小説のために(第十八話)


 気功の先生によると、男の胸におっぱいがあるのは、男が女の身体を借りている証拠なんだって。言われてみればそうかも。無駄といえば無駄だし、過去も現在も未来も使い道はなさそうだ。ぼくたち男はお風呂に入るたびに自分の胸を見て、「どうも、お邪魔しています」などと言わなければならないわけだな。悪い気はしない。自分のなかにかわいい女の子が棲んでいると思うと、ちょっといい気分じゃないか。気色悪いって? 知らないよ。
 そんなふうに性を考えると、生きていることが少しだけ膨らんでやわらかくなる気がする。男か女か、AかBか、0か1かきめてしまわなくても、男は女の人の身体を借りて男をやっているわけだから、男と女のブレンドの比率というか、一人ひとりの「男濃度」は当然違うはずで、彼は男が何パーセントで女が何パーセントというふうに、性は確率的に分布していると考えれば、「性同一性障害」などという堅苦しい言葉は必要なくなるだろう。
 心は男なのに、身体はなぜか女で生まれてしまった。逆に、心は女なのに、身体はなぜか男で生まれてしまった。本人は悩む。心は男だから、当然、年ごろになれば女の子を好きになるわけだけれど、傍から見るとレズビアンにしか見えない。女の心が男の心と身体を好きになる。きわめて自然なことなのに、可視化されると不自然になる。本人は生きあぐねて性転換手術を受けたり、自傷行為を繰り返したり、鬱病になったり、自殺したりしてしまう。同一性のなせる業だ。
 だいたい性同一性(gender identity)といっても、その基盤となる生物学的な性が確率的に分布しているわけで、それに社会的・心理的な性が一致しているかどうか、という発想自体がナンセンスだろう。男は自分の胸を見て、「ハテナ?」と考え込むほうが普通なのだ。女の人だって100パーセント女ってことはなくて、どんなに女らしい人のなかにも数十パーセントの「男濃度」は含まれているはずだ。だから性の同一性を欠いた状態を「性同一性障害(gender identity disorder)」などと呼ぶのは間違っている。「障害」というなら、性の成り立ちそのものがディスオーダーだ。混乱していて、不穏である。

 動物たちはそれ自体として一なるものである。そのものがそのものにぴったりと重なっている。遅延していない。それが動物ってことだ。ところが人間の場合は、それ自体ということから逸脱している。たとえば動物が他の動物を捕食するときに「殺す」という観念はないだろう。ところが人間の場合は、捕食という行為のなかに「命をいただく」などという余分なものが入り込んでしまう。行為する主体が分裂して、なんらかの遅延や差異が生じている。このためにヒトは動物からはぐれて「人間」と呼ばれるものになった。つまり変化し、進歩するものとなったと考えられる。一のなかに生じた遅延や差異とともに、人間は動きつづける。動物たちにくらべると、すさまじいスピードで変化していく。
 自然的一なるものの王国から追放されて、ヒトは人間になった。この原初の出来事を、キリスト教では「原罪」と呼んでいる。一なるものとは「神」である。神は動かないし変わらない。問いを発しないし答えない。問いを発し、答えようとするのは人間である。理性としての人間である。理性が発する問いや答えとともに、人間は動きつづけ、変わりつづける。ところで変化し、変動しつづけるばかりでは、自分がなんなのかわからなくなってしまう。だから動きつづけ、変わりつづけながらも、何か同一的なものであろうとする。そのためには媒介を必要とする。「神」のような確固とした基準が必要になってくる。こうして人間の同一性は、「神とともに生きるものである」とか「神に基づいて考えるものである」というように「……である」というかたちをとる。
 この「……」のなかに、様々な共同主観的現実や共同幻想と呼ばれるものが入り込んで、人間の同一性をなしている。千差万別の「神」を共同主観的現実(共同幻想)として組み込んだ同一性が「自己」である。したがって自己と自己は、それが服属しているシステム、自己のなかに組み込まれている共同幻想によって「私たち」になったり「彼ら」になったりする。

 サピエンスは人類を「私たち」と「彼ら」という二つの部分に本能的に分ける。「私たち」はあなたや私のような人間で、言語と宗教と習慣を共有している。「私たち」は互いに対する責任を負うが、「彼ら」に対する責任はない。「私たち」はもともと「彼ら」と違うのだし、「彼ら」にはまったく借りはない。「彼ら」には「私たち」の縄張りに入ってきてもらいたくないし、「彼ら」の縄張りで何が起ころうと、知ったことではない。「彼ら」はほとんど人間でさえない。
     (ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』柴田裕之訳)

 現在を生きるぼくたちは、「人類」という壮大なヴィジョンのもとに、この惑星に暮らす70数億の人々を「私たち」と考えている。なるほど。まさに共同主観的現実としての70数億の「私たち」である。つまり「人類」という共同主観的現実があるだけで、人と人がつながっているわけではないのだ。だから地球温暖化といっても、結局は自分たちのことしか考えていない。海面上昇によって深刻な危機にあるツバルやキリバスのことは「私たち」の問題にはならない。それは「彼ら」の問題であり、「彼らの縄張りで何が起ころうと、知ったことではない」からだ。地球温暖化のような環境問題を考えるのにも、とくに先進諸国の人々にとって、「人類」という共同主観的現実が必要になったということに過ぎない。
 どこまでいっても「私たち」や「彼ら」は共同主観的現実=共同幻想でしかない。だから「日本」という共同幻想が「北朝鮮」という別の共同幻想と対立すれば、「私たち」と「彼ら」は容易に敵同士になる。共同幻想は人々を引き裂く。いや、共同幻想を不可避的に組み込んでいる同一性という生存のあり方が、ぼくたちの生を引き裂くと言ったほうがいいだろう。

 森崎茂さんの最近のブログに、1990年に行われた吉本隆明さんとの対談が抄出のかたちで掲載されている(「歩く浄土」236)。対談のなかで森崎さんが紹介している、ベトナム戦争の帰還兵の話が印象に残った。
 ある村(ソンミ村のミライ集落、いわゆる「ソンミ村虐殺事件」のことだろう)にたいして、米軍が全員を殺せという命令を出す。男も女も子どもも、犬も猫も、動いているものはすべて殺せという非情な命令だった。二十年後に廃人のようになって生きている元兵士に、記者がインタビューする。「殺したのですか」とたずねると「殺した」と答える。「一人殺したら、あとは戦闘マシーンで何人でもみんな殺してしまった」と証言した人が、その村の写真をずっと持っている。誰を殺したのかと訊くと、腹を抉られた母親と小さな子どもを指さし、「俺がたしかに殺した」と答える。「あなたはなぜこの写真を持っているのか」と記者がたずねたとき、長い沈黙があって、「これがぼくの人生だ」という答えが返ってくる。元兵士の目から、泣いているわけでもなく、ただ涙がスッと流れる。
 命令だから仕方がなかった。そのようにしてアウシュヴィッツも南京虐殺も起こった。大勢のユダヤ人をガス室に送り、母親や子どもを含む多くの民間人を殺した男たちは、特別な人間ではなかっただろう。大半はごく普通の者たちだったはずだ。家に帰ればやさしい夫にして父親だったかもしれない。しかしアメリカ合衆国やナチスドイツや皇国日本という共同主観的現実(共同幻想)のなかでは、一人ひとりの自己はアメリカ軍兵士やナチスの親衛隊員や皇国の兵士以外のものではない。とりわけ戦場においては、自分たちの共同幻想に服属する以外に生き残る術はない。こうして「彼ら」と「私たち」は明快な敵と味方に分断され、「彼ら」はユヴァルが言うように、ほとんど人間でさえない。だから元兵士が証言しているように、「一人殺したら、あとは戦闘マシーンで何人でもみんな殺してしまった」といった行動がとれるのだろう。
 元兵士によると、彼の部隊では、軍法会議にかけられることを覚悟で命令を拒否した兵士が一人だけいたが、それ以外は全員が殺戮に加わった。もちろん彼も殺戮に加わった一人だ。その彼が、帰還したあとの二十年間を廃人同然に過ごし、殺戮の現場写真をずっと持っている。なぜ、そんな写真を持っているのか。「これがぼくの人生だ」という答えのあとで、どこか深いところから涙がスッと流れる。
この帰還兵のエピソードを読んで、辺見庸が『1★9★3★7』のなかに書いていた父親の話を思い出した。

 出征してからはずっと、戦後もふくめて、すべてダメになっていった……というような意味のことを、死の数日前に、父はわたしに話した。楽しかったのは、学生時代、ボート部員として隅田川でボートを漕いでいたころだけ。(中略)敗戦後すでに半世紀以上たっていたので、わたしはやや意外におもい、どうじに、ばくぜんと納得もした。クニに戦後はあっても、かれのからだと記憶にはかんぜんな戦後などなかったのだろう。「スヌデ、スヌデ……」。父はかすれた声でうわごとを言った。「スヌデ……」。さいしょはなんことかわからなかった。母が、たのむからそんなことを言わないで、と父に涙声で懇願している。「スヌデ……」。むかしの石巻弁で「死にたい」であった。かれはもうすぐ逝くのをわかっていて「スヌデ……」をくりかえした。病気になってからではなく、復員してきてからずっと、間欠的に「スヌデ……」をつぶやきつづけていたのかもしれない。

 本来、ぼくたちの世界に偏在している「遠いともだち」を、共同幻想が消してしまう。ユヴァルの言い方を借りると、言語や宗教や習慣といった共同主観的現実は、「遠いともだち」を「私たち」や「彼ら」として可視化してしまう。そして同じ共同主観的現実を共有する「私たち」だけを「ともだち」として実体化する。このとき世界から「遠いともだち」の気配は消える。「遠いともだち」の気配が消えた世界では、どんなに残忍なことでも、どんなに非情で非道なことでも起こる。アウシュヴィッツや南京やソンミやルワンダやシリアは地上に偏在しつづけ、やむことはない。
 壊れていく世界の片隅で、二十年を廃人同然にして生きてきてきたベトナム帰還兵や、復員後の人生を「スヌデ……」という間欠的なつぶやきとともにあった父親が、見える者にははっきりと見える微光を発している。なぜ、彼らはいるのか。何が彼らをそのような者にしたのか。「遠いともだち」だと思う。ベトナム帰還兵の二十年の生においても、復員した父親の半世紀以上にわたる生においても、「遠いともだち」の気配が消えることはなかった。世界からは消えても、彼らのなかには残りつづけた。いっそ消すことができれば、どんなに楽だっただろう。起こったことを過ぎたことにしてしまえば、そうすることができれば、廃人同然に生きることも、「スヌデ……」というつぶやきを生きることもなかっただろう。
 彼らは復員することも帰還することもできずに、生を引き裂かれたまま遺棄されている。自己という同一性の場所を生きることができなくなっている。同一性の手前で、自らが撃ってしまった、殺めてしまった「遠いともだち」とともにうずくまっている。そういう場所が、この世界にはある。ぼくたち一人ひとり、誰のなかにもあるのだ。

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
   (あらゆる透明な幽霊の複合体)
              (『春と修羅』序)

 賢治は慎重に「わたくしといふ現象」と言っている。それは「あらゆる透明な幽霊の複合体」である。「透明な幽霊」が「遠いともだち」であることは言うまでもない。「遠いともだち」の複合体として「私」という現象がある。
 そのようは「私」は、けっして可視化されてはならない。「私」を実体として中心に据え、そこから世界を認識しようとすると、自己という主体を起点に同心円的に広がる空間として世界は構成される。この空間化された世界のなかで、「遠いともだち」は「彼」や「彼女」という三人称として実体化される。彼らは仲間かもしれない。一つの共同幻想を共有する「私たち」かもしれない。同様にして、彼らは敵かもしれない。別の共同幻想によって生きる者たち、ツチ族にとってのフツ族、フツ族にとってのツチ族かもしれない。ゴキブリのようにひねりつぶしてしかるべきものかもしれない。
 目に見える、実体として可視化されているということは、すでに粗視化の過程を経ているということだ。粗視化とは対象を「観察者と対象」とか「私と世界」といった構図のなかに視覚的に出現させることである。つまり可視化するとは、対象を自我の主権性に服属させることなのだ。だからヴェイユは「不在の神に祈る」という言い方で、神を可視化することを避けた。「私」を無にすることによって、自我の専制を回避しようとした。
 ヴェイユと同じように、賢治は「私」を可視化させないことで「私と世界」という構図を拒んでいる。なぜなら「私と世界」のなかに「遠いともだち」の場所はないからだ。私を中心として同心円的に構成された世界のなかで、「遠いともだち」は空間化され、文字通り遠くなって見えなくなってしまう。あるいは「敵」になってしまう。

 殺されたのが「私たち」なのか「彼ら」なのかによって、喚起される感情も反応も違ってくる。ほとんど正反対のものになる。そのような世界にしか、ぼくたちは生きていない。万人が互いに犯すことなく並び立つ明るい世界が近づいてくる気配はない。誰もそんなことは本気で考えていない。
 戦争放棄を謳った憲法をもつぼくたちだけれど、現実的にそれが可能とはおそらく誰も思っていない。護憲を唱える人も平和主義者も、無益な望みとわかっていて戦争放棄を唱えているように見える。本気で戦争のない世界を構想しているのは、その現実的な可能性を思考の射程に収めようとしているのは、ぼくの知るかぎりでは森崎茂さんだけだ。だから五年目に入る「歩く浄土」という対話の場はありつづけている。これからもありつづける。
 平和の尊さを訴え、戦争に反対しているのは安全な場所にいる人たちだ。彼らの言葉は、現に戦争に巻き込まれている人たちには届かない。テレビで目にするシリアやパレスチナの映像に、ぼくたちは言葉を失う。そして啞然とする余裕さえない殺戮の現場に、平和への呼びかけなど届くわけがないと思う。かつて巻き込まれた戦争によって生を引き裂かれた人たちにも、やはり言葉は届かない。世界の片隅にうずくまっている元兵士や復員した父親に届く言葉を、ぼくたちはもっていない。そのような言葉を文学はつくりえていない。
 小説のために。
 おそらく宮沢賢治は本気で戦争のない世界を考えようとした。彼の言葉はいつも本気でそこに向かっている。戦争のない世界へ、万人が互いに犯すことなく並び立つ明るい世界へ、食べるものと食べられるものが深いところで微笑みを交わしあえる世界へ。うずくまっている人たちの生を包み、ひらきうるような言葉を、彼は本気でつくろうとした。なぜなら彼自身がうずくまる人だったからだ。うずくまる自分の生をひらくことが、世界中にうずくまっている「遠いともだち」の生をひらくことでもあった。そのようにして彼の言葉は紡がれている。だからやわらかくて、靭いのだ。
 いくらでも見つけることができる。それこそ彼の作品のなかに偏在している。「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」ではじまる『注文の多い料理店』の(序)はどうだろう。

 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちひさなものたがりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。

 第一級の、ほとんど最上の言葉のように思える。世界の片隅にうずくまるものから、同じようにうずくまる「遠いともだち」への呼びかけとして、これ以上のものがあるだろうか。「すきとほつたほんたうのたべもの」と言っている。ここでも「たべもの」は可視化されたり実体化されたりしていない。可視化され実体化された「たべもの」は欲望の対象となり、たちまち奪い合われるものになる。ここで賢治が「たべもの」と言っているのは「ことば」である。可視化も実体化もされない「ことば」、その究極が彼の作品のいたるところで明滅している擬音(オノマトペ)だろう。
 賢治は「すきとほつたほたうのたべもの」、すなわち「ことば」によって、戦争のない世界、万人が互いに犯すことなく並び立つ明るい世界を引き寄せようとした。その面影を未来に投影するようにして、作品の随所に埋め込んでいる。彼が『注文の多い料理店』の広告文のために書いた文案も、そのようなものとして読める。

 イーハトブは一つの地名である。(中略)実にこれは著者の心象中に、この様な状景をもつて実在したドリームランドとしての日本岩手県である。そこでは、あらゆる事が可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従へて北に旅する事もあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。罪や、かなしみでさへそこでは聖くきれいにかゞやいてゐる。

 ことばはどこまでも透明で、可視化されることも実体化されることもない。「イーハトブ」は実在の日本岩手県の上に目に見えない写像として上書きされている。だからぼくたちは誰もが実在の岩手県と、ドリームランドとしての「イーハトブ」を行き来できるのである。両方を同時に生きることができる。現に賢治自身がそうだったはずだ。岩手県花巻あたりで貸金業を営む「宮沢商店」の倅であり、同時に「イーハトブ」に生きる一人の詩人・文学者だった。彼は「宮沢商店」の側から見れば「デクノボー」に過ぎず、そのことは本人がいちばん自覚していた。
 ことばは「デクノボー」の場所から発せられている。だからぼくたちに届くのだ。世界の片隅でうずくまる者たちに届くのだ。ことばが届くということ、「すきとほつたほんたうのたべもの」としてことばが届くということは、ぼくたち一人ひとりが「イーハトブ」の住人になるということだ。「イーハトブ」の住人として「遠いともだち」を生きはじめるということだ。

 みんなはだれもパッと顔をほてらせてあつまり手を斜に東の空へのばして
 「ホッホッホッホッ。」と叫んで飛びあがった。私は花椰菜の中ですっぱだかになってゐた。私のからだは貝殻よりも白く光ってゐた。私は感激してみんなのところへ走って行った。
 そしてはねあがって手をのばしてみんなと一緒に
 「ホッホッホッホッ」と叫んだ。
 たしかに紫苑のはなびらは生きてゐた。
           (初期短編綴等「花椰菜」)

 可視化され実体化された「私」は、あいかわらず適者生存の世界を生きている。ベトナム戦争の帰還兵や復員した父親は、世界の片隅に打ち捨てられたようにうずくまっている。その場所が、そのままにひらかれて「イーハトブ」になる。「イーハトブ」の住人として、一人ひとりが「私」の手前で「遠いともだち」を生きはじめる。
 デクノボーのことばが届くとは、そういうことだろう。