小説のために(第十三話)


 解剖学者の三木成夫さんは、「原初の細胞ができてから後の、今日までの三十数億年の長い進化の過程を、なにか幻のごとく再現する、まことに不思議な世界」が「胎児の世界」であるとおっしゃっている(『生命とリズム』)。三十数億年! そんな長大な歴史を過たずに生きて、ぼくたちは生まれてきた。誰もがみんな母親の胎内で三十数億年を旅してきたのだ。

 このように見てくると、人間のからだに見られるどんな〈もの〉にも、その日常生活に起こるどんな〈こと〉にも、すべてこうした過去の〈ものごと〉が、それぞれのまぼろしの姿で生きつづけていることが明らかになる。そしてこれを、まさに、おのれの身をもって再現して見せてくれるのが、われらが胎児の世界ではなかろうか。(三木成夫『胎児の世界』)

 ニック・レーンは『生命、エネルギー、進化』のなかで、原核細胞から真核細胞が誕生するシナリオをプロトン勾配という概念を使って読み解こうとしている。いまから40億年ほど前に、深海のアルカリ熱水孔で無機物が有機物になったことで、生命の歴史は幕を開ける。このとき誕生した細菌の仲間は、なぜか以後20年億年くらいはほとんど進化しなかった。ところが15~20億年前に、細菌と古細菌の内部共生によって真核細胞が生まれた。生命40億年の歴史でただ一度だけ起こった、この奇蹟的な出来事によって、有性生殖や二つの性、死を免れない個体と不死の生殖細胞、といった不可解な特性が真核生物に備わることになった。
 いくらか時間の幅はあるけれど、少なくとも十数億年の時間が、ぼくたちのなかを流れていることは間違いないようだ。この長大な時間を内包した生命として、ぼくもきみもあなたも日々を生きている。目に見えないし、通常は意識されることもない。でも、それは誰のなかにも流れている。三木成夫さんが言うように、「それぞれのまぼろしの姿で生きつづけている」のである。この「まぼろしの姿で生きつづけている」ものを、宮沢賢治は「遠いともだち」として、ユリアやペンペルという、どこか親しげで懐かしい名とともに取り出してくれているのではないだろうか。
 おそらく賢治の童話に出てくる不思議な名前は、ぼくたちのなかに内包された時間の「遠さ」をあらわしている。たとえば「ジョバンニ」や「カンパネルラ」は、空間化すれば日本とヨーロッパ(イタリア)のあいだの距離に相当する時間的な「遠さ」をあらわしている。「ユリア」と「ペンペル」では、その遠方はほとんど空間化できない。「ペンネンネンネンネン・ネネム」になると、40億年前に生まれた細菌の名前といっても通用しそうだ。そんなこんな「遠いともだち」が、平気な顔をして賢治の詩や童話のなかを歩いている。
 大切なことは、これらの「遠いともだち」が、みんなぼくたちの「なかに」いるということだ。あそこではなく、ここにいる。あそこにいる、と口にした途端に「ともだち」は変質して別のものになってしまう。それはともだちではなくなるかもしれない。下手をすると敵になり、殺したり殺されたり、食べたり食べられたりするものになる。なぜなら、「あそこ」とともに彼らは可視化されてしまうからだ。

 あの日からだ。ぼくが道行く人の鼻と背丈に注目するようになったのは。市の中心部に妹のアナとお遣いに行ったときは、ふたりして、あの人はフツ、この人はツチ、とこっそりあたりをつけ、耳打ちしあったものだ。
「白いズボンをはいているあの男の人、あれはフツだよね。ちっちゃくて、鼻が平べったい」
「ああ。あそこの帽子をかぶっている人は大柄で、がりがりで、鼻がすっとしている。ツチだな」
「あっちの縞々のシャツの人は、フツで決まりね」
「まさか。よく見ろよ、のっぽで、痩せてるじゃないか」
「でも、鼻はつぶれて大きいよ!」(ガエル・ファイユ『ちいさな国で』加藤かおり訳)

 あそこではなく、ここなんだ。ここにいるんだ。そう考えなくてはならない。彼らは「遠いともだち」として、ぼくたち一人ひとりのなかにいる。誰のなかにも〔小岩井農場〕はあって、汽車に乗って寂しい町の駅で降り、とぼとぼ歩いていくうちに風景が透明になっていく。透きとおった景色のなかから、ユリアとペンペルがあらわれる。
 彼らとともにあるぼくたちは、ツチ族でもフツ族でもない。日本人でも中国人でもモンロイドでもアングロサクソンでもない。たぶん男と女でもない。国籍や民族や宗教など影も形もない。そんなスケールの小さな話ではないのだ。ユリアとペンペルという「遠いともだち」の名前には、少なく見積もっても十数億年の時間が包摂されている。魚類から両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、人類……すべての宗族を分け隔てなく包み込んだところでの「遠いともだち」だ。彼らはぼくたちのなかにいる。いつもここにいて、ともに生きている。そのようなものとして人間を、歴史をイメージしてみよう。
 ここで再び糖質セイゲニスト・夏井睦さんに登場していただきます。ヒトが昆虫などを採集して暮らしていた500万年~5万年前に至る長い「先史時代」、彼らはJR山手線に囲まれる範囲に6~60人という状態で暮らしていた。一日の労働時間は2~3時間、膨大な余暇を主に性行為にあてていた、としよう。まあ、他にすることもなかっただろうしね。でも、1平方キロメートルあたり0・1~1・0人の人口密度では、相手を見つけるのも大変だったろうな、っていうか、ほとんど遭遇のチャンスはなかったのではないだろうか。仮に15人ほどの集団で生活していたとすると、ほぼ現在の一夫一婦制に近い夫婦生活であったと考えられる。『源氏物語』の時代の帝などよりは、よほど慎ましい性生活であったはずだ。
 彼らの脳の基本仕様は、「努力しない、頑張らない、困ったら逃げる」であるから、まあ呑気な人たち言ってよかろう。描き、話し、踊る、陽気な面々である。彼らは「遠いともだち」として、いつもぼくたちのなかにいて、ともに生きている。そのことを宮沢賢治は理屈以前に、生の実感として生きていたのではないだろうか。生きることができたのではないだろうか。彼という生は、「遠いともだち」とともにしかありえないものだった。
 この詩人は花巻農学校で先生をしていたとき、生徒たちと野外実習に出ていて、突然飛び上がって「ほ、ほうっ」と叫ぶことがあったらしい。畑山博が『教師 宮沢賢治のしごと』という本のなかで、賢治の教え子たちに取材したことを書き記している。

 ほほっ、ほほうというのはね、賢治先生の専売特許の感嘆詞でしたよ。どこでもかまわず、とつぜん声を出して、飛び上がるんです。
 くるくる回りながら、足ばたばたさせて、はねまわりながら叫ぶんです。
 喜びが湧いてくると、細胞がどうしようもなくなるのですね。身体がまるで軽くなって、もうすぐ飛んでいっちまいそうになるのですね。

 たぶん賢治の傍らには、いつもユリアとペンペルがいたのである。描き、話し、踊る、陽気な面々とともに彼の生はあった。そんな気がする。