小説のために(第二十話)

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 ぼくたちはなぜ犬を飼ったり、猫をかわいがったりするのだろう。シアトルのあるアマゾン本社では、従業員は犬を連れて出勤することができるらしい。家に置いてきた飼い犬が気になって仕事に集中できないようでは困るということだろうか。ペットがそばにいることでストレスが解消されるとか、休憩時間に一緒に散歩をすることで運動不足が解消され従業員の健康増進につながるとか、動物をとおして社内外でのコミュニケーション能力が向上するとか、生産性の向上やコスト削減の面から見ても、企業運営上の理にかなったことなのだろう。
 なんでも合理で割り切られてしまうと、ペットとの付き合いも味気ないものになり、犬や猫にたいして申し訳ない気持ちにもなってくるけれど、なにもぼくたちは健康増進やパフォーマンス向上のために彼らと親密に付き合っているわけではない。もちろんグローバル企業のためでもない。
 犬でも猫でも、長く飼っていれば病気をする。クリニックに連れていけばお金がかかる。下手をすると自分が病気をするよりもかかる。また彼らの看病や介護に時間をとられる。ストレス解消どころか、逆に大きなストレスを抱え込むことにもなる。犬はともかく、猫の場合は一緒に散歩することもできず運動不足の解消にはつながらない。金魚や熱帯魚など、水槽のなかでしか生息できないペットの場合は言うまでもない。さらにヘビ、トカゲ、カメなどの爬虫類を飼うことが、コミュニケーション能力の向上につながっているのかどうかは、はなはだ不透明である。
 こうしたケースを勘案するならば、ペットを飼うことはパフォーマンス向上の観点からしてどうなのだろう。多分にマイナスの面もあるのではないか。ここで最初の問いに戻る。なぜ、ぼくたちは犬や猫をはじめとして、ウサギやカメやハムスターやヘビやトカゲや金魚や熱帯魚や、各種昆虫から南方熊楠の「粘菌」に至るまで、じつに多種多様な生物と親しく付き合い、これらと家族同然の関係を取り結び、ときには夫婦以上に親密な間柄になってしまうのだろう。
 理由は一つしか考えられない。デクノボーになるためである。別の言い方をすれば、「遠いともだち」の世界を生きるためである。ぼくたちが夫婦や恋人や家族のように親密に付き合う犬や猫や魚や虫やヘビやトカゲは、いわば実詞化した「遠いともだち」ではないだろうか。

 あの猫のことはどう言ったらいいんでしょう。僕にとって特別な猫であることはまちがいないんだけれども、じゃあ、どんなふうに特別であったかを言葉にしようとすると、これといって特別なところはなんにもなかった。でも自分の執着のしかたを見ていると、やっぱり何かあるんですよ、きっとね。

 犬たちに吠えられて屋根のいちばん高いところでぼんやりしているフランシス子を見ていると、僕は自分がそうしているような、なんとも言えない気持ちがしました。

 結局どこにもいくことができずに出戻ってきた猫だったのに、どういうわけか、僕が一生懸命かわいがったら一生懸命なついてきて、しまいには猫の生活か、人間の生活か、わからないほどになってしまいました。

 僕は、自分の子どもに対してもそういうかわいがりかたはしなかったと思う。長年連れ添った夫婦であっても、ここまでのことはないんじゃないか。そのくらい響きあうところがあった。

 もう、この猫とはあの世でもいっしょだという気持ちになった。この猫とはおんなじだな。きっと僕があの世に行っても、僕のそばを離れないで、浜辺なんかで一緒に遊んでいるんだろうなあって。(吉本隆明『フランシス子へ』より抜粋)

 戦後最大の思想家の、なんともうれしくなるようなデクノボーぶりではないか。彼はいかにしてデクノボーになったか。フランシス子という一匹の猫によってである。ご本人もおっしゃっているように、とくにどうということのない猫だったのだろう。でも吉本さんにとっては、取り替えのきかない「この猫」だった。猫以上の存在だった。「この人」と言ってもいいかもしれない。「長年連れ添った夫婦であっても、ここまでのことはないんじゃないか。そのくらい響きあうところがあった」なんて、すごいなあ。奥さんの目に触れていなければいいのだが。
 吉本さんが最後までこだわっていた「非知」を、彼はデクノボーとして生きたのだと思う。デクノボー化した吉本さんは、どこへだって行くことができる。むしろ思想家としての吉本隆明は、どこへも行けない人だったのかもしれない。状況に屹立した彼のまわりには、多くの迷える若者たちが集まってきた。そういうところは親鸞と似ている気がする。そして最後の親鸞が非僧非俗の場所に赴いたように、吉本さんはデクノボーになった。
 いいなあ。自由だなあ。どれくらい自由かというと、「もう、この猫とはあの世でもいっしょだという気持ちになった」というくらい自由である。自由、平等、友愛(博愛)は、戦争放棄とともに人類の究極の理想である。この理想を実現する場所が「デクノボー」ではないか、と半ば冗談、半分本気で考えている。デクノボーこそ人として生まれてきたぼくたち、誰もがめざすべき場所ではないだろうか。一人の老人と一匹の猫が最後にたどり着いた場所を垣間見ると、宮沢賢治ではないけれど、「ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかがない」という気がしてくる。そして「デクノボー」の可能性について、本気で考えたくなってくる。

 死は一人称のなかにも三人称のなかにもない。自己という意識の外延性が内包化された、領域としての自己のなかに死はある。(森崎茂「歩く浄土」247)

 おそらくそういうことなのだろう。思想家として外延性の極北を生きた吉本隆明の意識は、最後にフランシス子という一匹の猫によって、「もう、この猫とはあの世でもいっしょだという気持ちになった」というかたちで内包化され、このとき彼の自己は、「犬たちに吠えられて屋根のいちばん高いところでぼんやりしているフランシス子を見ていると、僕は自分がそうしているような、なんとも言えない気持ちがしました」という具合に領域化されている。領域化した自己のなかに死を解き放っている。一人として引き受けるしかない死を、「ふたり」の場所でひらいている。見事ではないか。
 ハイデガーは『存在と時間』のなかで、死を現存在にとってはもはやそれが可能ではないという可能性、「現存在であることの絶対的な不可能性という可能性」と規定している。学生のころ読んだときには説得されたものだが、いまは彼の言い方にひんやりとしたものを感じて、あまり好きになれない。前掲のブログで森崎さんは、「死ねば死にきり。自然は水際立っているという考えは身勝手で、つまらない」と書いているが、ハイデガーの死にたいする考え方も、「身勝手で、つまらない」ということかもしれない。どこか無理をしている。「絶対的な不可能性という可能性」なんて、いかにも言葉がぎくしゃくしていて全然こなれていない。「もう、この猫とはあの世でもいっしょだという気持ちになった」という最後の吉本隆明のほうがずっといい。無駄な力が抜け、なにかやわらかいものが心地よく胸に吹き込んでくる。思わず「よかったね、おじいちゃん」と言いたくなる。

 「今生も悪くはなかったよ、リトル・トリー。次に生まれてくるときは、もっといいじゃろう。また会おうな」そして、祖父は吸い込まれるように急速に遠くへ去っていった。(フォレスト・カーター『リトル・トリー』)

 この祖父の言葉も、先ほどの吉本さんの言葉と同じ質感、同じやわらかさとのびやかさをもっていて、ここでもまた、「よかったね、おじいちゃん」と言いたくなる。そしてぼくたちが思わずもらしてしまう言祝ぎの言葉は、ただちに自分に向かって贈与される。なぜならぼくたちは、このようにして自分の死をつくることができるからだ。誰もが自分の固有の死をつくりうる。戦後最大の思想家・吉本隆明は「きっと僕があの世に行っても、僕のそばを離れないで、浜辺なんかで一緒に遊んでいるんだろうなあって」というかたちで、自分の死をつくった。同様に、ネイティブ・アメリカンとして苦難の時代を生き抜いたリトル・トリーの祖父も、彼の言葉で固有の死をつくりえている。

 死を体験することはできないという、追い越しえない死の先駆性が死にはある。このなぞを緩衝するために共同幻想という虚構がうみだされた。死という虚構を埋めるために共同幻想が発明されたわけで、たしかにここに人間の思考にとっての限界がある。死とはなにか。この思考の限界を解いた者はいない。死というなぞは人類史にひとしい規模をもっている。(「歩く浄土」247)

 森崎さんも言っているように、死は人類最大の共同幻想である。だから自分の固有の死をつくるということは、人類最大の共同幻想から解き放たれるということであり、死の謎とともにありつづけた人類史から自由になることである。ここが人間にとって究極の自由である。この自由に誰もが赴くことができる。各自が自分の死をつくることによって。もちろん誰にだって可能だ。現に彼らはつくっている。戦後最大の思想家だから可能だったのではない。とくに学問教養のないネイティブ・アメリカンの老人は、「今生も悪くはなかったよ、リトル・トリー。次に生まれてくるときは、もっといいじゃろう。また会おうな」という珠玉の言葉を孫に残すことで、固有の死をつくっている。この祖父の言葉と、「きっと僕があの世に行っても、僕のそばを離れないで、浜辺なんかで一緒に遊んでいるんだろうなあって」という思想家の述懐のあいだには、いかなる優劣もない。ただ各自が生きてきた生と、彼ら自身の言葉があるだけだ。そして生と言葉は万人に供与されているのだから、誰もが各自で自分が必要としている、その人にふさわしい死をつくることができる。

「お別れね」と彼女は言った。「でも、悲しまないでね」
 ぼくは力なく首を振った。
「わたしの身体がここにないことを除けば、悲しむことなんて何もないんだから」しばらく間を置いて彼女はつづけた。「天国はやっぱりあるような気がするの。なんだか、ここがもう天国だという気がしてきた」
「ぼくもすぐに行くから」ようやくそれだけ口にすると、
「待ってる」アキはいかにも儚げに微笑んだ。「でも、あまり早く来なくていいわよ。ここからいなくなっても、いつも一緒にいるから」
「わかってる」
「またわたしを見つけてね」
「すぐに見つけるさ」
         (『世界の中心で、愛をさけぶ』)

 この若い二人も、拙い言葉で自分たちの死をつくっている。彼らは高校生だ。主人公の男の子は好きな女の子のことしか頭にない。吉本さんのように思想の言葉もなければ、リトル・トリーの祖父のように豊富な人生経験もない。でも、やれている。素手でつくっているという感じだ。
 DIY。たしかにそうだけれど、「Yourself」ではない。一人ではできない。「ふたり」だからやれるのだ。ぼくたちがつくろうとしている、そしてつくりうる死とは、二人だけの秘密の約束みたいなものだ。「またわたしを見つけてね」「すぐに見つけるさ」というのが、二人のあいだで交わされた約束だ。リトル・トリーのおじいちゃんは孫とのあいだで、「今生も悪くはなかったよ、リトル・トリー。次に生まれてくるときは、もっといいじゃろう。また会おうな」という秘密の約束を交わす。吉本さんは愛猫とひそかに交わした約束を、「もう、この猫とはあの世でもいっしょだという気持ちになった。この猫とはおんなじだな。きっと僕があの世に行っても、僕のそばを離れないで、浜辺なんかで一緒に遊んでいるんだろうなあって」というふうに述懐している。
 老人と猫、祖父と孫、「ふたり」という場所でしか、死はひらかれない。なぜだろう? 一人という場所(ハイデガーの「現存在」)において、死は体験できないもの、追い越しえない先駆性として現前してしまうからだ。死は歴然としてそこにある。「他者のもとで日常的に出来する死亡事例」としてありふれている。そこにありながら自分では体験できない死は、「死」という虚構として疎外される。この虚構にたいして、いわば此岸から彼岸へ、共同幻想という橋が架けられる。
 エジプトの『死者の書』をはじめとして、古代より人間は死にまつわる様々な共同幻想のなかを生きてきた。誕生した子どもに祖父の名前をつけるといった習慣は、いまも世界各地で見られる。これは生まれ変わり信仰の名残と考えられる。日本では主として先祖信仰が、共同の信として広く受け入れられてきたようだ。人は亡くなってある年限を過ぎると、「ご先祖さま」や「みたまさま」と呼ばれる一つの尊い霊体に融け込んでしまう。それは多くの祖先たちが一体となった神であり、この祖先神が子孫後裔を守護してくれる、といったところが柳田國男などの描いた先祖信仰の見取り図である。もちろん仏教やキリスト教などの世界宗教も、人の生誕と死にかんするストーリー(虚構)を構築している。
 こうした様々な共同幻想、共同の信を、ぼくたちは生きることができなくなっている。伝統的な死生観が失われ、マックス・ウェーバーの言う「脱呪術化」やニーチェの「神の死」によって神にたいする共同の信が失われ、死はそれ自体のものになってしまった。死という虚構を緩衝し、それと折り合いをつけるための言葉を紡げなくなれば、「他者のもとで日常的に出来する死亡事例」だけが剝き出しの状態でありつづけることになる。このような剥き出しの死は「虚無」として前景化される。
 孤立無援の自己にとって、虚無としての死は恐怖や絶望でしかない。キューブラー・ロスがチャート化した死の受容に至る五段階というやつである。死に瀕した者は共通して五つの段階をたどる。まず否認と孤立の段階があり、つぎに怒り、さらに延命のための取り引きを試みる時期があり、それが過ぎると抑鬱や悲嘆がやって来て、最後の受容に至る。

 受容を幸福な段階と誤認してはならない。受容とは感情がほとんど欠落した状態である。あたかも痛みが消え、苦闘が終わり、ある患者の言葉を借りれば「長い旅路の前の最後の休息」のときが訪れたかのように感じられる。(中略)死に瀕した患者は、いくばくかの平安と受容を見出すが、同時にまわりに対する関心が薄れていく。一人にしてほしい、せめて世間の出来事や問題には煩わされたくないと願う。(E・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』鈴木晶訳)

 なんとも貧寒として、寂しく、痛々しい死ではないか。現に人の死がこのようなものであるなら、ぼくたちは生き方を間違えていると言うほかない。ここは前からずっと引っかかっているところなので、自分の小説のなかで登場人物の一人に長いモノローグを語らせたことがある。

 医療が発達したり、社会が豊かになったりして変わったのは、死に至る前段階だけである。たしかに死の前段階としての延命の手段、健康やアンチエイジングをめぐって提供されるサービスや商品は豊かになった。選択肢も増えた。だが、そこにいくら金をつぎ込んでも、死そのものは変わらない。死にたいする恐れも、虚しさも、孤独も、何一つ変わらない。死は依然として死のままである。そのような死を不承不承に受け入れる。何かが回収されないまま、あるいは未然のまま、否応なしに受け入れるしかない死は、たしかに悲惨である。だからなおさら逃げまわり、先送りにしようとする。悪循環ではないか。
 生まれてくることはしょうがない。自分のあずかり知らない出来事である。だが物心ついてからは違う。人は成長する過程で、自分の意志や考えで人生をやっていくことを学ぶ。それが成熟ということだ。ところが人生の最後に確実に訪れる死は、当人の意志でも考えでもない。不承不承のもの、否応無しのものでしかない。だから医者や家族などの他人に任せてしまう。情けない。恥ずかしことじゃないか、と彼は思う。自分で自分の死を差配できないとは。なにが死の受容に至る五つの段階だ。あんな本が書かれるということ自体、人間にとって屈辱的なことと思わなきゃだめだ。(『新しい鳥たち』)

 死は虚構であり、共同幻想である。つまり物語である。虚構に過ぎない一つの物語が、人類史を全能の神のごとく支配してきたのは、この「死」なるものが、ぼくたちの体験する現実と一体化しているからだ。現実そのものとみなせるくらい揺るぎなく、また隙間なく重なり合っているからだ。「他者のもとで日常的に出来する死亡事例」としてありふれていながら、自己にとっては「絶対的な不可能性という可能性」であるところのものを、「死」として可視化し実体化することは、ぼくたちが体験している現実とずれるところがない。こうして死は変更不可能に思えるほど確固たるものになり、それがぼくたちの生にたいする医学や生命科学の専横的な振舞いを許すことにもなっている。
 だが、果たしてそうだろうか? たしかに、この世界を一人で体験するものとすれば、死はハイデガーが言うように「絶対的な不可避性という可能性」でしかない。あるいはキューブラー・ロスがチャート化したような、虚無と隔絶の受容に至る孤立無援の過程でしかない。しかし体験の仕方を変えればどうだろう。一人ではなく「ふたり」で体験するものとして、世界にたいするまなざしを変えてみればどうだろう。死は融解をはじめる。「ふたり」という場所において死はひらかれ、ともに生きられるものになる。現にそうなりうることを、ぼくたちは見てきた。
 死は虚構であり、共同幻想である。だったら、もっといいフィクションをつればいいだけの話ではないか。やわらかくて音色のいい物語を紡ごう。「きれいにすきとほつた風」と「桃いろのうつくしい朝の日光」で紡ごう。その物語で、虚無や絶望でしかない死を包み込んでしまおう。

 難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって厖大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜなら、そのおかげで無数の見知らぬ人どうしが力を合わせ、共通の目的のために精を出すことが可能になるからだ。(ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』)

 現在、もっとも広く人々に受け入れられている物語は貨幣とテクノロジーである。ドルや円を持っていれば好きなものが手に入る。電子レンジで一分間ほどチンすればお燗がつく。この説得力は圧倒的だ。だが貨幣もテクノロジーも、虚無と絶望でしかない死に囲繞された、孤立無援な自己を慰安するためのものであることも確かなのだ。死をやわらかく音色のいい物語によって包み込むことができれば、貨幣とテクノロジーの独裁状態は相対化される。ユヴァルも言っているように、この試みが成功すると、無数の見知らぬ人どうしが力を合わせて、共通の目的のために精を出すことが可能になる。つまり現実は一瞬にして変りうる。たった一つの物語によって。
 この世界を一人として味わうだけではもったいない。「ふたり」としても味わうことができる。森崎さんは「存在の複相性」という言い方をしている。両方あるのだ。そして一人を「ふたり」へと橋渡しするのが、「デクノボー」ではないかと思う。ぼくたちは物語をつくっている。この現実がおのずと変るような物語を。もちろん「あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうこと」は難しい。そんなことはユヴァルに言われなくてもわかっている。でも、ぼくたちは可能だと思っている。