ぼく自身のための広告(17)

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17 リスボン

 信長の時代、「南蛮人」といえばポルトガル人のことだった。そして当時の有名なポルトガル人といえば、なんといってもフランシスコ・ザビエルである。たしか「ザビエル」というお菓子もあったように思う。そのザビエルが、いる。ここはリスボンの町はずれ、世界遺産として有名なベレンの塔の近くに立つ「発見のモニュメント」である。エンリケ航海王子、バスコ・ダ・ガマ、マゼランといった大航海時代に活躍した先人たちの偉業を讃えたものだ。そのなかに十字架を手にひざまずくフランシスコ・ザビエルがいる。以後、よく来る宣教師、こんな最果ての地からやって来ていたのか!

 ひとくちにザビエルが来たというけれど、当時の交通事情を考えると命懸けの冒険に近いものだったはずだ。現在でもポルトガルへ行くのは容易ではない。そのことをぼくは身をもって体験したばかりだ。ましてザビエルの時代、旅の困難は想像に余る。この時代のポルトガル船はカラック船と呼ばれる。もちろん帆船である。風を待ち、帆を張って、じりじりと極東のジパングをめざしたのだろう。

 それにしてもエンリケ航海王子、バスコ・ダ・ガマ、ポルトガルでは英雄らしいが、そんなに偉いのか? 航海王子がやった「偉業」というのは、要するに資金難の国家財政をアフリカなどから略奪・強奪してきたもので立て直したということではないか。モニュメントの近くにはジェロニモス修道院がある。マヌエル様式を代表する白亜の修道院で、ベレンの塔ともども世界遺産に指定されている。当初の建築資金はバスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料を売って得た莫大な利益で賄われたという。なるほどねえ。

 信仰とは、キリスト教とはなんだろう? 「主の聖なるお導きによって、多くの異教徒を征服しカトリックへの忠誠を誓わせたことは神の栄光であり、皇帝陛下の偉大な力と強運によって、陛下の御世にこれがなせたことはひとえに陛下の名誉である。」(ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』)これがインカ帝国を滅ぼしたピサロたちの自負だった。どんな敬虔な信仰も、信仰の外にいる者たちにとっては災厄でしかない。不条理な気分のぼくは、その夜もクルーズ船のレストランでワインをたくさん飲んで、したたか酔っぱらった。

 翌日はバスでロカ岬というところに行った。高さ140メートルの断崖。「ヨーロッパ最西端到達証明書」というのをもらう。うれしいような、どうでもいいような。つづいて国王の夏の離宮であったシントラ宮殿へ。ここも世界遺産である。アズレージョと呼ばれるタイルが美しい。ファサードの建物も部屋の装飾も美しいけれど、きっと大航海時代に得た富が贅沢につぎ込まれたのだろうなと考えると、素直に鑑賞できない気分である。

 リスボン市内に戻って、午後はアルファマ地区を散策する。1755年のリスボン大震災で被害を免れた古い街並が残る。入り組んだ細い路地と白い壁は、かつてムーア人に支配されていた時代の名残だろうか。途中で写真を撮ったり、おみやげを買ったりしながら、坂道を登ってサン・ジョルジェ城へ。古代ローマ人によって築かれたという古い城で、リスボンの街とテージョ川が一望できる。再び坂道を下ってロシオ広場まで戻る。モザイク状の石畳が特徴的は広場には噴水や銅像があり、露店で花を売っている。

 古き良き時代がそのまま残っているリスボン。人も動物ものんびりしている。グローバリゼーションから取り残された、ヨーロッパ大陸の西端にへばりついた国。喫煙も盛んらしく、街のあちこちにタバコ屋がある。まあ、過去はいろいろあったにしても、そんな街がぼくは好きになりはじめていた。