勝手にゴダール take1


 ゴダールというのは不思議な作家だ。彼の映画を観ている人に比べて、彼や彼の作品について書かれたもののほうが圧倒的に多い気がする。調べたわけではないけれど、そういう印象である。ぼくもまた、その一人になろうとしている。ゴダールの映画を全部観ているわけではないし、これまで観たもののうち半分くらいは、正直なところ面白いのかどうかわからない。いや、はっきり言って面白くない……と言ってしまって、いいのかな?
 たとえば『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』は無条件に好きだ。『パッション』も素晴らしい。『嫉妬』もいい映画だと思う。『小さな兵隊』は微妙なところだ。『ウィークエンド』や『彼女について私が知っている二、三の事柄』になると、どうなんだろう? 『ワン・プラス・ワン』はストーンズの演奏シーンがなければ観ようとは思わない。というか、あそこだけをストーンズのDVDに特典映像として付けてほしい……というような不届き者です。
 そんなぼくがゴダールについて、いったい何を書こうというのか。ほとんどのことは書き尽くされている。いまさらぼくなどが参入する余地はない、という気もする。まあどっちにしても難しいことは書けないわけで、どうでもいいようなことを思いつくままに書いていこう。そういう欲望を喚起するところがゴダールかもしれない。ゴダールは言葉を誘発する。彼について、彼の映画について、何か書いてみたいと思わせる。
 言葉を誘発するもの。それはかっこいいものである。かっこいいものにたいして、ぼくたちは言葉を向けたくなる。自分の言葉で何か言ってみたいという欲望を抑えられなくなる。ゴダールの映画は、面白いかどうかは別として、たたずまいがかっこいい。ゴダール本人も、「ジャン=リュック・ゴダール」という名前もかっこいい。フランス人は名前で得をしている。(ゴダールはスイス人だっけ?)フランソワ・トリュフォー、ジャク・リヴェット、エリック・ロメール……ヌーベルバーグの人たちは名前がかっこいい。イタリア人もやってくれる。ミケランジェロ・アントニオーニにルキノ・ヴィスコンティだからね。アメリカン・ニュー・シネマはどうか。サム・ペキンパー、ロバート・アルトマン、健闘しているけれど、ちょっと軽いかな。
 こんなくだらないことをダラダラと書いていくつもりなので、最初に「勝手にゴダール」と逃げを打っておいた。逃げきれるものでないことはわかっている。最後は『勝手にしやがれ』のベルモンドみたいに、引き伸ばされた死を迎えることになる……にしても。