小説のために(第十四話)


 宮沢賢治の「食」にかんするナイーブさについては、すでに語り尽くされた観がある。通常、それは「慈悲」のような仏教的な倫理観から解釈される。「性」にかんしても同じである。賢治には「生涯のうち、精液を体外に出したことがない者は、自分を含めて世界に三人しかいない」と語ったという伝説があるらしいが、つまらないことだ。たしかに賢治にとって日蓮宗(とりわけ「法華経」や「涅槃経」)の影響は大きかっただろう。そうした仏教倫理が彼の「食」や「性」への態度にも流れ込んでいるのは事実かもしれない。でも、やっぱりつまらない。

 日蓮宗を介した法華経の信仰は、かれの生涯をねじ伏せるほどのつよい影響をあたえた。また狂者の拘束衣みたいに行動とこころをしめつけた。そしてにっちもさっちもいかないところまで追いつめたが、そのつよい拘束を賢治はかならずしも、ぜんぶ否定しなかった。(吉本隆明『宮沢賢治』)

 たしかにそうかもしれませんよ。そうかもしれないけれど、そんな人が書いた作品として『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』を読んだって楽しくないじゃないか。「よだかの星」や「なめとこ山の熊」や「祭りの晩」なんか、苦しくて読めないよ。だいいちユリアやペムペルはどうなる? 「狂者の拘束衣」をまとった者が、ジュラ紀やペルム紀からやって来た生命にたいして「わたくしの遠いともだちよ」と親しげに呼びかけることができるだろうか?

 おもうに宮沢賢治は、いちどもよく遊び、ほかの子供たちと悪戯をやっては、侵犯するこころを父母に叱られたり、きれいな女性に胸をときめかして恋愛し、やがて結婚して、楽しい生活をしようという発想をとったことはなく、開放されないこころの殻をやぶらないままに、宗教的な歓喜、有頂天、恍惚のところまで登りつめてしまった。(前掲書)

 違うと思うな。それは吉本さんの自己を投影した見方や感じ方で、あなたからはそう見えるということじゃないでしょうか。対象を通して自らを語る、というのが若いころにあなたが小林秀雄から学んだ批評の方法でした。すると「狂者の拘束衣」はあなた自身がまとっていたもの、「狂者の拘束衣」とともにある賢治は吉本さん自身の自画像、ということにならないでしょうか。
 宮沢賢治の「禁欲」は日蓮宗や法華経とは、あまり関係ないような気がする。たしかに入口としてはそういうものがあったかもしれないが、賢治自身はもっとはるかに広々としたところにいたのではないだろうか。たとえば『銀河鉄道の夜』のなかで、ジョバンニがカムパネルラに「僕たち一緒に行かうねえ」と言うとき、カムパネルラは「青森挽歌」の「とし子」である。
 賢治の二つ下の妹「トシ」は、彼が26歳のときに亡くなっている。この兄妹の関係についても、さんざん言葉が費やされてきているけれど、ここでは少し別のことを言ってみよう。賢治にとって異性とは「トシ」のことだった。「女性」とは妹の存在を抜きにしてはイメージすることのできないものだった。賢治の使う「娘」や「少女」や「妻」という言葉は、「トシ」という固有名詞が匿名化したものだった。女性がみんな自分よりも大切な妹に見えてしまう、そのような者をして「狂者の拘束衣」に心と行動をしめつけられたと言うのは勝手だけれど、彼の性的な慎ましさは「禁欲」とは違うと思う。だってあなた、ご自分の妹さんに「性欲」を感じます?

 性欲というのも同じことなんで、完全に唯一無二な存在みたいな神、あるいは仏みたいなものといっしょになろうというような、そういう修行には耐えられないし、そういうような境地には耐えられないものだから、いわば眼の前の男または女と一緒になろうという衝動を生ずる。それを性欲というふうにいうんだといっています。それは特異な考え方なんですけども、しかし、ひとつの思想であることは疑いないことです。通用しようとしまいと、それは宮沢賢治の特異な考え方の柱になっているだろうとおもわれます。(吉本隆明『宮沢賢治の世界』)

 ちゃいまんがな、吉本さん。あなたのそういう考え方が、ぼくから見ると「特異」なんですよ。「完全に唯一無二な存在みたいな神、あるいは仏みたいなもの」って、トシさんのことにきまっているじゃないですか。自分よりも大切な妹さんのことをうまく言い当てるために、恐れ多くも神さまや仏さまはダシに使われているのです。それくらいふてぶてしいというか、スケールの大きな人だったと思いますよ、賢治さんは。だって数十億年に及ぶ生きとし生けるものを、みんな「遠いともだち」にしちゃうような人ですからね。彼のまなざしがとらえようとしているものは、神や仏よりも、はるかに規模が大きいんです。そんなふうに考えないと、宮沢賢治はぼくのそばまで来てくれません。

 私はしかしこの間、からだが無闇に軽く又ひっそりとした様に思ひます。私は春から生物のからだを食ふのをやめました。(大正年5月19日 保坂嘉内宛)

 同じ書簡のなかで彼は、「私は前にさかなだったことがあって食はれたにちがひありません」とか、「この人(釈迦のこと?)はむかしは私共とおなじ力のないかなしい生物であった。かなしい生物を自らに感じてゐた」とか、きわどいことをたくさん言っている。この賢治の言い方(感受性)を、大乗仏教的な「慈悲」の統合失調症的な表白と解釈すれば、たしかにわかりやすい。けれど、ぼくたちが追い求めている賢治の像からは外れてしまう気がする。宮沢賢治という無尽の可能性をもつ表現者が、既知の窮屈な言葉の場所に押し込められて不憫だ。「食はれる魚鳥の心持が感ぜられます」とか「一切の生あるもの生なきものの始終を審に諦かに観察したら何か涙でないものがありませうや」(同書簡)という彼の感じ方は、仏教的な慈悲や輪廻転生よりも、もっとずっと深いところから出てきているのではないだろうか。

 中村元によると、「慈悲」の「慈」はパーリ語やサンスクリットの「友」や「親しきもの」を意味するらしい。同じく「悲」は哀憐、同情、やさしさ、憐れみ、情け、といった意味になる(『慈悲』)。おお、たしかに宮沢賢治の「遠いともだち」と似ている。仏教は心の修練によって慈悲を感得し、実践しようとする。すなわち「解脱」である。なるほど、解脱ねえ……。
 仏教(法華経)では迷える人間のうちにも慈悲心が存すると教えている。誰のなかにも「遠いともだち」がいるということだろう。その「ともだち」は解脱に至る厳しい修練を経ないと取り出せないものなのだろうか。ぼくたちが気軽に会いに行くことはできないのだろうか。宮沢賢治と日蓮宗との関係については、彼の宗教的な挫折ととらえられる向きが多く、吉本も宗教的な理念を実践する過程での挫折という解釈をとっている。

 その経典(「法華経」のこと)の対象とされているものは、いわば特殊な修練を積み、特殊な修行を積みというような、ある意味でそうとう高度な仏教者で、その撰ばれたものに仏が説経するという形になっています。つまり、法華経を経典とする宗派には、そういうごく普通の平凡な人から修行を積んで、隔絶した信仰の世界に入っていって、そこで、いわばさまざまな実践的な活動をするみたいな考えがあります。これは法華経の中にもありますし、また、それを根本的な聖典としている日蓮宗じたいの活動の中にもあるわけです。(吉本隆明『宮沢賢治の世界』)

 そうだとすれば、賢治は信仰的に挫折したのではなく、彼のほうから日蓮宗を見放したのではないだろうか。自発的に信仰を見限ったのではないだろうか。「世界ぜんたい何をやっても間に合はない」という焦燥の場所からは、「特殊な修練を積み、特殊な修行を積みというような、ある意味でそうとう高度な仏教者」たちは、いかにも呑気な独りよがりの者たちに見えたに違いない。そういう特殊な修行者という場所を見限ったと言ってもいい。そんなやり方では、「何をやっても間に合はない」という現実に、文字通り間に合わないのだ。「近代文明と新たな文明の過渡期のひと」の自分も一人であるという彼の実感からすると、「ごく普通の平凡な人から修行を積んで、隔絶した信仰の世界に入っていって」という過程自体が迂遠に感じられただろうし、また無効と判断されたるものだった。それが「デクノボー」(「雨ニモ負ケズ」)という自己規定が意味するところだったのではないだろうか。
 特殊な修行者をいくら増やしてもしょうがないのだ。「撰ばれたもの」とは知識人のことだろう。知識人が大衆に説教を垂れる。啓発し啓蒙する。いらぬおせっかいではないか。一人ひとりがおのずからなる慈悲のなかに立たないかぎり、「血みどろ」の歴史は終わらない。終わらせようがないのだ。