ぼく自身のための広告(4)

4 本棚……②

 三つ並べた本棚の右端には、思想・哲学関係の本が入っている。いちばん場所をとっているのはミシェル・フーコー。単行本に加えて講義集成と思考集成が隊列をなしている。同時代最大の思想家という評価は変わらない。ジル・ドゥルーズの本も、翻訳されたものはほぼ揃っているはずだ。この人の文章は、読む者を脅迫するところがなくて好きだなあ。いまは河出文庫から新訳がかなり出ていて、こちらもほとんど集めている。
 もう一人、ぼくの好きなロラン・バルトもたくさんある。ただ著作の多い人だし、『モードの体系』や『S/Z』といった記号学関係のものは興味がないので抜けている。ジャック・デリダとレヴィ=ストロースの本もかなりあるけれど、やはり二人とも著作が多く、とても全部とはいかない。せいぜい半分か三分の一くらいだろう。あとはルイ・アルチュセール、ジャック・ラカンなどフランスの現代思想関係のものが多い。
 後ろに隠れているけれど、フッサールとメルロ=ポンティの本もかなりある。メルロ=ポンティはやわらかい文体が好きで、大学院時代にかなり読んだ。ぼくの修士論文は、フッサールとメルロ=ポンティの現象学を使ってエンゲルスの「自然弁証法」を批判するというものだった。いったい何を考えていたのだろ? 農学部なのに……教授たちには愛想を尽かされた。それ以前に、ぼくのほうが彼らに愛想を尽かしていた。最初からうまくいかない仲だったのである。
 フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』は丹念に読み込んだ。前述のように農学部に籍を置いていたので、ぼくには哲学を教えてくれる先生がいなかった。本書が最良の西欧哲学の入門書となった。彼に導かれて、ガリレイ、デカルト、ロック、ヒューム、カントというふうに読んでいくと、近代哲学の流れはだいたい頭に入ることになる。謝謝。
 現象学関連ではハイデガーもかなりあるが、どうも人柄が好きになれない。そういうところはカラヤンと似ている。彼も初期のオペラなんかはいいんだけどなあ。ハイデガーは、ぼくには『存在と時間』と晩年の技術論だけでいい。『存在と時間』はノートをとりながら丁寧に読んだ。そんな読み方をしたのは、他にはヘーゲルの『小論理学』とフーコーの『言葉と物』くらいである。このあたりが思考のバックボーンになっている気がする。
 残るは卒論で扱ったマルクスだけれど、ドイツ語の原書にあたりながらちゃんと読んだのは『経済学・哲学草稿』くらいなので、あまり大きなことは言えない。卒論を書き上げてから、吉本隆明のマルクス論を知った。びっくりしたなあ! 断言するけれど、あんなふうにマルクスを読んだのは世界中で吉本さん、ただ一人である。『経哲草稿』を隅から隅まで丁寧に読んでも、彼がやって見せたように「疎外」論を展開することはできない。あれは完全に吉本さんのオリジナルなのである。
 それからというもの、吉本隆明の本は見つけると迷わずに買うことになった。おかげで本棚の右半分には、吉本さんの本がぎっしり入っている。ぼくの二十代は吉本隆明と古井由吉である。古井さんは現役なので、新しい作品が出ると買っている。二年、三年かけて暇々に読むことが多い。そのくらい文章の密度が濃くなっているのだ。吉本さんは亡くなってしまったけれど、いまでも読み返すものがかなりある。読むたびに新しい発見や気づきがあって、ぼくのなかではなお現役という感じである。