あの本、この本……1 これを読まなきゃ憲法論議ははじまらない。

 著者の伊勢崎賢治さんは、NGO・国連職員として東チモールやシエラレオネなどで紛争処理、武装解除の仕事をした実務家である。去年(2015年7月)の衆議院平和安全特別委員会における意見陳述でも、とても真っ当な発言をしていた。
 彼の本を読んだのは、福島の高校でおこなった授業がもとになっている『本当の戦争の話をしよう』がはじめてだった。高校生と同じ目線で紛争地域の生々しい現場を語りながら押し付けがましさがなく、近年稀に見る良書だと思った。この『新国防論』は、激変する国際情勢のなかで、紛争の現場を知っている実務家としての視点から日本の国防を考えるもので、憲法九条をめぐる改憲派も護憲派も、これを読まなければ議論がはじまらないというくらい、いまぼくたちにとって必読書である。
 たとえば集団的自衛権について、安倍首相をはじめとして、ほとんどの人が正確に理解していないのではないだろうか。ぼくもそうだった。個別的自衛権と集団安全保障(国連的措置)と集団的自衛権はどう違うのか。さらにNATOのような集団防衛と集団的自衛権の違いは? 2014年7月に安倍首相が集団的自衛権の行使を閣議決定したあと、記者会見においてパネルを使っておこなった説明が、いかにデタラメなものであったか。伊勢崎さんは本書のなかで、「なんじゃこりゃと、思わずコーヒーカップを落としそうになりました」と述べている。
 そのあたりのことについては、まず概念整理から必要で、ちょっとややこしい話になりそうなので別の機会にまわし、とりあえず伊勢崎さんが言いたかった(と思われる)ことを簡潔にまとめてみよう。

1.日本政府は1990年代から「国際貢献」を名目に自衛隊を海外へ派遣してきた。あるいは「特別措置法」という虚偽を使って違憲行為を切り抜けてきた。たとえば小泉政権は、NATOという軍事同盟(というか、ほとんどアメリカ単独)の軍事行動であるイラク戦争に、自衛隊を派遣してインド洋での補油活動を行わせた。こうした現実に目をつぶって、いくら憲法論議をやってもしょうがない。

2.民主党政権も含めて、日本政府が長年つづけてきたごまかしを、安倍政権は「見えるもの」にしてくれた。1で述べたように、すでに小泉政権は「特別措置法」という抜け道を使って、9条下で違憲とされている「武力の行使」に該当する集団的自衛権を行使している。このように憲法は実質的に改憲されているわけだが、安倍首相があらためて「憲法を改正するぞ」と公言してくれたおかげで実態が可視化された。この点は安倍晋三氏(の愚直さ)に感謝すべきである。

3.近年、国際情勢は激変している。安全保障の問題についていえば、国家間で戦争が起こる可能性は低くなり、内紛による住民同士が殺し合い(ジェノサイド)にどう対処するか、ということが主要な課題になっている。たとえばルワンダでは、PKOの監視下に100日で100万人が殺されたと伊勢崎さんは述べている。また隣のコンゴ民主共和国では540万人が犠牲になったとされる。こうした現実に対処するために、PKO(国連平和平和維持活動)のマンデート(権限と任務)は、かつての「停戦監視」から「住民保護」に主軸を移している。つまり住民保護のために積極的に交戦主体となって戦え、というのが現在のPKOに課せられた任務である。

4.このような現場に自衛隊が派遣されれば、当然、自衛隊を含むPKO部隊全体が交戦主体となる。自衛隊員は否応なしに「武力の行使」に巻き込まれるわけだが、日本国憲法はこれを禁止している。じゃあ、いったいどうすればいいのか? たとえば応戦の継続のなかで自衛隊員が捕虜になっても、ジュネーブ条約上の捕虜としての扱いを受けられず、軍事行動のなかで生じる軍事的過失(誤って民間人や子どもを殺傷してしまう、など)は、自衛隊員の過失になってしまう。つまり隊員個人が犯罪としての責任を追うことになる。こんな馬鹿な話はない。少なくとも憲法を改正して、自衛隊を軍事組織として法的に位置づけるまでは、自衛隊を海外へ派遣すべきでなない。

5.しかし集団的自衛権の容認や9条の改憲といった自傷的なやり方をしなくても、国防と安全保障にかんしては現実的に考える余地がたくさんある。伊勢崎さんは具体的に、幾つかの実効性のある提案をしている。長くなってきたので、つづきは次回にまわそう。