ぼく自身のための広告(12)

12 父の写真

 書斎の隅に置いてある写真の父は、6年前に亡くなった。12月24日が命日。クリスマス・イブの寒い朝だった。お葬式に使った写真だけれど、近くに住んでいる母が「別のものを飾りたい」と言うのでもらってきた。
 毎朝書斎に上がると、まずこの写真に挨拶をする。「寒くなったねえ」とか「さあ、今日もがんばろう」とか、ひとりごとみたいなものだけれど、ぼくのなかでは父に向って言葉を発しているという気持ちが強い。仕事中もこっちを見ているので、なんとなく見守られている気がする。
 祭壇というほどのものではなく、ビートルズの第一世代のCDを収めた小型ラックの上に無造作に置いてある。旅先で手に入れた小さなお地蔵さんなどを、もっともらしく並べているけれど深い意味はない。茶碗蒸しをつくる器のなかに、父の小さな骨が一つ入っている。骨上げのときハンカチにくるんで持ち帰った。開けてみることはないけれど、入っていると思うとなんとなく安心する。
 壁に貼ったポスターは、中宮寺の菩薩半跏像である。菩薩に性別はないのだろうが、どうしても女人を想ってしまう。男の人なら、理想の女性を重ねるかもしれない。いわゆるアルカイックスマイルといわれる柔和な表情、やさしく繊細な手つきは、この世で犯した罪をすべて赦してくれそうな気がする。
 父に赦されるべきどんな罪があったのか知らない。だが、有情衆生のなかで人ひとりが生きることは、いかに卑小に慎ましくわが身を処しても罪を重ねることであり、それゆえ親鸞は悪人正機を説いたのではないだろうか。そんな話をすると、「おまえの話は小難しくていかん」とか言って、父は燗瓶を持ち上げ酒を勧める仕草をするのだった。
 とりたてて立派なところのなかった人だが、ぼくにはまず申し分のない父親だった。とにかく子どものころから叱られた記憶がない。もちろん叩かれたりしたこともない。そういうことはできない人だったようだ。気が弱かったのだろう。おかげで息子はひ弱な甘ちゃんに育った。若いころ父が禅寺に通ってさかんに座禅を組んでいたのも、自分の弱さを自覚し、なんとかしようと思ったからかもしれない。まあ、いいじゃないの、おとうさん。
 それにしても、である。「申し分のない父親だった」などという意識化は、父の生前には照れくさくてできなかった。死んでもらったいまだから、こっちは臆面もなく自分の感情と向き合えるわけで、そんなことを考えると、この世の生が尽きるのもそんなに悪いことではない、と思えたりもする。
 この父が、50歳近くになって歌をつくりはじめた。ひところは先生のところへ通って熱心に励んでいたようだ。遺作も含めて3冊の歌集を遺してくれたけれど、総じて下手くそである。文学的な才の乏しさは息子といい勝負だ。だが、下手な歌と、いい歌は違う。

 海原にボート浮かせて釣り糸を垂れつつ吾子と二人の世界

 お見せするのも恥ずかしいような歌だが、作られた年代からすると「吾子」はこのとき大学生。夏休みにでも帰省して、二人で釣りに行ったのだろう。父も父なら息子も息子だ。そんなことも含めて懐かしい。