小説のために(第十五話)


 いかなる生けるものでも苦しんでいる限り、自分らは完全に幸福とはなりえないと感じる。修行者ほどの徹底性はないにしても、これは誰のなかにも多かれ少なかれある感覚だろう。状況にもよるけれど、いくらか気持ちに余裕のあるときは自然とそんなことを思う。なぜだろう? ぼくたちのなかに「遠いともだち」がいるからではないだろうか。だから有情にたいする「慈悲」の気持ちが湧いてくる。うん、そう考えよう。
 宮沢賢治という一人の文学者が現れるまで、この「遠いともだち」のことを誰もうまく言い表すことができなかった。うまくつかむことができなかった。それで苦し紛れに「仏」などと呼ばれていた。大応国師(誰だよ、それ?)は、「まことの仏のことは、まえにくはしく申しつる如く、仏は衆生の心にあるなり。その仏は色もかたちもなく、大にもちひさき物にもなし、過去、現在、未来もなく、虚空の如くにていたずらといふ所なく、いきしになく、いやしくもなし、是れ根本の仏也」と言っている。これではなんのことかわからない。そこで否定性(~ではない)においてしか語りえない「仏」は、たとえば「菩薩」として可視化される。この「菩薩」を概念化すれば「慈悲」なる。

 菩薩は、衆生の中に処して三十二種の悲(あわれみ)を(観音菩薩のごとく)行い、漸々に増広して転じて大悲を成ず。(『大智度論』)

 菩薩の慈悲を社会的にひらけば、「自他不一」や「自他平等」といった倫理になる。あるいは「自他融即」や「自他一如」といった境地になる。言葉が硬いなあ。力瘤が入っている。ここでは「遠いともだち」はすでに自他の差異として空間化(社会化)されている。だから「不一」や「平等」や「融即」や「一如」といった力ずくの言葉が必要になる。これらの言葉からは、たとえば谷川俊太郎の「ぱん」のいい匂いはしてこない。『注文の多い料理店』の「序」に流れている透明で澄んだ音色は聞こえてこない。ただ苦行僧の戒律みたいなものがイメージされるだけだ。
 空間化された現実(つまり社会)のなかで、仏教的な慈悲は無限の奉仕や自己犠牲にしかならない。

 慈悲とは自己を捨てて全面的に他の個的存在のために奉仕することである。それは現実の人間にとっては容易に或いは永久に実現されがたいことであるが、しかも人間の行為に対する至上の命法として実行が要請される。他の個的存在のための全面的帰投ということは、自己と社他の対立が撫無される方向においてのみ可能である。(中村元『慈悲』)

 最初からできないことが説かれているという印象を受ける。「自己を捨てて全面的に他の個的存在のために奉仕する」なんて、いかにも思考の息遣いが苦しい。このできないことをやるのが、真の仏教者としての修行であり、ゆえに彼らは個我をいかにひらくかということに腐心する。厳しい修行によって「空」の境地に至る。これが仏教的な「解脱」である。
 こうしたやり方を、宮沢賢治はその全作品をとおして否定していると思う。すでに見たように自伝的事実として、宮沢賢治という人は法華経という宗教的信仰へ行こうとして挫折し、挫折感の表出として詩や童話を書いたことになっている。しかし彼の作品は口ごもりながら、別のことを言おうとしているように見える。厳しい修行を経た高度な仏教者でなくても、自分のように信仰の途中で挫折し、田舎に戻って結婚もせず、親がかりで生涯を終えようとしている「デクノボー」であっても、悪人も善人も、聖人も凡夫も、誰もがみなおのずからなる慈悲の世界を生きている。そのような世界が誰の前にも「透明な風景」として広がっている。
 賢治が残した作品全体を一つの喩として読めば、そういうことを表現している気がする。自伝的事実として、彼は宗教的信仰へ行こうとして行けなかった。だが、その挫折した場所で創作された詩や童話は、法華経や仏教といった信仰の世界よりも、はるかに深くて広いものを表現できていると思う。

 一口に仏教といっても、現在のタイやミャンマー、ラオス、カンボジアのような国々で信仰されているものと、中国経由で日本に入ってきた、いわゆる大乗仏教といわれるものとでは、中身がずいぶん異なるようである。釈迦牟尼ことゴータマ・シッダッタによってインドで創始された原始仏教には、生きとし生けるものへの憐れみ、といった発想はまったくない。釈迦族の王子として生まれたシッダッタは、父王によって花よ蝶よと、いわば箱入り息子状態で育てられた。そんなぼんぼんが青年になり、「四門出遊」というんですか、お城の外に出たところで病老死を目の当たりにしてショック状態に陥る。さらに病老死の苦しみから抜け出すために、この世の執着を捨てようとしている修行者の姿に心打たれ、自らも出家を決意した、ということに伝説ではなっている。
 釈迦によって創始された仏教は、当初の動機からして、病老死の苦しみを自覚した人の自己救済なのである。順序としては自利から利他へであって、逆ではない。つまり「自分のための宗教」が「人々のための宗教」に変わっていったわけで、これが仏教の「慈悲」の考え方だとすると、それは最初から社会化されている。このやり方では「間に合わない」と賢治はあせったと思う。なぜなら彼には、もともと自他という区別がないからである。
 たとえば賢治が「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」「風景やみんなといっしょに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です」(『春と修羅』序)と書くとき、彼は文字通り自他の区別のない場所を「わたくし」として生きている。それは彼が残した作品からして疑いのないことだ。賢治にとって「自己」とは実体ではなく現象である。
 あるいは森崎茂さんの「領域」という用語を使わせてもらうべきかもしれない。

 世界の了解線を内包へと冪乗すると、世界はべつのまなざしによって未知のものとして現前する。わたしより近いあなたをわたしとして生きると、自己は主体に付属する実体ではなく、領域としての自己としてあらわれる。(『歩く浄土』209)

 賢治が「風景やみんなといっしょに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける」というとき、「わたくしといふ現象」は閉じた一個のモナドに対比される「領域としての自己」になっている。しかも宮沢賢治という自己の領域は、十数億年に及ぶ「遠いともだち」を包摂したものとして広がっている。ほとんど世界を「わたくしといふ現象」として生きたと言ってもいいくらいだ。このような賢治の自己=世界は、やはり森崎さんがしばしば引用されるヴァイツゼッカーの、つぎのような覚知に近いかもしれない。

 現実に生きられていない生命の充溢、それは現実に生きられ体験されているほんの一片の生命よりも、予想もつかぬほど豊かである。もしもわれわれが現実的なもの以外に、可能なるもののすべてに身を委ねたとしたならば、生命は恐らくは自己自身を滅してしまうことになるだろう。だからこの場合には、有限性は人間の悟性が遺憾ながら限定されたものであることの結果としてではなく、生命の自己保存の戒律としてわれわれの眼にうつる。(『ゲシュタルトクライス』木村敏・濱中淑彦訳)

 実際に賢治は上京して印刷所でアルバイトをしながら田中智学の国柱会で布教活動に精を出し過ぎて身体をこわしたり、イモチ病の予防と駆除の指導に村々を奔走したあげくに疲労困憊して急性肺炎を起こしたり、まさに「自己自身を滅ぼしてしまうこと」との瀬戸際の生涯を、最後まで送ったように見える。おそらく仏教の修行僧などよりもはるかに過酷な境涯だったはずだ。なぜなら賢治が生きたのは、「自己救済」などでは到底手がつけられないような過酷さだったからだ。「悟り」や「解脱」によって片付くものなど、何一つなかった。

 慈悲は空観にもとづいて実現されるのであるから、慈悲の実践をなす人は「自分は慈悲を行っているのだ」という高ぶった、とらわれた心があるならば、それはまだ真の慈悲ではない。慈悲の実践は、慈悲の実践という意識をこえたところにあらわれる。(中略)すなわち現象的な自己を無に帰したとき、慈悲が絶対者からあらわれるのである。そうして慈悲行は個我のはからいではなくて、個我を超えた絶対者から現れ出るものなのである。(中村元・前掲書)

 ここに見られる「空観」などという考え方は、賢治には気晴らしかリラクゼーションほどにしか思えなかっただろう。「現象的な自己を無に帰し」て済むような話ではないのだ。賢治にとって仏教の戒律は、お話にならないくらい手ぬるいものだったに違いない。それは「戒律」に過ぎないからだ。すべての戒律は、ヴァイツゼッカーが言うように「生命の自己保存の戒律」である。「もしもわれわれが現実的なもの以外に、可能なるもののすべてに身を委ねたとしたならば、生命は恐らくは自己自身を滅してしまうことになる」。だから自己保存のために「有限性」という戒律を身にまとうのである。どんな高度な仏教者の修行も、そこから出発している。
 宮沢賢治は戒律の手前を生きている。はるか手前で「食べたくない」とか「犯したくない」とか言っているのである。なぜから「遠いともだち」がいるから。しかも彼らは自分よりも近くにいる。例によって、ここで賢治のなかの「遠い」と「近い」は自在に変換している。内にあるものが外にあるものに、外にあるものが内にあるものに自在に変換するように。「遠いともだち」とともにある賢治の生はそうしたものだ。
 仏教のなかにも肉食にたいする忌諱や禁忌はあるけれど、宮沢賢治の詩や童話、書簡などから伝わってくる直接性にくらべると、ずっと余裕があるものに感じられる。戒律による禁止は、自他の差異を前提としている。だから自己救済としてはじまったものが、たちまち空間化されて社会的な規範(権力)になるのだ。宮沢賢治は自他という差異の手前を生きていたのであり、だから「遠いともだち」の痛みは彼にとって直接的である。賢治にくらべると、2500年前にお生まれになったシッダッタさんは、はるかにモダンという気がする。