続を図りたいと昭和天皇はマッカーサーに申し述べたと言われてきましたが、昭和天皇裕仁がマッカーサーに直訴したことは皇室の存続です。腹を切る気概もない哀れな武将の命乞いです。迫り来る冷戦を前にして米国の国家意志は統治を勘案し天皇制を利用することにしました。それが事の真相です。
 1945年8月15日の玉音放送と1946年の詔書を比較すると面白いことに気づきます。玉音放送で昭和天皇は敗戦を次のように語ります。「爾臣民の衷情も朕よくこれを知る。然れども朕は時運の趨くところ堪えがたき堪え、忍びがたきを忍び、以て万世のために太平を開かんとする。・・・爾臣民、それ克く朕が意を体せよ」と無条件降伏の心情を述べている。なにが言われているか。ポツダム宣言を受諾するにあたってどれだけ屈辱を感じ苦労したか、お前たち国民はおれの気持ちをよくよく理解せよという私性が語られているのです。
 詔書では次のように語られています。「然レドモ朕ハ爾等国民卜共二在り、常二利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕卜爾等国民トノ間ノ紐帯ハ終始相互ノ信頼卜敬愛卜二依リテ結バレ、単ナル神話卜伝説卜二依リテ生ゼルモノ二非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族二優越セル民族二シテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念二基クモノ二モ非ズ。」
 笑止千万なことではないか。朕は汝ら国民と共にあり、朕と国民とのあいだの紐帯はいつも相互の信頼と敬愛によって結ばれている。そのことは、天皇を現人神とすることや日本民族は他民族に優越するので世界を支配すべきであるということを意味しないと書き加える。マッカーサー占領軍司令官のお達しによってマッカーサーの臣民である昭和天皇裕仁は現人神と日本民族による世界支配を禁じられたということだ。ぼくはこの詔書を昭和天皇の人間宣言とはみません。天皇制的なものは脈々と流れ、それが戦争放棄に受け継がれたと考えています。天皇制的な心性は戦争放棄として継承されたのです。本来、天皇の赤子と戦争放棄や民主主義は、それが外延自然にすぎないとしても、べつの自然に属します。「祈るべき天とおもえど天の病む」と詠った石牟礼道子さんが天皇制を賛美し、世の大半の人が天皇を尊崇する時代錯誤のどこに善きものがあるのでしょうか。むろんアニミズムの洗練された日本的自然生成の粋として天皇制はあるわけですから、イデオロギーで批判して歯が立つものではないし、日本的な心性に深く根ざしていて、この心性の根底的な批判をなした人はいません。もっと言うならば、意識の外延的な表現で天皇制を無化することはできません。
 人類の文明史の転換の渦中で国家は内面化しメルトダウンしつつあります。国家の内面化に引きずられて個人の内面化も天皇制的な心性へと退行することで意識の外延革命をやりすごそうとしています。大半の者たちが精神の古代形象に憑依することによって世界システムの属躰化から逃れようとしています。なにかの強制によってなされているのではありません。いつのまにか、なのです。それが天皇親政として可視化されるようになってきました。時代によるあらわれかたがちがうだけで、憲法の非戦条項と天皇親政は日本的な心性として表裏一体です。戦時に天皇の赤子として生きることも、戦争放棄を民主主義の申し子として生きることも、そこを流れている心情は天皇制なのです。だからアベシンゾウに煽られて北朝鮮危機を声高に叫ぶようになるのです。平和を維持するために戦争の危険を冒し、予想される戦争による膨大な死者が想定されても、平和を維持するための戦争が善とされます。アベシンゾウの積極的平和主義もリベラルな天皇親政も変わるところはありません。天皇制とは天皇という自然に融即することで慰めをもらう精神の形式だと思います。外延自然とはべつの自然をつくることでしかひらくことはできません。
 「朕卜爾等国民トノ間ノ紐帯ハ終始相互ノ信頼卜敬愛卜二依リテ結バレ」と昭和天皇裕仁がいうとき、信頼と敬愛によって結ばれた紐帯は共同幻想としての天皇制によってしか意味づけることはできません。ここにある背理は人権が定義する自由と平等と友愛にもそのまま潜んでいます。人権は人格を媒介にしますが、人権の理念自体を定義することはできません。すごいことにビットマシンは人格を通さずにじかに生に介入できます。ビットマシンによる意識の外延革命のまえに人格を媒介として人権の理念はまったく無力です。人格を媒介にしない世界システムはもう出来上がりつつあるのですから。このあたらしいシステムのもとで、システムの属躰であることを、天皇を尊崇することで緩和できるでしょうか。戦争放棄はぐるっと回って陛下と共にあることを言祝ごうではではないか。無惨な理念の退行が得々と語られることの異様さ。内田さん、あなたのことだよ。
 ここで、詔書で宣明される天皇と国民のあいだの紐帯について立ち入ります。紐帯は天皇の自己都合です。汝ら臣民にたいする朕からの贈与であるから喜んでこれを承けよと言っています。日本的な自然性ということですが、臣民はその言葉をありがたく拝領し、尊崇の念を「陛下」に伝えます。この意識の往還の全体が天皇制です。若い頃、可愛がっていただいた全国水平社の書記長を長年やっていた井元麟之さん(1905-1984)という方がおられました。被差別部落問題はマルクス主義で解くことはできないとして、独自の考察を生涯つづけました。井元さんは三つのことを言いつづけた。身分、不可触、賤視観念。ぼくの理解では、身分差別の観念は、親族が氏族制へと拡大するなかで、禁忌を自然とした意識のなかに起源をもつように思います。禁忌を自然とするということは意識にとっての自然ということであり、この自然を思考の慣性としていたということです。ここでは人倫は関係ありません。禁忌を自然とする意識の外延性は氏族制の拡大と共に、不可触という観念を疎外し、その不可触が聖なる超越をさらに疎外し、その応力として賤視観念が可視化されたのではないかと考えています。聖なる存在は賤視の対象ぬきには存在できません。吉本隆明さんは古代まで遡ると被差別民と天皇は同族であったと言っていました。じかに吉本さんの口を通して聞いたことです。かつては天皇族であったと。ぼくは古代より遡らないと禁忌を自然として疎外した観念は解けないと考えています。核家族として生きていた人類の初期まで遡行し内包的な親族という概念をつくることができれば、聖なるものと賤なるものの分岐はおのずからなくなります。

 この気づきを現代に適用することもできます。憲法もまた過渡的な共同幻想のひとつだとぼくは考えています。外延知から内包知への過渡として戦後70年余の総敗北があります。内包論ではそうなります。「知識人-大衆」という権力による生の分割統治で培われた思考の慣性から総表現者へ表現の位相を相転移させると現実はまったく異なったものとしてわたしたちの目の前に立ちあらわれます。ぼくは過渡的な、憲法という共同幻想を大旨受け入れます。個別的自衛権を非戦条項のなかに織り込み、戦争犯罪を裁く法理をつくるのです。それは戦争を終わらせるための過渡として存在します。それだけが究極の非戦ではないでしょうか。ぼくは憲法の美しい物語の条文を過程的な共同幻想と考えている。憲法も共同幻想のひとつであり、内包に向かう過渡として、過程的な国家の最高規範にすぎないのです。ぼくは思想として憲法を超えることをこれからも主張していきます。言葉が言葉を生きるとき性になるという信じがたい驚異はだれのなかにも自己よりはるかに先立つ精神の古代形象として内挿されているからです。国家は喩としての内包的な親族へと過ぎ越すことができる。憲法という掟を超えることは思想として充分に可能なことです。
 ここで再び、サイトの記事で書いてきたイェニーさん問題の登場です。吉本さんの対幻想という考えはぼくの内包論では往相の性ということになります。まだ書いたことはないのですが、男女の関係は、性関係があるかないかに関係なく、究極は言葉の関係になるとぼくは考えています。最後は言葉の関係が性になると思うのです。この性のことをぼくは還相の性と言っています。けっして内面化も社会化もできないところに還相の性があります。意識の外延性ではその場所を指さすことはできません。固有名から始まった対の関係が、固有名のままに実詞化できない匿名の場所になるのです。還相の性が生の知覚としてあるということは、人間の観念にとっての猛烈な可能性だと思うのです。もしもこの観念にとっての自然がなければ信の共同性の根を抜くことができず、この世のしくみはこのままでありつづけることになります。どういうことか。対幻想という考えはすでにだれにとってもあたりまえの思考の慣性となっていますが、窮屈で奥行きがないのです。性関係の自然からはぐくまれた観念を対幻想だとしても、対幻想は自己幻想とも共同幻想とも異なる位相をもつ観念だと言われるだけで、それ以上にふくらむことがありません。それぞれの観念のレベルがあることを意識の外延性は分別することはできますが、それだけです。そしてそれぞれの観念を統覚している同一性は微動もしません。生の不全感を招来するのはこの同一性です。性が引き裂かれるのは互いのこらえ性がないということではない。同一性が不可避に招き寄せる生の不全感が生を引き裂くのだと思います。内包論では根源の性を分有することが贈与として可能になります。生の贈与は分有者として生きられることになるのです。そして分有者にはふたつの性が供与されます。往相の性と還相の性です。だれのなかにも往相の性と還相の性がある。もしもマルクスや吉本隆明が、意識の外延性にあらわれた対幻想の関係を、それ自体として取り出すことができていれば、そのことをなんと名づけるかはともかくとして、根源の性を分有し、還相の性を手にしていたと思います。それをどう名づけるかは言葉の綾です。ぼくは根源のふたりを分有する往相の性と、往相の性の深奥に還相の性があると知覚しました。それがぼくのイェニーさん問題です。対幻想を可視化し、実体化すれば、対の関係は自己と共同性のつなぎ目にしかなりません。意識の外延性で交換を贈与にすることも、共同性のない世界をつくることも、聖なる観念と賤なる観念をなくすこともできません。しかし歴史を遡りべつの自然を表現としてつくることはそのまま現在を語ることを意味します。なぜならぼくたちの現存のなかに人類一万年の歴史が例外なく内挿されているからです。そして生に内在するモダンな人類史一万年の根っこを根源のふたりが支えています。殴り書きメモですが、第10信とします。