往復書簡「歩く浄土」(16)

第十六信・片山恭一様(2018年2月18日)


 第十五信をいただいてからちょうどひと月になります。圧巻の内容でくり返し読みかえしました。よくつづくものだとふしぎですが、対話も五年目になりますね。熊本も今冬はいつもより寒かったのですが、もう春がすぐそこまで来ています。
 ここ数年、信の共同性の根をぬくとはどういうことかと、考えてきました。このひと月のあいだに考えたことを書きます。シモーヌ・ヴェイユと吉本隆明の考えについて再考し、内包論をすこしすすめることができたような気がしています。ヴェイユの人格の底にある聖なるものや、不在の神に向けて祈るということや、匿名の領域についてあらためて考え、吉本隆明の「マチウ書試論」を再考し、アフリカ的段階についてのモチーフまでたどり直しました。
 今年になってから数少ないサイトの読者がゼロになることを想定して記事原稿を書いています。共同性と同期するようにもともとできている内面をさらに外延しても、なにもそこにはないということです。べつの言い方をすると知によって大衆を贖うという定型は完全に終わっているということです。知による生の簒奪はビットマシンと融合した尖端の科学知が猛烈に昂進します。世界の壊れを既知の知が防ぐことはできない。そのことは考えることの前提としてある。ディランが歌っていますが、Beyond Here Lies Nothin’であり、everything is broken だということ。ここから先にはなにもないこともあらゆることが壊れていることもヴェイユはよく知っていたと思います。最後には不在の神に祈るというところにゆきつきました。34歳で亡くなっています。ずいぶんむかしの出来事ですが、おなじ年頃の親鸞も似たようなものだったにちがいありません。念仏をいくら唱えても歓喜の気持ちが湧きあがらない、ああ、煩悩のかたまり、嘆かわしい、と考えたはずです。ヴェイユは神を内面化も共同化もしませんでした。自己をきりなくちいさくすることで、神を空間化することなく内面の向こうに突きぬけて、匿名の領域に触りました。神は「二人の向かい合った親密さの中に、第三者としてつねに現われる」とヴェイユが言うとき、神は実詞化されていない。それにもかかわらずヴェイユに神はありありと存在している。意識の外延表現がヴェイユの神を措定することはできません。親鸞も阿弥陀仏にはかたちがないと言いました。ヴェイユは不在の神とともにその神をじぶんとして親鸞のように自然法爾の場所を生きたのだと思います。
 吉本隆明はヴェイユの匿名の領域とじぶんの大衆の原像はよく似ていると発言していますが、ぼくはまったくべつものだと思います。ヴェイユにとって神は自己意識の無限性ということではまるでないのです。吉本隆明が神を非信の側から論じるとき、その神はヘーゲルやフォイエルバッハやマルクスの意識の至上物とおなじものです。神という超越は、宮沢賢治がほんとうのほんとうの神を渇望したように、ヴェイユにとってだけとどけられる固有の神でした。今回、「マチウ書試論」とその周辺を読みかえして、吉本隆明の新約批判はどこにも突きぬけていないと実感しました。原始キリスト教団の苛烈な倫理と似た、生を脅迫する匂いを感じたのです。どうふるまおうと赦さないという倫理がそこにあります。大衆への熱情は吉本隆明の第十八願で、そこにかれの体験的な熱い真実があるとしても、その信は吉本隆明の主観的意識の襞のうちにあります。そしてこの信は共同化されます。大衆は自己にとって第三者です。第三者は自己の信であっても共同的に疎外されるほかない。ヴェイユにとっての神は内面化も共同化もできないが存在するものでした。存在の複相性をヴェイユが知っていたら、摂食を拒絶することで死を迎えることもなかったと思いますが、ひとりでいてもふたりであることをヴェイユはみごとに生き切ったと思います。なによりヴェイユが内面化も共同化もしなかった不在の神は内包論として継承されています。
 同一性を暗黙の公理として世界を表現すると、その思考の慣性が粗視化した自然が外化されます。意識の外延性では適者生存をなぞる世界の無言の条理にまったく歯が立ちません。固い生存の条理は堅固です。この思考の慣性を崩そうとして、いろんな思索者がさまざまことを考えてきましたが、だれも第三者性の問題を解決することができなかったと言えます。閉じた思考の慣性を前提とするかぎり、だれもが解けない主題を解けない方法で解くというどうどうめぐりを繰りかえしてきたのです。それはなぜかとながいあいだ考えました。意識の明証性が括弧に入れている同一性という暗黙の公理を拡張しないと音色のいい言葉が響くことはない。自己という精神のモナドを基準とするかぎり世界に気持ちのいい風は吹かないのです。生の不全感とこの世の条理は固く結びついています。ぼくは内包論で同一性的な存在の手前に内包的な存在が存在しているということに気づきました。そのことを存在の複相性と呼んでいます。自己を実有の根拠にすると、「心的な領域は、生物体の機構に還元される領域では、自己自身または自己と他者との一対一の関係しか成りたたない。また、生物体としての機構に還元されない心的な領域は、幻想性としてしか自己自身あるいは外的現実と関係しえない」(吉本隆明『心的現象論序説』)ようにわたしたちの意識はあらわれます。たしかに心的領域は身体に還元されるとき、自己と自己と他者の一対一の関係が成り立ちます。しかし自己をみている自己は身体と関係なく自己を無限に漂うこともできます。この意識の無限性は外界を観念的に疎外することで環界と関係します。共同幻想がそれに相当します。ぼくはこの観念の形式を、自己意識の外延表現と呼んできました。


 内面を内包化するとべつの自然が立ちあらわれます。文明の外在史と精神の内在史として表象される意識の型をまるごと包みこんでしまう内包自然が、内面の意志とは関係なく向こうからやってきます。親鸞はこの機微のことを他力と言いました。内包論は親鸞の他力によってつくられた自然法爾をさらに内包化する試みということもできます。親鸞は「末燈鈔」で他力のなかに自力はあるが、他力のなかにまた他力というものはないと言っています。ぼくは他力のなかに他力があると考えました。そこにわずかに親鸞の未然があると考えたからです。他力を内包化するとなにがあらわれるか。還相の性だと考えたのです。そうすると吉本隆明の心的領域の定義はまるごと拡張できます。自己を基点として外界に発せられる意識のありかたとべつのまなざしの可能性が忽然とあらわれるのです。親鸞は有情を有縁によって結び直しています。他力を内包化すると親鸞の自然はわずかにふくらみます。親鸞は衆生に仏という共同幻想を媒介にして仏の慈悲を一人ひとりにとどけ、最後はその仏も否定して第十八願を還相の知として表現したのです。おなじことを内包論で言ってみます。内包という心的な領域は、身体に還元される領域では心的な領域は還相の性を媒介にして一対の根源の性の分有者の関係として表現され、身体に還元できない心的な領域は、共同の幻想ではなく内包的な親族として表現されることになると考えたのです。人倫を媒介とせず、共同性も疎外せず、それ自体として内包的な存在が自存する。また内面の内包化によって、他力のなかの他力がおのずと表現され、還相の性という潜力がもつ余熱は、外延的な共同性を包み込んで共同性を内包的な親族へと転位させる。ここに生や歴史にとってのまっさらな未知がある。
 呪文のようでわかりにくいですね。意識は精神のモナドとしてあると共に、内包のきりのなさが心身一如のなかに根源の性を分有することとして表現されたことも意味します。あるものがそのものにひとしいことを同一性と言いますが、なぜあるものはそのものに重なるのでしょうか。ナチに加担したハイデガーの哲学にいろいろ文句をつけてきましたが、神ぬきに存在を表現できるかどうかがかれにとって生涯の課題であったことはまちがいありません。「各々のAとそれ自らとの関係を、かかる媒介として確立し且つ特徴づけられて現われるに至るまでに、更にまた同一性の内における媒介がかく出現するために一つの土台が見出されるまでに、西洋的思考は、二千年以上を要しているのである」(『同一性と差異性』)それほどに同一性の謎は深いのですが、これからは同一性をビットマシンと融合する諸科学が埋めていくことになります。意識と外界の矛盾は技術が充填します。記号の同一性にわたしたちの生が漸近していくとはそういうことです。外延表現はこの流れを拒むことができません。だからグローバルな文明史の転換を包み込もうして内包論をつくっているとも言えます。さらにわかりにくくするかもしれませんが、なにが問題なのかをつかみ出したいので、これまでなんども書いてきたことを取りあげます。

「はじまりの不明のはじまり。食と性が分有されたということ。深雪の凍原で一緒に暖をとり、おおきな葉っぱで一緒に雨をしのぎ、はじめて手にしたひとつの果実を怖れおののきながら一緒に食べ、いつも一緒、どこでも一緒。この驚異のなかで初源の意識が内包的に表出された。ここに意識の起源があり、ここに表現としての精神の古代形象のはじまりがある。内包というささやかな贈りものは同一性によって引き裂かれているようにみえる。そうではない。リトル・トリーのおじいさんが、今生はなかなかよかった、来世はもっといいだろう、また会おうな、と孫に言葉を託す。その心ばえ。内包の面影がここにもある。生の原像を還相の性として生きるとき、生は内包の贈りものとしていつも生きられる。そのことを歴史としてつくることも可能だ。なぜならば内包がいつもわたしたちのなかにきりのない善きものとして存在しているからである。他者をじぶんのうちに認める内包という情動が世界をつくった。自己に先立つ根源とのつながりのなかに生の豊穣さがある。それが身が心をかぎる自己同一性のほんとうの起源なのだ。生の玄妙さを享受しようとして自己という認識のかたちが招来された。自己という現象は根源の性を味わい尽くそうとして誕生した。この認識によって自己のありかたも歴史のありかたも根柢から拡張されることになる」(片山恭一vs森崎茂:連続討議『喩としての内包的な親族』あとがき)

「ふたたび内包と外延を往還しながら悶絶したことにもどる。こんぐらがった意識がほどけてしまうとあっけない。なんでこんなことがわからなかったのかという具合。意識のしばりとはそういうものだと思う。根源の性の分有者ということについていくつかの錯認があった。根源の性を『あいだ』として空間化することはできない。ひとであることの根源が〔性〕であるということをいまはそう考えている。自己という現象の奥まったところにある根源の性は無限小のものとしてだれのなかにも内挿されているのだ。また根源の性の分有者という知覚は機縁によってのみ起こるということ。それはまったくの受動性であり、内包的表現意識による他力といってもよい(親鸞の他力とはわずかに違う)。分有者を空間化すると往相の性としてあらわれる。つまり、根源の性の分有者は同一性のしばりをうけるが、分有者という内包的な表現意識のいちばん奥まったところには還相の性があるということ。この知覚は外延論理の世界では領域としての自己としてあらわれることになる。このとき外延論の世界での三人称の関係は共同性ではなく、喩としていうのだが、あたかもゆるやかな親族のようなものとして主観的な意識の襞を超えて現象することになる。根源の性の分有者は還相の性ということにおいて〔わたし〕が〔わたし〕でありながら〔あなた〕でありうる唯一の場所であるとわたしは思う。ひとが根源において〔性〕であるとはそういうことだ。内包自然の真ん中にひっそりと還相の性があり、外延表現では空間化できないという意味において、幻想の共同性である民主主義を跨ぎ超す契機がここにあるとわたしは思う。このあたりの機微をこっそりヴェイユに耳打ちしたかった。わたしはヴェイユの見果てぬ夢を歩く浄土として生きている。『ある一つの秩序に、それを超越する秩序を対比させる場合、超越するほうの秩序は、無限に小さなもののかたちでしか、超越されるほうの秩序のなかに挿入されえない』(「重力と恩寵」)わたしが構想する喩としてのゆるやかな親族構造のようなものもまた無限に小さなかたちで秩序のなかに挿入される。根源の性の分有者が還相の性として可能となるとき、外延的な表現意識の三人称は、内包的な表現意識では、主観的な意識の襞にある信ではなく、信の共同性でもなく、還相の性との関係において、喩として、あたかも親族のようなものとして内包的に表現されることになる。存在がそれ自体に重なるここで親鸞の他力も消える。そしてここにヴェイユが渇望した世界がある」(片山恭一vs森崎茂:連続討議『性と精神の古代形象』あとがき)


 意識の外延性と内包性を往還することはかんたんではありません。ぼくも第三者性のない世界をつくろうとして10年余絶句しました。こういうことだと思います。意識が意識について自己言及するとき、意識と身体が相関することを前提にして、その前提を括弧に入れて、意識は意識についてあたかも身体性がないかのようにふるまうことができます。ここに存在と意識をめぐる根深い、はじまりの意識の不明があります。社会的な存在のありようが意識を決定するようにみえ、しかし意識がなかったら、存在が意識を決定することもないという矛盾がある。文明の外在史と精神の内在史の矛盾と言い換えることもできます。この矛盾を意識の外延的なありかたは決定できないのです。だから親鸞は他力を発明し、ヴェイユは不在の神と言ったのです。自力ではなく、不在の神を言葉として言うしかなかった。内面化も共同化も同一性のなせるわざです。この意識のありようのなかに解けない主題を解けない方法で解こうとする外延的な思想の課題があります。ハイデガーも問題の所在について気づいてはいますが、ごまかしました。矛盾はどこからくるのか。だれがどうやろうと第三者性を解きほぐすことができないのです。精神のモナドに自由と平等が付与されることに異議を唱える人はいません。おおいにけっこうなことだからです。では第三者性の友愛についてはどうでしょうか。私性と友愛はなんの関係もありません。だから親鸞は有情と有縁をなんとかつなげようとして他力という言葉をつくり、ヴェイユは不在の神という言葉に祈ったのです。意識の外延性が措定することできない、内面化も共同化もできない言葉があるということです。ぼくはこの不思議を内包と名づけました。同一性の手前に還相の性という同一性を起動した不思議があります。ここまでくることができた思索家は、ぼくの理解するかぎり、エックハルトとヴェイユとフーコーだけです。吉本隆明は内包の一歩手前まで来ていました。2001年の9・11同時テロをきっかけに存在倫理(『群像』吉本隆明vs加藤典洋:2002年2月号)を着想しました。そのことについて書いたことを再掲します。

「吉本隆明は存在倫理という言葉をつくることで〔遠いともだち〕に裏側から触っている。順次生を無限に遡っていくと、これがおれの分であるというものはなくなってしまう。『古い宗教的な心理状態とか精神状態をどこまでもさかのぼっていけば、どうしてもそうなります。おまえの存在、おまえが生まれたいという意思とか、産んでくれとかいうところから出てきたものは何もなくて、ただ、無限に遠い以前からちゃんとそういうふうに考えると、おまえの分は何もないんだから、生命と取りかえっこ、存在と取っかえっこすることは、いってみれば、倫理の最も根本のところに点として、核としてあるものであって、宗教的なものとは取っかえられるということが出てくることはあり得ますね』。ここはとても面白い。アフリカ的段階として吉本隆明がつかもうとしたことがかすかに兆している。なにが精神の古代形象の豊穣さなのか。日本的な自然生成としてあるモダンな記紀の世界がかたどられるはるか以前に一身が二心としてすでに生きられていたということだ。存在倫理を歴史を遡行して宗教以前の可能性を観念でつかもうとすれば、なにより対象を粗視化しようとする観念を内包化すればよかった。文明の外在史と精神の内在史の矛盾は意識の外延表現では永遠に解かれることはない。最期の吉本隆明がつかみかかった倫理のもっとも根本的なところに点としてあるものをアフリカ的段階と実詞化するのではなく、この気づきをそのまま領域化し、自己という主体は実体ではなく、根源の他者によって、自己となると、了解すればよかった。文明の外在史と精神の内在史の矛盾という意識の外延性が矛盾の根源にある。内面を内包化できなければ内面のなかでその矛盾を空間化するしかない。それが歴史の段階という概念だと思う。存在倫理は点ではなく領域として存在している。自己を領域として生きるとき、それは〔性〕にほかならないのだが、自己は領域だから、その余の観念は〔遠いともだち〕になるほかない。内部でも外部でもない観念がある。内面の底がすとんと抜けると内面より深い内包自然の棲まう〔性〕がそれ自体としての領域としてあらわれる。そこに猛烈な観念の未知がある。」(「歩く浄土219」)

 とても可能性を秘めた考えを吉本隆明は着想したのですが、最後の最後で精神のモナドをひらくことができていません。変わるだけ変わって変わらない内包のきりのなさが自己意識の無限性として反復されていると考えればよかったのです。どこまでもさかのぼっていくと、おれの分はなにもない、倫理のもっと根本の核にある点があり得ることになり、ここで存在と存在の取り替えっこや宗教的なものとの取り替えっこということが出てくる。発言の趣旨はそういうことだと思います。内包論とそっくりではないか。たしかに吉本隆明の最晩年の思想は内包論の近傍まできているようにみえます。しかし精神のモナドを公準に世界を表現する思考の慣性と、領域としての自己を〔性〕として生きることのあいだにはおおきな隔たりがあります。「マチウ書試論」の関係の絶対性も、最晩年のアフリカ的段階についての構想も、内包へと過ぎ超すひとつの過渡的な観念です。自己という同一性のすきまに凡庸な悪が忍びこんできます。かれは戦中、皇国青年であったことを認め、天皇のためなら死ねると思い、戦後、消費社会が興隆するなかで起こったオウムーサリン事件の首謀者麻原彰晃の理念を称揚しました。吉本隆明は次のように発言したのです。ぎょっとしたことを覚えています。
「僕は、人間とはいつから始まるのかと考えてきました。フロイトの説では、誕生して体外に出た時から精神が始まるとされますが、僕はそれよりも少し前の、胎内で感受性の器官が完備した時から人間の精神が始まるのではないかと思うんです。そこで、麻原彰晃の『生死を超える』という本の、輪廻転生について述べている部分を読みますと、自分はイメージで受精の段階まで遡れる、さらに受精以前の前世や、来世にも行けると言っているわけです。その修行の過程を、はっきり体験的に表現しています。僕が自分なりに、科学と宗教を同じくする実験の方法を考えたときに、唯一ヒントになったのが麻原彰晃なんです」(『宗教論争』吉本隆明vs小川国夫)
 オウム事件を通して吉本隆明は親鸞の悪人正機についての考えをあらためるようになったとも発言しました。
「僕が感じたのは、親鸞というのは本気で極悪非道の人間のほうが浄土に生きやすいと考えていたんじゃないか、そういう解釈の仕方がオウム事件を通して僕のなかに生まれてきました」(『世紀末ニュースを解読する』)
「理想の社会のイメージを、善の方向にだけ暢気に考えてきたのが間違いだったのかもしれません。実際に理想の社会をつくろうとすると、多くの問題が出てきます。例えばロシアでマルクス主義が国家から脱落していくということが起こった。あれは、やりかたでミスをしたんであって、理念は間違っていないという解釈も勿論あるけれども、もともと、理想の社会をつくることを善の方向にしか考えていなかったから、見落とした問題があったんですよ」(「宗教論争」吉本隆明vs小川国夫『文学界』1996年2月号)
 同一性を思考の慣性にする思想の痛ましさが発言されています。意識の彼方の無意識を空間化することや善と悪を空間化し弁別することに縛られるのです。理想の社会のイメージを善の方向にのんきに考えてきて、悪を包括できていないと言いたいのでしょうが、理念が倒錯している。なぜこんなつまらないことしか言えないのか。信を自力廻向でしか批判しえていないからだと思います。「マチウ書試論」や「転向論」のときは天皇体験を払拭したい当事者性がありましたが、消費者化の全貌をつかもうとして思考の変換、かれの言うところの戦後二度目の転向をやったとき、吉本隆明は生成変化する社会を分析する化学者でした。起こっている出来事を観察しました。ヘーゲルやマルクスの思想もこの過程でさらに微分されています。しかし精神のモナドの思考の型はなにも変わっていません。外延的な思考を内包的な思考に往還させるしか吉本隆明のアフリカ的段階の世界構想は成就しなかったのです。思想として究尽することなく吉本隆明は浄土に旅立ったと言えます。


 先週お話ししたこととも関係しますが、同一性を暗黙の公理としてなされた思考の慣性は意識をこまかく外延することはできますが、適者生存を外側から固い生存の条理でなぞることしかできないのだと思います。自由と平等は私性にとって容易に受容されますが、第三者はいつも埒外です。人格を媒介にしても第三者性は建前にしかならない。自己の私性にとってやっかいな第三者を私性が同期された共同性によって排除する。人類史としても意識の外延性はこの自然しかつくれませんでした。ビットマシンと融合した先端的な科学知はこの過程をさらに昂進します。人格などを媒介にしないで生に直接アクセスすることで、生を記号に分解します。同一性は技術によって埋められていくのです。そしてこの知の大半は貨幣と共に虚構であり共同幻想です。ぼくたちは文明の大転換の時代の渦中を生きていますが、親鸞の他力にはこの時代にあっても元気になれる言葉の力があります。親鸞は虫木草魚のように地を這いずる衆生に仏の慈悲を説きました。戦乱と疫病と飢饉と天変地異のなかで生きる人びとにこの世ではとうてい実現できない苦界がある。生老病死の苦を目の当たりにしていったいなにができるかと親鸞は必死で考えた。思想が宗教でしかありえない時代に、仏という可視化された虚構を媒介に、衆生の一人ひとりにとどくように信を語りたかった。最後の親鸞の立ち位置について吉本隆明が美しい文章を書いているので貼りつけます。
「親鸞は、〈知〉の頂きを極めたところで、かぎりなく〈非知〉に近づいてゆく還相の知をしきりに説いているようにみえる。しかし〈非知〉は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても〈無智〉と合一できない。〈知〉にとって〈無智〉と合一することは最後の課題だが、どうしても〈非知〉と〈無智〉とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわっている。なぜならば〈無智〉を荷っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念に理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな〈はからい〉ももたない。かれは浄土に近づくために、絶対の他力を媒介として信ずるよりほかどんな手段ももっていない。これこそ本願他力の思想にとって、究極の境涯でなければならない。しかし〈無智〉を荷った人々は、宗教がかんがえるほど宗教的な存在ではない。かれは本願他力の思想にとって、それ自体で究極のところに立っているかもしれないが、宗教に無縁な存在でもありうる。そのとき〈無智〉を荷った人たちは、浄土教の形成する世界像の外へはみ出してしまう。そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなければならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。」(決定版『親鸞』)
 「〈知〉にとって〈無智〉と合一することは最後の課題」であるとして、意識の外延性はこの課題を実現できるだろうか。最晩年の親鸞は実現していたように思います。一念義によって信を最終的に解体しています。阿弥陀にはかたちはないということは仏は言葉にほかなりません。では親鸞の第十八願は内面にあるのでしょうか。内面を突きぬけたところに内面にも外界にも空間化できない出来事としてあったと思います。親鸞は講話に聞き耳を立てる村人に、しきりに有情より有縁を度すべしと説きました。固い生存の条理が支配するこの世のしくみのなかでやわらかい生存の条理を説いたのだと思うようになりました。グローバルな生存の条理は人格を媒介としないで生にいきなり侵入してきます。どんな大衆の理念も民主主義の理念も無効です。知を采配する者たちは適者生存の最適値を強者の位置から衆生に語りかけます。内田さん、あなたのことだよ。たとえば内田樹たちの文化的雪かきの勧め。そういう自力作善の欺瞞から遠く隔たったところを親鸞は生き、吉本隆明は親鸞を追尋した。それはたしかです。親鸞は内面でも外界でもない仏の慈悲という言葉のありかを自然法爾として語っています。ぼくの言葉に置きかえると、内面を内包化すると他力のなかに他力があらわれるということになります。この言葉を〔性〕だと考えました。この〔性〕のなかに意識の第三層が表現されています。ここまでくると存在は存在それ自体に過不足なく重なるのです。ここで同一性のもたらす生の不全感も悪の凡庸さも消えます。外延的な意識を内包的な意識で往還すると、内面を媒介に、内面ではない出来事が、内面を超えて表現されます。
 第三者性と意識の第三層はじかに切り結んでいるとぼくは考えます。第三者性の問題を解決しないかぎり、生存の矛盾がなくなることはない。内面を内包化するとき、ひとりでいてもふたりは自己という領域となり、意識の外延性の表象である第三者は、二人称としてあらわれる。共同性の存在する余地はない。ここまできてはじめて存在は存在と重なる。内包を生きると生が非俗を突き破り無智を貫通し、無智そのもののありようを変えてしまう。なにが無智そのもののありようを変えるのか。フーコーは主体は他性によってもたらされると表現の概念をひっくり返しましたね。自己の側に表現の機縁があり内面化することで表現をなすという通念を転倒したのです。おなじことを親鸞は横超という思想として言っています。他性によってとどけられる自己も、横超によってかたどられる自己も自力の信とはまったく無関係です。それは一方的に向こうからの視線であって、受動性として受容される出来事です。知を媒介に非知に向かっても、非知と無智は深淵でもって隔てられている。この溝は埋められるものか、充填不能なのか。親鸞は仏と懇ろになることによって深い淵を超えたのだとぼくは考えました。仏も他性のひとつにすぎない。第十八願を空間化せずに言葉として生きると、そこに〔性〕となった言葉が現成すると思います。この〔性〕のことを還相の性と名づけたのです。意識の外延性を内包的な意識に往還すると、ふしぎなことが起こります。知識人と大衆という生を分割統治してきた生を采配する権力が消えるのです。やわらかい生存の条理のなかに第三者性は包まれてしまいます。
 アップしたサイトの記事で、中野重治の「村の家」の父親の孫蔵と息子の勉次のやりとりをすこし取りあげました。獄中転向してふるさとの親元に帰り、父親から小塚原で骨になっていると思っていたのに、おめおめと生き恥をさらして戻ってくるとはどういうことか。断筆せよ、と孫蔵から言われ、逡巡して、これからも書いていきますと勉次が言い返す場面は文化人好みです。いったいなにを書くのかとむかしからぼくは不満でした。ぼくならおやじさんに一緒に歌いたいですね、とまちがいなく言います。あの西郷隆盛も渡辺京二の『維新の夢』のなかで二度島流しに遭ったことを島の老婆からなじられ、老婆に忖度した言い方をしています。所謂、知の言説です。ぼくならおばあさんに一緒に踊りたいですね、と言います。知識人と大衆という意識の範型はビットマシンと融合した知に過不足なく吸収されます。そしてそのときも強者の啓蒙家が文化的雪かきを推奨します。知識人と大衆という二分法は亡んだ知です。総表現者でしか生き延びられない時代がもうそこまで来ています。総表現者のひとりとして、内包自然の大地のうえで、歌い、踊る。ここにはどんなAIの跋扈も侵入することができません。意識の外延性は固い生存の条理をもたらしますが、意識の内包性はやわらかい生存の条理をおのずから実現します。ここに生のおおきな可能性があります。